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Atelier Kaii - blog -

   〜 Kaiiの旅日記 〜

『芸術』という出口の見えない世界に迷い込んだ
ひとりの画家の素朴な日常をご紹介♪

※Atelier Kaii は、『東北地方太平洋沖地震』
≪2011年3月11日(金)14時46分発生・M9.0≫で
被災された方々を、総力を挙げて応援いたします
カイガノススメ ≪其ノ五≫ 〜大海ニ臨ミテ『偉業ヲ成ス』〜
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                    大海ニ臨ミテ


     たまに、すべてを忘れるために、
    海へ来ることがある。

        大海ニ臨ミテ

     嫌なことも良いことも、
    そうすれば、総てを消し去ることができるから。

                              大海ニ臨ミテ

     波は、

    ひとつとして同じ形は無いのだけれど…

     それは、
    人の生涯をも彷彿とさせる。

           大海ニ臨ミテ

     似通った波が、

    産まれては消え…消えては、また産まれる。

     駆け足で浜辺へ押し寄せ、心に響く音を遺し、
    最期はぶくぶくの泡になって、
    一瞬で、跡形もなく消え去ってしまう。

     儚いくらいに。

                               大海ニ臨ミテ

     そんなちっぽけな波でも、
    幾度もの刻を重ね、
    いつか、巨大な岩をも穿つことがある。

      大海ニ臨ミテ


     ゙偉業を成す゛とは、
    そういったことなのかもしれない。


     自らの行いが、
    500年後の、誰かの、何かの役にたっている…

    そう、祈りたい。


                       大海ニ臨ミテ

     そして忘れず…

    500年前の、何処かの誰かの努力が、
    私たちの暮らしを根底から
    支えてくれているという事実に、


               大海ニ臨ミテ


    感謝の意を、捧げることを。

    | カイガノススメ | 23:20 | - | - | - | - |
    カイガノススメ ≪其ノ四≫ 〜『賞』という名の虚栄〜
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       積み重なった所用のおかげで、この毎日バタバタとしてましたけど、月日の経つのはあっという間ですね。。。すっかり秋も深まってきた感じで。今日は、外の風が冷たかったムニョムニョ

                       烏瓜

       日々こんなにあたふたしていると、近い将来、「気がつけばおじいちゃんになってたよ」とでも言いそうですしニョロ

       さて、それはさて置き、本題に入りましょう…今日は『賞』の話題桜
       
       オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞されたNEWSは、瞬く間に世界を覆いましたね地球

       賛論の影で、『まだ目立った実績も無いのに』との冷ややかな評価も見え隠れ…ふぅ〜ん 確かに冷静に考えると、ノーベル賞を先払いされたような感じがしなくもない。

       『有言実行』?

       「演説であれだけの発言をしたのだから、きちんと実行してくださいね」と、釘を刺された…つまりこれで、オバマ大統領も逃げ場が無くなった。然るに、今後のご活躍に期待をいたしましょうおはな

       因みにこれは余談ですが…「温室効果ガスを25%削減する」と世界に明言した鳩山新総理大臣にも、何かプレゼントして差し上げてはいかがでしょう?ゆき

       以上で、噺はひと区切。以下は、『賞』に対する私の個人的な想い、つらつら。

       私はとあるきっかけで、賞が嫌いになってしまった。コンクールそのものも、同じくノーノー

       理由は、日本でもかなり有名な某展覧会に一度だけ出品した時のこと…その応募用紙に、「あなたはこれで何回目の出品ですか?」という問いかけがあった事実。

       「なぜそんなことを書かなきゃ?」と思った。「初めて」と書けば落選させ、「これで20回目です」と書けば、お情けで入選させるのかとペン

       物事の審査は、何時何時でも公平であるべき。問われるは個々の作品の良否であり、出品の経緯や作家の人物像は、作品を評価する材料にも満たない。

       誰が見ても明らかにファウルなのに、主審が大手を振って「ホームラン!!」と叫んでいる光景ほど食えない野球ゲームは、無い野球 酒のつまみにも、なりはしない。

       作家にこういう問いかけをする展覧会は、いっそ公開審査をすればいい。

       オバマ、鳩山の両氏が、総ての民に幸せをもたらす人物であることを…

        紅葉

           私は切に、願っている。

      | カイガノススメ | 23:23 | - | - | - | - |
      カイガノススメ ≪其ノ三≫ 〜ヒョウゲンスベキハ『サ』ノココロ〜
      0
        ※『Atelier Kaii』のWEBサイトにて、更新休止のご挨拶を掲載しておりますのでご覧ください

