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Atelier Kaii - blog -

   〜 Kaiiの旅日記 〜

『芸術』という出口の見えない世界に迷い込んだ
ひとりの画家の素朴な日常をご紹介♪

※Atelier Kaii は、『東北地方太平洋沖地震』
≪2011年3月11日(金)14時46分発生・M9.0≫で
被災された方々を、総力を挙げて応援いたします
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どうなる日本、どうする日本人? 〜 五郎丸塊維からの提案 〜
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     さて…先の『』『』 を読まれて、私がひどく保守的であると思われた方も多いはず。

     しかしそれは、まったくの正反対。研究開発、技術革新は、『芸術』という分野で私自身も毎日繰り返していることであり、新しい光を常に求めるのは、人間の性でもあるとも認める。

     では、いったい何か? つまり、下に尽きる。

    「天下の往来が自由に歩けなくなるような、或いは腐った食物を平気で喰わされるような社会づくりならば、ここらで一旦、他の方策を練ってみませんか?」

    …という提案。私には、今の世は万人が求めた『理想郷』とはどうしても感じられない。

     裕福になりたい者が一生懸命仕事をし、その結果として富を築くことを私は否定しない。けれどもそれが、人心の内に涙をにじませた末に得られたる糧ならば、決して許されるべき品ではない。そのせいで民の心が荒廃し、殺伐とした世知辛い世の中になるのを、私は残念に思う。

     自由主義社会も、『禁断の果実』を各人が我慢することが出来て初めて成り立つもの。もしこのまま自由奔放を続けてゆけば、護身用拳銃所持の可否を国会で真剣に討論する日も近い。

     さておき、今後はどうするか?

     まず、物が売れなければ、産業も何も始まらない。結果、社会は潤わない。故にこれは、いつの時代にも主軸となる永遠のテーマ。その第一策として、私は『家財募金』を挙げる。

     巷で行われている募金活動然り、海外旅行、留学等で国外に日本円が放出され続けると、国は貧乏になる。国内消費力は低迷し、不景気風が吹き始める。
     それに活を入れるため、全国の家庭へ呼びかけ、家の中の不用品を全て『募金品』として出してもらう。タンス、テーブル、カーテン、衣類、ぬいぐるみ、自転車など、家庭の肥やしとなっているあらゆる品を、飢えや寒さで凍える国の方々へ、中古品ではあるものの、贈答する品として国家が回収および点検整備する。時期と場所は、夏休みの学校体育館など、近隣の空施設を利用する。

     今現在の日本家庭は、物品があり過ぎる。物が安いからついつい買ってしまい、その結果ストックが多すぎる。使えるのに使わない、捨てようにも勿体無いというアイテムが多いはず。貸倉庫にも需要がある時代。そんな市場でフリーマーケットをやったところで体力の無駄。お腹を減らし、消費意欲に息吹を与えない限り、伸びは無い。家庭内から不用品が一掃されれば、物理的に購買が可能になる。募金品の提供も、「どこかの国で、誰かが大事に使ってくれるなら」と、捨てるよりも気分的に提供しやすい。

     また、不用品という観点から枝葉を記すと、冷蔵庫、テレビ、洗濯機の問題が見過ごせない。あんなに露骨にリサイクル料を吹っかけては、新品の買い渋りが生じるのも当然で、需要に待ったをかける。更には不法投棄に拍車をかける。

     なぜ家電メーカーから徴収しないのか? たとえ定価が少々上がったとしても、新しい冷蔵庫を出荷する度に、10%程度のリサイクル料金を源泉徴収すれば済むこと。「古い冷蔵庫は、商品のお届け時に無料で回収いたします」と謳えば、消費者の聞こえも良く、気持ちよく買物ができる。さらに砕けば、単純に冷蔵庫をゴミへ出す際には1000円程度の処理費用をかけ、新品を購入すれば中古の引取を無料にするという策もある。

     第二策は、週休の増加。

     機械化を止める…第二第三のナポレオンが存在しない現代では、これはまったくもって無理な相談だと言える。ならばどうするか? 新しい分野を開拓するしかない。機械づくめで生産体制は整いすぎているのだから、賃金は据え置きのまま、週休3日、もしくは4日制くらいにして、各人の自由時間を増やす。収入を増やしたい者は、休みにアルバイトをすればいい。金を使いたいものは、国内レジャーに興じると良い。休みが増えれば、出費が増える。日帰りだったドライブも、一泊できるようになる。それが平素化されれば、そこに新たなる産業が生まれる。経済が活性化される。
     また、企業は労働時間の短縮により人手不足に陥るため、賃金を上乗せして従業員に残業をさせるか、新たに正社員を採用するかの選択を迫られ、雇用促進にもつながる。

     以下は生活における安全面の課題、改修点など。

     そもそも大量に物を造ろうとするから、こういう議論が必要となる。野菜とて然り、隣近所に配る分だけを作れば済むこと。生産者から消費者へ、手渡しが出来る範囲内で仕事をすれば、良心の呵責に耐えられず、自ずと悪も滅びるはず。「誰が食べるのか知り得ない。そんなことには興味も無い」という身勝手な輩が野菜を造るから、遠慮もせずに農薬を使うだけの話。幼馴染の大切な親友、親兄弟を相手に、農薬まみれの野菜はプレゼントできないはず。

     少し、『注文販売』を見直すべきではないか?

     「売切れの場合がありますので、お電話かFAX、もしくはE-mailにてご予約ください」という貼紙を店頭に掲げ、予め予約を募る。そうすれば、赤福のような見苦しい偽装事件は起きないはず。客が来てもないのに物を造るから、無理してでも捌かないといけない。売れなければ在庫の山。販売員に極端なプレッシャーを与えてしまう。街角のパン屋のほうが、まだ商売を知っている。

     職人芸とは、温かいもの。人の手が創ったからこそ感じられる温もりを、保ったままに消費者へ届けるのはそんなに難しいことだろうか? せっかく『○○○ ×××』という名前を持って生まれたのだから、その人でしか表現できない仕事、特有の体温に私は触れたい。創作することも許されず、ただ単純に上の命令だけで行われるような仕事ならば、その人の生まれた価値、歩きつづける意味は半減する。

     大芝島に住む大正生まれのとあるご婦人は、「私たちはねぇ、こんなことやってても、いっちょん儲からんよ」と言いながら、朝も早くから陽が落ちるまで農作業に励む。腰は曲がり、しわだらけの手になっても、雨の降らない瀬戸内で、地下足袋をはき、背中に重たいタンクを背負いながら急斜面を歩き、畑に水を撒く。勿論、水を撒かなくても野菜はとれる。けれども収穫量をわずかでも増やすため、毎日毎日、カラカラに渇いた土に生命を与えている。額に汗しながら、燦々と照りつけた太陽を見送っている、それが日々のつとめ。

     そんな方々のつくられた野菜が、市場の半値近くで、大芝島内の休校となった校舎にて、毎週土日に『朝市』という形で売られている。瀬戸内の風をお腹いっぱいに吸い込んだ、どれも立派なそれ。

     『仕事=価格』、この安定が、いつの頃からか破壊されてしまった。本当の仕事を理解すること、そしてその対価をきちんと支払ってあげること…それは紛れもなく、消費者の義務であるように私は思う。

     フランスのワインメーカーがこぼした。「消費者のニーズに合わせた商品づくりをしてゆくのが、我々の使命ですよ」と。

     私は思う。「『そんなワガママを聞いてたら、うちの商品が腐ってしまうよ!』と、自信をもって周囲に言える生産者でありなさい」と。

    | 社会 | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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