         この章は絵画に限られた記述ではないことを、私は強く念押しておきます。その証拠に、私は『サ』とは、写真、音楽、文学、演劇、映画…などなど、様々なジャンルの芸術作品に当てはまるモノサシだと考えています。

                               花鳥風月

         〜何が表現されるべきか?〜

         ↑↑幼少の頃に生み出される作品は、そんなことなど気にもせずに完成されるのでしょう。しかし大人になるにつれて、このテーマは無情にも常に付きまとってくるものです。ましてや職業として表現者の位置付にいたいのであらば、この課題をなおざりにはできないでしょう。理屈っぽくなるのも嫌ですが、作品づくりには、ある程度『目的』と呼ばれるくらいの動機は必要だと思います。

         それに幼児期の作品も、このテーマに無関係ではありません。言い方を替えれば、幼い頃の作品だって、無意識のうちに何かを表現しているものだったりするのですから。。。

        花鳥風月

         「『サ』を表現するって…『差』のこと?」

         私がこの話を投げると、決まってこういう答えが知人から返ってきます。しかし残念ながら、私が座右の銘に掲げるほどの『サ』とは、一風ちがった使われ方をする語句なのです。


        Q:

        目の前に置かれた真紅のリンゴを見て、あなたはカンヴァスに何を描きますか?


        A:

        々箸ぅ螢鵐
        △呂舛澆
        6發鼎
        だ朕垢糧甲田山



         深刻に悩んでいただくことを避けるため、ふたつの前置きをしておきましょう…絵を描くことに『間違い』や『反則』が存在しないのと同様、この4つの答えの中に、不正解はありません。また、裏返して補足すれば、どれも正しいと言えるでしょう。

         ただ、迷わず,鯀んだ方がおられるのであれば、いささか危惧がちらつきます。芸術家とは一番離れたところに心がある人物ではないかと私は思うのです。失礼な話、芸術家を目指すには、人一倍か、人二十倍の労力が必要な方かもしれません。

         リンゴの『甘さ』に感動した方は…△鯀ばれるのではないでしょうか。

         リンゴの『硬さ』に感動した方は…を選ばれるのではないでしょうか。

         リンゴを見て、故郷青森の『懐かしさ』に想いを馳せた方は…い鯀ばれるのではないでしょうか。

        花鳥風月

         私たち表現者は、いったい何を未来へ残すべきでしょう?モデルを前にし、その人物の誇らしさ、優しさ、明るさ、やわらかさ、素直さ、えぐさ、直向さ、温かさ、弱々しさ、厳しさ、気だるさ…等々を表現せず、いったい何を描けば良いのでしょうか?

         楽器を手にし、逢ったこともない声を聞いたこともない作曲家が全身全霊で曲に込めた『さ』を奏でず、いったい何を音にするのでしょうか…?

                              花鳥風月

         学校で教えてほしい。

         「まず顔の輪郭から描きましょう。その次に中心線を薄く描き入れ、それに沿って鼻を描いてゆきましょう」などと、単純に目前の石膏人形をアカデミックに描き写すコピー機業務を教えるのではなく。

         単純にオタマジャクシを撫で回りながら終業のベルを待つ、哀れな事務的授業ではなく…

         芸術とは『心の動き』を表現するものであること。心の動きを、『作品』という不変の媒介を介して、万人と共有するものであること。幸せ、或いは不幸せを、同じ世界に生きる皆と共に味わうということ。

         物を見つめ、触れ、音を聴き、香りを吸い込み…まずは自分が何に感動したかを深く知る、それが一番重要であること。

                        リンゴの想い

         リンゴを見つめ、食べ、何かを感じる。そして歯が立たないほどの硬さに感動したから金づちを描く…その金づちの絵を観た人が、リンゴを見た時、食べた時と同じ心の動きをしてくれた瞬間に、その絵の仕事が初めて終わりを遂げること…それを学校で教えてほしい、そう願う日々です。

         「今日の映画は、主人公の切なさが伝わってきて泣けたよね」

         「このあいだ観たのも良かったよね。苦しさの中でも直向に生きる、主人公の健気さが感じられたよ」

        …↑↑こんな評価が、世にも審査員にも真先に求められるはずです。コンクールをひらくのであれば、このモノサシを用意するべきだと、私は思います。

         「去年、海外で賞をもらった○○監督の映画だから、いいに決まってるじゃない♪」

         「△△美大出身だから、この絵描さんの絵は外れることは無いでしょうよ」

        …などというブランド志向に染まってしまうと、哀しいかな、『さ』の心を読めない大人…つまり、『はだかの王様』に育ってしまうことでしょう。



           ニュルンベルクのストーブ


         ↑これが、私が愛して止まない一冊です。

         とはいえ、『フランダースの犬』ではありません。岩波少年文庫さんの送り出すこの本の、後半に収録されているウィーダさんの書いた『ニュルンベルクのストーブ』が、私の心の奥深くまで刺さり込むのです。

         ピンク色のカバーの、新たに翻訳された新版も読ませてもらいましたが、やはりこの畠中尚志さんが翻訳された同書にはかないませんでした。今から50年をさかのぼる1957年に畠中さんは翻訳を終えたようですが、改めて翻訳に取り組まれた方は、畠中尚志さんとは別の表現方法を強いられ、きっと思い悩まれたに違いありません。『コロンブスの卵』然り、いつの時代も二番煎じの努力は軽んじられてしまうものです。また、哀しいかな、二番煎じは「真似しんぼ」と嘲笑われながら、先人の5倍以上の努力を強いられるものです。翻訳業界も、原作を自由に書き変えれないだけに、労苦が多いことでしょう。

         著作権の問題でラストシーンを記載することは出来ませんが、あの場面に、私が強く訴えたい『さ』の心が、感動の涙で描かれています。ニュルンベルクの名陶工が生み出した至宝とされるストーブを中心に、少年の清らかな心が、『芸術』というテーマを通じて切なく描かれています。おそらく図書館に行かないとこの古い本を読むことはできないでしょうが、興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。

                               花鳥風月

         私もいつか、同じ想いを込めた作品を、世に送り出したいですね。。。



        | カイガノススメ | 03:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        カイガノススメ ≪其ノ二≫ 〜『見る』と『見える』…その違いは?〜
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           間が空いて失礼をいたしました。記事を書き溜めずに連載を開始すると、時間に追われ、とんでもない目に遭うものですよね壁掛時計 人生そのものが『ゆき当りばったり』なので、慣れているつもりですが…もしも再び同じ道を歩めるのなら、私の来世は追い風に吹かれるのかなぁ。。。ポロリ

           さて、せっかくなので、『カイガノススメ』を続けましょう。『観るもの描くもの』に後発する第二弾は、『見ると見えるの違い』です。

                                  カイガノススメ

           私は常日頃から、絵画制作を『スポンジの吸排作業』と喩えてきました。乾燥したスポンジがたっぷりと水を吸い、ぎゅっと搾れば、そこに含まれた水分がぼたぼたと滴り落ちる。あれと同様に、絵を描こうとする者が、周囲の物体から放たれる印象に酔いしれている時をスポンジの吸収…カンヴァスを前にし、絵筆でその印象を再構築している刻をスポンジの排出だと考えているのですピピピ

           普通の人は、絵を描こうとする時にモチーフを目前に置くことでしょう。それを見ながら、傍らに立て掛けた白い画面にモチーフを描き込む。たった今、自分の瞳から入ってきた信号を頼りに色を置くのです。

           それが絵描きレベルになると、ちょっと違ってきます。もちろんこれは私の自論であり、総ての画家さんがそうだとは限らないでしょうが、絵描きの場合、モチーフから受けた印象を、日を改めてからでも再現できるように思うのです。

           『想像』と言い切ってしまうと、画家があまりにも利己的な印象を勝手に創作しているかのように捉われますので、あえて用いません。想像ではなく、印象。その放出。「いつか見た景色」や「あの時出逢った人」から授かった印象を、心の中に創った金庫から、用事があれば次々と取り出してゆく…かつての印象を具現化する。口で人に伝えるのではなく、自分がいなくても人々が理解できるよう具体化する。それが絵を描く意味ではないかと私は思っています。

           無論、記憶されるべき諸々は『映像』とは限りません。「信号は映像からしか入ってこないよ」なんて言ってたら、絵描き失格と言わざるを得ませんね。写真を見て描くことを常とする人々は、ひょっとするとそういうコメントを発するのかもしれませんが…何れ私は、彼らを絵描きと呼ぶことは無いでしょう。

          カイガノススメ

           『何を描くか、何が描かれるべきなのか』、その辺りは改めて記事にするとして、少し話を戻しましょうか。

           スポンジの吸収作業には、人それぞれ差異が生じます。また、同じ人でも、記憶に残るか否かは場合によりけりです。それを私は、見ると見えるの違いではないかと位置づけています。

           自転車で街を走っている時の例を挙げましょう。視界には、建物、街路樹、通行車両、公園、すれ違う人々など様々な存在が訪れます。5分も走れば何百というアイテムと遭遇することになりますが、ゴールに着いた時、果たして人はどれ程の記憶があるでしょうか?

           もし、景色が『見えている』だけだったならば、その人の記憶の中には、おそらく5分間の映像は薄っすらと残っているだけだと思います。
           ところが、公園でソフトクリームを頬張ろうとした瞬間に、背後からいきなり吠えた犬にびっくりしてひと口も食べずに地面に落としてしまった子供でもいれば、その様子は、おそらく翌々日になっても心に残っているはずです。

                          カイガノススメ

          見る=記憶に残す行為

          見える=単純に、自分の行動をサポートしてくれる働き


           意外と人間は、無意識のうちに『見える』だけで生活している場合も多いようです。日々の仕事が忙しくて奥さんが髪を切ったのに気づいてあげれなかったり、携帯電話で通話をしていたがために、バイクが目前まで迫っているのを判らなかったり。

           車の運転で携帯電話が規制されてしまった理由は『運転操作が不十分になり危険』のようですが、私はこの『見る、見える』が争点になるべきポイントだと思っています。
           車の運転は、当然ながら『見る』で行う必要があり、そんな時に電話がかかって、先方からややこしい話でもされたら…ドライバーの意識は運転業務からぶっ飛んでしまう。即ち、今まで見ていたはずの赤信号も、街のちっぽけなネオンサインに成り下がってしまう。通行人が単なる影に誤認されてしまう瞬間。私はそれが一番危険だと思うのです。

           また、別の観点から言うと、人間が瞳を開いた状態で一度に見える範囲を『視界(視野)』とするならば、その全体を一見で記憶するのは不可能だと思います。視界の外周から、どんどん中央へ向けて狭く絞り込んでゆき、だいぶ狭まった、焦点の合うわずかな範囲だけが記憶に残る部分ではないでしょうか?

           つまり、知らない部屋に放り込まれて、その部屋にあるアイテムを総て記憶に残そうとするのなら、その人は面倒でも、ひとつひとつのアイテムを、焦点を移しながら見つめ直す必要があるということです。

           たとえバームクーヘンのように瞳を大きく開いても、瞳を少しも動かさずに新聞を読むのは至難の業だということでしょうか。。。いや、新聞を動かせば別ですが。

                   カイガノススメ

           『絵を描く』とは、忙しいものですジョギング 毎日、毎刻がスポンジ吸収のチャンスであると私は考えています。あらゆる素材のストックを、自分が日々生きることで増やし続ける。何にでも興味を示し、しつこいくらいに凝視する見る たまに変質者だと勘違いされる場合もありますが、見えるのではなく、見るに徹する。注視し、残らず心に収めること。それが絵描きとしての生き方ではないかと思うのです。

           もちろん、瞳だけが道具ではありません。自転車の例で言えば、耳からは雑踏のざわめき、風の音、犬の鳴き声、ハトの羽の音が聞こえます聞き耳を立てる 手からは冬の凍てついた風を感じる。それらも立派に、画題と成り得る印象でしょうから。

           仮に、「ゆうべは何を食べましたか?」と訊かれて答えに困る事例は、もしかすると流されるように生きている証拠かもしれませんね。感動を心に封じ込めたいのならば、もう少し生き方を選ぶ必要がある。

           そう…食べるのではなく、味わうのです。

                                    カイガノススメ
          | カイガノススメ | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          カイガノススメ ≪其ノ一≫ 〜絵は、観るもの。描くもの〜
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                                カイガノススメ

             今日も良い天気ですねおはな

             日々、どんどん寒くなってゆきますけど、ひとまずはほっとする日中のようで…ただし、こんな日の夜は極端に冷え込むので、特に注意が必要でしょうムニョムニョ
             一昨日、石油ファンヒーターを倉庫からひっぱり出したので、とりあえず安心している私ですがニョロ

             カイガノススメ

             さてさて…もしかすると、「絵描きさんのブログなのに、何だか絵画制作に関する記事が少ないよなぁ。。。」なんて思っている方も、少なくないかもしれません。私も今さら過去の記事を振り返ってみて、それを痛感していますくもり

                                カイガノススメ

             ただ、それには深い訳もあったり。

             私自身に、絵の技術を披露する意欲がまるで無いというのが本音…絵の描き方などは、その人それぞれの手法で上等だと思うし、それに対して周囲が口を挟むのは、気が引ける。伝統や形式に捉われず、固定観念を捨てた時が新しく脱皮する刻だと、真剣に考える日々でもあります。

             絵画指導を行わない(もちろん、私にそんな技量があるとも思えませんし困惑)のも、裏にはそういった理由が潜んでいるからです。まだ経験の浅い人に、なまじっか図書館の本棚に並んでいるような『包丁の使い方』を教えてしまうと、おそらくその人は、教わった切り方しかしなくなる。それは一見、失敗が少なくてスマートに見える流れかもしれない。けれど永い目で評価すると、いつしか災いとなる。

                 カイガノススメ

             「どれだけの失敗をしてきたか」

            …それが人間の重みだと思いますし。

             失敗は糧。なぜ本に載っているような切り方をした方が良いのか、その核心に触れないまま失敗もせずに成長してしまうと、ひっ迫した局面を迎えた際に、その人は自力で乗り越えられないような気がします。何が不足しているのか、何を改良すれば状況が好転するのか…判断材料に乏しいがゆえに、悪い方角を選んでしまう場合がある。幼い頃に失敗を経験しておけば良かったのに、大きくなってから襲いかかるそれは、受けるダメージが大きすぎて、重い。

             マズイ物を食べたからこそ、美味しい料理を美味しいと感じる。美味しい物しか食べてこなかった人間は、それを不味いと判断してしまうことがある。技術を指導することが、ゆくゆく育つはずだった脇芽を摘むような行為にならなければと、どうしても臆する毎日ですポロリ

                                     カイガノススメ

             こういった真情のままに綴られた当ブログですが、仮にもし、技術面に関する記事を期待しつつ読んでいただいている方には、おそらくこの先も掲載はあり得ないことを、ここで一旦、前置きしておくべきかと思います。

                         カイガノススメ

             「教わるものでも教えるものでもない。絵は、観るもの。描くもの」

             技術(答え)は常に作品に埋もれている。瞳をバームクーヘンくらいに大きく開き、わずか10センチの距離で名作、駄作を見つめれば、自ずと活路は見えてくるはずです。先人の汗と泪の跡が、そこにはある。

            カイガノススメ

             とはいえ…『カイガノススメ』というコーナーを、新しく設けました日の出 なぜなら、絵画に取組む『ココロ』を描いてみたくなりましたので。。。

             技術ではありません。技術だけでは、芸術作品は生まれない。技で人心を支配しようとしても、いつか必ず、人の心は動かなくなる。技は単なる『驚き』でしかない。芸術とは、学問ではない。それをこのコーナーで証明できればと思います男

                            カイガノススメ
            | カイガノススメ | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |