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新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その5
【27】誤送金事件
世間を賑わわせた山口県の誤送金事件も、近ごろ刑事裁判の運びとなった。この事件はたぐいまれと言えばそうではあるが、レアなケースだけに、様々な意見、評価が出てくる。
私の個人的意見を述べると、まずは誤送金とは何ぞや、今回の場合では、被告にとっては明らかに拾得物であり、町側にとっての遺失物であると考えられる。これは最低でも、の評価である。
現金が入った茶封筒を、単純に公道上へ落としただけでも遺失物である。にもかかわらず、どこぞの住宅の錠のついたポストへ茶封筒を所有者が投げ入れた場合、投げ入れた側の人物は、当該住宅の世帯主に対し、強制力をもって返還させることが出来るであろうか。
気のふれた行為ととられても致し方ない。同じく紙材という意味合いでは、広告も紙幣も、価値の大小はともあれ、それぞれ有用的価値がまったく無い訳ではない。けれど広告であれば、ポストへ入れられた後は、ポストの管理者が自由に処分することが可能である。
公道上ではない、他人の管理の及ぶ敷地に、許可もなく勝手に大切な金品を置いておきながら、その金品が知らぬ間に売り飛ばされたからといって、それを訴えることが出来るであろうか。また、それを警察ならびに検察が刑事事件として立件するであろうか。
個々の人物のカバンの底に孔が空いていたのではなく、更には金品が自ら歩いて敷地へ行ったのでもなく、また第三者が敷地へ運んだのでもない、金品所有者がその敷地へ意図的に置いた金品に対しても、税金で動く警察組織が関わるのであろうか。認知症の高齢者がポストに投函するのならばまだかわいいが、今回は行政の現役職員が主体的にとった行動である。
そしてその敷地の管理者は、直接金品の保管を委託された事実もないのに、たとえその敷地が自由に使えなくなったとしても、大切にその金品を保管し続けないといけないのであろうか。
自分の所有する山に、誰が植えたか鳥が種を運んだか知らないトマトが不意に実っていたら、それを地主は勝手に食べてはいけないのだろうか。
実際のところ、4630万円が誤って振込まれた口座から10円でも出金するのは、その10円とは、自身の金か誤送金の金か、たとえ出金後に誤送金の全額が保全されており返済能力が備わっていたとしても、判別はつかない。
焦点となる金に手をつけたか否かは、銀行から告げられたとしても気休めの言葉でしかなく、逆に気休めで済ますことが出来るのであれば、例えば7日後に全額返済することを約束し、6日間だけ自由に4630万円を何かの投資に運用することも、あながち実行できない話ではなく、要は微々たる或いはまとまった金額のどちらであっても、出金行為そのものが咎にあたる、つまり横領呼ばわりされるやも、否定はできないのである。
更には町が被告の口座を凍結すべきだったという話も出ており、しかし被告の元々の預金まで一緒に口座ごと凍結されるのであれば、これはすなわち受け手からすれば、誤振込とは大迷惑な話なのである。
更にもうひとつ、過去に私に直接降りかかった事件を述べると、宅配の誤配達、つまり他所へゆくはずの荷物が私のところへ届くという珍事があって、それがちょうど年末の師走の時期であったので、刹那の返還が厳しい状況であったところ、当該ドライバーより、
「警察に相談しますよ」
という、半ば脅しともとれる、便箋でもない封筒に入れるでもない、よくぞこのような小さく引きちぎったかのペラペラのコピー用紙で大事な文言を汚い文字で書きなぐったままポストへ投函することが出来たものだと、私が心の底からある意味素晴らしく感心のできるアクションを手向けられ、すぐさま臨戦態勢へと突入した。
結局のところ、五本の指に入る業界大手の運送企業の担当者が、正社員でもない下請ドライバーの一連にわたる身勝手な失態を謝罪に訪れ、私も荷姿のまま、外装ダンボールすら開封していない届けられたままの荷物を、当該担当者へ手渡すことになったのであるが、時間が経過していたこともあり、本来荷物を届けるはずだった荷受人に対しては、既に大手運送企業より謝罪をし、誤配達が新品の注文商品であったこともあり、同じ商品の追加発送で処理を済ませたとのことであった。
荷受人は近所であったので、私自身で代理配達することも物理的には可能であったのだが、何より多忙な時期であって夜おそくの訪問になりそうだったことをはじめ、注文商品や個人情報を無関係の近隣住民、つまり私が知り得る機会が現実としてあったことや、またその人物、つまり私がどのような人間であるかを知ることに対する先方のお気持ちの推移が、個人差もあり私自身では判断を致しかねたので、気の毒にも思ったが、代理配達は断念せざるを得なかった。
以上、ひとまず想定できる諸々の事例など、身の上に偶発的な事象が不意に降りかかった場面、要は面識のないサンタクロースが家の煙突にプレゼントらしき品物を投げ入れていったが、その住人はその品物をどう処理すれば良いのか、住人の気持ちに着目して主観的に書かせていただいたが、しかし法という観点からすれば、些か状況は複雑になってくる。
Aの所有する土地建物にBが所有する何らかの飛来物Cもしくは放置物Cが不意打ちのように訪れたとしても、Aが刹那に、また独断でCの処分を行うと、問題が発生する可能性が高い。
例えば他人の所有する土地に無断駐車をしているなんて話はざらにある訳で、その車をすぐにAが叩き売って良いのであれば、こんなに楽な商売は無い。
それゆえまずは、面倒ではあるが、AはサンタBのプレゼントCが投げ込まれたことを、警察に遺失物として報告することになる。どのような経緯であったのかを確かめる意味で。
その後Aが3箇月待てどもBが現れなかった場合は、CはAの帰属となる。また、Bが間違って配達したことをAに申し出た場合は、CはBの帰属に戻されるが、その折に、AはBに対して、法で定められた範囲及びその他の条件付で報労金の請求が可能である。
上記が通常の流れである。小学生がボール遊びをしていて住宅に誤ってそのボールが入ってしまえば、住人は素直にボールを戻すか、ボールの価値に対する報労金を併せて請求するかが法的には条件付で選択可能であり、けれどボールを返さないという選択肢を選ぶことは、ボールが一旦小学生から占有を離れてはいるが、原則としてはできないことになる。
その原則を破ったのが、今回の山口県の事件であるが、被告Aが町Bの誤振込した4630万円Cを勝手に「処分した」と言わせてもらうと、その行為について、検察からは電子計算機使用詐欺罪という罪状が示されており、その10年以下の懲役という範囲の中での、検察側の懲役4年6箇月の求刑が公判で明らかとなった。
この、検察の用いた詐欺罪というのが、実は微妙というよりも明らかに間違いを匂わせる感を私は抱いており、またおそらく多数の方も同様に違和感を抱いていると予測され、というのが、詐欺行為の認められる範囲というのは、金品Cが失われる際に、まずはCをBが占有していなければならないのであって、そのタイミングでは、AはまだBに対して詐欺と呼べるアクションを起こしておらず、Aが超能力者でもない限りは、Bの誤振込はAの悪意からは実行が不可能であり、またBに対して誤振込という事故が起こるような働きかけすらAはしておらず、更に言えば、Aにはその悪事の発想すら無い。
また詐欺罪に限らず、Aのとった罪と思しきアクションは、Aが銀行口座という媒体においてCを占有した後に、Bあるいは銀行Dに対して起こしたものであって、その場合は、既にAの占有状態であったCを、Aが誰の許可なく私物化したことによる横領罪が適用されると考える。
返すべきものを返さなかった、と位置づけるには4630万円CはそもそもAが借りれるはずも無く、要は、Aは話術巧みに誤振込金CそのものをBやDから騙し取った訳ではない。
つまり電話のかかった刻からスタートする振込め詐欺とは状況が異なる。振込め詐欺は、詐欺側がお金を占有している訳ではなく、お金を占有した時は詐欺罪が成立した時であり、彼らにとっては占有するために働きかける罪であるので、振込め横領とは言わない。
上記理由から、私は山口県の今回の事件については、遺失物等横領罪の適用を求める。
おそらく検察は、当初は返却すると言っておきながらそれを後日返却は出来なくなったとAが言葉を変えた事実に着眼して詐欺を適用したのであろうが、横領事件とて、発覚したあとは、返せ、返す、返すかも、返せ、もう少し待って、いや、やっぱり返せない等の当事者間での遣り取りは当たり前のように発生するのであって、たとえ返す約束が破談になったとしても、横領罪が詐欺罪にすり替わる訳ではない。
また、単純にギャンブルの決済代行業者EにAがCを送金しただけでは、AおよびEによる返却能力が失われた訳ではないので、例えば単純にDの中に新たに別の口座をつくってCの引越しをAが行った場合でも同様の事案であると考える。
つまり、AがCをBに返還する、或いは自身の元の口座へ戻す考えが、毛頭ないとは言い切れない。
更には、そのCを移動する行為とは、そもそも拾得物あるいは一時占有物の管理等では頻繁に行われる事案であり、牛乳が放置してあったから冷蔵庫へ入れておいた、会社の大金を預かったのは良いが遣うのは明日であり今夜友人らと酒宴が予定されているので一旦自分の口座に金を預けておこう等の好意的な観点から行われる場面もある。
今回はもちろん、Aが所有する当初の口座に誤振込金Cを置いたままでは突然金が無くならないか心配だったので動かしたというAの主張があったとしても、同義上認められることは難しいこと、また実際にCの一部を私的に消費した事実が認められており、当然、罪には値する。
しかしながら、CをAが動かしたタイミングにおいては、CはBの占有物から既に離脱しており、Aの占有であるという事実が認められ、然るにそのような事案を、たとえ返還の約束を破ったとしても、電子計算機を使用した詐欺罪であると位置づけることそのものがこじつけに当たり、あたかも取調べにおいて容疑者に誘導的な自白を求めるかの、詐欺罪ありきという、警察、検察によるエネルギッシュな自白の強要を彷彿とさせる。
これが仮に占有離脱物、遺失物、拾得物、漂流物らを横領したことによる遺失物等横領罪であれば、1年以下の懲役か、10万円以下の罰金或いは科料として求刑がなされる。
今回検察が選択したのは、明らかに間違った罪状での立件である。被告はそもそも、町に対して4630万円の振込を依頼してはいない。また被告は、4630万円の金額すら知り得なかったはずである。
とはいえ、この山口県の場合は、言わば外装のダンボールを開封するだけならともかく、中身まで開けて勝手に私用を認めたために問題が大きくなったものであり、前述のとおり、被告が無罪を主張するのは厳しい状況である。
今回、被告が善意のもとに本来とるべきだった行動は、誤振込には手をつけず、当該銀行へ通報するか、一旦拾得物扱いにして所轄警察へ届け、状況を相談し、必要があればその誤振込の全額を所轄の警察署長へと預け、その後に町役場と報労金の支払いについて協議を行うことが望ましかったと考える。
今回の遺失対象の金額は、誤振込の全額ではなく、正確に言えば4630万円から本来被告に送金されるはずであった10万円を差し引いた4620万円であり、5から20%の報労金の範囲で拾得者が2割を請求すれば924万円で、更には銀行という物件に口座という小部屋を間借りしている実情があるものとおそらく判断されるであろうから、銀行側と報労金を折半したとしても462万円を当該拾得者は条件付で町へ請求し受け取ることが可能であったと考える。
その際銀行は、おそらく報労金は全額町へ返還するものと予測される。
そしてそろそろ「条件付」という文言についての解説をしておかねばならないが、上の顛末が現実となることにおいて、今回のような誤振込の事案が、遺失物として扱われるのかという大きな問題がある。
その遺失物の定義について、警察庁が[https://www.npa.go.jp/]においてPDF公開している情報を、特に必要と思われる1から5までの項目を以下に記す。
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第2 定義(法第2条関係)
1 物件(法第2条第1項関係)
(1) 「遺失物」とは、他人が占有していた物であって、当該他人の意思に基づかず、かつ、奪取によらず、当該他人が占有を失ったもので、それを発見した者の占有に属していないもの(逸走した家畜、家畜以外の動物(民法(明治29年法律第89号)第195条)及び埋蔵物を除く。)をいい、民法第240条に規定する「遺失物」と同義である。
(2) 「埋蔵物」とは、他人が占有していた物であって、当該他人の意思に基づくか否かにかかわらず、土地その他の物の中に包蔵され、その占有を離れたもので、その所有者が何人であるか容易には識別できないものをいい、民法第241条に規定する「埋蔵物」と同義である。
(3) 「誤って占有した他人の物」とは、他人が占有していた物であって、自己の過失によりその占有に属したものをいう。例えば、間違えて持ち帰った他人の傘、履き違えた他人の靴等が該当する。
「他人の置き去った物」とは、他人が占有していた物であって、当該他人の意思に基づくか否かにかかわらず、かつ、奪取によらず、当該他人が占有を失い、自己の占有に属することとなったもので、誤って占有した他人の物以外のものをいう。なお、廃棄された物であると客観的に認められる物は無主物であることから、「誤って占有した他人の物」又は「他人の置き去った物」には該当しない。
※(4)(5)省略
2 拾得(法第2条第2項関係)
法第2条第2項において、埋蔵物及び他人の置き去った物については、これらを「発見すること」を「拾得」と定義されている(したがって、これらの物件の「拾得者」に係る法第34条第2号から第5号までにおける「1週間」、「24時間」又は「2週間」の期間は当該物件を「発見」した時から「1週間」、「24時間」又は「2週間」となる。)のは、埋蔵物及び他人の置き去った物は、自己の故意又は過失によらず、既にその占有下にあるからである。
3 拾得者(法第2条第3項関係)
施設占有者の代理人、使用人その他の従業者が、当該施設占有者が占有する施設において物件の占有を始め、又はこれを発見した場合には、当該施設占有者が拾得者となる。
4 遺失者(法第2条第4項関係)
「物件の占有をしていた者」とは、1(1)から(4)までにおける他人をいう。
「物件の回復の請求権を有する者」とは、物件の所有者のほか、原所有者に対して特定物債権を有し原所有者の有する物権的請求権を代位行使することができる者をいう。
5 施設(法第2条第5項関係)
「建築物」とは、土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱又は壁を有するもの(これに類する物を含む。)をいい、具体的には、駅、空港、百貨店、スーパーマーケットその他の商店、ホテル、旅館、娯楽施設、飲食店、官公庁施設、オフィスビル、学校等が該当する。
建築物以外の工作物が「施設」に該当するか否かについては、法では、施設において物件の拾得をした場合には施設外における拾得の場合と異なる取扱いをすることとしており、また、施設内で物件が遺失され、及び拾得されることを想定していることから、当該工作物が他の場所と物理的に区分されているもの(柵等によって周囲と区別された土地等を含む。)であって、人がその内部に入ることができるだけの大きさを有するか否かによって判断するものとする。
※以下、ならびに6省略
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戻り、上記の遺失物定義を鑑みると、今回の山口県のような誤振込という事案は、「他人の置き去った物」と想定されることが主として考えられ、もともと他人Bが占有していた物品Cが、持ち主であるその他人Bのあらゆる意思に関係なく、また別の人物Aが力を用いてその他人Bからその物品Cを奪ったものでもないという流れにおいて、その物品Cがその他人Bの占有を離れ、別の人物Aの占有が認められる状態となったことを示しており、それと同時に、別の人物Aが自らの力を過失をもって用いながら誤って占有する、かつて他人Bが占有していたはずの物品Cでもない。
「他人が占有していた物であって、当該他人の意思に基づくか否かにかかわらず、土地その他の物の中に包蔵され、その占有を離れたもの」ということから、銀行口座に埋もれた「埋蔵物」と考えられないことも無いが、「その所有者が何人であるか容易には識別できない」という文言が記載されている以上、当該銀行に問い合わせれば誤振込をした人物は容易に特定ができるであろうから、この位置付けは厳しいと考える。
ただし銀行口座とは秘匿性の高いものであって、通常は口座名義人である持主だけが中身の確認ができる、個人の所有する財布のようなものであると考えられる。
その上で、例えば振込の約束をした人が電信ではなく文書扱いで、また振込先を勘違いするような形で誤送金をし、その伝票を破棄し、多忙のさ中にどの銀行で振込を済ませたかも忘れ、本来振込まれるはずだった人から振込はまだですかと問われたが、証拠が残っておらず振込の事実が闇に葬り去られるような状況となった際に、事実上、銀行という立場からは埋蔵金の自発的な発掘は難しく、口座の所有者が10年ぶりに残高照会をすると100万円が入っていたという埋蔵金発掘ともされる事案であって、振込主にも連絡がとれないような状態であれば、それは埋蔵物として遺失物扱いにされるであろうと予測される。
つまり遺失物扱いとなるには、何れの場面においても自発的に申し出ることが求められ、それを行うには、竹やぶから1億円が見つかったように、自らが第一発見者となる必要も出てくる。
「あなたの口座に100万円が間違って振込まれたはずなのですが、確認していただけませんか」
と連絡を受けてから確認がとれたのであれば、それは「発見」ではなく、つまりあなたから失われた宝を私がわざわざ見つけ出してあげましたよ、という経緯ではないのであるから、当然ながら労いも無いという結果になると考えられる。報労金というだけあって、労に報いる金であり、探そうともせず、労せずに金だけもらうことは出来ない。
「支店長!今日は朝からATMに700mくらいの行列が出来ているのですが、まさかウチの銀行は潰れちゃうのではないですか?」
と、私のせいで金融機関に宝くじでも確認するかの、通帳記入の大行列が出来たとすれば、心よりお詫び申し上げる。
上記のように、条件として宝を発見することと、基本的にその宝が持ち主の意図しない場所から発見されることにある。
それゆえ無断駐車というのは、当該車の所有者或いは使用者が当該敷地に意図的に駐車することを認める、つまり認知の上で行われる行為であるので、遺失物としての適用は難しく、仮に盗難車両を第三者が発見した場合でも、「奪取によらず」という定義には当てはまらないので、結果は同様であると考える。
それゆえの、迷惑料を申し受けるという立看板であると想定される。
山口県の事案に戻れば、そして私自身の出す結論を述べると、被告の罪状や量刑うんぬんよりも、要は行政の失態についての処分が甘すぎるのである。このような初歩的な失敗で、なぜに町長が辞任もせずに、相対する被告の側は、懲役刑が確定するやの話になっている。長きにわたる計画性もなく、予め狙いを定めていた訳でもなく、偶発的に発生したような事案に対し、意図的に罪状をすり替えて、これほどの量刑を求める検察も検察である。
口座が凍結されなかったから良いけれど、凍結という行為も誤振込も、業務妨害にあたる可能性がある。誤振込は故意犯ではないと主張したとしても、故意か否かの立証は難しい。町役場の中でいざこざが起きていて、出納係が意図的に町長を困らせてやろうと計画した事案なのかもしれないのである。
それ故そもそも二重、三重の安全策を講じておくのは血税を扱う行政ならば当たり前の務めであり、銀行に対しても、
「今から10万円ずつ463件の対象に振込を行うので処理をお願いします」
と、口頭でも良いので概要を事前説明しておけば、書類や処理の誤りに銀行側も実行前に気づき、今回のような事象は起こらなかったはずである。
書類だけを垂れ流すような処理は、エラーの元なのである。窓口や電話で、自分が何をしようとしているのかを添えるべきである。
行政はそれら予防策を怠り、しかし両当事者の天と地のようなあまりにも乖離した今の現実とは、とてもではないが、それで一件落着とは言えない状況である。責任転嫁も甚だしい。
関係者のたった3箇月の減給処分も、自分たちで自分たちの処分を決めたのであって、被告は自分では量刑を決めることはできないのだ。もちろん被告が罪を犯したことにそもそもの問題があるのは理解できるが、その原因をつくったのは誰かということ。
今回の件、町側に落ち度が無いというのであれば、我々の住む世の中は一切、住宅の戸締まりなどをする必要は無い。
自家用車の座席に高そうなハンドバッグを置いたまま、車の錠もかけずにトイレに離れれば、どうぞどうぞ盗ってくださいと言わんばかり。飲食店も、泥棒に餌を与える目的なのか、レジに大量の金を入れたまま店を閉めて帰る。更には都会における眠らない街での、数万円にも及ぶ価値ある商品が並べられた、非会員制無人販売所の運営。
脇が甘いから犯罪がおきる、また犯罪が延々と連鎖的に続くのであって、掘っても掘っても掘っても芋が出てこなければ、そのうち疲れ、馬鹿馬鹿しくなって定職に就くのである。悪いことを考えても儲からないねと。振り込む人が無くならないから、振り込め詐欺が無くならないのであって、次の被害者を出さないための防犯協力なのである。
今回は、送金の役目を町側の別の関係者が携わっていれば、被告は犯罪者とならなかったかもしれない。だとすれば、町役場のトップはクビで当たり前の事案では。被告は法廷で裁かれ、町長は自らを自らで優しく裁く。これほど理不尽なことも無いであろうに。
こういう落としどころが、ゆくゆく逆恨みというのを生み出すのである。被告も出来心と言うには細工は流流であるが、検察も、安倍元総理の銃撃事件のように、長い時間をかけて練り上げられた計画性を有する犯罪と、今回のようなインターネットで色々調べて方法を見出してすぐに実行に移したかのにわか犯罪とは、ある程度区別をつけて立件すべきである。
金は大まかに戻っている。誰にも身体的傷すらつけておらず、更には海外オンラインカジノ関連の対応も、行政にあっては後手後手が認められているような状況で、検察は本当に4年半もの間、被告を刑務所に入れるつもりなのか。
クジラは関係ない。クジラが遊泳する海域であるのならば尚更、単独での航行は許されない。ゆえにクジラが直接的な原因だったとしても、あれだけの尊い命を軽視しておきながら、逮捕は免れないはずである。
そのKAZU1を運航する事業主は、未だ逮捕すらされていない。そして逮捕起訴されたとて、執行猶予の判決が出る可能性は残されている。
これを理不尽と言わずに何と言う。
道を歩いていて、
「あなたがこれを自由に遣うことも可能です」
と書かれた宝を発見してしまったので思いついたように犯罪を犯して、あれよという間に刑務所へ放り込まれ、あなたがその彼の立場であったら、その事実関係を刑務所の中でどう回想するであろうか。道を歩いていて腹ペコで仕方のない時に、飛び切り良いにおいのする極上ハンバーガーが道中に置かれていたら、あなたは本当に手をつけずに前進できるであろうか。
施しも無いのであれば、むやみに他人の欲心を掻き立ててはいけない。
執行猶予は、検察が最初から計算に入れるものではない。今後に発生するやもしれない類似した犯罪を抑制する為に、量刑をわざと重い形で求刑するのであれば、今回の被告とは、まるで生贄である。詐欺罪とは、まるで事案が違うのだ。
日本が、判例によって恥ずべき国になってはいけない。政治家には起訴猶予、起訴猶予、略式起訴と、忖度でもしているかのように甘いくせに、庶民には格段に厳しい。虐待、傷害、意図しない偶発的な暴力的な行為にも、程度に構わずビシバシ逮捕。問答無用のローラー作戦である。
その辺りが、例えば女性警察官や女性保安員が近年では増えてきたことにより、被疑者に暴れられたらそもそも困るという観点から、行政が厳しい対応に変えているというのであれば、それは法の重みを行政が自分たちで自分たちの都合、利益のためにボリューム調整していることになり、法治国家という観点からは、至極に大なる問題である。
男女平等とはいえ、女性には無理な業務というのも必ずや存在する。同じく男性が関わらない方が良い業務もある。
村田氏の場面でも、雲行きが怪しくなってくれば直ぐに男性保安検査員と交代するなどの対応が、本来ならば求められる。力の要る場面では、刹那に男手がその業務をカバーする。また、常日頃からその用意をしておく。
男女共同参画社会を実現するための準備が、まだまだ不足しているのである。
虐待の件をもう少し書けば、高齢者も幼児も、施設に預けてしまえば自分は世話もしつけもする必要はない、金さえ出せば労苦から開放されると本気で信じている社会のあり方に問題があるのでは。
砂糖を舐めれば甘い、ストレスを与えられればしんどい、つまり感じることは人間ならば皆同じなのであって、それを分け合わずに全て他人に任せるのは、押付け介護、押付け育児、押付け教育なのである。
子の恥は親の恥。親の恥は子の恥。運命共同体であるのだ。自分の身内に振りかざされた刀は、自分事として、甘んじて受け止めなければいけないのである。
保育士の業務が大変だからと、単純に保育士を増やすのも一策ではあるけれど、それよりもお利口さんの園児ばかりが集まれば、保育士の仕事はもっと楽になるのでは。家庭内においても、最大限、幼児施設に協力をする必要がある。
高齢者施設も幼児施設も、受入拒否という事案があっても当然である。不当行為ではない。商売とはいえ、他人の人生の中にある面倒を、100%代わりに背負うだけの施設となってはいけないのである。その瞬間、民には感謝の心が失われる。そして責任転嫁。
注意しておくが、私は虐待を推奨、容認している訳でもなく、ただひとつ申し上げたいのは、職員の方々の頭に虐待が過る前に、受入拒否の相談をするべきではないのかということ。日本人は忍耐強いので、たえて、耐えて堪えてギブアップと言わないことが教育や介護介助の現場であると位置付けられてしまえば、働き手がどんどん去ってゆき、今の学校のように、先生のいない館と化してしまう。教育現場の崩壊。
虐待も傷害も、偶発的な事案なのか常習化しているのかは、立件にあたっては至極に重要なふるいであると考える。政治の世界の悪事の方が、よっぽど計画性があって汚いのでは。
この社会の中に、責任転嫁があってはいけない。不平等、不公正な取引があってはいけない。通行人を落とし穴にはめるようなことがあってはいけない。社会に出て間もない、金の扱い方も稼ぎ方も未熟な存在が大金を手にすれば、気でも狂ったかのように変貌するのは当然のように思われる。道すがらに、良識のある大人が、そんな大金を置いてはいけない。
被告は今回、まんまと罠にはまったのでは。検察は片方の、しかも未来の長い若者にしか処罰をしようとしない。御奉行様は泣いている。
裁かれるべきは誰ぞや。462万円を関係者が自ら手出しして被告へ渡し、職を辞するのが当然であると考える。
【28】商店街火災「クラウドファンディングの必要性」
それから冬は火災の多いシーズンでもあるので書いておきたいが、福岡県北九州市では、旦過市場で二度にわたる商店街火災が起きた。
原因のひとつに、揚げ油の処理問題が確認されているが、この廃油に関しては、事業所も家庭も、全国的な回収事業を行うことが求められているのではないのだろうか。ラーメンの残った豚骨スープで燃料を再生しようという事業が既に運用されているレベルなのだから、揚げ油の再燃料化くらい、訳ないように思われる。
今のご時世、ペットボトルが大量に廃棄されており、使用済みの揚げ油を常温に冷ましてからペットボトルに詰めて、スーパーや商店街に設置された廃油回収所へ、買い物ついでに持ち込めば良い話では。可燃ゴミに出すばかりでは、CO2の排出量はなかなか減らない。
また、旦過市場の2件の火災、その双方で同じく話題にのぼったのが解体費用のクラウドファンディングであり、これの疑問は、そもそも商店街というのは同一の棟であるから類焼必至であり、だとすれば火災保険などは個別に入るのではなく、ひとつの棟と捉えて商店街全体で加入し、そうでなければ、或いはそれとは別に、災害基金などを設けて個々の店から定期徴収すべきかと思われる。
明治や大正の時代ならばともかく、この21世紀の令和の時代に商店街で火災が発生して、そもそも更地に戻すための資金さえ準備されていないのは大きな問題では。そういう保険が無いのであればつくる必要があるし、備えが無くては、経営者も利用者も地域住民も安心ができない。
安全と安心は、何度も言うように双方が重要である。安全安心の東京オリンピックをと、それらの言葉が独り歩きを始めたあの頃は、安心とは個人が自ら感じるものであって提供するものではないと言い放つコメンテーターもいたが、例えば乗車した乗り合いバスが右に左に蛇行運転を繰り返せば、乗っている人々は、運転士の居眠りや飲酒運転ではないのかと、過去の重大事件事故が呼び覚まされて生きた心地がしない。それがたとえ運転士が左右の安全を確認した上で意図的に行っていたものだとしても、それでは乗客の心の幸せを奪うことへとつながるのだ。
最近では、安全と安心の双方を目標とする事業体制が官民一体となって取り組まれるようになり、意識が浸透、定着したことは、非常に喜ばしいことだと私も痛感している。
【29】ワールドカップ祭典
作戦というテーマにそぐう内容につき記載をした。サッカー界の最高峰の戦いであるワールドカップの場で、日本の若き侍たちが金星を2つも持ち帰ったことには、心よりの讃辞を贈りたい。
日本のサッカー界も、ようやくAクラスの入口に差しかかったと言えるが、今後の活躍にも大いに期待したい。
その今後について、やらなければならないことが、まだまだ選手も周囲も作戦として明確にされていないとのコメントも聞こえ、私は敢えて、以下の方策を書かせていただいた。大まかに述べると、ボール支配力の向上とPK戦攻略法についてである。
日本のボール支配率の低さは際立っており、それもひとつの作戦かもしれないが、ボール支配力を高めて自分たちで試合の流れをコントロールできた方が、当然疲労感も少ないはずである。
疲労度は試合の勝敗を左右する。対コスタリカ戦で負けを喫した日本であるが、前半は何故か日本の守備エリアの方だけが日向であり、コスタリカ陣営は日陰。そのせいか、日本勢の後半は、憔悴しきって力も出ないような夏バテ症状が見受けられた。
その試合会場では、違う形状で備わっていたのかピッチ外周にエアコンの円い吹出口も見当たらず、それは両チーム同条件にも、試合前やハーフタイムに梅干しを舐めるなどして塩分を多めに摂っておく作戦も有効であったと考えられる。
サッカーは、芝を痛める懸念があるのでフィールドではミネラルウォーターしか飲めないというが、あれだけ大量の汗が出れば、ミネラルウォーターだけならば、もちろんバテない方がおかしい。それが日差しのあたる時間帯であれば、尚更のこととなる。
大会日程が進行してからは、日没後の試合が目立つようになったが、どこかで改善の提案がなされたのでは。
ボール支配力を向上させる練習としては以下を提案するが、例えばFWとMFを混ぜた形で3人班を組み、5人のDFと1人のGKを相手に、ドリブルとパスまわしだけで、シュートは放たずにゴールを決める練習を延々と行う。守備側にボールを奪われた時点でリセットし、再びセンターマークにボールを置いてから攻撃をスタートする。
個々のゴールを決めるまでの時間や、ゴール5本を決めるまでの時間、またボールを奪われた回数などを評価基準とし、能力が向上してくれば、攻撃を3人から2人に減らす。そしてまた延々と続ける。
この練習によって、特に攻撃の選手らは、ボールを待っていてもダメだということに気づくはずである。
日本の試合を見ても、日本のプレーヤーはほとんどの場面で、パスが自分の処へ来るのを待っている。もちろん待つことも作戦だが、サッカーはボールを奪いにゆくのが仕事である。そして奪うのは、相手選手からだけではない。味方からもボールを奪って然るべき。日本の選手どうしの接触、交錯が頻繁に確認されて当然なのである。
日本の選手は、ボールを持っている味方には、なかなか近づこうとしない。これ以上近づいてはダメだと、無意識のうちにソーシャルディスタンスを保持している。
礼儀正しいと言えばそうであるが、しかし攻めが単調となり、相手に作戦を読まれやすい。マークされやすく、今回のワールドカップでも、日本の選手どうしの間には必ずや相手選手がいる、つまりパスを出したい日本の選手にとっては相手チームの選手しか見えない、非常にやり難い環境となる。周囲を見渡せば相手選手ばかりなので、基本的に浮かせたロングパスしか選べない状況となり、カットされやすい。
そのシチュエーションが日本のボールキープ時には多くあり、自力でのドリブルを強いられ、焦る中で通るか判らないパスを出し、そのうちにボールを相手チームに奪われている。これがボール支配率の低迷かと思われる。
攻め方は、本来多色な作戦が選べるはずである。3人攻撃なら、ボールをキープしているドリブラーともう1人が、あたかもクロスカウンターのように全速力で近づき交錯すれば、交錯後にどちらの選手にボールが渡るのか、相手チームからすれば読みづらい。守りにくい。
その光景に相手選手が惑わされ、釘付けになっている間に、3人目の攻撃の選手が裏をかいてゴール方向へと走り出し、そこへパスを送るという方法もある。ふたりが騒ぎを起こしている間に、3人目の泥棒が宝を奪うのである。
サッカー選手はどうしても、ボールを目で追ってしまう癖、習性がある。だから上手ではないFWは、大事な場面でDFを見ずにボールばかり見て、すぐにオフサイドをとられてしまう。確認不足。
そういった癖をうまく利用したパスまわしを習得すれば、面白いようにボールが網の目を抜け出してくる。ブラジルが韓国戦で見せた芸術的なパスまわしで決めたゴールが、まさにそれである。相手に自分自身を注目させないために、たとえドリブルで難なく抜けそうな場面であっても、視線を外させる目的で、敢えてパスを出すのである。韓国DFは、ボールに釘付けになっていた。次のパスが出るコースを読まずに。
上手なDFはその流れを理解しているので、ボールよりも、ボールに無関係な相手プレーヤーを注視し、動きをきっちりと把握している。ボールに対して執拗に追うのではなく、マークした相手に対してそれを行うのである。
次に、PK戦について。
決勝トーナメントで頻繁に目にしたPK戦であるが、通常のゲーム内においてもPKの場面は起こり得るので、やはり訓練は必須である。PK戦を上手に乗り切ってゆくことは、クロアチアのように、1つも2つも上の世界へ進むことが可能となる。
PKは、蹴る方はそんなに頭を悩ませるほど難行苦行ではないと私は考えている。ただ、日本選手のPK戦を見て思ったが、蹴る前から右に蹴ろうか左に蹴ろうかを決めているのであれば、それはNGと言わざるを得ない。
PK戦のビデオなどをスロー再生して見てもらえば簡単に解るが、キーパーは跳ぶ瞬間に、跳ぶ方向のひざが「くの字」に曲がる。だからキッカーは、キーパーの脚がくの字に曲がった方向へボールを蹴ってはいけない。瞬時にその光景を判断して、キーパーが跳ばない方へボールを蹴れば良いだけの話であるのだ。
メッシあたりは、その辺の見極めが上手である。仮に判断がつきにくい場面では、スピードのあるボールを蹴って、時間の面でカバーする。
基本的にキーパーは、ボールが蹴られた後に跳んでも間に合わない場合がほとんどなので、蹴られる寸前に跳ぶ訳だが、早く仕掛けるほど動きを読まれることにつながるので、モロッコのキーパー等は、左右にわざとオーバーなアクションを入れ、脚の動きをキッカーに捉まれにくい状況をつくり上げている。
その行為にイエローカードが出たのであろうか。例えば動きが、キッカーを脅かしたと判断されたのか。私もサッカーのルールを知り尽くしている訳ではないので、その辺りの真相までは知り得ない。
なお、守る側のキーパーの立場になったとして、どっちに跳ぼうか迷っているのならば、圧倒的に、キッカーの利き足のインサイド側へ跳ぶべきであると考える。キッカーが右脚利きの選手であれば、キーパーは自分から見て右に向かって跳ぶのである。
キッカーは助走で走り込んだ際、それなりにゴールの右か左の隅にボールを蹴ることが基本的に要求されるが、アウトサイド側へは蹴りにくく、どうしてもインサイド方向が多くなる。
それゆえ読まれやすくもなり、しかしエムバペ選手などは、それをパワーで跳ね除ける。インサイド側でも強く蹴った速いボールで、相手キーパーの手が届かないゴールを決める。
なお、インサイドでも両方向へ蹴りやすいように、キッカーが敢えて深い角度から助走をとるという方策もある。
何れにせよ、PK戦とはキッカーが有利で当然の戦いであるので、せめて5人目を前にして敗北が決まるような事態だけは避けなければいけない。決勝へ勝ち上がってはゆけない。
そのための練習も必要であるし、今大会は特に、キーパーの働きが大きく各チームの勝敗を左右していたように感じたので、キーパーの鍛錬も、特に重要であると考える。
キーパーは、いざという時には果敢に前に出ないといけない。ドイツが日本に2点目を入れられた際も、射程距離に入ったのならば、キーパーは前に出て飛びかからないといけない。
そして相手がボールを蹴る刻には自身の体勢を変える。相手は隙きを突いて、つまり空いたスペースにシュートを放ってくるのだから、開けておいた股をわざと急激に閉じるなど、チョキだと思わせておいてパーを出すなど、体の形をシュートのタイミングで瞬間的に変化させることは重要である。
日本としても、キーパーが前に出なかったことでの失点はあったが、次の試合からは修正された。大会が始まって間もない試合は特に、プレーヤーの緊張感が半端ないので、それがプレーの萎縮要因となることがある。それゆえ肝の座ったというか、度胸のある、思い切った、そして賢いプレーが早い時期から求められる。
スペインが日本に入れられた2点目なども、あれはスペインのキーパーの大失策である。予期せぬコースにボールが放たれた際、慌てて自身の体までゴールに吸い込ませてしまった。ゴールエリアの、きちんと定位置であるゴール前に戻っていれば、ソーセージの皮一枚で上がった奇跡のセンタリングに臨しても、日本に得点されることは無かったはずである。
キーパーの力とは、本当に大きい。そしてやはりそういうスペインは、決勝へ進むことができない。
それでも戦争の話題が消えぬ近況において、スポーツに全身全霊を手向けて選手たちが挑む姿は、日本サポーターのゴミ拾い活動も含め、泪が出るほどに輝かしいものであった。
アルゼンチンがワールドカップに優勝してから36年の時が経ち、35歳のメッシが再びアルゼンチンを優勝へと導いた。彼はもしかすると、アルゼンチンを再び優勝へと返り咲かせるために生まれてきたメシア、救世主なのかもしれない。メッシ悲願の優勝は、泪なしには語れない。
スポーツで流す泪とは、そのどれもが美しいものである。然し戦争で流す泪に、美しいものは何ひとつ無い。
争いの当事者が流す泪、周囲の人々が流す泪、そのどれをとっても、心の奥底まで傷つけられた、大切なガラスにヒビが入ったことにより流れる、哀しみの泪である。
世界の総ての要人たちは、それを一番に理解すべきである。特にあの人物は。
2022年12月31日
五郎丸 塊維
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【20】経済問題「復活作戦」
何れにせよ、日本の低迷は海外との競争力を失ってしまったのが大きな要因であり、貿易収支の赤字転落も、日本は早く是正しないといけない。それには政府が一丸となって、全国民へスローガンとして打ち出さないといけないのであるが、如何せん声が届いていない。また声すら上げていない分野もある。
例えばこのコロナ禍における円安不況でも、まずは円安をPRし外国人観光客を誘致してインバウンド効果を狙い、日本人はそれに対して傍観するのではなく、外国人に喜んで買ってもらう商品の開発製造に勤しむ。そして売れるだけ売って日本円を買ってもらい、円高に傾いてからようやく日本人は一休みし、国内旅行や海外旅行の予約を入れる。
円高円安というのは通貨量の変化、両替であるのだから、上記が、経済界を含め日本国民が本来とるべき手順である。世界の人々が、財産を円ではなく、例えば米ドル由来で保有しておこうと努めている結果におこるのが、現在のような円安なのである。
ハワイに行って生活必需品、或いは御土産を購入して日本へ持ち帰り日本国内で使用するのは、米ドル由来で財産を保有しておこうとする行為にあたる。外資系のアマゾンで物を買うのも円安傾倒であるし、そもそも中国製の商品を買うこと自体が円安へとつながるのだ。円を海外に手放して、商品を手に入れている。日本国内の円の量が減る。
それゆえ円高円安ではなく、そもそも重い軽いと、円重円軽と表現する方が望ましいのであって、今は米ドルを使用する機会が増えておのずと流通量も増え、重みが増したから米ドルの価値も上がる。米ドルがずっしりと重く、日本円が軽いのである。
「BUY MY アベノミクス」
と発声し、海外の投資家へ日本への投資を呼びかける行為は、外国側が投資を実行した一時的には円高に振れ、株価も上がるであろうが、将来的には日本企業の業績、儲けを海外へ垂れ流してしまうことへとつながる。その流れのたどり着く先とは、円安が花咲く、日本の国土における、外資による植民地なのである。
景気が良くなれば円高へ振れるという定石は砂の城へと変わり果て、働けど働けどなお日本人の暮らし楽にならざり、ただ呆然と為替を見る、という世界が広がっているのである。
目先のことばかりに着目しても、子孫から恨まれる。日本人は真面目に働くから、海外の投資家からすれば失敗しにくい、つまり壊れにくい自動車の購入と同じである。次世代型半導体の新事業も要注意であるが、日本企業が将来的に競争力を再び備えたとしても、それが外資に依る操り人形であったのならば、日本人の未来は決して豊かにはならない。
すなわち国葬儀を賜ったアベノミクスは、完全なる失策なのである。
もちろん海外旅行を含め、商売や投資や消費者行動は自由が前提であるから強制はできないけれど、前述の円安不況を脱出する復活作戦の大まかな流れだけでも国民に説明しておかないと、
「そういうことなら、早く言ってよ。海外旅行は次の機会にしておくんだった」
という、後の祭り的なコメントがあちこちで聞かれるようになる。
今しかチャンスが無いことへのメッセージ発信の重要性。リーダーとは、未来へ向けた作戦を指揮するからリーダーと呼ばれるのであって、事後処理係員の中のリーダーではない。前途はリーダーが切り拓くのである。
海外旅行を取扱っている旅行会社に気を遣っているのかもしれないが、そもそも海外旅行しか取扱っていない企業があるとすれば、その経営そのものがずさんなのである。とてもではないが、風向きに対応できない。
借款の話に戻るが、本来防衛費でも、政府にはそういう金融作戦を講じて1.5兆円を稼いでもらいたいものである。何かあれば打出の小槌でも振りかざしているかの、常に税金、税、税、税。行政のコストカットも見かけだけであり、儲かっていなくても、損をしてもボーナスは必ず支払われ、センチュリーは宛行われる。
更新後の追記で申し訳ないが、自衛隊の演習等でも、一般見学者に対し、絶対的に入場料や駐車場代をとるべきである。2万人から千円ずつ集めれば、2000万円になるのだ。少しでも税金の負担を軽く出来る好機があるのならば、もらさず収益を求めるべきである。
カラフルな道路は、本当に必要なのだろうか。行政が年度末に予算を使い切る癖は、いったい何時になったら是正されるのであろうか。民には余った予算など無い、余った食材など無いけれど。会社が倒産すれば、ボーナスも退職金も無いけれど。お上と平民では、暮らしそのものの構造が違う。
行政の収支に関係なく公務員のボーナスが支払われるのであれば、それはボーナスとは呼ばず、「基本給」と記載するべきでは。年間のトータルを12で割った、まさしく重役並の基本給を、単純に明示すれば良いだけのこと。その方々が街を歩けば、働けど働けどなお我が暮らし楽にならざる私を含む平民たちは、公務員殿に道を開けて平伏せば良いだけのことである。
財源に余りが出るのは、不必要であった証拠である。そもそもインフラ整備など、毎年まったく同じ予算が必要であること自体が、数字合わせゲームではないか。年ごとに変化が出て当然である。減らすべきは減らし、急ぐ事案に充てる。
「お小遣いが残っていると、来月の支給に響くから繰越せないんだよね。競馬にでも行こうか」
とする程度の感覚で血税が浪費されるのであれば、いつまでも行政の借金は減らない。
本当に必要なところへ財源が行き渡るように、例えば予算を余らせた部署は職員が報奨を受ける、或いは市役所の壁に名前が刻まれるなど、成功報酬型へ変えるべきである。やってもやらなくても見返りが同じならば、誰が労苦の多い道を選ぶだろうか。
予算というのは、民が納得しないと長続きはしない。それが国家予算であれば、国政が内閣総辞職や衆議院解散などの砂利道をたどることにもつながる。
民が納得というのは、いわゆる公平性が礎にある。偏った人だけが費用を負担するのであれば、本来ならば目的、使途、効果、恩恵なども同様に偏った人に向いていなければ、結局は不公平な話となる。
短期とは言えないコロナ禍、そして今回の防衛費問題についても、ひろく理解が得られる公平性が税制改革に備わることが求められる。
以下は私だったら、という物言いになるが、新型コロナであれば、それほど遅くない時期、つまり方方に休業支援などが大きく騒がれ社会問題となっていた時期に、一機会だけでも公務員の夏のボーナス4割カットを行う。それにより、国民に大きなインパクトを与えることができ、国民個々の、新型コロナ対策への真剣味が変わることになり、行政も支出が減る。
苦しむ時は、官も民も同様に苦しまないといけない。もちろん諸々が回復し、ボーナスの還元ができる場合はその折に行う。
また、新型コロナの医療費については、通常の医療費体制と同様に有料とし、しかし無利息の医療費貸付制度も特例として導入する。コロナ医療の有料化は、前述の真剣味にもつながる。
なお、ワクチン接種については、推進してゆく必要があるので無料接種とし、しかし水分摂取の確認、接種後の入浴はシャワーを使い湯船には浸からない、柔軟体操を済ませてからのワクチン接種などを徹底告知する。
ワクチン接種は、何度も言うように、人の体にある程度の影響を与える行為であるので、人間の側でも準備が必要となる。私はそれを長らく訴えているのに、国は告知しようとしない。そしてワクチン接種後の死亡例が根絶しない。
一日フルに働いて疲れた状態で帰宅し、のどが乾いた喉が乾いた、飲物、飲物、という流れで冷蔵庫の缶ビールを開けてごくごくと飲んだあと、ふらふらと倒れそうになった経験は無いだろうか。
アルコールには血栓をつくる作用と溶解する作用の両極の効能があるので、それをこの短時間のうちにおこる事象に当てはめることはしないが、脱水状態でのアルコール摂取は自殺行為である。おそらくこのケースは、飲料を口にしたことで発汗が促され、それがアルコール飲料であったがために、体の脱水が余計に進行する形となり、アルコール性の失神がおこったと考えられる。
この注意点はワクチン接種についても同様である。本来ならば、おいしく楽しくビールを飲むことができるのに、飲む前、飲んでいる途中、そして飲んだ後にコップ1杯の水を飲まないから、倒れてしまう。
サウナに入る前にも、水分摂取は重要である。たかが水分されど水分で、どうして倒れたんでしょうね持病も無いのに、という不可解な印象だけが残ってしまう。
飲酒運転は危険ですよと口酸っぱく言うのに、国は水分を摂取しないワクチン接種は危険ですよとは言わない。それを起因とする事故、事故死は国の怠慢によるものである。それを必ずしも因果関係があるとは言い切れない、等の理由で注意喚起すら閉口するのは、死亡例が出てから後悔しても遅いのだ。
水分をとり準備体操をする、意識を失った時を考えて湯船には浸からない、シャワーの際は湯船にはフタをする、等の注意をワクチン接種の際には怠ってはいけない。
そして防衛費については、私だったら総ての税率をひっくり返して調整することが想定され、何が防衛費の財源になっているのか判らなくなると思われる。そうしないと、タバコを吸う人たちにトマホークを購入してもらっているという認識を植え付けてしまうので、それは大きな問題であり、間違いである。
復興特別所得税をターゲットにするのであれば、最初から毎年の徴収額の減額と徴収期間の延長を提案し、まったく別の敷地に、流動的な世界情勢に係る防衛特別変動型所得税を創設するだろう。そうすることで、被災地支援の原資に防衛費増額分が触れていないという根拠を示すことができる。トマホークは、被災地支援金から捻出しているのではないと。
子供たちにボールひとつ渡して遊んでおいでと言うのとは違い、大人や行政が行動をとる場合には金がかかる。だからこそ行政には、やりくり上手になってもらわないといけない。
12個のみかんは15人には渡せない。意見を募って3人の方に辞退していただくか、みかんを切り分けるか、外部にみかんの寄付を募るか、青果店に行って満たす数の小ぶりのみかんと替えてもらうか、賞味期限の迫るみかんと替えてもらうか、みかんジュースに絞るか、金持ちの人をつかまえてみかんを高値で買ってもらうか、このみかんは美味しくないよと言って食欲を喪失させるか、収穫しても構わない山のみかんを採りにゆくか、みかんの種をまくか、みかんの皮を集めて燃料や肥料として買ってくれる先を探すか、みかんを美味しそうに並べて写真や動画を撮影したり絵を描いたりして収益をあげた後に新しいみかんを補充するか等、特に出納に関しては、あらゆる工夫を凝らした施策が重要である。
つまりストップできる事業はあっさりと休眠、或いは低速走行させる等、大胆な改革が時には必要なのである。急を要する部署を最大限に活性化させる。
一般家庭でも、
「今月は我慢しようね」
「旅行は来年にしようか」
など、個別の事案の休眠は当たり前のように行っていることなのだ。なぜ行政が、それをできない。
「予算を使い切らないと、来年度の予算が下りないんだよね。どこか無駄遣いできる余地は無いかなぁ」
などと言い放つのは、言語道断である。それだから、早急に処置をしないといけない放置インフラが後を絶たないのだ。
【21】経済問題「材木の使いみち」「TOSHIBA」
さて、円安を災いと思わず、努めて恩恵を探すことも重要であり、若い方々は海外へ単身出稼ぎにゆき、国内の観光事業者は外国人旅行者のインバウンド効果を狙う。
外国人向けの商品や輸出品目は、その流れに馴染むもので、かつ国内産業にも恩恵が与えられることが重要である。
木箱に入っていれば、何でも高級に見えるので不思議である。欧米人は甘いものが好きで、私の選ぶ品が安物だったのか、かつてフランスのスーパーで200円程度で売っていた2リットルの家族向けアイスクリームなど、嘘みたいに甘かった。果物、和菓子、羊羹などを輸出用木箱に入れ、高級感を漂わせて輸出する。
日本酒なども、瓶詰めだけではなく、樽酒を海外へのお土産用に量産する。大きいものではなく、一升や二升樽の持ち運べる程度で、木槌、柄杓、枡も添え、海外のホームパーティーや企業の会合等、祝い事を盛り上げるパフォーマンス商品として、付加価値をつけて輸出する。
樽の類では、桶に味噌を入れても高級感が増す。どのみち味噌はビニール梱包となるであろうから、味噌桶は事後、飾り物としての使用が可能である。日本アイテムが室内にあり続けることによって、日本を忘れない。
そもそも外国人は、日頃からアルファベットに慣れ過ぎていて、より新鮮なデザインを求めていると考えられる。逆に日本人はアルファベットに憧れがあるので、家電製品をデザインする際にもアルファベットを用いたがる。
しかしその日本製デザインをそのまま海外へ売り出しても、例えばロゴマークがあるおかげで商品を受け入れてもらえない等の事態も発生しているはずである。
例えば「TOSHIBA」というロゴデザインも、もちろん時代と共に変遷は遂げてはきたものの、それらはやはり、アルファベットの域を超えない。
ロゴとは必ずしもその場で読めなくとも役割を果たすものであり、いち例としては、例えば「東芝」という漢字を細身の象形文字などの形様でロゴデザインを組み立て、片隅に小さく「TOSHIBA」とアルファベットを入れる。
また欧米製の家電製品はシックなデザイン、マット調の表情をもつものが多いので、キラキラ光る素材は取手などに限定的に用いて、全体的に落ち着いた印象をつくり出す。
例えばレトロな冷蔵庫をイメージして、外装は主張を抑え、象形文字のロゴが入り、何とも言えないくすんだ表情の取手などを付ければ、欧米だけではなく、日本人にも好まれるようなデザインの商品が出来るようにも思われるが。
30年ひと昔。ファッションも30年が経てば、未知のデザインとなる。見る人の心に、新鮮味が生まれる。古いものは、必要ないものとは違うのだ。
日本製の性能が良いというのは、既に海外の人も理解し過ぎるくらいに理解しているので、あとは石頭を叩き割って欧米受けするデザインを考えれば、輸出は黒字化するというだけの話ではないのだろうか。
日本の商品は、デザインの面で欧米向けとは言い難い。光輝かせるのではなく、愛嬌を含んだ渋さと落ち着きのあるデザインが、欧米人にはウケると思われる。海外へ進出するのなら、デザイン力は軽視できない。
材木の話に戻れば、前述の木樽や木桶や化粧木箱にも、日本を感じさせるロゴデザインが入る。日本酒の銘柄を、美しいロゴデザインとして樽のラベルにも記す。毛筆に限定はしないが、明朝体やゴシック体は使用せず、手書き感のある印象が良いのではないだろうか。
そしてなぜ材木の使いみちを考えているのかは、間伐材事業を活性化するためである。爪楊枝がただ伸びているような森林は、健康的ではない。CO2を効率よく土壌へ戻すためにも、林業の上手な採算性を構築しなければならない。川を流れる丸太があってもびっくりしない世の中を、早くつくるべきではないのだろうか。
薪ストーブも、これだけ停電の懸念が絶えない時代であれば、戸建て住宅には是非とも備えておきたい器具である。
なお、東芝といえば原発を思い出すが、現在、原発施設の安全な運用についての協議が盛んに行われている。
私はもちろん、ドイツのように裕福な国でなければなかなか実行できない廃炉作業にも金のかかる原発は、安全であれば運用を是認する立場であるが、しかしながら、あまりに統一的に耐用年数などを決めてしまうことについては疑問が残る。なぜなら自動車でも、5年で廃車にもなれば、50年経っても走ることが可能な車もある。
それ故やはり大切なのは、個々の運用状態についての見極めであり、きちんと実態を把握できる検査方法の確立である。例えばニュートリノを用いて炉心の劣化状況を調べるとか、炉心の膨張をナノスケールで計測できる機器を備えたりとか、信頼できるデータ収集を早い段階から行ってゆくことは重要であり、インフラ整備についても、それが自在となれば無駄な工事も減ってゆくはずである。
【22】経済問題「真水の輸出」
森林の類の話では、将来、日本がどこぞの国へ真水を輸出するような事態が訪れるかもしれない。それはもちろん、緊急援助として。
日本が輸出する、海外での水に係るインフラ事業も、様々な問題があって思うように進まないようであるが、世界の気候変動は、遅々としてはいない。近年では、日本を含むあらゆる地域で雨季と乾季がはっきりしだして、雨が降らない時はまったく降らず、乾季には山火事、雨季には洪水という両極端な始末。その乱暴な気候に抗うため、中華人国では近年、軟体動物ではないアメフラシ作戦にも出ている。
ペットボトル飲料を輸送するのは、そもそも飲料水の確保という目的であるから、それだけでは干ばつ地域での生活はできない。体を拭くことも手を洗うこともできず、家畜に水を飲ませることにも躊躇がある。水を使わないトイレ法、火災時の消火活動が日常的に求められる。
移住が簡単に出来れば良いが、そうもいかない。干ばつの期間が短いのであれば移住も考えもので、留まるのであれば、最低限の生活の質を保つためにも、災害時でもすぐに動ける体制づくりは重要である。
もちろん日本国内も安泰という訳ではない。万全の治水事業が求められる。
【23】エネルギー問題「牛乳の常温保存」
家畜といえば乳牛であるが、外国では日常的に牛乳の常温保存が可能な梱包技術が、意外にも日本国内では物珍しい分野である。
これだけエネルギー問題が騒がれる中で、24時間365日牛乳を冷やし続けるのは、そうでない場合とどちらが良い結果をもたらすか、検証の余地があるのでは。
そもそも古来より、「室」という方法もある。道路として使う目的だけではなく、山あいにトンネルを掘り、冬の間にトンネルの内部に雪をたくさん詰め込んでおいて、夏場はその雪を利用して、些かも電力を必要としない冷蔵庫、冷蔵トンネルが提供できる。
雪は天からの恵み。忌み嫌うばかりではなく、エネルギー問題解決策の一翼とする。
北国においても、大雪で停電が発生したから冷蔵庫の食材がダメになると嘆くのではなく、外の雪をビニール袋に入れて冷蔵庫やクーラーBOXに詰め込んだり、食材をビニール袋や熱伝導率の高い金属の箱に入れて外の雪の中に埋めておいたり、或いは北国でなくとも、冬季はベランダの日陰にダンボール箱を設置して、人参やじゃがいもを入れる簡易的な野菜室を作ったり、ビールやジュースくらいなら冷蔵庫を使わずともそういう場所で程よい温度に冷やしておくなど、冬の恩恵を最大限に活用すれば、省エネが図れる。
実際に、各家庭に冷蔵庫が無い時代でも、人間は立派に生活をしていたのだ。
そういう意味では、常日頃から、自分の生活環境のあらゆる箇所の温度変化をデータ収集しておくことも重要となる。また、ベランダに物を置く際は、幼児小児の転落防止対策も万全に。
【24】OSO18
乳牛といえば、ここ数年で牧場を荒らしまくっている北海道のクマ、OSO18の被害について。
かれこれ60頭以上の牛がこのクマに襲われたと言うが、その中でも、時間を置いて森へと引きずられ、食害に遭った牛もおり、牛の肉の味を覚えたとすれば、人間社会での共存は厳しいと考えられる。
動物園などに搬送するなど、当該クマの生命を奪わないことを望むのであれば、罠か麻酔銃あたりの使用が方策として挙がるが、既に罠の意味を理解しており、麻酔銃もクマとの奇跡的な遭遇が求められ、しかも眠る前に襲われたら、人命にも関わる。
そもそも猟友会のメンバーに、24時間、狩猟を行っても良いというお墨付きでもあれば別だが、狩猟関連が昼間しか活動できないのであれば、夜行性のクマにはまったくの無力である。
なかなか都合の良い作戦が見当たらないしで、私は、今回は自衛隊を要請する案件ではないのかと、真剣に考える。
家畜の乳牛が襲われ絶命しても、あのクマは、その骸をすぐには引きずってゆかないようであるので、だとすれば、その家畜を目がけて暗視スコープを装着した自衛隊員が、かなり離れた状態で銃を構え、忍者グマを待ち伏せして捕らえる。
夜間が活動のメインであれば、やはり自衛隊くらいの装備が無いと捕獲は無理と思われ、動物保護の観点を訴える意見も承知をしているが、あまり捕獲の機会を浪費しない方が賢明かと思われ、人間に手をかけるクマに成長してからでは遅い。
自衛隊にとっても夜戦の訓練にもなるので、春までの検討を願う。
【25】地下鉄延伸
地下鉄の沿線が増えることは、日本のシェルター不足問題を少しでも緩和する策であるので、予算や採算性、また延伸工事の方法に問題が無ければ、極力推したい取組ではある。
ただし近年における心配事は、やはり水の流入であり、例えば未来では、防水区画で2Fより出入りする地下鉄などがあっても、驚かない時代が来るかもしれない。
あとは駅以外において地下鉄同士が交差するようなポイントがあれば、万が一の際に役に立つ連絡通路を設ける策もある。帰宅困難者が地下鉄の線路上を歩いて自宅へ戻る場面もあるかもしれない。
そして新しい地上物件は、これからは可能な限り高床式で建設すべきだと考える。
しかし福岡は、平成5年に福岡市地下鉄が福岡空港まで開通したとのことであるが、その後の国際線ターミナルの移築の際に、地下鉄も国際線まで延伸しておけば良かった話では。近ごろ別ルートの地下鉄で国際線ターミナルを結ぶ案が浮上している。
【26】旧統一教会問題
警察は怪しい、気になる、の程度で平然と職務質問を行うが、こういう宗教法人に対しては、いやはや単純に質問することさえ、長らく待たされるものである。民事とはいえ裁判事例まで存在するのに、当該法人の縄張りは、まさに無法地帯である。
そもそも、今からこういう行動をとります、こういう質問をしますよという作戦内容を暴露してしまうのは論外であるし、魚釣りでも、遅々として合わせるタイミングを外すと、餌だけ喰われて魚に逃げられてしまうのでは。
もちろん、大のお得意様様は無下にはできない。今までの長い期間、滾々と託され続けた組織票、言わば政治生命の源を思えば、手のひら返しの対応で迫るのは、儀礼に反する。
ちなみに選挙の票とは何ぞや、個人個人が同額の投資資金を持っているのと同義である。どこか良さげな候補者へ投資して、個人は投資に係る恩恵を期待するものである。
投資とは、報われないこともある。元本割れを起こし、消えて無くなる場面も想定される。損益、ロスがある。
だからこそ、政策実現の約束なんかしてはいけない。必ず儲かりますよと、リスク知らずの投資への勧誘をしてはならない。きちんとリスク説明をしないといけない。必ず儲かると謳った書面を、今から投資しようという有権者へ渡してはいけないのである。投資は無駄で終わることもあるのだ。
しかしそれはさておき、質問の作成に時間をかけてもなお、法人側の心配は尽きない。苦境脱出のチャンスを与えても、事態が進展し解散請求に至る話となっては、それは完全に袂を分かつ格好となり、のちのち、切り捨てられた腹いせに暴露本が出版されるやもしれない。つまりそのう、スポットを浴びているお互いが、まな板の上の鯉といったところか。
本来ならば、それが本当のスタートラインでは。宗教と政治は同じテーブルでは食事が出来ないのであって、そもそも関係をもってはいけない。暴力団とは関係をもつなと言っておきながら、それに近しい組織とは親しくする。暴力を使わないだけで、上納金と寄付と、構造は大して変わりは無いではないか。
会社企業など、普通は上から下へ金が流れてゆくものである。給料として。それがこの旧統一教会は、金が下から上へと遡上してゆくのである。また、その金額についても上限は無い。構造そのものが堅気ではない。
また、問題が発覚してからのちも、世論に一度に大きなショックを与えないように、少しずつ少しずつ過去の事件を公表しながら事態の収束を願う手法では、いつまで経っても裁判を始められない。証拠の提出を拒むのは、弁護、弁解、弁明ではなく誤魔化しである。
安倍元総理の関わる案件でも、多くのことが墨塗り教科書に包まれたまま、闇へと葬られようとしている。実際に関係者の命が絶たれているというのに、そのような顛末である。
安倍氏だけではなく、ふたりの遺影を並べた国葬儀が良かったのでは。国策の犠牲になったのだから、国葬儀で然るべき。
それと宗教活動上でのマインドコントロールの話であるが、それらの認定は非常に難しいものかと思われる。
それゆえ別の観点から策を施した方がスマートであり、例えば宗教法人という肩書を与えられている法人は、同一個人による寄付の受領額を月に5万円までと定めるとか、それ以上の額ならば成人の立会人を用意し、月に15万円までしか認めず、更には電子機器を使っての寄付しか受け取ってはいけないようにして、寄付行為の本人、その家族、寄付行為立会人もしくは見届人の何れも、過去に寄付金を渡した宗教法人に対して、寄付本人への返還請求がのちのちでも可能であるという仕組みを設定する。
私はこの宗教法人とは何ぞやという問に、迷わず学習塾と答える。自分の経験、学びで足りないところを、宗教法人の門をくぐり、師範に面と向かって教えてもらう。それは即ち、学習塾そのものではないか。砕けた表現であれば、部活動のようなものである。
通常、学習塾が寄付を求めるだろうか。門徒が違えても、学習塾はそれぞれの授業にかかる金額はカリキュラム毎に決まっているのに、どうして宗教法人は御布施の金額すら決まっていないのであろうか。Aさんからは1万円、Bさんからは100万円をもらう場合もある。根本的にそれらの仕組みが天変地異なのだ。
それから近ごろ、宗教への参加を強制する、脅すことを虐待行為と認めるという指針が新たに決められたという件について、そもそもの話であるが、日本国民は、日本国憲法第二十条で信教の自由を認められているのであって、対象となる宗教に対して、入信する、他の宗教に入信する、いずれの宗教にも入信しない、宗教そのものに無関心でい続ける、自身の心の中に依る信教を置いておく、という選択肢のどれを当事者が選んだとしても、何人から咎められるものではない。
それゆえ、それを脅すということは、虐待はおろか脅迫罪ではないかと私は考える。
同二十条では、宗教上の行為、祝典、儀式、行事への参加も任意であることが約束されており、然るに何人も、靖国参拝を強制することは出来ない。
子どもが対象であることから虐待行為という文言を用いて、しかし逆に事件が軽犯罪化してしまうのであれば、もう一度、法の上位概念を確認することが重要であると考える。
例えば、こういう場面もある。
「お行儀よく食事をしなさい。食べ物の神様のばちが当たるよ」
という発声が親から子どもへ向けられた場合に、それをしつけと捉えるか宗教上のおしえと捉えるかで、セーフかアウトの判断が分かれることにもなり得る。
あまり宗教を別格のように捉え過ぎると、教育や道徳の観点から、天地がひっくり返ることにもなるので、宗教に限らず、ゆき過ぎた教育があれば当然ヨットスクールのような事件として扱われるし、そういう意味では、宗教も学習塾も学校も部活動も幼児園も家庭内も、同類として対処されるべきではないのだろうか。
それらを総合的に考えると、年齢および義務教育という括りで子どもを保護した方が、現実的に子どもを救済しやすいのではないかと考える。仮にお行儀良い食事が宗教のおしえだったとしても、年齢によって宗教と距離を置くことが可能となり、危害はストップできる。
つまり日本では教育を受ける権利ならびに義務があり、それを修了するまでは宗教法人の信者となることができない。本人が物事の分別のつく年齢に育ってから、入信するか否かを判断することとする。
また、低年齢だからと宗教を一様に禁止してしまうのは、信教の自由に逆らうことになるので、本人の明確な意思が確認できれば、宗教活動への参加は認められるものである。必要があれば立会人を置く。
そのような流れも、義務教育の一貫で教えるものとする。
要は学校で子どもが何の部活動へ入ろうと、親にはアドバイスは出来ても決定権は無いということである。
ただし部活動によっては実費のかさむ種もあるので、それについての親子間協議等は想定の範囲である。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その1
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新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その3
【14】露UKR侵攻「防衛力増強の是非」
さて、ここから描く作戦は、難題中の難題であるロシアのウクライナ侵攻をはじめ、我が国も含めた軍事関連について。
その前に、前回である第7編の記事を詳しく振り返ってみた結果、「その9【53】」における「南洋の戦線で、偶然にも不時着した零戦」という記載は、南洋の戦線ではなく、実際にはアメリカ合衆国アラスカ州のアリューシャン列島フォックス諸島アクタン島の事件であったので、当該記載を訂正して、失礼をお詫び申し上げる次第。おそらく私の幼少の頃、山本五十六元帥が司令長官として最期を迎えたパプアニューギニアのブーゲンビル島と混同して記憶していたのが要因であると考えられる。
さて、軍事の世界においては、人の命が懸かっているので、選ぶ作戦は特に重要となる。かのミッドウェー海戦でも、日本軍は作戦負けを喫し4隻もの航空母艦を失う大敗、以降は坂を駆け下りるかのように負け戦を続けた。
負け戦とは、亡くなる自国民が大勢いるということである。戦争、自衛の評価分類に拘らず、闇雲に負けるのは良くない。自国民の哀しみが増え続けることになる。回避できる事案は回避する。
いざとなれば沈没しても構わない空母を2隻選び、それらは正面からミッドウェー島攻略へ挑み、爆弾を装備した7割の攻撃機を発艦させ、敢えて遥か上空より米軍陣営へと近づき、攻撃作戦を実施する。
仮に敵機が同空母にまで反撃に迫った際は、残る艦載機である、爆弾も魚雷も装着していない身軽な3割の戦闘機を発艦させ、できるだけ母艦に近づけさせない空域で空中戦にて応戦する。
正道を嫌った残りの2隻の空母は、正面からではなく、東西の側面へそれぞれ回り込み、米空母から艦載機が飛び立ったのをレーダーで見計らって、魚雷を装着した9割の戦闘機をたたみかけるように、しかし静かにその海域へ向けて発艦させる。その際、傍受されないよう、その作戦行動に係る通信は一切行わない。
レーダーに探知されないよう、海面すれすれの状態で1列に隊を組んで米空母の側面へ接近した魚雷装着の日本海軍艦載機は、順番に米空母の脇腹、かつ、何れも同じ箇所へ着弾するよう次々と魚雷を放ち、被弾空母の後方へと退避する。
残る米艦載機が反撃に出れば、次に魚雷を放つ体勢に入っている日本軍攻撃隊の上空を、魚雷を放った後の身軽な日本軍機が横切るように旋回し、米軍機に応戦する。
おとりである2隻の日本海軍空母を攻撃しに出た米艦載機の編隊は、自軍の米母艦が炎上、或いは沈没しているので、洋上かミッドウェー島への不時着を余儀なくされる。
もしもあの時、日本海軍が大敗を免れていた方策があったとすれば、上記の作戦ではないかと考える。太平洋戦争は、日本が負けて良かったと考える人もあるだろうが、死んで良かったと評される命はひとつも無いはずである。
いま、防衛力増強の是非をめぐって活発な議論がなされているが、増強に大反対の人たちは、代替策、何か特別な作戦をお持ちなのだろうか。まさか集団自決を提案するとは思えないが、ほとんどの家庭が地下シェルターすら保有していない日本で、有事の折にどうやって民を守り抜いてゆくつもりなのだろうか。
外国から200発のミサイルが一斉に飛んできたら、その方たちは、自分を犠牲にして周囲の民へ鉄の傘でもかけてくれるのであろうか。日米安保を引き合いに、アメリカ軍に迎え撃てと連絡するのだろうか。そのタイミングにおいての連絡で、ミサイル着弾に間に合うのだろうか。死者が出た場合、失われた命を元通りに復活させることができるのだろうか。
それよりも、常日頃から日本の守りをもっと増強するようにと米軍に働きかければ良いとでも言うのだろうか。
日本に駐留しているアメリカ軍の経費は日本に支払わせるべきだという声もアメリカ本土では上がって久しいというのに、これ以上の負担をアメリカ側が素直に了承するとでも言うのだろうか。また駐日アメリカ軍の軍備増強は、日本のそれよりも、直接的にアジアを刺激し過ぎるのではないのだろうか。
そしてそもそも、日本を守るために日本人が死ぬのは認めず、それがアメリカ軍人ならば問題ないと考えることが間違いなのではないだろうか。
無策では、安全は保てないのだ。火山の噴火が懸念される箇所では、迷わず行政の手によりシェルターが設置される。しかし全国民の全行動をミサイル攻撃よりカバーし得るシェルターを国費で設置するのは、たとえ予算があったとしても、建設に膨大な手間と時間のかかる話なのである。いま目先で懸念となっている問題には、到底対処できる方策ではない。
防衛力増強に大反対の人たちは、反対、反対、反対と叫んでばかりで代替策を口にしないが、どういう策を用いて安全を約束するつもりなのか、私は一度尋ねてみたい。そしてその妙案を、ウクライナ政府に教えてあげるといい。こうすればミサイルに当たりませんよと。
雨が降れば雨に濡れる。雪が降れば雪に凍えるのだ。その方たちは、野外生活をしておられるのだろうか。家を借りるか家を買うか、夜露をしのぐ策はそれが当たり前であるのに、自らもそういう当たり前の生活を続けているのに、国防問題については反対する。
「戦争なんて起こるはずが無いよ」
と、七夕に短冊をぶら下げるだけで幸せが訪れるのであれば、高台移転も必要ないのであって、東日本大震災で泪を流した人は、そもそもいなかったのでは。
精神論ではなく、物理的方策を示してもらいたいものである。
【15】露UKR侵攻「冬将軍のジェノサイド」
ロシアとウクライナの事件に戻り、近頃、ロシアがウクライナの発電所などのインフラ設備を平然と攻撃し、寒さという大量破壊兵器で、ウクライナ領土を人の住めない環境にする作戦に出ている。
これは明らかなジェノサイドである。本来ならば国際社会は、バケツをひっくり返したような反応を見せるべきである。
私はこの愚行には、フランス、パリでの屋根裏部屋での生活が思い出されてならないのだが、2001年を迎える21世紀の幕明けの折に、私はひと冬を、その狭い空間で過ごした。
部屋には、ヨーロッパでは当たり前の温水を使ったラジエター暖房は備わっておらず、電気の小さなヒーターがひとつだけ設置されていたが、点けると電気代が馬鹿みたいに高いと聞いていたので、絵の具を買う金をどうやって工面しようかと悩んでいた私は、ひと冬を暖房なしで過ごすことに決めた。
その当時、冬場のパリの最低気温がマイナス3度とか言っていたので、当然ながら部屋の中でも吐く息は真白で、ズボンを2枚、上はジャンパー、帽子を被り、手袋をはめ、それでも寒いので、室内でスニーカーを履いていた。
要はチルド冷蔵庫の中で生活しているような状態だったが、足には霜焼けが多発し、せんべい布団にタオルケット1枚の寝床だったので寒くて眠れず、思い悩んだ挙げ句、メトロの改札口に積まれていた無料の広告新聞を数部もらい、大きく広げてガムテープでつないで更に大判にし、それを被せて寝てみたのだが、何とまあ、それの温かいこと。室内ホームレスのような状態だったが、神宿る紙か、紙の有難みをつくづく痛感した。
パリの屋根裏部屋は、屋根が大きなトタンで覆われている構造なので、あの鉄板が熱伝導効率を高め、夏は熱く、冬は寒い。古い物件なので断熱材もおそらく入っておらず、100日にも満たない越冬であったが、人生の中でも最悪な経験となった。
そんな私が、越冬作戦として今のウクライナに必要なものを書いてみると、発電機はもちろんであるが、やはり空気を温めるよりも、水を温めてほしいのが本音で、湯たんぽ、一輪車、漏斗、やかん、柄杓、薪ストーブなどが第一陣に挙がる。
湯たんぽは、ペットボトルやポリタンクで代用できる。廃材を燃やし、人々の暖をとりながら大量の湯を常に沸かし続ける製湯所を各地へ設け、温かい湯を一輪車で近所へ配る。飲むための湯ではなく、足元などに湯の入ったタンクを置き、毛布を被せ、簡易こたつをつくって暖をとるのである。
空気はすぐに冷めるが、湯はなかなか冷めにくい。寝床にペットボトル湯たんぽを入れて、寒さをしのぐ。
日本では農業や土木作業では欠かせない一輪車であるも、あちらの映像を見ても、一輪車を見たことが無い。がれきの片付けなど、一輪車も無しにどうやって行うのであろうか、日本国民に呼びかけて、中古でも良いから、一輪車を集めてウクライナへ贈ってあげる案は如何だろうか。できれば、パンクしない一輪車が望ましい。ただし真冬の特に郊外では、ソリの方が重宝されるのかもしれない。
あとは室内でも使用できる寝袋や、荷造り用の緩衝材など。窓ガラスは室内の熱を奪ってしまうので、透明の緩衝材を水などを使って貼れば、保温性がだいぶ違う。
室内に薪ストーブを設置できるのであれば、それが何より強力な備えとなる。暖をとるだけではなく、ストーブの上で湯を沸かしたり調理もできるし、炉で芋も火を通せる。
今般は日本でも大寒波に見舞われ、急な停電というのが命に関わる事態を引き起こしている。水道やガスに問題が無くとも、電気が止まれば、連鎖的に給湯システムも使えないという問題も発生する。常日頃からの心構えが重要となる。
北海道や東北地方などでは、薪ストーブ型のサウナ小屋の設置を進めた方が良いのかもしれない。冬季のいざという時には非難小屋となるし、電気、ガス、化石燃料、木材燃料、水道のどれが滞っても生活が回るように、常にあらゆる作戦を保持しておかなければならない。オール電化に過信するのは危険である。
また、保温の面では東京都も積極的に推奨するウォームビズも有効であるし、もうひとつ言えば、体を動かすという、エネルギー消費の原点に帰ることも重要である。
私は幼少の頃、確か福岡市東区の筥崎宮だったが、年明け早々に家族揃って詣でる三社参りで、かなり底冷えする年明けの上、参拝客が行列で並んでいるという事態に出くわし、最初はおとなしく行列に並んでいたが、あまりの寒さに耐えきれず、新年早々、泣き出してしまったことがある。
自分でも今更思うが、そんな時は、神社の境内をひとっ走り、走ってくれば良かったのだ。
テレビを見たりパソコンを触っている時などでも、じっと座っていると寒さが襲ってくる。そんな時は、一度立ち上がり、屈伸というまで大がかりではなくとも、身長が5センチ程度縮まるくらいにイチ、二、サン、シと、ひざを曲げたり伸ばしたりの上下運動を繰り返す。しばらくすると、下肢の血流が全身を巡り、体がポカポカしてくる。
また、軽く息を止める動作を繰り返しても、体が温まってくる。これは間違って息の根を止めてしまわないように注意が必要である。
寒い時に燃やすべきは、体外の燃料ではない。体内の燃料を燃やしてエネルギーを生み出し、それによって暖をとるのである。人間は体内に、常にエネルギーを保持しているのである。もちろん、運動量が増えるとCO2の排出量も増えるけれど、化石燃料を燃やすことと比べれば、その比ではない。
【16】露UKR侵攻「国際連合大改修」
そして国際社会の役割に戻る。この停電によるジェノサイドに対し、ロシアに断固としてNOを通告しないといけない。そしてロシアにゆく道を選ばせる。今すぐウクライナのインフラ破壊を止めて、今後も攻撃対象としないことを誓うか、インフラ破壊の作戦を実行している発射台をウクライナ勢力が壊すことを認めるか、そのどちらかの選択を迫る。
この後者については、ロシアが認めるはずが無いよと笑う人も多いだろうが、私がなぜ敢えてこれを書いたのかは、今後の日本も、同じ質問を周辺国へと迫る可能性を有しているからである。
もし、日本のインフラが他国の攻撃を受けて、大規模停電が続発するような事態になれば、当該攻撃国の発射台を、反撃能力の行使として、日本は叩き壊す覚悟を持つことになるのだ。
ゆえに上の選択肢とは、決して夢物語ではないのである。そしてその物語が夢か現実かは、日本次第ではない。物語の筋書きに関しては、受け身である日本が選ぶことでも操作することでもなく、殴りかかってくるか否かは周辺国次第、まさに周辺国政府の胸三寸に委ねられているのである。
そして国連の役割。私は日本の反撃能力保有の重要性は、致し方ないものとして認めている。やはり暴力団より警察組織の方が弱々しい装備であれば、安心できる未来の構築は難しいのではないのか。他力本願社会である。
その上で、もちろん戦争肯定者ではなく否定者であるので、当然ながら、戦争が始まらないように、外交を含め、多面的な作戦を立てる。
いま現在、国連の機能不全が大きな問題として協議が続いているが、私は先んじて、以下のことを提案する。
★保証金制度の創設
※文中補正あり
国際連合の予算として世界各国が出資している分担金とは別の形で、常任理事国または核保有国は20%などの割合、また非常任理事国は5%、更には、その他の国のうち発展途上国は1%などの比率で、各国の国家予算或いは国内総生産を基準に、それらの一部を国連に保証金として預ける。
これは毎年納めるのではないので、国連加盟料や加盟時保証金という呼称がより現実的であるが、実際には国家予算の1割や2割などの大金を、もちろんおいそれと一括で預けることができる国も少ないであろうから、結局のところは分割で設定額まで積み立てることになると予測される。
この取組により、核兵器を保有しているから常任理事国だという流れではなく、より多くの金を国連に預けることができた国が常任理事国として認められるという策定手段も選べるようになる。
★当事国の拒否権停止制度
今回のロシアのように、特定の国による蛮行が認められたら、その当事国、つまり加害国を除いて対処議決がなされ、例えばウクライナの復興資金は、その議決次第では、ロシアの預けた保証金から支払われることになる。
そのタイミングでロシアが常任理事国であったのならば、目減りした分、追加の保証金を納めないと、常任理事国からは降格されることになる。
そもそも蛮行を続ける当事国の拒否権が、剥奪あるいは停止されないのがおかしな話なのだ。今の国連の安全保障理事会とは何ぞや、裁判制度に例えるのならば、被告が拒否権を行使して判決を操作できるようなものであり、絶対的に無罪判決が下る、言わば「俺は悪くないから」裁判である。
自分は悪くないのだと主張すればそれがまかり通る、そんな裁判など有り得ない。どこにも忖度しない、第三機関が議決を下すのが本来の姿であるから、訴えられた国に議決権を渡すこと自体が間違いなのである。
別の見方で、安全保障理事会を、裁判ではなく巷の議会制度で例えるのならば、満場一致制ということである。十人十色の議員らの中で1人でも反対議員がいれば、その案はあっさりと否決される。話し合うだけ、時間の無駄である。停滞あるのみで1ミリも前に進まない。笑いが出る始末である。
私は、こんな理不尽なシステムで案の定露呈する機能不全を黙認し続ける国際社会の中で生きていることが、至極に恥ずかしい。100年先の教科書に、
「当時の人類は馬鹿ばっかりだった」
と、深く刻まれるではないか。子孫から笑われるのは恥である。
拒否権制度は絶対的に、訴えられている当事国、加害国が使用できるようにしてはならない。仮にそこまで対策を講じたとしても、他の常任理事国が拒否権を出して、難を極めるほどであるのだから、本当ならば、3分の2以上の賛成とか、そういう答えの出し方を常態化しないといけない。
★保証金の使途
もちろん保証金であるから、預けた国の国家財政が危うい時など、返還あるいは貸付要請があれば、人道的に対処することが求められる。
しかし前述のとおり、紛争などの事後復興には賠償責任をもたせ、更には戦禍における難民支援、災害時の食料支援などにも活用する。
更には重要ポイントであるが、衛星打上の費用に充てる。国際連合が主導する監視システムが存在しなければ、戦争犯罪の認定など、有事の際の是非の判断が遅れる。
そもそも国際紛争とは、当事国以外の国々にも、西か東か等、特有の旗色を示すよう要求されるので、それら偏りの認められる第三国から提示される証拠には、旗色が滲む可能性がある。警察組織の鑑識業務を民間へ委託するようなもので、改ざん捏造が行われる可能性は否定できない。
証拠の公平性を保つには、国連による衛星監視など、国連機関そのものが証拠収集能力を備えなければならない。
何れにせよ、国連が中途半端に形骸化するようでは、まさに空家、廃屋であり、役に立たないのならば取り壊すか、人が幸せに住めるようきちんと整備するか、大いなる分岐点であり、それらのどちらかが求められている。
【17】露UKR侵攻「中華人国目線」
さて、アジア地域も対岸の火事ではない。第二次世界大戦の終結後も、ソビエトによるシベリア抑留、米露の関わる朝鮮戦争、ベトナム戦争など、休火山どころか、くすぶり続ける活火山帯であり、まさしく環太平洋一時休戦帯。いつでも炎が燃え上がる要素を含んでいる。
そこで質問であるが、あなたが中華人国のトップであれば、どのように本土を守るであろうか。
だから台湾が狙われているのである。
そもそもの話、蒋介石の関わる国民党が、中華民国を二分するかの対立に負けて母屋を離れたのは良いが、如何せん、落ち延びた場所が悪かった。内陸へ向かったのであれば、例えばソビエト或いはロシアと手を組んででも、いつでも降伏させることができるが、それが中国大陸の城門ともとれる台湾であったがために、その直前に建国された中華人民共和国の将来的な国防にも、大きな影響を残してしまった。
台湾を、軍事基地のひしめき合う軍事要塞、中華人国を守る軍事島と位置づける夢は叶わず、仕方なく、南沙諸島へ軍事基地を建設したのである。
このような守備隊形は、本土決戦を防ぐために犠牲となった沖縄と同じ構図である。そして今の日本でも、その流れが続いているが、もちろん今現在でも、中華人国は台湾という領土を支配下に置く夢が潰えてはいない。
さて、ここでもう一度、立ち位置を変えてみる。日台中を舞台とした三国志で例えるが、それらがきちんとした柵の無い独立国、そして三国とも仲が良かったと仮定して、しかし日本と台湾の間である時に衝突が生じ、その結果、日本が台湾本土へ武装組織を派遣し平定、その際にあれよという間に、台湾の西側へ日本が支配する軍事基地をつくったとする。
中華人国は、二国間紛争の経緯については理解を示したが、日本が台湾本土へ軍事基地を創設したことに対して懐疑心を抱き、日本へその真意を問うと、台湾を守るためだと日本は答え、では、どの国の驚異から台湾を守るのかと問うと、言葉を濁す。
その後、定期的に繰り広げられる日台の軍事演習に中華人国は嫌悪感をおぼえ、呼応するかのように、大がかりな軍事演習をはじめた。そして日本へ当該軍事施設の撤去を要請し、有事の際は台湾攻撃もやむなし、と中華人国首脳部があからさまに発言するようになった。
これが現在の、日中米の構図である。日本が明明白白に抱えている自国への驚異である。アメリカの軍事基地が日本へ散在していることが起因ならびに根強い問題となり、日本が常に、危険に曝されているのである。
ここで大きな問題となるのが、日本の国土に存在する米軍基地は何ぞやということ。その位置付けをどうするかで、日本の未来は大きく変わる。
米国政府は、それらの基地を、日本を守るための敷設だと主張するであろう。しかしそれならば、以下のように運営するのが本筋である。
兵力はそのままで、日本のすべてのアメリカ軍基地の、日本への譲渡を認めさせる。そして日本がアメリカに国防を委託しているのだという構図を、内外へと知らしめること。日本の自衛隊基地に駐留する米軍は、日本が頼んだから留まっているのだという建前である。
もちろんその場合は、軍用資源の使われ方は、日本国憲法に則った形となるので、専守防衛が、揺るぎない前提となる。要はアメリカ軍は、今までのように、ロシア、北朝鮮、中華人国を含むアジア地域の覇権を握るための作戦行動に、日本の基地を使用できなくなる。
アメリカにとっては大いなる転換となるが、そうなることが、日本としては都合が悪いだろうか。もちろん、アジア諸国にとっても。
日本国憲法は、戦争を放棄している。それは背中を斬られながらでも憲法に記載をした先人たちによる命がけのメッセージであり、決してそれを蔑ろにすることはできない。
だとすれば、日本国憲法という上位概念の元で、日本国内の米軍が作戦行動をとるのは、当たり前のことなのである。
もちろん米国は、手足をもがれる訳ではない。中華人国と米国が戦争状態に入ったとすれば、米国は軍隊を投入して中華人国へ攻撃もできる。ただしそれは、沖縄を経由せず、グアムやハワイ、或いは海洋や米国本土から直接攻撃を行うということなのである。
日米安全保障条約の大改革となる上記方針転換は、可能な限り早めに行っておかないと、習近平政権が終わる前に決着がつくと言われている台湾有事において、日本が巻き込まれる可能性が極端に高い。私は現在沖縄にある物理的な防衛力はそのままで、抜本的な運用規程だけを書き換えようと言っているのである。
もちろん、これら変革についてはリスクも伴うが、それらを実行することこそ、アジア地域においての和平軍縮へとつながるものであると私は信じている。今のままでは、軍備増強合戦、抑止力合戦が止むことは無い。その地域に係る国民は、いつ役に立つか判らない軍備を調達するために、懸命に仕事を続けるのである。
【18】露UKR侵攻「AI投入」「戦争放棄の実務」
さて、ウクライナの話に戻るが、棚ボタ式であるも、現状の成り行きのまま、我々西側諸国にとって最善の部類においての解決があるとすれば、やはりロシア国内から戦争反対の声が高らかに上がることであり、それに向けてのタイミングとしては、ウクライナ軍がロシア軍を一時的でも国土から追い出した頃であると考える。
その時とは、ロシアにとっては今までの努力が水泡に帰した瞬間であり、何のために私の息子は死んだのかと、この軍事作戦の徹底検証を求める声が突出してくるはずである。
そして一度でもロシア軍を追い出せば、NATO軍が進駐しやすい状況となる。復興という名目で、国連も声を大にして認める形で同軍を派遣すれば、ロシアも迂闊にウクライナ国土へのミサイル攻撃が出来なくなる。火力を使用できなくなる。
ロシア軍がウクライナ領土へ散在している今のような時期であれば、NATO軍進駐は掃討作戦への介入と捉えられ、話がややこしくなってしまう。それゆえタイミングを見た同時進行の作戦が重要となる。
また、この冬季において不穏な空気が漂っているのがベラルーシ側からの再攻撃であるが、大きな穴を掘ったりダイナマイトを仕込んだ泥の山をつくったり、川の水を絶えずひいて沼地をつくったりして、バリケードの強化を着実に進めておかないと、1年前の再来という事案にキーウへの道が苛まれる可能性がある。
ロシアにとってのその作戦が成功すると、ウクライナ国家が機能しなくなる。ウクライナそのものがロシアに吸収されることも否定できない。
そしてやはり出てきた、放射性物質で構成される汚い爆弾の話題。劣化ウラン弾も放射性物質による健康被害が懸念されると言われており、この爆弾と同様、注視が必要な兵器である。
核保有国は、如何せん、核を持っているから自分たちが上の立場に居続けられると考えるのは稚拙であり、対立をするのであれば、もっと全人類の糧となる手段を講じるべきである。
ロシアのウクライナ侵攻で痛感したが、もう既に、AIによる政治、AI主導の国際協調を慣例とすべし、という状況にまで、政治外交の世界は成り下がっている。
人間が政治を行っては、自分たちの欲求ばかりを主張し続け、争いが絶えない。今後は人間による政治制度を廃止し、私利私欲を求めないAIに、政治判断を委ねるのが懸命である。
その意味では、禍根についても看過はできない。本当の意味での戦後処理、国際復興は全く実現しておらず、仮に実現できているとすれば、天皇家の方々は、世界中のどこへでも、自在にご訪問が可能だということになる。
私たちは、先の大戦で犠牲になった方々に、もうこんな思いをするのは自分たちだけで終わりにしておくれと、平和な世の中を創造することを誓ってくれと託されたのであり、それに向けてひた走るべきである。
だから私だったら、対中華人国においても、国交が正常化したのであれば、
「これからは毎年、旧中華民国本土での戦禍の大きかった地域を巡るような形で、慰霊祭の開催を日本国政府に持たせてもらえませんか」
と提案し、南京、重慶、上海、長春を含む各被災地を、日本側で慰霊する意志を示すであろう。
その行為は特段、過去の大戦の罪を認めた認めないという着眼点ではない。
そもそも戦争においては、戦禍に命を奪われた方々、そして心体に大きな傷を抱え続ける人々を、容赦もなく罪人と位置づけるべきではない。
棚上げすべきは慰霊の行動ではなく、禍根である。雪辱を晴らしたい気持ちを抑え、まずはその争いで犠牲になった方々を関係者一同で弔うことが、和平への第一歩である。
湾岸戦争が始まった頃は、トマホークは1発が5000万円と言われていた。それが今や、2億や3億などの話となっている。わずか100発購入しただけでも、優に200億円を超える支払いがかかるのである。
アジア地域で慰霊祭を日本が主催することに、実費はいったい幾らかかるのであろうか。仮にその花代で未来の戦争を回避することが出来るのであれば、こんなに安い買い物は無いであろうに。誰もしようとしない。
戦争放棄の実務を、日本国政府は軽んじている。或いは歪曲化している。アジア地域を慰霊により鎮めることは、決して靖国の否定にはつながらない。
これこそが、本当の意味での外交である。ドイツは過去に対して真摯に向き合っている。歴代の日本国政府はそれを怠ってきたが故に、未だに禍根が遺っている。そして禍根ののこる地域には、足を踏み入れることが出来ない。
私が野党の党首であれば、関係各所の反対を押し切ってでも慰霊祭をもつけれど。野党であれば、現地で命を狙われる危険度も低い。別に、土下座をしに行きなさいと言っている訳でもなく、花を供える経費くらい、すでに国費から何らかの形で与えられているであろうに。
そういう気概、自主性、決断力を持たないから、いつまでも野党として燻っているのである。大きな手柄が手の届く範囲に転がっているというのに。
国防とは、軍備増強ばかりが手段ではない。理解に勝る武器は無い。
日本国政府は、悔しければ宮内庁に報告するといい、
「過去の大戦の処理、復興は、国内外において総て完結致しましたので、両陛下におかれましては、内外を問わず、どの地域にご訪問いただいても構いません」
と。
【19】経済問題「令和版渋沢栄一借款論」
紛争事案同様、なかなかに難しいのがこの経済問題。日本銀行から聞こえてくる黒田節も、酒はのめのめのむならばどころではなく、もはや民は、酒を注ぐことすら出来なくなりつつある状況で、それでも近ごろようやく重たい腰を上げてきた感があり、しかしまだまだ前途は明るいと評するには非ず。
さて、令和版渋沢栄一が、この問題をぶった斬る。私の提案は借款。
これは円安を活用したトリックの要素を含むものでもあるので、良い子は真似をしないでいただきたいが、借款というと、おそらく大多数の方は、日本が発展途上国などに貸し付ける円借款を連想するだろうが、私の申すのは、アメリカが日本へ貸付を行う、米ドル借款のことである。
もちろん、これは家族レベルの信用が無いと成立しない策であるも、米国政府より、今世のように極端な円安米ドル高の折に、例えば1500億米ドルなどの借入を日本政府が行い、日本政府はそれを円に換金するのではなく、ドル建てで、エネルギーや原材料など、日本の産業界が必要としている輸入資源を、大口契約として代理で一括購入するのである。
大口契約は、当該購入品目の単価を下げることが可能となる。小麦は既に政府が介入しているが、例えばトウモロコシなども同様に働きかけ、単価を幾らまで下げられるか、取引先に迫る。取引先も、断ることは、逆に日本からの注文が当面の間ゼロになることを意味するので、譲歩してくる可能性はある。交渉術である。
そして、例えば15%でも安く仕入れることが出来た原材料を、日本国内において、日本企業に、その時期のレートで切り売りし、政府は儲けも損もゼロの状態で円建てにて回収する。
日本国政府による一括購入の事案は、どのみち日本企業が海外より仕入れを行う予定のあった何某であるので、現状以上に円安に振れる現状変更の事例には当たらず、逆に輸入による仕入れの経費を抑えることにより、円高回帰の要素が認められる。
国内各企業は、原材料を安く仕入れることが可能となったので、売価に転嫁する必要が無くなり、儲けはそのままで、国内市場価格だけを下げることができるようになり、すなわち日本国民も商品を安く購入することができ、食いつなぐことが可能となる。
先般の1500億米ドルを遣い切る辺りで、日銀は金融緩和策の見直しを行い、円高方向へ向かうよう調整する。或いは何らの策を講じずに、ごくごく自然に円高回帰を待つ。というよりも、経済の状態が本当の意味で回復すれば、自ずと円高へ振れるようになると考えられる。
仮に、米ドル借款の融通時に1米ドルが150円であれば、1500億米ドルの借款は22.5兆円であり、日本企業より日本国政府が国内回収できる仕入経費も22.5兆円である。それを1米ドルが130円の折に米国政府へ償還すれば、1730億7692万3076米ドルの債務返済が可能となり、米国政府へも、230.7億米ドル、つまり3兆円もの利息を支払うことが手段として認められ、仮にその利息を諸々の手数料として折半したとしても、日本国政府は1.5兆円もの代行手数料を得ることが可能である。
令和版渋沢栄一の示すこの案は、米国政府、日本国政府、日本企業、日本国民、その何れにも得を供与し得る策である。誰も被害者を出さない、誰にも損をさせない、仮に借款の償還を円建てで行えば為替相場にも何らの影響を与えない、すべての関係者を幸せにする究極の秘策である。
実際に1500億米ドルの借款を融通してもらえるかは微妙ではあるが、財務省貿易統計によれば、2020年の日本の対外輸入総額が68兆円台、2021年が84兆円台とのことであるので、やはり20兆円程度のテコ入れは、最低限必要であろうと考えられる。それでも足りないくらいである。
両国間の信用、信頼の上に成り立つ策であるので、反対に米ドルが暴落した時は円借款を行うなど、相互協力の約束をして交渉を進めてゆく。
なお、円高回帰には例外もあるようである。緩やかに、しかし確実に経済が成長した折に日本国債や株式などの金融商品が海外投資家に売れ、輸出も順調に伸びた場合の一定期間の円高傾向は当然であるが、消費税が導入されて程なく、バブル経済が破綻の一途をたどっていった数年間の短い期間でも、為替は同様に、円高の一途をたどっている。
これは当然といえばそれまでで、バブル崩壊は、急激な金融引締め等によって、日本経済を中心に、ごくごく狭い範囲で発生した事案であり、国内の不動産や株価が大暴落して、日本人があらゆる財産を手放さなければならない時に、ショックに打ちひしがれる日本人は何らかの動産不動産を新たに買おうという気にもならなかったであろうし、そこへ海外の投資家が安く買い叩いて、支払いのために円が買われて円高になる、また同様に日本人が海外に持ち合わせていた不動産も日本国内での債務返済のために売りに出されて日本円に換金されることで円高になった、そう考えられる。
つまり極端な経済破綻も、景気の良い時期と同様に通貨高を招くということではないのだろうか。ロシアのルーブルが軍事侵攻直後には下落したが、その後に上昇を保っているのも、ロシアが海外に所有している不動産を売却するなどして現金化し、少しずつルーブルへ換金しているという表れなのかもしれない。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その5
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
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新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その2
【8】政治戦略
内閣というのも、因果な商売である。国策を生み出してゆくのは良いが、打った鐘が響くのには時間がかかる。国民はすぐに結果を求めたがるが、種まきから収穫までを任期内にやり切ってしまうのは無理がある。内閣の一員となる前に、種まきくらいは済ませておくことも一策である。
そういう意味では、風紀乱れし問題児を抱えたまま集団行動ができるほど、内閣とは生易しい政所ではない。つまり国会も含め、そういう辞任すべきだ等の討論については、時間をとるべきではない。風紀委員会、議員監査室等、専門のチェック機関を設けて、その機関へ通報を行い、そこが然るべき調査をし、処分を下す。
風紀乱れし問題児を授業中に教諭が時間を割いて正そうとすれば、他の良識ある生徒らにとっては大迷惑である。時間の無駄。国会議員の時給には、国民の血税が支払われているのだ。収支報告書の事案など、下らない問題を議題に掲げるべきではない。
パーティー券などでも、こんなアナログ手法をいつまでも使っているから問題なのであって、さっさとデジタル化して、そこを介さないと券の購入ができないよう、専門の公的販売機関を設ければ良いのに。いつまで経ってもこの手の悪事が根絶しない。悪事が世代交代している。モグラ叩き。
金銭のやりとりは、現金ではなくデジタルで行う。それがあらゆる犯罪をいち早く減少させる最短の方策。なのに国は、再び新しい紙幣をつくる構え。おそらく世の中とは何ぞや、という分析すら出来ていない。世の中の流れ、時代の流れに逆行している。
そもそも政治の世界において、
「出処進退ハ政治家自ラガ決スベシ」
ということわりがあるが、政治家は多く、それを勘違いしているように思う。
政治家が何か問題を起こした際の辞任の是非を政治家自身が決断すべき場面とは、議員を続けるか辞めるかの時だけである。議員であるか否かは、すでに国民が選んでいるのだから、他の議員が当該議員に辞職を指図するのは、本来では筋が違う。議員本人が猛省したかどうかが、議員辞職という形で表れるのである。
けれど閣僚は別である。閣僚とは総理大臣が任命するのであるから、総理大臣がクビを決めて何が悪い。面接で良く働いてくれそうだったから雇った新入社員が、実はとんでもない悪人だったのであれば、解雇して当然であり、何も悪びれることは無い。パンクしたタイヤをいつまでも交換せずに走り続けると、ホイールをはじめ、車そのものが壊れてしまう。悪いタイヤが備わる悪い車という評価を受ける。
もちろん、そもそも軽々しい辞任劇をおこしてはいけない。その度に天皇陛下が正装をされるのであれば、甚だご迷惑、失礼な話である。事の重さ、大きさ、責任の量を、遥かに感ずるべきである。自分ひとりの進退問題ではない。
叩けばホコリが出るような議員は、予め選別場から退室してもらえば良いだけの話では。部屋の中に誰もいなくなるから、仕方なく退室を促さないという、苦肉の策なのだろうか。
【9】新型コロナ対策「現場の声」
さて、このお題目を書かずに済むのはいつの日になることやら、本年2022年が明けて間もなく、WHOのトップから、新型コロナウイルスの世界的な終息が見えてきたという発言があったものの、ふたを開けてみれば、近ごろの日本でも過去最多の死者数を数えるなど、とてもではないが、良い状況になったとは言えない現実がある。
そもそもオミクロン株の発現が、ヨーロッパ地域では冬季の終わりと重なったので、単純に新株の勢いに季節の面で陰りがあっただけではという話にも、彼は自らの立場を擁護するためか、WHOのこれまでの方針が間違いではなかったと主張するかの発信であったと考えられる。
そもそもWHOひいては国連機関には、弾劾制度は無いのであろうか。ネット調査でも、過去の弾劾事件がまったく出てこないということは、制度があったとしても、おそらく機能不全に陥っている。成果が上がろうが上がるまいが、トップの座は奪われない。
国際連合関連機関のあり方は、今回の露UKR侵攻でも露呈したように、まだまだ上棟式を終えたばかりのような状態である。この問題については後述する。
さて、今年の夏に流行った新型コロナウイルス第7波の折、私は8月に、介護職職員の方から、辛辣な意見を頂戴した。私が迂闊に、高齢者とのやりとりに、ホワイトボード等での筆談などを取り入れてはどうかと提案したのが起因となり、火山が噴火するかの返答があった。
もちろんそれは、私へ直接的にマグマを浴びせる噴火ではなく、介護職そのもののあり方に対する不満の噴出であったのだが、熱を帯びた言い回しは除いて、その話の大まかな筋だけを以下に記すこととする。
★介護現場の声
・職場と家の往復のみで、ワクチンを済ませた介護スタッフがコロナ感染する始末。
・スタッフのコロナ感染や濃厚接触者扱いにより、介護の現場が回らない。崩壊寸前。しかし支援の手は止められず、その上で何か問題が起これば施設側が責任追及される。
・ホワイトボードの筆談で意思疎通が可能な要介護者は1割程度。着けたマスクはすぐ外すし、認知症を患っている人を相手に幾ら説明をしても話を理解、記憶ができない。
・ともかく薬がほしい。風邪薬のように、飲めば治る新型コロナ治療薬を早急に開発提供してほしい。
・ウクライナのことなんか、考えている余裕は無い。医療、介護の現場で働くスタッフがどれだけ気を遣っているか、皆、解っているのだろうか。
・疲弊するスタッフを尻目に、机上の役人はあの書類を出せ、この書類をつくれと言いながら、残業はするなと言う。無理難題を押し付けてきて、結果、こちらは残業をしている。
・宇宙服のような防護服を開発したとしても、要介護者がパニックに陥るのでは。他にもスタッフに掴まってきたり、或いはスタッフが走らないと危険な状況や、匂いを嗅いで状態を把握したりすることへの対応が困難となり、現実的ではない。
・施設には色々な要介護者がいるが、それぞれを大事にしてあげたいので、身を削ってお手伝いをしてきたし、これからも行ってゆくつもり。ただし限界がすぐそこまで迫っているので、とにかく、早く治療薬をつくってほしい。
上記は、夏の盛りのやりとりである。慢性的な人員不足に陥っていると考えられ、例えば行政の方で、窮状に置かれた施設から一時的に入所者を別の高齢者施設、或いは暫定的に医療機関で預かってもらうなどの相互協力がスムーズにゆくよう、実態把握や移送手配を刹那に行えるようなシステムを構築しておくことが望ましいのではないだろうか。高齢者を預かってもらえなくなると、働けない若い世代も多いであろうし、経済が回らなくなる。
日本列島は、まさに今、越冬時期に差しかかっており、同じ轍を踏まないよう、万全の対策が必要である。
また、幼児園の運営に関わる関係者からは、近ごろ以下の声が届けられた。
★幼児園現場の声
・新型コロナウイルスのワクチン接種については、接種と感染予防が必ずしも連動しておらず、集団接種を取り止め、完全な任意接種へと切り替えた。
・職員の感染や濃厚接触者認定による自宅待機も、隔離期間短縮により、前ほどは困らなくなった。
・メディア等の影響で、「子どもはマスク着用不要」と認識している保護者が少数いるが、当園では感染予防効果は高いと考え、マスクは「着用推奨」としている。
・この初冬は、新型コロナ感染症の園児は、園児全体の0.5%程度が確認される。
上記は幼児園から近頃受け取ったもので、ひとまずは順当に運営がなされているようであり、いち成功例として紹介した。
ただしもちろん、これからが冬本番であり、気が抜けないのは確かである。
全体的な総括としては、結局は、どの施設も人手確保に神経を尖らせており、それについての私からの打開策提案では、高齢者施設や乳幼児施設などで、例えば「見張り役」、「監視員」という形で、定年退職後の方々や独り暮らしではあるけど体はすこぶる元気だという高齢者等に、賃金は高くはないけれど、一塊の働き口として提供する案はいかがであろうか。
職員の目は、後ろにはついていない。また、見ると見えるは大きく違い、「見る」という記憶に描き込む作業を行っていると視野が狭まり、人間、周りのことは見えなくなる。職員ひとりに、多数の対象に対して見ると見えるの同時業務を担わせるのは酷である。
フロアの片隅、或いは道中の曲がり角に、カーブミラーのように監視員にただ椅子に座っていてもらう、ただ立っていてもらうだけでも、何か問題が起きた際に、すぐに職員へ知らせることが可能となる。
入所している高齢者が転倒して苦しそうな表情をしているとか、幼児が1人だけ違う方向に歩き始めたとか、目を離せない対象がゆえに、ライフセーバーとして役立つ存在となる。異常事態には、笛を吹いてもらう。
その辺りをカバーしてもらえれば、右にも左にも行きたい施設職員も、仕事が楽になる。現場を監視することは、虐待防止にもつながる。
少子化問題も含め、このままどんどん働き手が減ってゆけば、国家運営はいずれゆき詰まる。人が減り、虐待行為も、やろうと思えばいつでも出来る職場環境となってゆく。お願いだから世話をしてやってくださいという力関係が生じ、少々の虐待ならば黙認される時代が来る。
嫌な時代ではあるが、ケア対象者の服を脱がせる場面以外は、職員の頭部にカメラでも備えますかという話にもなってくる。
白バイ隊員が、証拠収集能力の保持のため、昔はいつもペアで巡回していたが、近頃は単独でパトロールに出ているのも、人手不足による、ヘルメットカメラの導入によるものであると私は認識している。何か問題が起きた際に、記録された動画が証拠となり得るのだ。
非難を恐れて誰も口にしないが、このまま少子化が拡大してゆけば、まさに姥捨山の時代が待っている。もちろん今の時代とて、心のどこかで「姥捨施設」と捉えている人も少なからずに存在するのでは。
ロボット開発もやたらとスローペースに感じるけれど、介護ロボットの開発は間に合うのだろうか。人は減り、代わりにロボットが頭角を現し、ロボットが産業界を支え、遂にはロボットがロボットを開発するようになり、やがてロボットが人類を支配するようになり、人類は滅びていった。
今後は高齢者にも、出来る仕事は担ってもらう。
【10】新型コロナ対策「経済の活性化」
さて、この秋口より始まった旅行支援に対して物申すが、日本人は、
「医療従事者の方々、介護職職員の方々、どうぞお先に旅行を愉しんできてください」
と手向けてあげるような、心の広さは持ち合わせていなかったのであろうか。我先へと予約に殺到し、医療介護の現場でこのコロナ禍を死にものぐるいで支えていただいた方々に対し、何のねぎらいも用意せず、自分たちの幸せしか考えていない。医療従事者、介護職職員、高齢者を優先して、旅行支援は提供されるべきだったのではないのか。
それに極端な円安による副作用もあった。私は前編の編集で、8月の盆休みから外国人観光客を招き入れる案を書いたのは、やはり日本人にも、盆休みに海外から友人を招いて共に過ごしたい人もいるだろうと譲歩した開始時期設定であり、残暑が延々と続く近年では、例外的に秋が早まる年以外は、やはり9月半ばくらいの、冷房のスイッチが切られる時期に入らないと、本当の意味では新型コロナウイルス感染症は陰りを見せない。
その頃からどしどしと外国人旅行客の方々に日本へ来ていただけば、インバウンド効果が期待できるのだが、しかし同時期に重複するように全国民へ向けて旅行支援を政府が企画しては、日本人が宿泊施設を満室にしてしまい、外国人の利用ができなくなる。また、外国人をもてなすスタッフの数も、当然ながら不足する。
ゆえに経済を活性化させる上手な方策とは、平均的に忙しくすること。きちんと対象客層にメリハリをつけて、秋の入りは外国人、医療従事者、介護職職員、高齢者を優先的に宿泊予約の受付を行い、その後の感染症の蔓延期では、前述の方々は危険であるので移動をセーブし、国内の現役世代でワクチン済の方々の宿泊予約へと切り替えるのである。
仮にゼロ・コロナ政策であれば、上記は期間を入れ替える。つまり、秋の感染症低迷期に現役世代が動き、冬季は高齢者と医療介護の関係者が優先される。外国人の方々の入国は極端に絞る。
ウィズ・コロナ政策であれば、前々記がそっくり適用される。
国もそろそろ、「コロナ・カレンダー」が作れるはずである。新型コロナウイルス感染症の拡大収束は、気象の変化と密接につながっており、今回の冬の入りでも、北海道や東日本は冷え込んでいるのに、西日本はちょっと動いただけでも汗が出るくらいに暖かく、日本列島の中でも両極端な気象状況が認められたが、やはり感染拡大状況も、東西でかなりの差異があった。新型コロナウイルス感染症は、寒い地域ではいち早く拡大し、気象とまったく同様に変化していたのである。
それは即ち、ワクチン接種のスケジュールにも係る問題である。沖縄などは冬を知らないので、正月休みの旅行シーズンを迎えるまでの、全国で言う晩秋から初冬の期間、つまり11月から12月上旬あたりは、感染症は激減する。
ところが同時期に北海道や東北地方では感染拡大が顕著であるので、越冬ワクチンは、断じて北国からスタートすべきである。逆に越夏ワクチンは、エアコンの使用開始が早い南国地方から提供を始めるべきなのである。
もう、下駄を放り投げて天気予報を占っていた時代とは違う。感染症対策分科会の構成分野を遅れ馳せ調べてみたが、医学、健康、保健、経済、労組、学術、法律、自治、報道、運輸といった面持ちで、私の願う形とは些か齟齬があるような印象で、本来の目的は感染症拡大が予見できて収束をコントロール出来れば御の字なのであるから、私だったら気象庁、文部科学省、厚生労働省、総務省、国土交通省辺りの面々を呼び寄せて、気温、湿度、天候、行事、催事、ワクチン予定などに評価基準を求めた「コロナ予報」、「コロナ予報カレンダー」を作成するように思われる。
例えば気温の変化が著しく感染拡大に影響を与えるという根拠があれば、2倍などの係数を用いて、気温25度の2倍に湿度60%を足せば感染拡大指数は110であり、気温10度の2倍に湿度30%を足せば感染症拡大指数は50である。私はこの計算方式であれば、指数が低いほど、感染拡大が認められるだろうと考えている。
この計算に、エアコンなどの使用状況等も加味して、例えば気温35度の場合は20度まで下げる、或いは夏の時期は割り切って連日気温20度、湿度30%に固定して計算するなど、複合的な要素を算出の根拠に入れてゆくのである。
こういう方策を用いれば、これだけ天気予報の的中率が高い世の中なのだから、都道府県別のコロナ予報も難しい作業ではない。予めそれらを発表することによって、旅行者は旅行の目的地と訪れる時期を決めやすくなり、商売人は仕入れをコントロールすることが可能となる。宴会を企画する季節なども、事前の判断が容易となる。アルバイトの就業期間を最初から設定しておく等も可能となる。
プロゴルファーの渋野日向子選手が、今年の8月に、全英女子オープンのメジャータイトルに再挑戦して惜しくも3位であった時を覚えているであろうか。日本では、まだまだ熱中症の話題が尽きないさ中、渋野選手はトレーナーを着用して、肌寒そうな面持ちでプレーをしていた。
エアコンを排除できるのであれば高温に越したことはないが、気温にしてみれば15℃から25℃くらい、そのくらいの季節であれば、新型コロナは蔓延しづらいと私は考える。案の定、イギリスでは7月が終わる頃から急速に感染者数は減り、8月には死者がほとんど出なくなった。まさに気象どおり。感染拡大は暦どおりに変化しているのである。
【11】新型コロナ対策「民間による10の準備」
我々はもう、新型コロナ1年生ではない。民の側でも、やるべきことは明確に決まっている。
★対新型コロナウイルス感染症「民間による10の準備」
(1)CV19ワクチンを努めて接種する。接種にあたっては水分補給や柔軟体操を怠らない。接種後のアルコール摂取は控え、入浴はシャワーで済ませる。
(2)体温計ならびにCV19抗原定性検査キットを常備する。
(3)パルスオキシメーター、或いは血中酸素濃度を計測可能なスマートウォッチ等を常備する。
(4)「換気ならびに遮蔽用具」「人との距離と会話の量」「地域の感染状況ならびに滞留時間」の三要素から危険度を判断し、感染症伝播が危惧される場面ではマスクを着用する。
(5)自身や人の顔に触れる際には、事前に手指を衛生管理する。
(6)高齢者との接見の際には、自身の体調管理と感染症対策が万全であるかを確認する。
(7)滞在地域における発熱相談などの連絡先を訪問前に把握しておき、宴会をはじめとする行事は、出来るだけ感染症の低迷する時節に行う。また事前事後の体調管理、自粛管理を徹底する。
(8)体調が優れない時は、予定を強行しない。
(9)風邪の自覚症状が明らかな状態となれば、抗原定性検査、或いはPCR検査、抗原定量検査を行い、関係機関へ相談する。
(10)CV19感染が認められれば、過去の数日間に接見のある人へ速やかに連絡し、自身は適する手段で療養しながら、血中酸素濃度の推移に注視する。
上記をきっちりと履行できれば、医療従事者の方々に最低限、迷惑をかける事態にはならないはずである。
なお、データ評価の面では幾つかの提案があるが、そろそろワクチンの効果というものを完全な状態で見える化しないといけない。ワクチン接種をすることによって、接種を受けない人と比べての対CV19罹患率、有症状率、中等症率、重症化率、死亡率、後遺症率などを明々にし、ワクチン接種にきちんと意義があることをデータによって示す。
また、私は最近まででPPMP、オミクロンBA.4-5を含む計4回のCV19ワクチン接種を受けたが、各接種後の印象として、回を重ねる毎に、副反応が弱まっている感覚があり、近ごろの4回目では、副反応がほとんど感じられなくなって、接種部位の軽い筋肉痛くらいが自覚症状であり、何とも物足りない接種体験となっている。
もっと、倒れそうなくらいにどんと熱の出る副反応を望んでいるのだが、しかしこれは思うに、人間の体がCV19ワクチン接種により生成されるSタンパクに慣れてきている証拠であると感じられ、体がどのようにSタンパクを処理すべきか、回を重ねた結果習得してきた、つまり素人が玄人に変貌してきた証であると考える。
ということは、若い人たちの
「副反応が相当しんどかったから、もう新型コロナウイルスのワクチン接種はしない」
というコメントは的外れであり、
「はい、今日で新型コロナウイルスワクチン接種の10回目が完了しましたよ。これであなたも、CV19ワクチン接種は卒業ですね。長い間、よく頑張りましたね」
という区切りを設定することも、あながち有り得ない話ではないのだと考える。その後、25年くらい経過して再度の接種をしたりという形。天然痘なども、やはりそのような傾向がある。
子供がピーマンを食べて、その苦さに過剰に反応し、
「もう、ピーマン食べたくないよ」
と受け付けなくなるのではなく、それでも少量ずつでも食べ続ければ、人間の体や味覚は徐々にピーマンに慣れてきて食べれるようになり、更にはピーマンを美味しいと感じるようになるのである。
この観点についての接種後観察データの収集も、重要なポイントである。
【12】新型コロナ対策「ロックダウンの本領」
それから前回、「- 第7編-その7【43】ひとすじの光」において記した、下手な詩の解説が遅くなった。
新型コロナウイルスが感染力を増してゆくのは怖いことではあるも、飛沫のやりとりや接触感染などの感染伝播、つまりウイルス暴露から、短期間で自覚症状へと至るように状況が変化してきたことは、ウイルス追跡が容易になってきたと考えられる。
仮に、目が合っただけで相手の人物を石に変えてしまうという魔性の女がいたとする。それが3日後に石に変わるのと、10日後に石に変わるのとでは、魔性の女を追跡する難易度がかなり違う。3日前と10日前に発生した事件では、警察の捜査も、振るいにかける情報量は大きく違える。
ゆえに新型コロナウイルスの感染力が類を見ない状況となった今やるべきことは、きちんと知らせてあげること。これだけ大勢の方が感染を被ったのだから、もう誰ぞに遠慮して秘密にしておく必要も無い。誰でも罹る。
実際のところ、2022年である今年の国内でCV19感染を認めた数が、2700万人程度であるので、何度も罹っている人を無視した場合は、全国民の2割、つまり5人に1人は新型コロナの、多くはオミクロン株に感染したという計算になる。
然るにコロナ感染を隠し通すのではなく、発覚した際は、3から4日前までに接見した人物に事情を説明し、検査や隔離など、自主的に気をつけてもらうよう働きかける。地域全体で、新型コロナを追い詰めてゆくことが望ましい。
「ひとすじの光」で描いたのは、山の形。私たちの生活様式や発声による飛沫の到達距離、ウイルス個体の大きさは、このコロナ禍において、極端に大きな変化は無い。つまり、漁師が一度に投じる網の大きさも魚の大きさも変わらないのだ。
それなのに近々では、大量の魚が網にかかるようになる。波の度に、より大きな山の形が現れるということは、今までは誰にも悟られずに隠れていた無症状感染者、逃げていた魚が、近況では表舞台へ形となって現れているということである。魚の成長スピードが早くなったことが原因であって、地域の対象人口が物理的に増え、より密になったという感染拡大ではない。
オミクロン株既往歴と、オミクロン株ワクチン接種済みの人が増えたこと、それから気温が全国を二分するように両極端な冷え込みが認められたこと等の要因により、この冬の第8波は新規陽性者数の増加が夏に比べると緩やかであるが、前者の集団免疫の獲得も影響し、近々の無症状感染者は、絶対的に減っているはずである。ある程度のウイルス量に暴露されない限りは、他人にうつすほどの感染を認めない状況となってきている。
すなわち現在では、今はセルフ検査も選択できるので条件を揃えた評価が必要となるが、陽性率が高まりやすい傾向が生じることが想定される。ただしそれは、哀しむことばかりではない。新型コロナウイルスを、発見しやすくなってきたという証拠なのだ。
つまりウイルス自体の感染力が増したということは、抜き打ちのPCR検査は、重要度が薄れてきたということ。有症状感染者と無症状感染者の比率、バランスが変わってきているのだから、グレーが減り、白か黒かが、はっきりしだしたという意味である。
端的に言えば、グレーが減り、黒が増えたということである。白は大差は無い。台風の直径は変わらない。その状態で風力や雨量だけが増した、要は台風が大きさそのものは変えずにより強力になったので、その範囲の中での被害も拡大してきたという話である。
そして台風が強力になるということは、死者数が格段に増えるということであるので、高齢者は注意する必要がある。少ないウイルス量でも死に至る懸念がある。
作戦も、その状況変化によって変遷を遂げることが、本来ならば望ましい。巨大な労力を遣って1億人にPCR検査をするくらいなら、その1億人を対象に3日間のロックダウンを講じ、具合の悪い人にだけ検査をした方が、より簡単にCV19を発見できるのである。
PCR検査の意味合いは、筆頭は新型コロナウイルスを見つけ出すこと。そして見つからなければ、早めの社会復帰を促せること。
それが短期間のロックダウンでも同様に見つけ出せる時代になった、つまりCV19の培養期間が短くなったのだから、隔離と検査の両方の機能を有するロックダウンとは、今くらいの感染力の状況であれば、コロナ初期の比ではなく、特に有効な手段なのである。ロックダウンが選択肢として活用できる時期にようやく入ってきたということ。
そういう意味では、中華人国はヘタクソである。商業施設で陽性者がひとり見つかったからと、施設そのものをロックし、施設内全員のPCR検査を行う。
PCR検査に効力が無いと私は言わないが、そのやり方では、検査の時期が早すぎて、ウイルスが検査をすり抜けてしまう。3日待てば大きく育つのに、魚が稚魚であるので、焦って追いかけても網から逃げ出すのだ。
ある程度育ってから捕獲する必要があり、それ故どこにも寄らずに帰宅し、3日間は自主隔離で経過観察してくれとお願いすれば、それで良いだけのこと。
この辺りは、学びである。結果的に世界のあちこちで当たり前のように行われていたロックダウンであるが、未知なる感染症のまん延初期においては効果が低く、感染因子の感染力が増す時期ほど効果が高まることなど、私とて想像もつかなかった。万事において、機は重き判断材料である。
CV19に限らず、万が一ロックダウンを必要とする状況に日本が追い込まれた場合の、上手な実施方策を以下に示す。高額な医療資源を浪費するくらいなら、社会経済に一旦停止を求めた方がマシだという場面に、いつの日か遭遇するかもしれない。その前に、リモートワークの更なる推進も必要である。
「さて、本日は感染症の厳しいまん延状況、ならびに医療崩壊を受け、やむを得ず、皆様にロックダウンの実施をお願いすることと致します。開始は6日後の土曜日からとし、それまでに食料や飲料の最低限の確保と、在宅ワークへの切り替えなど、お仕事の調整を行ってください。ロックダウンの期間は、各人の隔離状況によって異なり、早いかたで3日間となりますが、まずは皆様に、ロックダウンの期間中を誰と過ごすのか、あるいは独りで過ごすのか、それを決めていただきます。つまりバブルのメンバーを事前に選んでいただくのですが、そのバブルの中でなら、基本的にマスクを着用しないコミュニケーションをご実施いただいて構いません。ただしロックダウンの期間については、バブルの人数が多いほど加算されます。バブルが独りならば3日間、ふたりならば4日間、3人ならば5日間、4人ならば6日間です。5人以上は、一律に7日間と致します。延長は無く、8日間以上のロックダウンは実施致しません。なお、ロックダウンの期間中に感染が発覚した場合については、その後は当該感染症に係る措置の方を優先とさせていただきますので、各地域の保健所等の指示を仰いでいただくようお願い致します」
私は長らく、人の幸せとは何ですかと問われれば、選べることだと即答するようにしている。
よく、金持ちが幸せだと言われるが、それは金を持っていれば自転車でゆくのかヘリコプターでゆくのか、手段を自在に選べるからであって、まだまだ長く生きていたいがそれが選べない人物は、たとえ金持ちであっても、やはり幸せな立場だとは言えないように思う。
ロックダウンについても、本人がシチュエーションを選んで当事者自身が期間を決めれば、割とストレスは溜まらないものではないのか。選ばせずに強いるから、反発を喰らう。施策も然り、国民に選んでもらうことが重要なのである。幸せとは何ぞや、選べることである。
【13】新型コロナ対策「沈みゆく中国政府」
選ばせない国、中華人国からは、多くのボロが出続けていることを、皆様はお気づきだろうか。
中華人国とは、そもそも新型コロナウイルス発祥の地である。しかし発祥だからといって、主導部や国民にとっては被災は未体験、未経験であることには変わりはなく、新型コロナウイルスに対する懸念は、本来、世界の国々と同レベルだったはずである。
それなのに、考えられないくらいにあっさりと大がかりな決断を下し、武漢にあれほど大規模な隔離施設を刹那に建設し、一瞬にしてコロナを封じ込めた。まるで汚いウイルス爆弾、殺人ウイルスがばらまかれた地域では、そうしない限りは復活を望めないと、最初から筋道を知っていたかのように。
その後も同様である。コロナ禍も丸3年が経ったというのに、世界で一番上手にコロナを封じ込めた国が、それだけの実績がありながら、世界で一番コロナに恐れおののいている。中国政府は、未だにこのウイルスを心底から怖がっているのだ。あたかも胸に深く刻みつけているかのように、怖がり続けているのだ。だから全住民のPCR検査を行い、強烈な無期限のロックダウンを講じる。
なぜ怖い。答えは簡単。毒を製造した人物こそが、毒の本当の怖さを隅々まで知り尽くしているのである。だからこそワクチンも、さっさと開発できるのである。
毒を作る名人は、解毒剤を作る名人でもあるのだ。日本はまだ、自国のワクチンを流通に乗せることが出来ていない。
トランプ元大統領が騒ぎ立てた「CHINA VIRUS」、そう思わせる根拠が、世界で一番先に感染を経験し、撃退に成功した国が、世界で一番新型コロナウイルスに怯え続けているという非常に不可思議な実態であり、生物兵器として開発を繰り返していたと想定することが、理に適っているのである。
中国政府の性格から言って、仮に生物兵器開発論が出鱈目だったのであれば、もうとっくに、戦争をしかけてきているはずである。中華人国では除草剤をまいた上に更に根絶やしに草をむしってバーナーまでかけているというのに、米英などは雑草を生やし放題。結局は、巡り巡ってその雑草の種が中華人国へ飛んでくる。
中国政府としては、こんなに面白くない話も無いであろう、本来なら、CV19を栽培している諸外国に殺気だつはずである。しかし元はといえば自国の失態であるから、諸外国に文句は言えない。不満を持ちながらでも、しぶしぶ自分にも非があったのだと自身を諌めているのだ。
ただ、この丸三年が経ったコロナ禍で、不穏な空気が流れてきた。ゼロ・コロナ道をひた走ってきた中華人国政府に対し、国民が白紙を掲げてNOを突きつけ、政府は手のひら返しの緩和策に乗り出したが、その束縛の縄が解かれた反動もあり、かなりの勢いで感染者が急増している。
そもそも、タイミングが悪すぎる。今から冬の感染症本番の時期を迎えようというのに緩和とは、本来とは真逆の措置である。
そしてアクリル板。ゼロ・コロナ政策の遺産と思われるが、中華人国の映像を見る限り、飲食店などのテナントに、アクリル板がまったく備わっていない。政権の放つ記者会見の場でも同様であるが、これらはおそらく、感染者の存在しない街ではアクリル板は必要ないという考え方だと思われる。
もちろんそれも一策であるが、しかしそのような状態では、知らぬ間に感染拡大が生じてしまう。
この越冬で、中華人国はパンデミック、大炎上の懸念あり、死者はインドのデルタ株どころの騒ぎではないと予測される。中国製シノバックのワクチンも、対オミクロン株ならば充分な効果は望めないという事実が、1年も前に発表されている。
また、マスクを着用していても、外気温が低いのに、あんなに群衆が政権打倒のコールを叫んでいたら、あちこちにウイルスが拡散してしまう。
日本が国防を固めるのであれば、今が好機かもしれない。おそらく中華人国は、新型コロナウイルスの対応に追われ、しばらくは戦争どころではないはずである。民も商売が成り立たず、効果の無いワクチンを提供する政府にその矛先が向けられ、経済の建直しが優先され、軍事侵攻や軍事費増強に係る理解は得られないと考えられる。それでも強行すれば、政権打倒の旗が上がり頓挫する。
今回は民衆の蜂起により一斉に封鎖を解いた中国政府であるが、明らかな準備不足である。アクリル板すら無い対面コミュニケーションであれば、手話でもするしか無いのでは。
日本でも手話がテーマのドラマが放送されて人気となり、対面コミュニケーションの手段が増えるのは歓迎すべきことである。手話が万国共通でないのが残念ではあるも、共通の世界手話という形で、改善も提案されているようである。
中華人国は、せめて来春まで緩和は先送り、という形が望ましかったであろうに。ゼロではない環境、共存経験の乏しい民に対策を任せっきりでは、コロナとの戦いは敗戦濃厚である。
悪事は我身へ還り、その身を滅す。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その5
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その1
※本編長文のために送信を見送り、
2022年12月31日のWEB公開を、
同日中に各省庁へ上申
首相官邸、東京都庁、大阪府庁、福岡市役所
御中
年の瀬の大寒波襲来に、あらゆる分野において慌ただしさの増す日本列島であり、日々の御対処を感謝申し上げます。
押しつけがましい限りにも、この度も、新型コロナウイルス感染症の拡大防止策第8編を軸に、諸々の課題についての対策案をブログにて更新致しましたので、お時間のゆるされる折に、ご高覧下さいますようお願い申し上げます。
なお、ひとまず師走でもあり、お読みいただく方々の為に、要点のみでテンポの良い短文の記載を目標としつつも、実情はテーマによりけりという形と相成りましたので、丁寧語の省略も含めてお詫びをしつつ、明るい新年を期待致します。
- その1 -
【1】送迎バス幼児置き去り問題
【2】富士山観光バス事故
【3】国土交通省ならびに警察庁CM
【4】韓国ハロウィン大惨事「三路誘導」
【5】マイナンバーカード
【6】国葬儀の是非
【7】是非に及ばず
- その2 -
【8】政治戦略
【9】新型コロナ対策「現場の声」
【10】新型コロナ対策「経済の活性化」
【11】新型コロナ対策「民間による10の準備」
【12】新型コロナ対策「ロックダウンの本領」
【13】新型コロナ対策「沈みゆく中国政府」
- その3 -
【14】露UKR侵攻「防衛力増強の是非」
【15】露UKR侵攻「冬将軍のジェノサイド」
【16】露UKR侵攻「国際連合大改修」
【17】露UKR侵攻「中華人国目線」
【18】露UKR侵攻「AI投入」「戦争放棄の実務」
【19】経済問題「令和版渋沢栄一借款論」
- その4 -
【20】経済問題「復活作戦」
【21】経済問題「材木の使いみち」「TOSHIBA」
【22】経済問題「真水の輸出」
【23】エネルギー問題「牛乳の常温保存」
【24】OSO18
【25】地下鉄延伸
【26】旧統一教会問題
- その5 -
【27】誤送金事件
【28】商店街火災「クラウドファンディングの必要性」
【29】ワールドカップ祭典
【1】送迎バス幼児置き去り問題
さて、今回のテーマは、作戦、作戦、また作戦。作戦なくば迷える子羊、難破船であり、明るい未来は望めない。
また作戦を描くには、課題の対象が何某であるのか、その見極めも重要となる。対策を施す対象は何ぞやと、それも今回の重要ポイントである。
それら作戦立案にあたって、まずはこの、徹底的な是正を必要とする送迎バス問題から。
自治体はじめ行政には、「施策にあたっては、最小限度の経費で最大の効果を得る方策を選ぶこと」が前提とされているはずであり、私は今回の送迎バスの問題を受けて、その対策発表を待ったが、やはり閣僚からは、金の掛かる方策が提示された。
人生の難所で常に大枚をはたく解決法が癖づけば、そういう策しか思い浮かばなくなるのかもしれないが、ならば閣僚選任にも気を遣わないといけない。今は国庫の金をばらまいて良い時代ではなく、斯様(かよう)な金持ち目線では、国家運営は破綻する。
幼児園の送迎車両に設置される安全装置に、車両1台あたり20万円近くの国費を投じるという大盤振舞な話であるが、私だったら、幼児園1施設で2万円にも満たない金額で、この問題を解決する。方策は「入車証」。
結論から申せば、企業や官公庁職員の名札掲示のように、「2号車7番」等と記載されたカードサイズの入車証を、バスに乗り込む際に、幼児の首にぶら下げるだけである。
そもそもこの案件、ハイテク機器を使わないと解決しない問題であるのか、だとすれば昭和の送迎バスは置き去り事件ばかりが発生していたのか、文明の発展なくしては、問題解決、根絶を諦めるしか無かったのか。
楽賜れば知恵逸す
文明の発展とは、時として人間の能力を無力化する。知恵も出せない存在をつくり出す。
またハイテク機器等にも、落とし穴はある。例えばタブレットの操作をしさえすれば完璧に安全が保てるような場合でも、ところが操作している人の画面を周りが覗き込んでまで確認する訳ではないので、
「たぶん、ちゃんとやってくれてるんじゃないかな」
という程度でしか、チェック機能が働かない。
私の提案は、それを穿つ策である。何らかのトラブルがあった際、通常は「物理的対策」と「意識的改革」の双方が重要となるが、後者は、せっかく育てた人材が退職したり、或いは欠員で当日に代打が起用されれば全く意味を持たない策となるので、複数の人物が共同でチェックを行う体制を構築するなど、二重三重の安全策が求められる。
「おはようございます。これ、今日の2号車の入車証25人分と、お迎えの園児たちのリストです。ちゃんと確かめてね」
「はい、1から25番まで、きちんと揃っています。では、番号順にお迎えに行ってきます」
上記、施設職員と送迎職員によるダブルチェック。
「おはようございます。今日も元気に頑張りましょうね。はい、これ入車証です、首からぶら下げましょうね。今日は5番ですよ」
「入車証ありがとうございます。うちの子をよろしくお願いします」
上記、運転席に座る送迎バス運転手、送迎職員、見送り保護者によるトリプル以上のチェック。
「お疲れ様でした、園に着きましたよ。足元に気をつけて降りましょうね。降り口で入車証を回収しますので、慌てずにひとりずつ、ゆっくり降りてください」
上記下記、送迎バス運転手、送迎職員、施設職員によるトリプル以上のチェック。
「2号車25人分の入車証をお返しします。問題はありませんでした」
「今日の日付の日めくりカレンダーです。2号車バス内に忘れ物、子供の置き去りもありません」
「25人分、きちんとありますね。カレンダーの日付も本日で間違いありません、OKです。ご苦労さまでした」
バスに乗車する幼児の番号は、あらかじめリストを作成しておいて、急な欠席は欠番にし、当該送迎の幼児の番号を、当日は終始変更しない方が、幼児が入車証ごと、万が一どこかへいなくなった場合の対応も、個人名の特定が容易となり、混乱せずに済む。
100円ショップ等で買ってきた日めくりカレンダーを、バスの後方へ掲示しておくと良い。
「あれー?今日は6日じゃなくて7日じゃないのぉ?」
という幼児の声は無視して、幼児迎えの完了後に、運転手が車内をくまなく確認したのち、車内後方の日めくりカレンダーを1枚破って、施設へ業務完了報告として提出する。
予め、日めくりカレンダーの側面にマジック等で車両の特色を塗っておけば、破った後でも、何号車のカレンダーなのかが直ぐに判る。
それと送迎バスの車内に、幼児でも開封可能な水、お茶、スポーツドリンク、栄養補助食品、ビスケット、うちわ、氷やアイスノンを入れたクーラーBOX等を、少量でも常備積載しておけば、今回の熱中症だけではなく、道中での体調急変や転落事故やバスに閉じ込められるような事故事件が発生した場合でも、命をつなぐことが出来る可能性がある。日中だけでも、少し窓を開けて駐車することは、万が一の際に有効な対策となる。
私はたまに、福岡県警察本部の地下食堂へランチにゆくことがあるが、やはり入館の際にはグループの代表者が受付で氏名を記入し、人数分の入館証が渡される。退館の際にはそれらを返却し、何人が入館して何人が出たのか、その入館証によって、出入りの管理がなされるのである。
館であるのかバスであるのか、ただそれだけの違いである。難しく考える必要はひとつも無い。何億円もの背任的な無駄遣いをする流れの話ではない。送迎バスへの乗車行為の何某とは、まさに入館行為なのである。
そう思わないのであれば、さすが令和だと言わんばかりに、県警本部にも、ハイテク機器を導入するといい。血税をどんどん遣って。
昭和の人間は、それを見て何と言うであろうか。文明の発展と反比例するように人間の質が落ちてしまうのならば、それは豊かな社会づくりとは言えない。
もうひとつ記しておきたいが、以下は幼児園や介護施設で働くスタッフの方々には酷な記述となるも、現場でおこった事件事故が、働く職員の方々が意図的に、わざと犯した犯罪だったとしても、現場で起こっている何某とは、故意ではない場合と何ら変わりは無いという現実を、常日頃から肝に銘じておかねばならない。
例えば職員にとって大嫌いな園児がいたとして、その日にたまたますやすやと座席で寝ている当該園児をそのまま起こさずに送迎バスを閉めたとしても、或いは高齢者が食べ物をのどに詰まらせているのに気づく気づかないを問わずに看過しても、現場の映像とは、まったく同じなのである。
それゆえ働くスタッフは、業務上である以上は何があっても執行猶予がつくとか、如何なる事件に対しても業務上過失致死傷罪で自身が守られていると考えるのは、気をつけるべきである。
事件が故意ではないとしても、誰も故意ではなかったという事実を証明することはできない。あの職員がわざとやったらしいよ、という噂が広まっても不思議ではないのである。医療殺人でも、たった一度だけの犯行であれば、発覚、立件できない場合がある。北海道の遊覧船沈没事故を含め、人の命を預かる職業の方々は、それなりのリスクも背負っていることを忘れてはならない。
【2】富士山観光バス事故
バスの話題では、この事故も衝撃であった。
私も、過去に御殿場の友人を訪ねた際に、富士山に雲がかかっており拝めなかった残念な経験があり、
「富士山は、しょっちゅう笠がかかるんだよね」
という友人の言葉どおり、この事故の日も見通しが悪かったということだったので、以下は私の単なる予測にも、人間、視界不良などの不安の中で運転すると、どうしても、ブレーキの上に足を置いたまま走行するような、つまり心理的に、いざという時に直ぐブレーキを踏むことが出来る体勢をとるのではないかと考える。
フットブレーキにも当然ながら遊びはあるけれど、仮に、軽く足を載せた状態であれば、ブレーキ装置のドラムとシューが、お互い接触したままで走行が続けられる可能性があり、運転士には、バスのブレーキが働いているという体感は無い場合でも、しかし実はブレーキ装置は接触による加熱が続いているという事態が懸念される。
もちろん、足をブレーキペダルから離せばブレーキ装置は接触を解かれて冷却されるのだが、足が離されなかった場合、軽い接触でもブレーキは摩擦しながらの回転によって焼かれてしまうので、そもそも足のせ走行の習慣は、大変危険である。
更に、当該観光バスのギヤが、事故後の検証でニュートラルになっていたことが判明したそうであるが、フットブレーキに常に足を載せたままアクセルをまったく踏まなかったとすれば、当然ながら、ギヤがニュートラルであることに運転士が気づかない可能性もゼロではない。
もちろん一度でもアクセルを踏めば、車は加速しないのにタコメーターだけが上昇し、ギヤがニュートラルであることに気づくので、通常ならば、運転士はその時点でギヤを入れると考えられる。
霧がかかっていたことが運の悪い結果となったのかもしれないが、大型車が、積載重量もかさむ状態で延々とニュートラルで坂道を下っていたとすれば自殺行為と言え、ギヤがニュートラルならばエンジンブレーキは当然利かないし、エンジンブレーキに連動して働く排気ブレーキも、切替スイッチをONにしていたとしても、もちろん利かない。巨大な重力加速度に、足ブレーキだけで抗うことになる。
私は燃費向上と居眠り防止のために、自家用車はマニュアル車しか購入しないようにしており、確かに下り坂ではニュートラルに入れたまま走ることもあるけれど、それは自覚をもって行っていることであり、ニュートラルであることも、走行しながらちょくちょく確かめている。坂の出口に差し掛かる手前では、ギヤも早めに入れ、必ずエンジンブレーキを優先的に使うようにもしている。
近頃のAT車も、エンジンブレーキを使い易いようにシフトレバーが設計されているようで、長い下り坂などでは常日頃から、AT車でもエンジンブレーキを使用するよう心がけたいものである。
トヨタ車ハイエースなどでは、「D」から右にシフトレバーを動かすだけで「S4」へ切り替わり、下へレバーを下げる度に「S3」「S2」「S1」と切り替わり、解除の際はシフトレバーを左に動かすと簡単に「D」に戻る。
マニュアル車ならば、走行中に1速まで落とすことは有り得ないが、ハイエースの場合は低速の状態で「S1」に落としても、無茶な制動が働かないように設定されているようであり、不快さは無かった。MTもATも、エンジンブレーキ使用の習慣化が望まれる。
【3】国土交通省ならびに警察庁CM
それら交通事情に係る課題で、私はかなり、声を大にして訴えたい件がある。
現状を複数述べると、近頃は公道のあちこちで、新しいデザインの交通アイテムが次々と施されており、ひと目で利用者が理解出来れば良いのであるが、どう使えば良いのか戸惑う場面も珍しくない。
いち例では、車道用の信号機に付されるルーバー。信号機に近づくまでは停電でも彷彿とさせるかのように真暗に映り、車両をここぞという正しいコースで、また望ましいスピードで進入させながら信号機へと対峙すれば、そこでようやく信号機が何色なのかが分かるというもの。
これは、複数の交差点が接近しているなど、近くに別の信号機が設置されている場合に、それらの信号機を混同しないように分離させる意味合いでルーバーを付しているとのことであるが、あまりにも極端な設置方法の信号機もあるので、諸々のアクシデントを想定しているのであろうかと、疑う場面も出てくる。
事故現場に遭遇して反対車線を踏むように通行しなければならない時や緊急自動車の通行等が代表例であり、そういう際にも安全が保てるように、基本的には「赤」だけは、あらゆる角度から視認できるようにしておかなければ危険だと考える。奥のルーバー信号が赤でも、手前の信号が青になれば、運転手はそれらを別の信号であると認識できる。
現状、あまりにも赤信号が照らす範囲が狭すぎるので、例えばルーバーではなく、信号機そのものの角度を幾らか下向きにするとか、信号機の3mくらい手前に、「信号注意」などと書かれた、わざと邪魔をするかの案内板を設置し、ある程度車両が近づけば信号機全体を視認できるとか、そういう手段もあるように思われる。
また、自転車通行帯や路側帯が、近頃きれいに色分け舗装され、「自転車専用」等という文字が大きく記されているが、自動車の通行区分の左側にあるその通行帯を、4輪のドライバーはどう処理して良いのか解らず、例えば同乗者が左のドアから降りたい時など、自転車専用通行帯を自身の車で踏んではいけないと思っているのか、通常の信号待ちの状態のままドアを開け、後方から来た自転車やバイクを巻き込む事故が実際に発生している。
私は若かりし頃に、普通免許を取得するために通った自動車学校で、
「左折の際は自車を左へいっぱいまで寄せ二輪車を巻き込まない状態を保ち、右折の際は右へ寄せ、交差点は常に小回りのルートで曲がること」
と教わったことを、今でも忠実に守っているので、左折の際は、カラフルな自転車専用通行帯を思い切り自車で被せることになる。歩道の縁石に対し、サッカーボールも転がらないくらいに車を寄せるので、二輪を巻き込むことは無いし、後続の直進車もスムーズに直進ができる。
ゆえに特に左折の際に、わざわざ右へ大きく振ってから曲がる車の気がしれない。内輪差で後輪ホイールをこすりたくないのかもしれないが、まさに百害、迷惑千万である。寄せることが出来ないのではなく、進入速度とハンドルを切るタイミングを早く覚えて、出来るようにならないといけない。特に左側のミラーは、背伸びをすれば後輪フェンダーが視認できるくらいに下げ気味に調整しておかないといけない。
自転車の反則切符などの新しいルールも含めた、それらリニューアルの内容、そして利用方法を、国土交通省は、警察庁と連携して、新しい交通ルールのワンポイントアドバイスとして、開発実施の都度、テレビCMを制作してゆくべきではないのだろうか。
免許更新の時だけ説明するのでは遅い。自転車専用通行帯の事故など、明らかに死亡事故が起こる可能性もあるのである。
事故が起こらない場合でも、私のような小回り左折を心がけているドライバーと直進したい自転車で口論に発展する可能性もあるのだ。どういう通行方法が望ましいのか、広く認知しておく必要がある。
トラブルがあってからでは遅いし、いつ開くか分からない車両ドアの横を、子供を載せた自転車で恐る恐る通らなければならない母親の気持ちにもなってほしいものである。どうしても車のドアを開ける必要性が出たのならば、車両は必ず道路の左側に寄せないといけない。
そもそも「専用」と書くから誤解が生じる。交差点の30m手前では通常の舗装にして「二輪四輪共用」と書くなど、改良が必要である。
それと車検問題。自動車文明が進化を続けると、当然ながら車両の耐久性も増し、現行の車検制度に採用されている満了期間を、例えば6ヶ月や12ヶ月延長しても問題ない時代に差し掛かっているのではないのだろうか。
今は物価高で庶民の生活は苦しく、自賠責保険や重量税の支払対象期間は長くなったとしても、車検の期間が延長されるのは、経費が実質抑制され、庶民の暮らしを救うことへもつながるはずである。
もちろん、そのせいで車両の故障事故が増えた等と言われない期間設定が重要であるも、例えば現状でも、走行距離で整備免除される項目もあるが、それよりも、そもそも走行距離車検、或いは走行距離と期間の複合基準を併せ持った車検という方策もある。たまにしか乗らない車なら、車検期間も延長される。
また車検話題のついでに、車検の必要書類に納税証明書があるが、これがそもそもデジタル扱いにならないものであろうか。わざわざ役所へ足を運んで1枚の納税証明書をもらい車体検査機関へ持ち込んで提出する、その終着駅である検査機関では単純に当該車両の納税確認のみ。
要は役所と検査機関の連携がデジタルによって保たれておらず、そのおかげで紙の物理的移動が常に発生している。FAXでもない。
たったこれだけの作業に、一体どれだけの化石燃料が無駄に使われているのだろうか。郵送とて、郵便バイクの燃料が必要。要車検の車の総台数を鑑みれば、とてもではないが馬鹿にはできない。ここでもマイナンバーカード活用の余地がある。
【4】韓国ハロウィン大惨事「三路誘導」
通行区分の話題もあり、次はハロウィンである。
痛ましい事故であった。家宅捜索も入ったことで事件と呼ぶべきであるが、多くの人が一瞬で命を奪われた韓国、梨泰院(イテウォン)での雑踏事故では、150名を超える圧死者が出て、世界へ衝撃を与えた。
たった、普通乗用車2台程度の駐車スペースにおいて、そのような多量の死者が出てしまうのだから、如何に雑踏警備が重要であるのかは、言うまでも無い。
特に女性は気をつけること。胸があるので、男性よりも、極端な混雑状況において息が出来なくなる場面に遭遇しやすい。例えば男性でも、1.5リットル等の、満水のペットボトルを胸部へ縛り付け、あのような人混みに放り込まれたら、とてもではないが息苦しく、ペットボトルを今すぐ外してくれと懇願するであろう。
私の中学校時代に、嫌な遊びが流行っていたという過去がある。確か「催眠術」と言っていたが、私は校舎廊下のコンクリート壁に立ったまま背中を押し当てられ、女子生徒が両手で私の胸部を強く押し、つまり私は壁とその手に胸を挟まれ圧迫し続けられる格好となり、ものの10秒か20秒程度で意識と記憶を失い、気がつけば、日本晴れの正面に窺う紺碧の富士山を幾らか見下ろす上空から、眼下へ東京方面へと向かう新幹線を俯瞰する場面に出くわした。それは何ともふわふわと、心地の良い情景だった。
しかしそれも束の間、10秒程度で当該女子生徒ら友人の声が聞こえ、目を醒ました私は床に寝そべり、天井を背景に、面々の顔を見上げていた。
聞けば私は脱力したように倒れ込み、女子生徒はそれを独りの力では支えきれず、私のおでこが床に当たり、二十歳くらいまで消えない小さなアザのようになった。
またその際は、私は心臓マッサージではなく、頬を叩かれ続けて目を覚ましたとのことであった。
胸への無理な圧迫により心臓や肺が伸縮動作を実行出来なくなったせいで臨死体験へ追い込まれたと考えられるが、この手の悪ふざけは絶対にやってはいけない。下手すると殺人、嘱託殺人、自殺幇助に該当する事案である。
雑踏警備の対策に戻り、民が自己防衛の観点から取り得る策としては、通行人が、皆で傘をさすという方法もある。傘をさせば、体と体が触れ合う前に傘が触れるので、それ以上人間を狭めることは、物理的に不可能となる。ただしほとんどの通行人が同様に傘の使用に努めなければ、それは単純に相合傘であるので、注意が必要である。
警備面での方策としては、私は路側帯や、道の中央における非難通路、緊急通路、誘導員専用の警備通路の設置を筆頭に挙げる。
そもそも乱闘騒ぎや急病人の搬送の際に、警察や救急隊が駆けつけることすら出来ないほどにぎゅうぎゅうに、道路のすべての面積を歩行者に専有させてはならない。ロープやカラーコーン、パイロン、コーンバー、ベルトパーティション、ベルトポール等を用いて、理想は歩行者道路の中央に、歩行者が立ち入ることのない警備通路を確保しておき、例えばその通路に警察官を配置し、警備にあたる通路とする。そして左右のスペースを、上り下りが備わる、それぞれ逆向きの一方通行路にするのだ。
その上で、警備通路の幅が圧迫され始めたり、頻繁に警備通路へ進入してくる歩行者が現れてきた場合は、そろそろ飽和状態であるので、その道への出入りを制限する。
出入りの制限は、特に坂の上では恒常的に行う。フェンスを立て、ゲートをつくり、坂上ゲート式による片側一列等の状態で、警備員の指示によって少人数ずつ坂道を下る。いざとなれば、歩行者の進入を坂上ゲートで止める。
特に坂道の全ての面積を、歩行者用道路として使用すべきではない。坂道を下るために手前の道に行列ができたとしても、それは致し方ないことである。
「三路誘導」或いは「三路警備」という言葉が理解浸透しやすいと思われるが、梨泰院の事故現場の坂道は、道の横幅が3m程度だということなので、1mずつ三路に区切って、中央を緊急避難も兼ねた警備通路とし、その左右を上り下りの一般歩行者用通路とする方式が望ましい。
上記は原宿などにある坂道でも、混雑時には実施したい手法である。坂道だけでも構わないので、ともかくスペースに、終始余裕をもつことである。
明石の歩道橋事故などでも、こういう中央警備路、路側帯が設けられていれば、おそらく事故は起きなかった、或いは大惨事は防げたはずである。物理的にも心理的にも、常に余裕をもつことが重要である。
また、警察組織は、早く繁華街などで警戒追跡用のドローンを自在に操縦できるよう、安全面を配慮したドローンと操縦技術を具備すべきだと思われる。雑踏の中では、群衆を押しのけて現場へ急行しなければならず、到着が遅れるのは必至である。犯人追跡も兼ね、ドローンだけでも現場へ駆けつけることが出来れば、それなりに事件の処理が早い。
そしてそもそもハロウィンとは何ぞや、という問題。思うに、商行為あるいは集会行為である。
商行為や代表者も存在しない集会行為が渋谷のど真ん中で無秩序に行われては、治安を保てなくなる。
参加者にはメリットがある。単に化粧や流行りのファッションを身につけるのとは違い、仮装することによって自身に付加価値を高め、通行人に見てもらったりSNSにUPすれば、仮装技術や自分自身の価値を高めるPRにもつながる。仕事が舞い込み、現実的に収入が増えるなどの収益性もある。即ちハロウィンとは、商行為の一端である性格を有している。
商売であるのならば、きちんと金を払って、場所を借りてから行わなければならない。商売であるのならば、基本的に売り手と買い手の利用するトイレさえも、実費で準備しないといけないのだ。
ハロウィンとは即ち、ファッションショーである。公道で無秩序にファッションショーを行ってはいけない。商業施設やコンビニのトイレは、ハロウィン商人のためのものではない。あてにする、頻繁に借用するのは儀礼に反する。
金銭等、実質的な収益の無い単純な集会行為であったとしても、道路使用許可、占用許可、行為許可などの許可申請を行っていない。代表者も決めず、行動に秩序も無ければ、ゴミを回収するための規則も、無関係の歩行者に影響を与えないようにしようという道徳心も、ごく一部の参加者を除いては持ち合わせてはいない。周囲に迷惑をかけないことを事前に準備計画された行動には見えず、とてもではないが、立派な大人が集団的に行う行為とは認められない。
また、昨今のハロウィンは警察が中心となって警備にあたっているが、警察は公人であって、一部の人のための組織、ボディーガードではない。仮に、限られた私人たちのために、それら当事者に降りかかる予測可能な災害に対して専従的に警備を行うのであれば、その費用は当然ながら、限られた私人たちが支払うべきである。
初詣など、混雑が予想される際に警察が警備をする場合もあるが、その時は同様に神社側も私費を払って警備会社から警備要員を借りているのであって、無策ではない。
「もう次回からは、ハロウィン参加はやめようか。どう考えても、ハロウィンに興味の無い人たちの迷惑になっているよね」
自粛とは、自由主義社会において個々へと与えられた尊厳であり、行動をおこすもやめるも、大人ならば自身で責任をもって決断しなさいということである。
自由と野放しは違う。自由とは、実施か自粛かを自分で自由に選べるということである。何を食べるか、或いは何も食べないかを、自身で選択できるということである。無秩序ではない。
それを共産圏の国々の主導者は理解できていない。風紀規律が乱れていると勘違いし、堕落国家だと、自由主義国家を見下している。
お上が決めるか民が決めるか、ただそれだけの違いである。神でもないのに、主導者がしゃしゃり出るのは言語道断である。
今後の展望として、例えばであるが、有明などのゆったりとした広い地域で大規模イベントとしてハロウィンを行ってもらうか、車道左側の一車線をハロウィン専用として米国のようにパレード、練り歩きを行うような格好にし、いずれにしても、参加者は事前登録申請制度にし、着替えスペースやトイレ問題、ゴミ問題、警備問題なども考慮し、最低限の参加費、運営費を徴収すべきである。
ハロウィンに多くの国家予算、自治体予算を注ぐことは、ハロウィンに無関心の人たちにとっては、甚だ迷惑な話である。このままでは、公的秩序が保てなくなる。参加者には、当日はリストバンドでタグ付けを行う。時間をかけ、事前の準備、公知が必要である。
どこかの自治体が先駆けて、良い見本を示すべきである。もう限界が来ている。ハロウィンにも例外なくデジタル化が必要である。
【5】マイナンバーカード
デジタル化といえばマイナンバーカードであるが、たくさん考えられる利用価値の中で、文章のボリュームを考え、あえて少数を書かせてもらえば、まずは入館記録が挙がる。
健康保険証のマイナンバーカード利用における、オンライン資格確認の顔認証付カードリーダーが、これに類似した機能を備えているようにも思われるが、入館時に顔認証装置の前でマイナンバーカードもセットし、両方の顔を照合して本人確認を行うという方策。
顔認証付カードリーダーが、マイナンバーカードにプリントされた顔写真と目の前の本人を照合しているのか、或いはオンラインでサーバーのデータベースに照会して目の前の本人を照合しているのか、私のネット調査では判然としないところではあるが、仮にオフラインでも可能であれば、本人確認の手段が増え、マイナンバーカードを持ち歩く理由にもつながるように思われる。民間だけでも、マイナンバーカードと本人の確認が可能となる。
もちろん、スマートフォンに組み込まれるマイナンバーアプリという形の方が、より利便性は高まるようにも考える。いずれはその方向性へと突き進まないと立ち行かなくなると考える。
それが即ち「マイナポータル」アプリという位置付けだと考えられるが、同アプリで出来ることを探ってみても、行政サービスだからこんなものかなという程度に感じられ、更には自分自身をQRコード表示できる機能も無いようなので、マイナンバーカードの代わりと成り得るスマホアプリではないようである。自身の状態確認というか、身体測定や健康診断に同アプリを使っているような感覚である。
また、何ともわずらわしいのは毎回マイナンバーカードをかざせかざせかざせと要求してくること。家にマイナンバーカードを置いていたら外ではログインできないし、やはりマイナンバーカードの代わりにはならない。カード1枚分、外出時の荷物が増える。
ログイン時に、マイナンバーカードの暗証番号入力に加えて、スマホのロック解除を今一度問うだけで良いのでは。スマートフォンにマイナポータルアプリをインストールして初期登録をしておけば、スマホさえ持っていれば、マイナンバーカードも健康保険証も持ち歩かないで良いことになる。他人のスマホを拾った人が病院にかかろうとしても、顔認証システムではじかれる。
入館記録に戻る。これらの入館記録は、会合や事業への参加記録としても活用できる。マイナンバーカード所有者のキャリアとして、受講時間や累積就労時間等をシステム管理できるのである。
それらもやはり、結局のところスマートフォンにインストールするアプリ形式の方が便利が良かったりもするので、やはりアプリ内においての登録者のQRコード表示は絶対的に必要となると考える。アプリ内において顔写真の更新も可能であるし、そもそもカード発行を廃止すれば、更新の経費もかからない。
免許証や登録証など、あらゆる分野で個別にカードを作ってしまえば、大量のカードをごっそりと持ち歩かないといけなくなる。スマートフォンという、小さくて便利な、情報をいくらでも圧縮できる素晴らしい金庫があるというのに、未だに行政殿はカード作成、カード発行を続けている。
元よりマイナンバーカード1枚あれば、多様なキャリアアップシステムにもすべて対応ができるであろうに。その簡略化をしない上に、経費がかかり過ぎているから、参加者からもっと徴収しなさいと指示を出す。
スマホは確かに全国民が個々に保有する媒体ではないけれど、それに限りなく近づきつつある。つまりカードは、希望者だけに発行すれば良いだけのことである。
時代の移り変わりに諸々ぎくしゃくするのは解るけれど、あまりに先見の暗い方々がハンドルを握ると、国民は崖っぷちまで連れてゆかれることになるのでは。カードを廃止する前に、そういう頭のカタイ関係者に職務卒業をしてもらう方が先なのかもしれない。
時代の流れに、まったくついて行けていない。若い人たちの上に居座り、せっかく芽吹いている、柔軟性のある若芽を押さえつけている。自由な動きを、邪気が封じ込めている。
次に、臓器提供の意思表示。こういう声がどこからも上がってこないのならば不思議の一言、現在は運転免許証の裏側に臓器提供如何の記載がなされているが、それをマイナンバーカード、或いはマイナポータルアプリへ移行してみてはという案。
というのが、現状、何かの折に、運転免許証の裏表のコピーを提出してくれと言われることがあり、その際に、本来は無関係であるはずの臓器提供の意思表示が、第三者に内容を知られることになっている。プライバシーの侵害であり、早急に、マイナンバー関連へ移管するか、コピー受領の際は、臓器提供の意思表示の部分を回収、要求しないこと、等の通達を関係先へ行うべきである。
これもアプリにしてしまえば、万が一の脳死判定の際などは、医師が資格を用いてマイナンバー情報の開示を請求する。
もうひとつだけ書こう、それは署名活動。
現状、これまで署名はアナログで行われてきた。アナログでは、書かれている署名が本当に本人のものであるのかや、また複数の署名に同一人物が記載をしていないか、利き手とは逆の手で書いていないか等、確認の作業が必要となり、それに費やす時間ももったいないし、税金を遣ってそれをするのであれば、大変な無駄遣いである。
苦情、非難、弾劾。行政にとっては喜ばしいこととは縁遠い課題も多い署名活動かもしれないが、国は覚悟して、署名庁、署名取扱委員会、署名受付所等、署名活動を責任をもって吟味する機関を立ち上げて、署名の申請を有料で受け付け、署名の課題が品行方正であるか、署名期間が課題解決に間に合うのか等の一定程度の審査をし、期間を定めてWEB上に掲示し、マイナンバーカードによる署名を受け付ける。署名をする人は、マイナンバーカードを所有していないと、このデジタル署名の取組には参加できない。
なお署名に関しては、従来ならば賛同者だけを募ってカウントしてゆく方法でまとめられるが、「yes」と「no」の双方をカウントしてゆく方法と、どちらが公平性を保つことが出来るのか、事前に検証をしておくことも重要である。
【6】国葬儀の是非
さて、国葬儀の問題もかなりの加熱ぶりであったが、果たして今回の国葬儀においてマイナンバー署名活動が企画されていれば、どれほどの署名が全国から集まったか、私としては興味深い。
いずれにせよ、後味の悪い儀式と相成ったように私は結論づける。安倍元総理が凶弾に倒れた折、国の中枢からは、
「民主主義の根幹を揺るがす事態」
という表現があった。しかしながら私は、その文句をそっくりそのままお返ししたい、
「今回の国葬儀の決定に至る経緯は、民主主義の根幹を揺るがすものである」
と。
安倍元総理の国葬儀にかかった経費は、国民一人当り10円程度の出費である。
「無駄遣いをするな」
と、その10円すらも払いたくないのでわざわざ電車賃を遣って国葬儀反対のデモに参加する国民が多々いるということを、日本国政府は忘れてはならない。
現職総理の心情を私が推察することについては憚る思いであるが、今回の国葬儀が、戦国武将で例える「敵に塩を送る」という行為であったとすれば、その派閥へ送る塩の手配は、当然ながら上杉謙信のお膝元で済ませるべきである。無関係の人々を巻き込む事案ではない。
ちなみにプーチン大統領は、この、塩を送る話を知っているのであろうか。知っているとすれば、恥ずかしくてウクライナのインフラ施設などを攻撃できないであろうに。どなたか、ロシア語に翻訳して教えて差し上げた方が良いのでは。
人の心が成長してゆく際に、そういった昔話等は、特に栄養剤となるはずである。
日本は、過去に大戦を経験したものの、そこでの苦々しい経験を忘れず、世界平和に貢献し続けてきた。その間に日本で作られた映像には、平和への築きに際し、それなりの説得力があったに違いない。
ひと昔ふた昔前に流れていたそれらの映像を、今まさに再放送をしてゆくべきではないのだろうか。有料などとケチなことを言わず、国営放送などでも、夜中に、過去の大河ドラマや「人形劇三国志」、「プリンプリン物語」、「おしん」などを延々と再放送する。民放であれば「月光仮面」、「リボンの騎士」、「日本昔ばなし」、「魔法使いサリー」、「アタックNo.1」、「3年B組金八先生」、「キャプテン翼」など、どんどん名作を再放送し、更には翻訳をして外国へ輸出する。
リボンの騎士など、近年大きく騒がれているジェンダー問題を、あの時代に先駆けてテーマにした作品であるのだから、再放送の価値は大いにある。
日本は今、世界から注目を浴びている。どのような環境、教育で日本人の気質が成形されてゆくのか、日常生活で様々なことが起こった際の日本人の対処の仕方に、世界が感心をもって注目しているのである。
自分のためではなく、どうすれば他人のために自分を犠牲にしてまで生きてゆけるのか、日本人の心は、東洋の七不思議に挙げられているのである。
【7】是非に及ばず
「おのれ光秀。我は天下人、織田信長である。下人、明智光秀ごときに是非の裁きを着けさせるほど、この信長、落ちぶれてはおらぬわ。光秀には、我身に指一本触れさせぬ。蘭丸よ、弓と槍を持て。そして御殿へ火を着けよ。この信長の灰ひとつ、光秀の手に渡すでない。是非に及ばず」
戦国武将といえば、織田信長。織田信長といえば、人生の最期に遺したこの辞世の句を思い出す。「是非に及ばず」には様々な解釈があるが、私は上のように理解している。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第8編- その1
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新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その9【追記】
【51】憲法解釈
【52】日本国憲法の恩恵
【53】日本国憲法の歴史と補足された条約
【54】自衛の定義
【55】具体的改正案
【56】日本国憲法の未来
【57】護るべきもの
第二章 戦争の放棄
第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
【51】憲法解釈
さていよいよ、本編最後のテーマとなる。お題は憲法問題。世界情勢が刻々と色彩を変え、無視のできない、やはり避けては通れない関所となった。
私は世論調査の意味合いも込めて、些かも、たとえ一票たりとも今回の参議院議員選挙に影響を与えたくなかったので、この記事を投票日の前に公開することは避けた。
結果的には、憲法改正については、世論は、まだ考えはまとまってはおらず、どちらかと言うと棚上げにし、今回の選挙の争点からは、一定程度の距離を保ったような格好となったのではないのか。
もちろん数字だけ見れば、改憲議席は与党側に認められたものの、それは諸事情の結果であることもあり、憲法改正のお墨付きが出たと言うのは早いと考える。
さて、本題に入るにあたって、まずは現行の日本国憲法の咀嚼から始めるのであるが、私なりの解釈で申し訳ないけれど、上の条文を幾らか砕けた感じに訳してみた。
「日本の国民は、正道を重んじ、困った時は互いに助け合い、著しく調和を乱すようなことの無い、世界的な平和社会の実現を常に追い求めることを、国際社会へと約束する。
また、日本国政府が国内に号令をかけておこす戦争や、あるいは他国に武器をちらつかせて威圧してみたり、さらにはその武器を実際に他国に対して使用する行為など、それらのことを国同士の争い事を解決するための手段としては、日本は永遠に選ぶことは無い。
なお、それを忠実に実行するために、日本は敢えて、陸海空軍、並びに諸外国を攻撃するための戦力を保持しない。
また、有事の際に国家や団体に与えられるであろう諸々の交戦権についても、日本は、それらの権利を主張しない。
つまり、日本がとり得る立場とは、他国の戦闘機が自国の領空へ無断で侵入してきた場合でも、すぐさま直接攻撃することははばかられ、まずは警告や威嚇射撃を実施することになる。
仮に、そのやりとりの中で、日本の戦闘機が不法侵犯機に撃墜されたとしても、自国の被災パイロットは、自らの命よりも日本国憲法を守った英雄として讃えられるものである。日本は、原則として、自発的な先制攻撃を許されてはいない。
また日本は、周辺諸国から自国の領空へミサイルが飛来したり、あるいは自国の領海や領土に他国のミサイルが着弾した場合でも、それらの攻撃を行ってきた国々に対して、武力を用い、その攻撃国の陣営を破壊して解決に至ることは策にできないので、
『ひどいじゃないか。やめてくれよ』
と当事国へ訴えるか、もしくは飛来したミサイルを日本国が国費をつかって自力で撃ち落とすしか、基本的に選択肢は無い。
ゆえに、それ以外で残された道は、国民に努力をしてもらい、空から降ってくるミサイルをひらりと避けてもらうことになる。つまり、そういった有事が現実としておこった際には、日本国憲法が国民を護るというよりも、自らで準備したシェルターに避難してもらうか、人里離れた山奥に移り住んでもらうか、しばらく無関係の第三国へ身を寄せてもらうかなど、国民ひとりひとりに、自力で活路を見出してもらうしか術は無いのである。
そしてもし、この第九条に抜け道があるとすれば、まさにこの
『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
という条文であり、仮に国際社会の秩序などを没却し、
『紛争そのものの解決など、もう、どうでも良い。我が国の民は、誰もそれを望んではいない』
という解決放棄の立場をとるのであれば、相手国に対する如何なる無慈悲な攻撃とて、本条文を改正せずとも、現行の憲法上で行使できることとなる。
その状況とは、地球や人類、または日本民族の滅亡をかけた戦い、そして自国土の全部、或いは一部が二度と国民や自然生物が住めなくなるような環境となる懸念が生じた場合、または戦争の目的を見失った弔い合戦などがこれに該当する。
元より法とは、哀しいかな、肉体を守るよりも、先ずは精神をまもる存在である。安心は優先的に得られたとしても、本来一貫して最重要視されるべきはずの安全とは、時として保たれない。
法典を、「単なる分厚い一冊の書物である」と言切るのは、それを血の滲むような労苦でまとめ上げられた創造者を愚弄することになるので、断じて口にしてはならないが、法で総ての修羅場が安全な環境と変わり得るのであれば、最初からボディーガードなどは必要ない。
法とは主に、事前に公に掲げることによる一定程度の抑止効果と、問題が発生したあとの、事後処理の場で活躍する。
ゆえに、真の安全を求めるのならば、個々の場面、または大がかりな侵攻勢力に対する物理的な防衛手段が絶対的に不可欠となり、それこそを、正しく法典に記載し、法に則った形で準備し、運用し、実益を得ることが重要となる。
私はざっくりと、日本国憲法第九条を、上のような解釈に至っている。そもそも、この短い条文で世界平和の希求がすべて盛り込めるのかというのは大いなる疑問ではあるも、この形様で、優に還暦を超える歴史が流れ続けているのは事実である。
【52】日本国憲法の恩恵
さて、ここからは実用的か否かを謹んで検証させていただくが、この第九条を除く、また日本国憲法の枠外を含め、諸々の保安関連条項を駆使すれば、日本が、侵攻勢力に対して銃火器のボタンを押すことが絶対的に出来ない訳ではないとしても、現状では赦される範囲がかなり絞られていて、そのせいで、最前線に立たされるであろう自衛隊員の命が、必要以上に危険に曝されている。銃口が明らかに向き合っているのに、
「相手が撃ってくるまでは絶対に撃つな」
と命ずるのは、無駄死にせよか相打ちせよと言っているのと同義である。
もちろん領空侵犯の場合は、計器の故障や亡命なども想定しておかねばならず、日本に限らず、他国も同様の措置をとることが見受けられるが、日本の憲法では遠隔攻撃や先制攻撃が出来ない分、過度に侵犯側と接近し、まずはコミュニケーションをとるという手順を踏まなければ、問題解決へとは進まないのである。
そして余談にも、平素から領空侵犯が繰り返されていれば、感覚が麻痺し、「またか」で済まされるが、絶対的に領空侵犯をしない日本の航空機が他国の領空へ一度でも侵入すると、その瞬間、撃ち落とされるという懸念もある。そういった理由から、あたかも日常の業務のごとく、定期的に侵犯を行ってくる国も、現実として存在する。侵犯をしても攻撃されないという定石を得るために。
日本が、どこぞに侵犯をされている同じタイミングで、同様の侵犯をし返すとどういう結果が訪れるのか、私は非常に興味深い。3D人形を操縦席に座らせ、リモート操作で動く巡視艇や航空機で、試してみたいものである。
また、その類いで当然の話と言われるかもしれないが、この日本国憲法の条文を読めば、日本の自衛隊員をはじめ、日本の砲弾が他国の領空、領海、領土へ侵入することも想定ができない。絶対に他国領有に影響を与えては駄目だとも書いていない代わりに、時として踏込めるとも書いていない。
要は専守防衛に基づき、戦場は明らかに日本の領空、領海、領土内で行うように設定してあり、その前提のせいで、実際に戦火に被災した場合の日本国民の被害の度合いを、格段に釣り上げているのは事実である。
もし、領空侵犯機と自衛隊機が日本の国土の真上で空中戦を繰広げ、自衛隊機が敵機をうまく撃墜したとしても、その敵の機体が住宅街に墜落する可能性もある。小学校へと突っ込んでゆく場合もあるのである。
他国と有事で向き合う時、どの場所で戦うか、どこが戦場になるかは、ウクライナとロシアの戦いでも明らかなように、かなり大きな問題である。世界は、関ヶ原の戦いのように、住宅地を避けて平原で決闘を行う、礼儀正しい武士たちばかりではない。住宅街でもお構いなしに、戦場となる。
日本が、自国の領有外を自衛の場に使うには幾重もの障害があるが、戦争、紛争、そして自衛も、本来は他国の領有内で一貫として対処するのが望ましく、選択できるのであれば、自国内で行うべきではない。
そういう意味では、太平洋戦争における米軍の沖縄上陸は、大きく戦況が変わった出来事だったと言える。米軍は、日本を押し返すだけならば自衛を主張できていたかもしれないが、それだけではなく、日本の無条件降伏を狙っていたことが、その作戦から明々と読み取れるのである。
現代に戻り、その辺りは、国際連合との遣取りで、例えば周辺国から理不尽な侵攻を日本が受けていることを国際連合が正式に認め、その場合に限り、その侵攻勢力を日本の領有外へと押し戻すための作戦として、侵攻国の領有内へ日本の反撃勢力が踏み入ることを緊急措置として認めてもらうという手順も、当然、必要になってくると考える。
もちろん絶対的に、その作戦は日本が侵略行為を行うのではないと、国際連合に認めてもらうことも重要である。
有事の折の、そういった流れを勘案すると、反撃に使える武力なども絞られてくる。
もちろん、これは憲法改正が必要な範囲とはなるが、仮に自衛隊員が、日本へ攻撃を行ってきた当該国の領空領海領土へ、反撃目的でも自身の肉体を侵入させてはならないという前提を遵守するのであれば、当該国からのミサイル攻撃などに改めて反撃する場合、日本は潜水艦やイージス艦等々から長距離射程の巡航ミサイルを発射するか、新たに弾道ミサイルを配備するかという限定的な話となる。日本が島国であることと、防衛ラインをできるだけ国土から遠ざけたいと望むことを思えば、やはりそういう手段に収まってくる。
たとい日本に空母があって、その空母が領海侵犯をしなかったとしても、当該国の領空内へ生身の人間が操縦する自衛隊機が侵入することは、問題が大きい。その場合は、結局のところ、国際連合の許可等が必要となってくる。
【53】日本国憲法の歴史と補足された条約
さて、取り留めのない話に陥ってきたので、ここで一旦、視野を広げてみる。
もちろん、更に複雑になる可能性を秘めてはいるが、一度深呼吸をして、気を新たに、飲物でもご用意されてからお読みいただきたい。
日本は、かの大戦の終結から今日までの70余年、特需や基地支援、人道支援を含む自衛隊派遣や掃海作業、警備活動、給油作業などで、戦争や紛争に何らかの形で関わってはきたものの、自国そのものが戦争や紛争の当事者、犠牲者とならずに済んできた。
その、結果的に平和であったとされる日本の現実は、当然ながら、日本国憲法だけで掴みとったものではなく、サンフランシスコ講和条約、新旧の日米安全保障条約、国連憲章、国際法、集団的自衛権、個別的自衛権を含め、多面的な付加要素により、日本の立ち位置、構えを改め、つまり日本国憲法という骨子に様々な肉付けを行い、多様な客人にも対応できるよう、母屋に増設を加えて離れを付し、安定した平和を長きにわたって追求してきたからとも言える。
またその逆で、日本国憲法があったからこそ平和だったという考え方も、当然ながら間違いではない。
その辺りは、日本国憲法が制定された成行きを思えば理解ができる。
私は、日本側から名付けられた大東亜戦争、連合国側が名付けた太平洋戦争に関して、私自身はその時代に生まれてもおらず、国籍を問わず、その、明日の命も判らないまま、気でも狂わんかの大災の中を必死で生き延びようとした方々に対し、同じ経験をした訳でもない私が、何らを評する資格があるとは思えない。なので靖国に対して、私のような立場が是に非に論ずることは、そもそもが不躾であると考えている。もちろんそれは、無関心ということとはまるで違うが。
それを前提として申し上げるが、旧大日本帝国憲法が、実は正式な失効手続きを踏んでおらず、今もなお、廃車手続きをしていない車として車庫に眠り続けているという話は置いといて、戦後の焼け野原に新日本国憲法が定められた折、占領国である連合国側からすると、日本は、アジア地域に侵攻を続けてきた、言わば乱暴な国であり、その日本を、新しい憲法で、今後は悪さができないように変えようとした。
つまり、日本を護るための日本国憲法制定とは言い難く、日本の周辺国を安全へと導くため、日本を更生させる目的でつくられた憲法であり、やはりその意図は、第九条にも歴々と表れている。
終戦日である1945年8月15日から数えても、翌年の11月3日には公布を迎え、1947年5月3日には施行されるというスピード憲法であり、その時期といえば、国際連合とて出来立てのほやほや、「ミサイル」もネーミングが決まったばかりでまだまだ実戦配備や憲法記載のできる状態ではない次世代兵器。
更には自衛隊の前身である警察予備隊ですら発足していない中での日本国憲法の制定であり、よくぞこれだけの長い期間、改正もされず、おぎゃあと生まれたばかりの姿で持ちこたえてきたと評に値するが、しかし裏を返せば、日本が着実に更生の道を突き進んできたからこそ、内外共に、新憲法に対する違和感が生じなかったのではないかとも言える。また、日本が周辺国から攻撃を受けなかった事実も影響して。
そんな折、アメリカは、日本との未来での関係性を、ひたすら模索していた。米国は、太平洋戦争で初めて日本と真正面から向き合った、要はがっぷり四つとなった訳だが、その大戦において、日本のもつ技術力に驚嘆させられていたのだ。
すばしっこく飛び回るゼロ戦に、アメリカは頭を悩ませていた。どうやったら、あんなに軽くて丈夫な機体をつくれるのか。アメリカは、南洋の戦線[訂正:アメリカ合衆国アラスカ州アリューシャン列島フォックス諸島アクタン島]で、偶然にも不時着した零戦をほぼ無傷のまま回収し、そこで日本の技術力をまざまざと見せつけられることになる。
資源の無い国だからこそ、技術を磨かなければ活路を見いだせなかった。その渡世は必然に尽きるが、その後、当然ながら米国は、自国の戦闘機に改良を加えて戦況を好転させてゆくことになる。
そういった経験から、米国は、日本とは、対立しながら生きてゆくよりも、日本の技術力を含めて、日本を運命共同体として取り込んだ方が、自国の未来にとっては遥かに有益であると判断したのである。
にらみ合うよりも手を結ぶ。米国に打ちのめされたのは大きな痛手であったが、その、世界一とも言える強国と、友好国の契を交わした日本にとって、米国は、外界のいばら道を歩む上でも、頼もしい存在となった。
のちに日本車の上陸などは米国を悩ませることにはなるものの、それはそれで、時代の流れに適応してゆくことの重要さを知らしめる、良い機会になったのではないか。この原油高では、型の古い燃費の悪いアメ車は無用の長物であるし、電気自動車とて、古きにすがりついていては、米国から登場することが無かったかもしれない。
憲法問題に戻り、日米は日本国憲法の関係で条件付きではあるが、そういう運命共同体のような立場ではある。
しかしながら、果たしてそれが本当に、実際の有事でどこまで俊敏に機能するのかは、はっきりとは言えないところがある。誰が大統領であるかも影響を及ぼすであろうし、私の主観としては、非常に懐疑的ではある。
米国が、直接自国に向けられた刃ならば別としても、仮に、明らかに日本へ向けられた火力ならば、
「まずは日本が初動の対応をする」
というのがアメリカの立場ではないのか。
なぜなら、紛争のきっかけを考えていただきたい。例えば日本人のテロリストが、日本国内にある、とある大使館を襲撃したことが国家紛争の発端となったのであれば、元凶は犯罪を実行したその日本人が悪いのであって、まるで無関係であるアメリカ側が矢面に立つのは筋違いであると、おそらく米国民からも、日本に対する軍事協力には、否定的世論が突出するであろう。
逆にアメリカ国内で大使館が米国民から襲撃された場合、その後の国家間紛争に、果たして日本の自衛隊は、銃剣をもって戦地へゆくのであろうか。
その辺りは、大きな課題である。支援の有無、確実性、そして運良くアメリカが支援をしてくれたとしても、そのタイミング。
なお、こういう大使館襲撃などは、偽旗作戦にも使われやすく、日本としても、国内にある某国の大使館などは、きっちりと多数の防犯カメラで撮り続けるなどしておくべき。
サンフランシスコ講和条約並びに日米安全保障条約で、かつての米国は、日本が自衛力を保有することを望み、その再建までの間はアメリカが体を張って日本を護るといった建前で、米軍基地を日本列島に君臨させてきたが、結果的に、それはアジアに散らばる社会主義勢力に対抗してゆく地盤づくりととられても致し方ない。日本列島を利用してうまく外堀をつくった米国に対して、それらの国々からの反感は、未だ根強いものがある。
その状況で、日本の有事の際に米軍基地がどう機能するのか、これを明確にできないと、防衛の過不足を判断できない。今回の露UKR侵攻でも判然としたように、米国は、ロシアに対しては、かなりの度合いで一目を置いている。迂闊に、拙速な判断はしていない。簡単には派兵しない。議論に議論を重ね、方策を絞り出しているようにもとれる。
そういう立場であれば、幾ら日米安全保障条約が強固なものだと謳っていたとしても、争いの原因や向き合う国次第では、アメリカは、
「今回は日本だけで乗り切ってくれないだろうか。大義名分もだけど、相手が悪いよ」
と告げてくることも、日本としては充分覚悟しておく必要がある。
日本国内には、日米安全保障条約が締結されているから日本の国防には抜けは無いと、きっぱりと言切る政党もある。そういう政党は、もう一度、様々なケースを想定し直し、色々な場面での米国の出方をシミュレーションしてみるべきである。
私は常日頃から、物事は、一筋縄ではゆかないと考えている。それが当り前。安全保障も然り、ロープ一本では、いざ切れた時にどうするのか。
「日米安保があるから大丈夫だよ」
「ミサイル問題は、迎撃システムがあるから日本には落ちてこないよ」
と楽観視している方々に問いたいが、今回の露UKR侵攻で、どれほどのニュースが飛び込んできたであろうか、
「ウクライナの防衛システムが、今日もロシアのミサイルを撃ち落としました」
というコメントが。
断じてそういうコメントは、戦場からは一切聞こえてこない。まったく迎撃できていないのではと思うくらい、聞こえない。
また、ウクライナ側にミサイル防衛システムが提供されていない訳でもない。既に実戦配備が為されているはずであり、仮に毎日のように撃ち落としているのならば、次々とそういう情報が入ってくるであろうに、届かない。その反面、露軍のミサイルがウクライナの人々の生活圏に着弾したというニュースは、連日届く。
私は思うに、一度に何発のミサイルを撃ち込んでくるかにもよるが、ミサイル防衛システムとは、半数も撃ち落とせれば御の字ではないかと考えている。完全なものではない。それゆえ、それを棚上げした状態で安全保障の在り方を議論すべきではないと思う。
また、違う観点から述べると、日米安全保障条約を現状維持したまま日本国憲法だけを「反撃権行使型」へと改正した場合、米国の有事に、日本が、つまり日本の自衛隊が、反撃力として最前線に招かれるおそれがある。日米安全保障条約の第3条でも、アメリカの防衛力向上に日本が協力することを定められているが、日本国憲法でゆるされた範囲という条件つきの実行であるため、これまでは適用範囲が絞られていた。
条約に関係なく、単純に集団的自衛権の要請を受けただけならば、日本側が断る道も残されているのであろうが、特異な日米安全保障条約を引合いに出されれば、ベンチに座っておくだけという選択肢は虫の良すぎる話で、日米安保を、例えば米国の領有内における有事では日本は後方支援に徹し、日本国内に在る米軍基地への他国からの攻撃ならば全面支援をする等と限定しておかなければ、やはり米国内での反撃実施への協力を承諾すると考えるのが妥当であり、有事の因子や場所にもよるが、要はその状況とは、日本が、現在の韓国のような立場となることが予測される。
あの北緯38度線をまたぐ二国間では、よく「帳尻合わせ」ともとれる軍事作戦が見受けられる。相手からやられたら、同等程度の報復ならば行うことは是とする意識。現場はもちろん生易しいものではないけれど、言わば延々と続くドッヂボールのような遣取りである。
一歩間違えれば、暴力団抗争の手法ともとれる国家策ではあるけれど、それを自衛と呼ぶのか報復と呼ぶのか反撃と呼ぶのかは、議論を要するところ。
その時に行われる反撃の内容にもよるが、やっていることは韓国軍と変わらない場合に、果たしてそのような場面において、自衛隊と呼ぶのが相応しいのか、日本軍と呼ぶべきか、軍と呼ぶべきならば、それが憲法でゆるされているのかも、釈然としない部分ではある。アメリカは戦闘機を飛ばし、日本の自衛隊は援護するためのミサイルを断続的に撃つ、等という場面も出てくるかもしれない。それを自衛と呼ぶべきか。
【54】自衛の定義
そもそもの話、この21世紀に、自衛の範囲が国際的に不明瞭であるというのが、おかしなポイントではある。
この類いの問題は、問えば問うほど複雑となるが、近代的な兵器が登場してくると、また考え方も変わってくるようであり、まさに堂々巡り。自衛戦争という文言もあれば、予防戦争、限定戦争など、自衛と戦争の狭間がはっきりと見えないものや先制攻撃を自衛作戦と認めるものなど、分類も様々である。
確かに、核ミサイルをまさに自国へ発射しようとする国の主導者を先制攻撃するのは自衛だとする意見も出るであろうし、或いは自国の核ミサイルを全人類への脅しに用い、自国で爆発させ、地球上を二度と生物が住めない環境にしてやろうと、人類史上最大の自爆テロを画策する国家権力者を捜し出して壊滅させる行為は、たとえ先制攻撃だとしても、当然ながら自衛と認められるのかもしれない。その場合、もちろん国家の脅しそのものが先制攻撃と見なされるのであろうが。
そういう悩ましい世情がゆえに、また、侵略戦争を正当化する為に、自衛という文言を作為的に用いる国家も少なくはないがゆえに、例えば地理的条件を前面に掲げ、侵攻国に対し、自国の領有内で行う戦闘は総て自衛と認める、等という自衛の定義でもあれば、集団的自衛権の範囲なども決めやすいのかもしれない。
要は、今のウクライナは、自国内で行っている戦闘活動のすべては自衛、或いは自衛戦争であるという考えである。領有に許可なく立入る輩が悪いと。
それが問題であれば、過剰防衛と懸念される事例を協議選定し、今後の判断を明確にする。反対に、ロシアが他国の領有内で行っている攻撃は侵略戦争に値する、など。
どこまでが自衛でどこからが戦争であるのか、その区切りを明確にする。
自衛権には、確かに基本となる三要件が明記されてはいるけれども、あまりに概要性の高い記述で、あたかも見出しのような印象を受ける。それゆえ結局のところ、最終判断は各国に任されているような状態である。詰めきれていない。
例えば全土で1,000基のミサイルシステムが運用されている国から、たった1発のミサイル攻撃を受けた場合、
「この国は野蛮だ。何をしでかすか判らんぞ」
と、それら1,000基すべてを破壊することが自衛と認められるのか、或いは実際に発射された発射台のみを壊すことが自衛と認められるのか、もしくはそれらのどれも自衛と認められないのか、その辺りが、各人各々で考え方が違うのである。
だから実際には、急にそういう有事が起こった際でも、判断が分かれるのではないのか。それが最悪、核ミサイルだった場合など、たった1基の発射台を破壊しただけでは、何の慰めにもならない。
結局のところ、この話になるが、国際連合などが「事後検証型」となってしまうのは、大きな問題および間違いがある。
過ぎた出来事を話し合うだけではなく、紛争ごとは、流動する未来に向かってタイムリーに処理してゆかねばならず、国連がもたもたするのではなく、安全保障理事会や国連総会で、被災国の作戦会議をするくらいに頼れる立場となり、加害国を無条件追放できるくらいの強い存在にならなければ、前途は暗い。
国連が過去の戦争からの学びを引用し、次々と自衛策を提案する。つまり国連は、今の日本で良く耳にする「必要最小限の実力行使」という言葉を、紛争の只中で、被災国へきちんと具体化してあげないといけない。そういった取組が無いと、弱国は瞬く間に占領されてしまうし、そもそも、いま起こっている紛争の評価すらできない。
ぶくぶくと膨れ上がり、世界大戦に拡がってからでは、収集がつかなくなる。
それに加えて、重要である損害賠償の問題。
「侵略国を追い払ったのは良いが、自国の街はめちゃめちゃに破壊された。環境汚染も最悪の状態である。いったい誰がこの復興費用を支払うのか」
では、戦いに勝ったとは言えない。
基本的には、無条件降伏を認めさせない限り、どのみち加害国は素直に賠償金を支払う訳が無いので、やはり加害国関連の凍結資産を国連の協議にかけ、被災国の復興へ使用するという方法を、今後は定石となるように働きかけてゆかないといけない。
また、有事前の資産隠しなども、可能な限り対応をする。それは、現在の中華人国に対してもである。中華人国に進出している企業なども、しっかりと未来を模索しておくように。
【55】具体的改正案
さて、そろそろ終盤の段階となったが、私はこの憲法改正問題については、しっかりと国民の意見を聞いて、幾度も公聴会等々をひらいて、様々なケースを想定し、起こり得る結果をシミュレーションし、地道に練り上げてゆく形をとるべきかと考える。もちろん、国際情勢は刻々と流れており、改正するのならば早めの方が良い可能性はあるが、その辺りも含め、議論を重ねる。
私自身もまだ、はっきりとは最上級の方策が固まっている訳ではない。しかしながら、度が過ぎるアメリカ依存とは、決して頭の中で思い描く通りにはならず、日本が窮地に立たされる日が訪れることを懸念している。
アジアは、中華人国が画策している台湾有事が鍵となるのであろうが、おそらくその時は、東側の赤旗が一斉にあがるのではないかとも考える。もちろん、ロシアも含め。
そうなると、日本よりもアメリカ側が手一杯の状況となり、約束事も棚上げされ、その後の展開の、あらゆる予測も難しくなる。まさしく、大きな渦に流されてゆくような状態。
当然ながら、それらは最悪のケースではあるけれど、そういった非常事態でも切抜けてゆく準備を常日頃から行うことは、然るべき一手であるように思う。
? 日本国憲法に自衛隊を明記し、その目的を正しく示す。また、日本国に対する軍事攻撃には、先ずは自衛隊が対応することを記す。
? ミサイルを含め、日本に対して銃火器を放ってきた国、並びに宣戦布告を通知または明らかな武力行使を行ってきた国を「特定危険指定国」と定め、時を待たずに国際連合へと報告し、当該国へもその指定の旨を通達し、向こう3ヶ月や6ヶ月などの期限を決め、当該国から日本国領有へ侵入してきた如何なる物体に対しても、警告なしで砲撃ならびに排除を行うことを知らしめる。
? 当該指定国がミサイル攻撃を止めない場合は、同国の発射台へ反撃を行う。
? 日本国憲法第九条は、現行条文の一切を改変せず、
「3、我国が特定危険指定国から何らかの攻撃を受けた場合、もしくはそれに該当せずとも国家存亡の危機に瀕する攻撃を受けた場合には、自衛隊が自衛権を躊躇なく、また過不足なく行使する。これは我国の領有内に限定されず、我国の領土領海領空における自然的存続の不可、或いは国民の命が危険に曝されると認められた場合にのみ、加害国に内在する当該の攻撃設備を、中長期の準備期間を伴う報復措置を除き、最小限度の反撃権ならびに自衛権に基づいて破壊できる。また、その行使に伴う領有侵犯については、事前に国際連合の承諾を得る場合に限る。」
を追記する。
? 日米安全保障条約を見直し、日本側から、米軍基地の撤去を個別に要請できるように改定する。
? 日米安全保障条約を一旦解消し、「日米甚大災害相互支援条約機構」等の名目で、戦争適用を表側には出さない、大きな災害の協力体であることを主眼に置いた新条約の締結を図る。実際には、有事の協力体制は存在するが、災害救助が目的であるため、有事の敵陣営攻撃支援についての強制力は無い。
上記の改正項目を解説してゆく。?から?までが日本国憲法の範囲となる。
その前に、現行条文の「交戦権」という文言が、いつも解釈の議論になるようであり、現在では、捕虜の拘束や船舶の拿捕など、専ら交戦国が持ち得る複数の権利を指しているという説が主流となっているが、私個人としては、何らの、その辺りの知識を持たない人が
「ああ、戦争を交える権利が日本には無いということだね」
と読解しても、ほとんど差し障りが無いように思う。
なぜなら、日本は戦争放棄を唱えている以上、そもそも交戦行動は選べないのであるから、そのステージには決して踏み入らないということは、国家や団体が戦争をする時に認められる複数の交戦権など、最初から放棄したとしても、何らの不都合も無い。
つまり、どちらの解釈でも日本の立場には影響が無く、即ちこの条文を削除する必要も無い。自衛の概念、適用範囲を明確にすれば、想定される攻撃に対する反撃は可能となる。
実際問題、交戦権の種々の解釈には、何れも断言できるほどの根拠は無い。現代では、交戦権という文言に定義はあったとしても、第九条において、それがどれを指しているのかは、真意と呼べる確かなものが無い。戦後直後の焼け野原で、日本が二度と戦争を起こさない目的で創られた憲法であることを鑑みると、「参戦権の放棄」と読まれても不思議ではないし、違和感も無い。
当時の生き証人、或いは議事録でも残っていれば、触れてみたい気もするが。
その、煮えきらない状態でも話は進めてゆかねばならないが、人間同士が殴り合いの喧嘩をした時をイメージすれば、私たちが選択すべき、ある程度の道筋が見えてくる。
【56】日本国憲法の未来
Aが殴りかかる加害者で、Bは自衛に徹する被害者。喧嘩っぱやいAとは対照的に、Bは自身が平和主義者であることを常に周囲へと明言し、また、平和的活動の職業にも就いているので、逆立ちしてもAに殴りかかることはできない。
Aの放つ拳を、Bは平手で受け止めたり、ひらりと避けたり、殴られないようにAの腕を掴んだり、或いは背後に回って羽交い締めにしたりと、懸命な対応をする。
しかしAがなかなか攻撃を止めないため、困り果てたBは、知人のCへ助けを呼んだのであるが、すぐに駆けつけたCは、日頃から格闘家なみに鍛え上げた肉体をつかって、あっという間にAを袋叩きにし、瀕死の重症を負わせてしまった。
その後の警察の捜査で、その3人ともに送検される事態となった。最初に暴力をふるったA、そして相手が素手だったにも拘らず防衛の度合いを通り越したやり過ぎCは当然なのであるが、実はBが、ほとんど身体が無傷であったことや、Cが
「Bに『やっちまいな』と命令されてやった」
と発言したことも災いし、この件で、Bは教唆犯の疑いをかけられてしまった。
本来、自分たちだけで解決できていた場面、例えば口論程度の状態にありながらも敢えて援軍Cを呼んだ、或いは最初からAを痛めつける目的でCを呼んだ等、自らは手を出さず、しかしながら暴行するのと同等の効果を得ようとした、Bは最初からそういう目的でCを呼んだのではないかという容疑である。
揉め事は積極的に防犯カメラの下で行うなど、自身を正当化するにも例外なく証拠が必要であるといった話でもあるが、しかしBが無罪であったとしても、Aが瀕死の状況となってしまったのは事実であり、結果的に、Bは応援を呼んだことを後悔する形となった。
微妙なところではあるけれど、やはり自らが行う解決手段だからこそ、のちのち世間に認められる場合も多くあると、私は考える。
それゆえ原則として、Bがとれる自衛手段の上限とは、Aを縄で縛る程度ではないのだろうか。助けを呼ぶのは良いが、必要以上にCが暴走した際に、Bは責任がとれない状況となる。
日本とアメリカの関係を、盾と鉾であると単簡に言切る政治家は、現実は、そこまで思い通りには事が運ばない可能性を認識すべきかもしれない。アメリカに助けを求めたのは良いが、仮に、その助太刀の場で米国が暴走し、願わずとも核兵器という鉾を使用すれば、日本は同罪となるのではないのか。
核兵器の使用は当然ながら自衛の範囲を超えており、また本来、日本が非核三原則に徹するのであれば、そもそもの話、核保有国と軍事同盟を締結すべきではない。
しかし逆に、もし、何の悪さもしていない日本の領土に再び核兵器が炸裂した場合に、その反撃として日本世論が核攻撃を懇願するのかも、私は今のうちから知っておきたいところではある。
私は、核の傘と呼ばれる、こういった日米安全保障条約の扱いを、今後どうすべきかも、日本国憲法改正問題と平行して、奥深い議論をすべきだと考える。条約を解消しても日本の安全保障が同等以上に保たれるのであれば、やはり解消すべきかとも考える。
また、永久的に日米同盟ありきではなく、時間がかかっても、日本は、やはりきちんとした自立を目指してゆかねばならないようにも思われる。
また、ABC乱闘事件の話に戻り、「縄で縛るのは、やり過ぎでは」という意見もあるだろうが、やはりそのくらいは最低限やらなければ、Bの安全は保たれないし、おそらくAからも賠償金はとれない。殴られただけ、損をする話で終わってしまう。過不足なく、を明確にすることは重要である。
有事の出口の賠償金問題は、大きな着目すべき点でもある。日本も、日露戦争には勝ったとされるが、ロシアから賠償金はとれていない。平時の折から、何か価値のあるものを預かっておくとか、対立する懸念のある国から賠償金を得る手段を、徹底的に模索しておく必要がある。
なので日本の目指すところは、有事の際に賠償金をとろうとするのであれば、
「敵国攻撃を行わずに敵国降伏を迫る」
とでも掲げるべき、異例の作戦行動となるので、例えば何らかの遮蔽システムを用いて、特定の軍事衛星を破壊せずとも運用できなくするとか、攻撃型レーザーを装備した軍事衛星を日本が打ち上げるとか、どこの国にも負けない解像度や機能を保持した衛星を日本が運用してみたり、次世代の大きな力で対峙国の何らかの機能を完全に遮断できたり、そういった、危険国の弱みを握るための方策を考案し、近未来で使用できる状態をつくっておく必要がある。
「日本には、とんでもない技術がある。日本とは、対立しない方が得策だ」
と対峙国に思わせれば上等である。
【57】護るべきもの
さて、いよいよ本当に最後となるが、ひとつの例を挙げる。
現行の日本国憲法の支配下で、私が大きく案ずるのは以下のような場面であり、このことについて、ぜひとも多くの日本国民の方々に、深く熟考をいただきたい。
「先日から協議を続けている日本への対応問題であるが、そろそろ結論をまとめようと考える。我国は、日本の領有へ侵入することなく、また日本の米軍基地をミサイル軌道上より明確に外し、遠隔地から、ひとまず通常弾頭を搭載した150発程度の中長距離ミサイルを一気に日本国土へと撃ち込み、そこでピタリと攻撃を止める。日本は当然ながら我国の領有に対しての砲撃は出来ないので、アメリカに対応を要請するであろう。しかし、その米国とて、日本への攻撃が延々と続いているのならば反撃目的で戦力を投入するであろうが、すでに攻撃が終了した状態においての戦力投入は、国際社会の評価においても明らかな報復と見なされるであろうから、日本側が憲法で戦争放棄を掲げている以上、米国は、おそらく大がかりな派兵はしてこないであろう。対話で解決してくれと。仮に派兵をしたとしても、そういう状況であれば、我国に対して銃火器の引金はひけない。つまり我国は、ミサイルは消耗するが、人的被害、軍事的損害を出さずに日本にダメージを与え、今後日本が、我国に対して敵対的措置を続けようとする意欲を削ぐ、まさに実益を得ることが可能となる」
日本が憲法で戦争放棄を謳っている以上、日米安保があったとしても、戦争のための援軍を米国へ要請することはできない。あくまでも個別的自衛権ならびに集団的自衛権が基軸となり、そのための専守防衛である。戦争協力は仰げない。
また、当然ながらその戦争放棄の条文は、今後も憲法改正されるべきではない。
しかし、その上で必要に迫られた際に用いられる、そういった集団的自衛権の行使等々には、当事国や協力国において、それなりの相互議論や作戦会議を経ることが考えられ、どんなに急いだとしても一定程度の時間を要し、数分、数十分であっという間に飛来するミサイルに対抗する割には、どうしても、日を幾重かまたぐ遅々とした実力行使になると予測する。要は、反撃のタイミングが遅い。
これは嘘でも何でもなく、事件や事故とは、発生した折、人々に瞬間的に大きなインパクトを与えるが、少しでも時が経つと、当事者は冷静な対応を絶対的に求められる。要は、同じ行動をするのでも、時間をおけば、世論に差異が出るのだ。
バットを振りかざして殴りかかり、一目散に逃走した犯人に対し、自宅に帰って、同じくバットを持ち出し、
「どこに逃げた。殴り返してやる」
と犯人を捜す被害者は、やはり自衛ではなく、報復行動ととられても致し方ない。
「ちょっとごめん、バットを持ってきて、手伝ってくれ。一緒に犯人を捜そう」
と、徒党を組んで走り回れば、それは更に明白な報復行為である。
自衛と報復は、明らかに質が違う。仮に、自衛が反射や条件反射とすれば、報復とは、思慮の末の計画的行動とも言える。
自衛とは、ある意味「抵抗」なのである。犯人の姿が見えなくなったら、もう、物理的に抵抗はできなくなるのである。安心は得られずとも、安全な状況に変わったと見なされるのである。
それゆえ、バットを持った加害者にバットで自衛しようとするのであれば、被害者本人もしくはガードマンが、最初からバットを携行しておかなければならないのである。
修羅場において、他の誰かに電話して駆けつけてもらう行為は、争っていた相手が視界からいなくなった場合は、抵抗ではなく、報復、犯人捜索及び逮捕、護衛、救助、といった意味合いが強くなってくる。自衛という行為は、その状況では、ほとんど行使するタイミングが終了していると言える。
つまり、国という大きな存在であるから、ある程度のタイムロスは許容されたとしても、その場で刹那に反撃をしない場合は、自衛という表現よりも、報復という言葉の方が、実情に近しいのである。
だからこそ他国任せでは、準備していたのはいいけれど、結局は使えない手段だったねと認めざるを得ない話となる。日米同盟ありきで結論を出すのは、思索が足りない。もちろん、報復もいとわない戦争容認の立場ならば話は別であるが。
また、ついでに申し上げると、反撃というくくりには、自衛と報復の、どちらの要素も含まれていると私は認識する。ゆえに反撃という文言を憲法に記載するのであれば、「報復行動を含まない反撃権の行使」等という条件付きの表記が必要となってくるであろう。日本は、報復合戦をしてはいけない。
日米安全保障条約とは、時として、機能しない。長期的な紛争には有効である場合が多いが、短期の、更には短時間で終わるテロ、通り魔のような犯行には、たとい死人が出ても、おそらく全く機能しない。光り輝く飾りの鉾。
その長期的な有事とて、米国の状況次第では分からない。世界大戦がおこり、米軍が世界的に散らばるような状況では、自宅の周囲に数百人の強盗集団が取り囲んでいるが、警察を呼んでもパトカー1台しか来ていない。しかも、その強盗集団の勢いに押されて、パトカーは逃げ帰ってしまった、等ということが、実際におこる可能性がある。
軍事作戦には、戦線を退く、部隊を一時的に撤収させる行動はざらにある。住人は、自力で強盗に立向かうしか術はなく、しかし叩きのめすことは禁じられているため、真剣白刃取りしかできない。
また、瞬間的なテロ、通り魔の話に戻り、国家がおこすそういった蛮行に、例えずたずたにやられたとしても、捜索ができない地域に逃げられたので犯人逮捕はできません、賠償金もとれません、治療費はご自分でご負担ください、と言われる始末。何が常識で何が正義なのか、皆目見当もつかない状況となる。
私は、のんびり屋さんだなと思う。憲法を改正するなとか、第九条を守れとか、代替策も提示せず、シェルター設置を推奨推進する訳でもなく、つまりこの世界的に訪れている危機的状況の中でも、安全保障について物理的なプラスαの行動をせず、言動も放たず、ただただ現状維持、変更には反対反対、ただそれだけを訴え続ける方々を。
今の日本に一番重要なのは、
「日本には、絶対にミサイル攻撃するな。瞬時に、まったく同じコースに、折返しのミサイルが飛んでくるぞ」
と、周辺国に警戒心をもたせることなのである。
私は、前述のとおり、現行の日本国憲法の一切の文言に、削除や書換えを望むつもりは無い。これまで日本をまもり続けてきた日本国憲法に敬意を表し、ただし、世界情勢の悪化という現状に則して、安全保障に必要な条項を付足す形で、日本の未来を護ってゆく方法があるのではないかと考えている。
まとめ。急速に悪化する世界情勢の中、私たちの未来をどう安全な環境へ保ってゆくかが、強く問われている。
外交努力も限界か、「戦争を仕掛けてこないで」という、世界が今日まで願い続けてきた他力本願的な防衛手段では、やはり国家は護れないのだということを、ロシアのウクライナ侵攻では、はっきりと証明された。
しかしながら、願わずとも発生した有事でも、強い制止力をもち、仮に早期終結が実現できれば、それほど莫大な防衛費を投じずとも済む。また被害とて、最小限で抑えられる。
そして、そもそも強靭強固な抑止力があれば、発端となる攻撃を踏み留まらせることが可能となる。
防衛力増強というのは、いつの時代でも金のかかる話であるが、仮に憲法を改正するだけで抑止力、制止力が数段増すのであれば、こんなに安い買物は無い。
私たち日本は、かつての連合諸国が願った「更生」という課題を、長い時間をかけて忠実に履行し、国際社会の平和希求を切実に支援してきた。
その、しっかりと国際社会の仲間入りを果たした日本が今度は何をすべきか、私たちは今、それを真剣に考える時期が来ている。
諸外国へ危害を加えないために享受された日本国憲法に心より感謝し、しかしこれからは、その目的のためだけに生きるのではなく、それに加えて、自分たちのために、自分たちの身は自分たちで着実に守れるように、法を整えてゆくことが望まれるのではないのか。
そう、諸外国を護るための憲法から、諸外国と日本国を護るための憲法へと。
2022年8月1日
Atelier Kaii
五郎丸 塊維
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その6【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その7【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その8【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その9【追記】
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その8【追記】
【44】節電対策「寝る前充電」
【45】金を貯めずに水溜める
【46】少子化対策のゆくえ
【47】「技能実習制度」の実名公表
【48】「ね」の使い方
【49】渾沌、その未来
【50】国道3号線の落とし穴
【44】節電対策「寝る前充電」
さて、ここからは色々なテーマが混在してゆくので、右往左往もご容赦を。
なかなか簡単にはゆかないエネルギー問題。エネルギー資源の調達が厳しい昨今、電力供給量に対して使用量が限度を超えれば、送電のブレーカーがばしゃんと落ち、強制的に停電がおこるとのこと。
今後はCO2を出さない発電体制の拡充を目指すのも重要であるが、私は、電力消費の分野においては、夜間充電の取組みは如何なものかと考える。
今や、ほとんどがコードレスの時代であり、バッテリーを充電すれば、ライトが点いたり扇風機が回ったり、モバイル端末などの電子機器が動いたりヒーターを加熱できたりと、わざわざコンセントから電源をとらなくても、あらゆるアイテムが自由に使える時代となった。
それらを円滑に作動させるには、もちろん充電が必要であり、それを「寝る前充電」と称し、今から寝ようとする際に充電を始め、消費電力が少ない時間帯に充電をしようという策。
ひとりひとりの消費電力量は微々たるものかもしれないが、地域全体、街全体ともなれば、それらは大きな電力量となる。需要の少ない夜間に充電し、日中にバッテリーを稼働させる。
ただ、念の為に注意点も。タコ足配線にならないように、分散させて充電を行うことと、あまり安物のバッテリーや充電池を、就寝中や、すぐに対応が出来ない状況で充電しないこと。万が一の火災に対する防御策を徹底し、落としたり衝撃を与えたりしたバッテリーは、そもそも充電をしないこと。
【45】金を貯めずに水溜める
蝉の鳴かない梅雨明けは、私の人生で初めてだったかもしれない。いつもは、まだまだ明けぬ梅雨にしびれを切らしたかのように鳴き出す蝉も、今年の梅雨明けの早さには、身支度が整わない印象だった。
それでもやはり、忘れていたかの梅雨の戻りが各地で見られ、また例年のように豪雨に襲われている。
その反面、春先の播種や梅雨の時期とは、それなりに農業関連では水の欲しい時節であり、春にまったく雨が降らなかったり、真夏が来るまで農業用水が無いような状況とは、米づくりにも影響が出る、非常に深刻な問題ではある。
そういう極端な傾向が今後続いてゆくとすれば、考えもの。治水計画がうまくゆくことを願うばかりであるが、しかし強化すべきは堤防工事ばかりではない。
総合的な打開策を考えれば、やはり、以下のような手法にまとまってくるのであるが、農業用水などは河の水に総てを頼るのではなく、本格的な雨季のおとずれの前に利用できる溜池を、特に例年水害のひどい地域のやや高地の、それも近くに川のある場所へ造成し、秋から冬のシーズンに水をプールしておく。その池はもちろん、複数の溜池と揚水発電も兼ねた形で設計し、通年、電力調達の一翼を担う。
また、そのため池は、大雨の時期が訪れる前には、予めそれらを空の状態にしておき、豪雨によって河川が氾濫しないよう水量を調整するなど、水害対策にも利用ができる。
つまり揚水発電用の溜池を、電力供給と農業用水確保と渇水対策と豪雨災害対策に利用しようという案。
【46】少子化対策のゆくえ
経済の問題にも関連する項目。今、極端な円安であることも影響し、世界を相手に、同じく極端な事象が起こっている。海外資本が日本の不動産や優秀な人材を買い叩き、あからさまな日本進出を企てている。今後は企業買収なども、増えることが予測される。
そのままの状況で近未来が安定してしまえば、日本の土地で、海外の経営者に日本人が雇われ給料をもらうという、言わば私たちの日本が、外資系により植民地化するという事態に見舞われる。
もちろん、それはそれで生きてゆく術なのかもしれないけれど、やはり日本人として何とか祖国を立て直そうと自立する意識の元、国民一丸となって頑張ろうと奮起するのであれば、どうしても少子化問題に行き着いてくる。産業を支えてゆく人がいなくなれば、程なく訪れる、過疎国日本である。
二極化した経済構造を平たくできれば、低所得者の収入にも余裕ができて、結婚出産子育てへと向かう国民も増えるのかもしれない。
しかし、政府が行っている実質的な政策を見ても、やはり新婚世帯に対する補助金が中心で、長期的な安心感を得られるとは言い難いもよう。安定生活への見通しを立てづらい。
要は、新築物件を見に行って、外観は完璧過ぎるくらいに立派だが、中を一切見せてはもらえない。ギャンブル婚。ギャンブル出産。まさに、踏ん切りもつかない状況かと。
また、出会いの場を提供するような取組は見当たらず、お相手くらい自分で探しなさい、といった構え。何か、例えば自治体が独身者の男女を登録して、イベントや炊き出し、支援活動等々でスタッフとして呼び、そういった活動を通じて結婚相手が自然に出会ってゆく等の展開があれば、実りのある取組となるのではないだろうか。
仮に、このまま低迷した状態で、日本がいよいよ窮地に陥った際の話をしてみる。
その危機的状況下では、思い悩むところではあるも、側室制度を真剣に考えた方が良いのかもしれない。
金が無いと、子育てはできない。ならば金のある人に、そういう役割を担ってもらわないと立ち行かなくなるのは必至であり、当然、愛とか常識とか、綺麗事は言ってられなくなる。
実際には、側室制度を希望する人が、正室から正式な了承を得たのちに、本人面談を含め、定められた審査を受け、次点の配偶者と共に入る側室という新しい戸籍を、例えば現代の相場で2億円や3億円で購入する。
この高額な金は、言わば保証金のようなもので、側室戸籍の管理だけではなく、側室に子供が生まれたのは良いが筆頭者の事業が倒産したなど、万一不測の事態が起きた場合でも子育て支援ができるように、予め預かっておく金でもある。あまり安価にすると申込者が増え、社会的に混乱をきたす。
また、財産分与の話でトラブルや刑事事件になることを防ぐため、厳に財産は戸籍の数で均等に分配する形をとるか、戸籍へ一切の財産を残さずに戸籍外へ処分することを遺書で記すかの、どちらかしか選択できないようにする。
以上が側室制度の概要であるが、くれぐれも申し上げておくが、上記は日本の土俵際で協議されるであろう案件であり、私はこれを推奨している訳でも何でもなく、私自身も、未来で側室申請することは1億パーセント無いであろうことを名言しておきたい。
【47】「技能実習制度」の実名公表
今般までの技能実習制度は、名称を変えた方が良い。「奴隷制度」へと。
制度の主旨に賛同し、真面目に、誠実な遣取りをされておられる方々の気持ちを土足で踏みにじるような場面が、あまりにも見受けられる。強制労働という言葉が、微笑ましく思えるくらいである。
雇用する側もされる側も、本来、人の重みは変わらない。人権侵害の度を超えたかの暴言を浴びせるなど、そういう、日本の評判を下げる為の制度であるのならば、解体して然るべき。
【48】「ね」の使い方
近ごろ、新型コロナウイルスと同じくらいの勢いで目立ってきたので書くことにしたが、この辺りで修正をかけないと、どうにも手遅れになる気がしている。私自身もこれに感染することが多々あり、気をつけるようにはしているのだけれど。
親が子供に対して使うことが多いので、子育て用語とも言えるかもしれないが、話し言葉で使われる「ね」という、言わばタメぐち系の言いまわし。このところ、メディアの、しかも報道番組の全国放送、特に天気予報などで平然と使われ始めたので、ちょっと皆様にもお考えいただきたい。
具体的には、
「昨日はね、」
「他にもね、」
「実際にはね、」
「それはね、」
「今後もね、」
「梅雨が明けたらね、」
「総理ね、」
など。
私から、関東地方の方々がこれらの起因となっていると言い切ってしまうのは反感を買うのであろうが、私は数年前から、関東に関わりの深い地域のローカル番組で、こういう言葉づかいが日常的に横行しているのを、すでに把握していた。
ただ、仲の良いお友達など、親しい人と食事をしに行った時などの会話で、こういう言い回しが出てくるのは良くあることなので、悪いという分類ではなく、特に問題視はしていなかったのだけれど、やはり、例えばテレビを見て育った子が、いざ就職活動の面接などで
「幼い頃はね、けっこう活発な子供だったんですよ」
など、タメぐち混じりで面接官と会話をすれば、採用されるべきものも受からなくなるのではないだろうか。
「幼い頃はですね、」
「昨日はですね、」
「他にもですね、」
「実際にはですね、」
「それはですね、」
「今後もですね、」
「梅雨が明けたらですね、」
「総理ですね、」
と、面倒かもしれないけれど、せめて全国放送では、きれいな言葉を使ってもらいたいものである。
そう、言葉は正しく使わないといけない。小池都知事の仰るように、
「ファイザー、ファイザー、モデルナ、モデルナ」は
「PPMM」であり、
「FFMM」ではない。
【49】渾沌、その未来
露UKR侵攻が、渾沌としている。目、口、鼻の孔は、これ以上空けようとしない方が良いのかもしれない。
ただ、秋頃には確実に戦況に変わり目が訪れそうで、更には極東で、協力国も参加する大規模軍事演習を行うと明言しているロシア連合の動きも、特に注視しておかねばならない。
なぜなら、ウクライナ侵攻の開戦時と同様、訓練を口実に部隊を都合の良い地域へと集結させ、配置し、そのまま奇襲をかけるように攻め込んでくるパターンも大いに想定できる。それゆえ日米韓は、最悪の事態への準備をしておくべきかと考える。
訓練は、開戦の口実に使われる。だから北朝鮮も、自国の近くで行われる米韓軍事演習を、ことごとく嫌うのだ。
もう、本当にいい加減にしてほしい。国際的に決して認められない軍事侵攻による領土拡大を、ロシアはCO2を大量に放出しながら平然と行っている。
これを前例として認めさせれば、世界では、今後は更なる国盗り合戦が繰広げられることになる。今が苦しいのではなく、もっと苦しい世がくる。プーチン大統領のように、数百年、或いは数千年前まで歴史を戻すべきだと主張してくる国も現れる。
地球はもう、怒り心頭である。猛暑、干ばつ、森林火災、海面上昇、ゲリラ豪雨、土砂災害などの風水害、地震、津波、噴火、永久凍土融解、ウイルス、動物蜂起、大寒波。それらは、さようならの合図ではないのか。
地球は人類の大家さん。大家さんに失礼なことをすれば、賃借人は叩き出されてしまう。地球から放り出されたら、いったいどこに住むのであろう。
まったくもって、迷惑な話。戦争をするのであれば月面でやってほしい。しかしそれも、月とて困惑する話。
「あなたが生まれてこなかった方が、地球と人類は幸せだった」
と言われるのは、この世で受ける、最大の恥ではないのだろうか。情けない王冠をかぶせられる前に、首謀者は銃を降ろすべきである。
【50】国道3号線の落とし穴
これは、嘘偽りの無い、まったくの実話である。
無料で通行できる道路で、九州の大動脈にあたる国道3号線、その広い道路の、福岡市博多区のとある交差点で、私は歩行者として信号待ちをしていた。
面白いことに、まったくの対称的だったのだが、私の待つ歩道には、私を含め3人の男性が信号を待ち、右折レーンも合わせて5車線の交差点の対岸には、若い女性が同じく3人待つ。男性側も女性側も、ふたりが歩きで、ひとりが自転車にまたがっているという状態。そして計6名の、誰もがおそらく知り合いではない模様。
明らかな違いがあったとすれば、女性3人のすべてがスマートフォンを手元で扱っていたのに対し、私たち男性は、誰ひとりケータイを扱わず、自分の目の高さで周りを見ているという点。
歩行者用信号が、青になった。私たち男衆は、一斉にスタートを切った。
当然ながら自転車の男性が一番に道を渡り切るのであるが、滑稽なことに、女性たちは3人とも、横断信号が青になったのに気づかず、スマートフォンに気を奪われたまま立ち尽くす。
その自転車の女性の目前を、男性側の自転車が通ったことで状況が変わるのだが、自転車女性は、一度顔を上げ、信号が青になったことに遅れ馳せ気づき、すぐに自転車をこぎ始める。
するとどうであろうか、残されたふたりの歩行者女性たちが、すぐ隣の自転車女性が動き出したことに反応し、ふたりとも同様に、スマートフォンの画面を見つめたまま、横断歩道を歩き始めた。
さて、回想記録はここまでとなる。どうであろう、違和感を感じていただけただろうか。
「ぜんぜん、普通じゃないの」
と仰る方は、失礼ながら、遺書を書いておいた方が良いかもしれない。
問題なのは、スマートフォンを扱っていたふたりの歩行者女性が、顔も上げずに横断歩道を歩き始めたこと。
道を渡ろうと考えている歩行者や自転車は、必ずしも、信号が青になり、安全に渡れることを確認してから歩みだす人たちばかりではない。中には先を急ぎ、信号が青になるのを待ちきれず、赤なのに、行き交う車が途切れる
「今だ!今なら渡れる!」
という瞬間を、必死で追い求めている人も存在するのだ。
そんな人が道を渡り始めたからといって、大の大人が、自分の歩む横断歩道の状況を確認もせずに、スマートフォンを見つめたまま追従するように渡り始めるのは、自殺行為と言わざるを得ない。先導者は逃げ切るだろうが、赤信号を遅れて歩き始めた瞬間、遠くから青信号で加速してきた車に、猛スピードではねられることになる。クラクションを鳴らされ、顔を上げた時はもう手遅れで、体は宙に舞う。
自分の命よりも大切なスマホ画面はあるのだろうか。
スマホ社会が如何に危険な社会であるのか、きっちりと認識しないといけない。
青信号であることと、車が暴走してきていないか。その、たった2点さえ確認すれば簡単に安全が手に入るのに、スマホ画面から、目をそらそうとしない。
歩きスマホで踏切の遮断器の前で止まり、ところがその立ち止まった場所とは、踏切の外側ではなく、内側の、しかも線路の上だったという、あの若い女性の悲劇が、何の教訓にもなっていないではないか。彼女の死が、無駄になっている。周りの人々が、助けてあげることが出来なかったものかと、悔やまれてならない。
信号待ちスマホや歩きスマホは、気持ちは理解できるけれども、歩行者も車も同様に危険であるということを周知しなければならないし、国家公安委員会も、こういう類いの注意喚起動画をつくるべきである。
また自動車メーカーとて、スマホを扱うのを推奨しているのは、かなりの問題がある。
車の運転で信号待ちをしている間にスマホを扱い、前の車が進んだのに気づかない停止車両に向け、センサーで、近ごろの車は運転席に警告音が鳴るようにつくられている。まさに信号待ちスマホ推奨のゆるゆる甘やかしケアである。
私が自動車メーカーの立場だったら、自動的にエンジンを切り、ロックをかけ、その信号待ちの状態のまま、懺悔の3分間、ぴくりとも動かない車にしてしまうだろう。運転手は後続車から嵐のようにクラクションを鳴らされ、オロオロと慌てふためき、それを機に、二度と信号待ちスマホをしなくなる。
獅子は我が子を千尋の谷に落とす。それが結果的には、あおり運転を減少させ、事件事故の無い、安全安心の世の中をつくりあげることになるのである。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その6【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その7【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その8【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その9【追記】
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
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新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その7【追記】
【30】節電対策、熱中症対策、「頭を冷やせ」
【31】熱中症対策「体内のラジエター効果」
【32】「一玄三白(いちげんさんぱく)」
【33】実現できるか「老若分離」
【34】やれるか、バブルの「二段階ゾーニング」
【35】働く環境、列車内のマスク着用は
【36】沖縄の感染拡大、その訳
【37】沖縄民謡の心配事
【38】重ねてみれば、見えてくる波
【39】GW年度替わり案
【40】人とウイルスの出会い
【41】沈黙列島「行動やめずに、言動やめよう」
【42】濃厚接触者のAIによるみなし陽性判断
【43】ひとすじの光
【30】節電対策、熱中症対策、「頭を冷やせ」
さて、ここからは、延々と燃え続ける課題。やはりエアコンの時期になれば必ず突出してくる新型コロナ。ただその前に、関連性もあるので、熱中症の話を少しお聞きいただきたい。
日本では、いつの頃からか、夏の暑さを乗切るためのアイテムに、エアコンが一番重宝される存在となってしまった。
私自身は、エアコンなどこの世から無くなっても構わないと考えるひとりではあるけれど、あまりに現代人と価値観が離れすぎてもいけないし、歩み寄りの気持ちを持って、以下の記事を書いてゆきたい。
エアコンの、要は冷房機能を重宝するのは良いとして、
「エアコンを買ったから、もう扇風機は要らないよね」
と扇風機を部屋から撤去する習わしがあるのならば、それには待ったと言いたい。
エアコンは、メインで使おうとすれば、かなりの電力を要する。汗ばむ体を希望どおりに冷やすには、部屋の空気をすべて、希望以上にきっちりと冷やして、それから徐々に、人体の表面温度を下げてゆく。
私がエアコンを使うのであれば、扇風機の補助として用いる。扇風機は、やはりなかなか優れたアイテムで、あたれば直ぐに汗を乾かし、その際の気化熱で、皮膚の表面温度を下げてくれる。
しかしそれでも、湿気の多い室内などでは蒸し暑いし、風も生温かい温風となるので、そういう際には、エアコンを点けて扇風機の風の温度を調整するのである。
なお、この場合の注意点としては、長らく同じ環境に居続けないこと。人間は、じわりじわりと周囲の環境が変化してゆく場合には、それに気付かないことが多い。少しずつ匂いが変化したり、朝は部屋の中が涼しくて冷房を入れなくても、そのまま部屋を出ずに午後を迎えれば、室温がかなり上昇していることに本人は気づかない。
これが室内型熱中症の大きな落とし穴で、一度、感覚をリセットすることが重要となる。わずかな時間でもベランダに出たり、庭を歩いたりしてから自室に戻ると、もわっとしている状況に初めて気づく。
高齢者は、時刻を記入できる、トイレの記録票もつけておくこと。トイレの回数が減り、間隔も空いているのに行きたくもない、脚がむくんでもいない場合は、水分摂取の警告が出ている状況と思われる。
エアコンを使わない場合や弱設定で節約使用する際は、椅子に載せた水受皿の上に凍らせたペットボトルを置いたものを扇風機近くの風道に配置すれば、簡易的な冷房機能となる。部屋全体をエアコンで冷やし続けるか、ペットボトルのみを冷凍庫で冷やすか、それだけの違いである。
冷房の弱点は、保冷性に乏しいこと。スイッチを切れば、すぐに室温が上がるので、連続運転をしないといけない。うちわも含め、多種の冷感アイテムを併用し、CV19の感染拡大を封じるためにも、エアコンの全依存型を見直す。
また、凡庸なコメントで気の毒にも、保冷剤をタオルでぐるぐるとくるみ、氷枕にすると寝付きが良い。タオルで巻いた冷凍ペットボトル等も、首まわりや後頭部、ふくらはぎ、手首などを冷やすのに最適である。
とにかく夏場の室内は、自身の血液を冷やすことを忘れない。昔から、馬鹿なことを発したら「頭を冷やせ」と言われるが、血液を冷やしてあげないと、脳が正常に機能しなくなるのである。だから首のうしろ、うなじの部分を太陽光で焼いてはいけない。
【31】熱中症対策「体内のラジエター効果」
こんな経験は無いだろうか。冬の凍てつく外の空気で、マスクを外して思い切り息を吸い込んだら、鼻の奥が驚く程ひやりとした経験は。
あれは人間が、鼻腔や喉をラジエター機能として使用していることの表れであり、普段マスクをし続け、温められた空気ばかりを吸い込んでいると、いざ冷たい空気が入り込んだ際に、体がびっくりしてしまう。
暑い夏にカキ氷やアイスクリームを食べたり、冷たい飲物を飲むことで、人間は喉まわりで熱交換を行い、脳の温度を下げている。つまり熱中症のリスクを下げている。
夏季にマスクをする際、特に運動する際は、このラジエター機能の欠落に注意をしなければならない。
だから本当は、政府が積極的に、JIS規格とはまた違った、それぞれのマスクに評価を付してゆくべきなのである。
体罰の類か、マスク・ランニング中に倒れた不幸な事故などもあり、マスクを絶対的に着用すべきでない運動種目も多いので、それを明示するのも重要となるが、運動の際の息どおり指数、飛沫のカット指数、横漏れ指数、会食向き指数、繰返し洗濯指数などをひと目で判るようにチャートグラフを用いてパッケージに明記し、マスクの種ごとに優劣をつけるグレード判定を行うというよりも、民が目的に応じて、場面場面でマスクを使い分けることができるように、明かりを灯す。
今は比較的、ファッションや使いやすさ、価格の方が使用の条件に影響しており、その場でどういうマスクが最適なのかは、積極的には追求されていない。もうすぐ転機が訪れると思うが、私は、サージカルマスクでは、飛沫の漏れる懸念があるので、高齢者のケアに使用できなくなる時期が、おそらく来るだろうと考えている。
【32】「一玄三白(いちげんさんぱく)」
さて、いよいよコロナの話。新型コロナウイルスは、はっきり申し上げて手強い。なので先ずは、面倒臭がらずに、色々な手段で、私たち人間の基本的な強さをレベルアップしないといけない。ワクチンだけに頼る、任せるのではなく、自分たちの身体を強靭なものに鍛え上げる。
とは言っても、筋トレではない。食生活が人間の健康状態を左右するのは、万人の既知のとおり。その中でも私は、「一玄三白」を勧める。
一玄三白は私のオリジナルの表題につき、ネットで検索しても出てこないので詳しく解説するが、三食、白米や白パンが続いたら、次は玄米または全粒粉のパンを選ぶ、或いは食事の際は、玄米と白米を最低でも1:3で混ぜ合わせようという取組。
精米すれば取り除かれてしまうが、玄米に含まれる胚芽や糠(ぬか)には、ビタミンをはじめ、現代人に不足しがちなカルシウムなどの熱中症対策にも有効なミネラル、そして便秘解消の食物繊維がたっぷりと入っている。人間の体に常に必要な有難いそれらを、白米は、敢えてわざわざ手間暇かけて無駄な労力を使い汗を流して除去し、商品化され、私たちは残りカスを平然と食しているのだ。
また、ここで私は申し上げておくが、熱中症の発症にもあからさまに直結するミネラルとは、けっこう、努めて摂ろうと意識しなければ、忙しい現代人の、ちゃちゃっとお気軽食事では、なかなか必要量を摂り込めないということを忠告しておきたい。うどん屋に行くのなら、最低限のワカメうどんである。
ハンバーグなど、子供が喜ぶ食事メニューばかりを作っているお母様、あなたが子供の熱中症を引き起こしておられるのですよ。
歳を重ねてゆくと、ミネラルが切れた際に、身体が持ちこたえられなくなってくる。体調が急激に悪化する。
更には、このコロナ禍でも重要なポイントになるが、ミネラル不足は、免疫力の低下にもつながる。ミネラルを蔑ろにするから、現代人はコロナに弱みを握られる。悪いことばかり。
塩を舐めてればいい、と考えている人は、更に危険。塩だけでミネラルの必要量を賄おうとするのなら、明らかに塩分の摂り過ぎになる。というよりも、塩だけではなく、砂糖にもミネラルは含まれている。ただし白砂糖ではなく、黒砂糖であるが。
玄米の話に戻る。今まで玄米を食したことが無い人が、体に良いからと、一気に大量に食べると消化不良や便秘をおこすという話もあるので、まずは良く噛んで食してもらうことが重要となる。私は玄米を食べ慣れているから、不都合に感じることは何もない。
逆に、玄米からしばらく離れると明らかに便秘がちになるし、更には白パン生活を長らく続けると、確実に便秘になる。米食と小麦食の比較でも、便秘の差が大きく出るように感じるのであるが、それでもうどん等の麺類で便秘がちになった経験は、ワカメうどんのおかげなのか、私はあまり無かったようには記憶しているので、やはり白パン食の常態化には、特に気をつけた方が良いという考えには至っている。
便秘は肌荒れの原因。失礼ながら、パンを主食とする欧米人の肌と、米を主食とする日本人の肌では、きめの細かさが明らかに違い、そういう関連性もあるのではないかと思われる。
砂糖も同じく、白砂糖ではなく黒砂糖で、その関連の焼菓子ならミネラル食である黒棒。白パンよりも黒パン、全粒粉パンを勧める。
米も麦も、精白する行為は、人間の体を不健康にする。便秘は多病大病の元凶。便秘でお悩みの方は、玄米生活に切替えてみられては。
納豆も、いつも申し上げるが常食したい。この夏でも、新型コロナウイルスにかかって、喉が痛い痛いと苦しんでおられる方が何十万とおられる訳だが、食後に納豆は欠かさず食しておられるのだろうか。私は喉が荒れた時は、鎮静剤がわりに納豆を食して治めるけれども。
【33】実現できるか「老若分離」
政府が今やらなければならない喫緊の課題は「老若分離」である。これだけ感染が急拡大し、やはり毎度のように若年層にCV19の感染率が多い現状では、可能な限り、高齢者と若者を近づけない生活スタイルを提案してゆかなければならない。
そんな折、びっくりしたのは、この夏のワクチン接種のすすめ方。エアコンのスイッチが入りだしたら感染が急拡大してくるのは明白であるのに、医療従事者や介護職就労者へのワクチン接種がまったく計画されず、後手に回る対応となった。
高齢者、医療従事者、介護職員は、まさに同居家族。病院や介護施設でどういうことが起きているか、政府は知っているのだろうか。
「あら、これ食べないんですか。ちょっとちょっと、聞こえてますか。あのね、こーれー食ーべーないんですーかー」
高齢者は、すべての方々とは言わないが、耳が遠い。普通ならば囁く程度で聞こえる会話でも、語りかける側が敢えて大きな声を出してあげないと、言葉の意味を理解してもらえないのだ。
これが実は、大きなリスクとなる。入院している高齢者は、夜な夜な徘徊して、コロナを院外からもらってくる訳ではない。面会も自由でない現在、やはり入所者が感染した場合は、看護師や介護職員など、ケアをする立場の人たちから感染が拡がっていると考えるのが妥当であり、そういう職場の方々は、もちろんサージカル以上のマスクを着用してはいるのだけれど、高齢者の耳元で必要以上に大きな声を出すことは、無症状でも、万が一コロナ感染していた場合に、ウイルスがマスクを突き抜けて出てくる懸念がある。静かに語りかけるならばまだしも、大声を出せば当然、マスク効果は半減するのだ。
富岳CPUでも、50センチ以内等の近距離会話では、サージカルマスクを着用していても感染伝播が増大するというデータが出された。そういう職場環境なので、やはり高齢者のケアをする方々も、きちんとワクチン接種を済ませておくのは大前提なのである。耳なし芳一か、高齢者を護りきれていない。
高齢者、医療従事者、介護職就労者は、或る意味ファミリーであり、或る意味同居者なのである。「行ってきます」と施設へゆくのと、「行ってきます」と自宅へ帰るのと、然程変わりはないのだ。一緒にいる時間が長いのだ。それゆえ高齢者に近づくならばワクチンを打つ、それは定めである。
社会の中でも、可能な限り、老若分離のゾーニングをしてゆかなければならない。店の中でも列車の中でも、風上に高齢者、風下に若年層、その間は中高年。その配置を行うだけでも、死者数の減少は顕著に表れるのではないのか。
私は、変異株がどう影響を及ぼすかは知らないけれど、この冬が至極に恐ろしい。
空気のきれいな、スーパーの開店時は高齢者、昼からは中高年、夕方からは若年層など、そういう度を超えた取組も、看過できない状況となってくるはず。この冬に向けて、準備検討を進めるべき。
この冬は、ロシアの件も含め、日本の国土は地獄絵図になるかもしれない。
【34】やれるか、バブルの「二段階ゾーニング」
その、ゾーニングの類いでもうひとつ話をすると、行動制限をする際に、これまで飲食店をターゲットにする取組が断続的に行われて久しいけれど、飲食店の時短営業に、社会的に感染を収束させるだけの根拠は認められない、そういった司法判断も実際には出た訳で、例えばコロナの致死率が格段に上がり、大規模なロックダウンでも計画しようかという時期にでもならないと、飲食店の時短営業は、おそらく使えないであろう策となった。
この夏の米国でも、週に2600余人ものコロナ死があるというのに、テナントの営業には何ら影響していない。
ゆえに私は、世情に諸々はあるものの、やはり重要なターゲットは「同居者」の括りであることを、行政ならびに国民に、今一度申し上げたい。
つまり、飲食店が閉まれば人々は食べる行為をやめる訳ではなく、家庭内で同居者もしくは友人とわいわい食事をすれば、飲食店に食べに行ったのと同じ。なので店内換気という条件はつくものの、例えば毎日生活を共にしている同居者で飲食店を利用することは、さほど、これまでの感染対策に影響を与えるものではないと言える。それはもちろん、同居者で注意を払いながらゆくバブル旅行とて同じ。
それゆえ、特に感染拡大期で大事なのは社員飲みではなく、家族など、同居者での外食。経済をまわしながらコロナを拡大させないための、二段階ゾーニングの第一弾目となる。
拡大期にマスクを外すのは、可能な限り、ひとつ屋根の下で暮らすメンバーの中だけで行う。常に、同じ同居者バブルで行動する。もしくは単身者が単独バブルで行動する。或いは恋人同士などでも同様で、いつも同じ少人数のまとまりでバブル行動することが望ましい。
別の世帯、つまり別のバブルとは、極力飲食を共にしない。ゆえにそもそもが、行動制限と言うよりも、メンバー選び、バブルの選定の問題なのだ。「またこのメンバー」と言われるまで、また言われても、そのメンバーで食事をする。
この辺りはもちろん、今までの取組にも沿うものではあるけれど、近ごろはマスクの着用推奨も部分的に解かれ、コロナ終息くらいの気構えで過ごす人々も多く、これらのルールを守らない場面も見受けられ、再確認の意味でも記載をする。
その常識の範囲であるが、仮にそのバブル内で感染疑いが出た場合は、すぐにロックをかけ、検査や隔離などを行ってゆく。これが二弾目のゾーニング。濃厚接触者の隔離など、そういう意味合いの行動制限が必要となる。
可能ならば、そこで出た陽性者には外泊型隔離療養をしてもらい、同居者の介助感染を極力抑える。
それらの措置が物理的に難しくなれば、都会に住まう小学生くらいの子供たちに、夏季ならば、7月はじめから8月のお盆までは、全国の田舎の廃校や山寺を利用した疎開をお願いすることも一考となる。
その疎開先で万一子供たちに感染があったとしても、そこから先へは拡がりにくい。反対に都会での同居生活は、感染が延々と拡がってゆく。一時的にでも世帯人数を減らすことは、有効な策といえる。廃校を利用した一時分校なども、手段のひとつ。
都会生活の話に戻り、そういう実情であるので、バブル行動を既に行っているという前提で申し上げると、感染対策を一層強化すべき第一警戒区域とは、職場、学校、保育所、そして別バブルの子供たち同士でゆくテナント等となる。
ただし、この別バブルの子供たちは、そもそも同居者のいちバブルとして認められる範囲ではないので、例えばマスク無しでファストフード店で会話をする行為は、自粛要請することが求められる。
マスクを着用し、セレクトショップ等で友達と買物をする程度は、認められる範囲である。要は、生活の上でマスクを外す場面をリストアップして議論を重ね、対策を講じてゆく。
上記の第一警戒区域は、違う屋根の下で暮らす人たちが日常的に集まる場面なので、マスクの無い会話をその関係者で実行すると、バブルという守りの形態が崩れてしまう。
なので、どうしても職場のメンバーで飲み会をしたいのであれば、徹底的な感染防止策を施している飲食店へゆくか、社内に安全に飲み会が出来るスペースをつくるか、陰性実施をして、なおかつ、事後自粛を行う。
同居者、同居者、同居者。オミクロン株の台頭で、CV19の感染力が凶暴化してきたこともあり、私はかつて「群れ」と言ったが、とにかく同居者という枠に注視する。バブルで包む。そしてバブル同士が接触する際は、徹底した感染予防を忘れない。
新型コロナと熱中症、双方の懸念もあり、小学校などは、常緑樹の木立を校庭の外周にぐるりと植え、木陰をつくり、丸太のベンチを設置する。また、雨の日でも座れるように、窓の無い吹きさらしの小屋をつくり、風の無い日のために、扇風機も数台設置する。
そういう境内のような環境で授業を行う方が、エアコンを入れ続ける教室よりもエコであるし、よほど安全ではないのだろうか。エアコンに慣れると、ずっとエアコンを浴び続けなければ済まない身体になってしまう。加減が必要。
【35】働く環境、列車内のマスク着用は
熱中症のリスクもあり、メリハリのあるマスク着脱が求められてはいるものの、現状それが誤認され、うまく機能していない。
現在、屋外ではマスクを外そうといった流れがあるが、ところが外を歩いて駅へ向かい、そのままホームで到着した列車に乗り込む際、マスクを着用せずに乗る人も多く存在する。場面の区切りではなく、屋外にいるままだという感覚。
もちろん、混み合っていない列車の中でのマスク非着用は、私も認める姿勢はあるけれど、ただ、危険なのは、周りの状況の変化に本人が即時に応答できるのかという課題。
列車内は当然、屋外ではない。バスも含め、換気性能が向上しつつあるとはいえ、公共交通機関は閉鎖的空間であり、窓全開で走行するのならばまだしも、マスク無しで乗れるようになるほど、冷房の効いた車内は安全ではない。
そんな中、乗客の会話がまったく無い車内なのか、本人も同乗者と喋る状況ではないのか等、気をつけるべき項目もあり、本人が全部の場面についてゆけるのかが、私には不安である。
例えば、以下の例。
この夏、乗務員の新型コロナ感染を受けて決定された、JR九州の特急列車の運休が全国的な話題となっているが、私はその取材映像で、不思議な光景に出くわした。到着した特急列車から駅のホームへ、ぞろぞろと乗客が降りてくるのは良いが、まあ、まあ、まあ、まあ、マスクを着けていない客の多いこと。アフターコロナとでも言わんばかりの絶景が、そこにはある。
何を勘違いしておられるのだろうか。もう一度言うが、列車の中は屋外ではない。窓が自由に開閉できる鈍行列車ならばまだしも、この種の特急列車でのノーマスクは大変危険。
この種というのは、対象の路線は、東側なら博多と北九州、別府、大分などを結び、温泉地も商業地も経由する、実質的にビジネスと観光の両方の客が混在しており、その運行の中で、例えば観光客が車内でビールに駅弁でワイワイがやがやという状態であったりするのならば、この強感染力のオミクロン株が縄張りを主張している現在では、非常に乏しい防衛策であると言える。
ついでに申せば、観光列車の類いは、鉄道職員にとって、非常に劣悪な職場環境なのである。
列車内は屋内。寸法的に、列車一両の通路は、スーパーマーケットの商品陳列通路くらいの長さをイメージさせるが、仮にその陳列通路で、たくさんの人々がノーマスクで会話し、ワイワイがやがややっている状況で、あなたは希望の商品を取りにその人混みの中を掻き分けてゆくであろうか。私だったら、マスクにフェイスシールド着用でも生きた心地がしないけれど、そんな中でマスクを外して弁当を食べようなど、あまりに無防備だと言わざるを得ない。
車掌や売り子たちは、そんな危険な場所を、業務のために突き進んでゆかねばならず、一両だけでなく、歩む度、次の車両、そのまた次の車両も同様に宴会状況であれば、乗務員たちは延々に危険と向き合い続けることになる。
マスクを着用し、独りで物静かに乗っているビジネスマンなども、それで感染を被ったら最悪である。今は、マスクをしていてもコロナにかかると想定しないといけない。
こういう職場環境を、国土交通省は放ったらかしで良いのであろうか。交通機関の中、特に観光目的の乗物内はマスク着用を義務とし、航空機の中でのマスク着用を拒否するなど、乗客が従わない場合は排除できるように、交通各社へ権限を与えないといけない。
日常生活においてマスク着用を止めた人は、ポケットにいつでも着用できるマスクを忍ばせている訳ではない。そこに、コロナ対策への誤認がある。今のご時世、通行手形は必ず持ち歩かないといけない。
公共交通機関での飲食の際は、必要最小限の会話を小声で、可能な限り黙って味わっていただくことを周知徹底すべきだと考える。
今回、JR九州は期限付きの運休としているが、こういう職場環境では、正常ダイヤに戻したあとでも、再びのコロナ運休は充分あり得る。
【36】沖縄の感染拡大、その訳
列車の中に限らず、閉鎖的空間の悪い例となるが、沖縄がどうしてGW以降、ずっと燃え盛っているのかを解析すれば、私の主張を理解していただけるように思う。
沖縄はGWの時期に、すでにエアコンが稼働している。何度も言うように、エアコンの除湿機能はウイルス飛沫の水分を瞬時に乾燥させ、飛沫が極小化する。するとウイルスは遠くにも飛んでゆくし、重さも無くなるので空気中に漂う時間も遥かに長くなる。もちろんマスクにも通過しやすくなる。つまりマスク効果は、エアコンの稼働により半減する。
また、冷房で部屋を冷やすことは、暑がりであるウイルスにとっても心地よく、ウイルスが長生きできる。
沖縄はさらに、大家族の構成が多い地域であり、三世代四世代がひとつ屋根の下で暮らしているので、世代間感染が拡大しやすく、また、家庭内キャッチボールが続くので、なかなか収束に持ち込めない。
ペットとして飼われている小動物も含め、エアコンがどれほど私たちのコロナ対策に悪影響を及ぼしているのか、政府は本腰を入れ、マウスにもお願いして徹底的に実験をして、数値を明確化すべきである。
「そんな徹底検証しても、どのみち私たちの生活からエアコンを排除できないよ」
というコメントは拙速で、どのくらいの度合いで影響があるのかを明確化するのは、対策を考える上で重要なことなのである。コップが要るのかバケツが必要なのか、現場を知らぬは、机上の空論を招くのである。
この7月の冷房期の感染拡大状況は、これまでほとんど近似値で推移してきた福岡県と北海道が、やはり暑さの目立つ福岡の方が陽性者数の増加は顕著であり、涼しさのある北海道、ならびに東北の方が被害は少ない。全国各地、冷房の稼働状況と感染拡大の相関関係を、ひと目で分かるようにグラフにすべきである。
【37】沖縄民謡の心配事
沖縄民謡の独特の調子は、聴いていて疲れも吹き飛ぶかの癒やしがあり、私としても好きなのであるが、ひとつ気になることが、指笛を吹くという場面が多く、しかもそれが吹きっぱなしではなく、太鼓を叩くためにばちを握ったりと、けっこう手の動きが忙しい。
また、民謡に携わっていない時間帯でも、日常的に指笛を吹いたりするのであれば、やはり、よほど手回り品、ならびに手指の消毒を徹底して行っておかないと、新型コロナウイルスに、気づかない間に口中が侵されていることにもなりかねない。ご注意いただきたい。
【38】重ねてみれば、見えてくる波
さて、先程グラフの話題が出たので、少し。
これを披露してくれるメディアが現れないのが残念でならないが、私は例年同月のグラフを重ねれば、本年の波の推移をある程度予測できると考えている。もうコロナ禍は、西暦で言えば4年目であり、参考データも増えてきた。2020年と2021年の陽性者数の折線グラフを重ね、そこへ本年の2022年のグラフを合わせる。
新型コロナは季節性の感染症であるので、基本的に、同じ季節は同じような絵面となる。その照合作業をすれば、未来の波の形が見えてくる。波の高さはどんどんと大きくなって当然であるが、収束の時期が大まかに判る。それらを参考にすれば、ワクチンを接種すべき月が見えてくる。
【39】GW年度替わり案
その、時期の問題で、私はやはり、前回提案したように、4月末から5月初旬にかけてのGWの時期に、年度替わりを遅らせた形で実施するようになれば、歓送迎会を春先の肌寒い時期に行わずに済むので、新型コロナウイルスの蔓延防止には充分役立つであろうと考えている。
それにあたって、年度対象者のくくりであるが、対象者は今までどおり、4月から翌3月迄に誕生日を迎える方で良いように思う。式典などの実施時期だけがずれ込む形で、そうすれば、長きにわたり取組んできた統計学などにも影響を与えずに済む。
また、紫外線の強い五月晴れ及び湿度が上がる梅雨入り期に、新型コロナウイルス感染症が、どこかに消え去ったかのように低迷するのは、最初から判りきっている事象であり、しかしながら、蒸し暑い梅雨の出口のエアコン稼働による感染拡大も、同様に判りきっているのだから、政府は、前述の時期に
「収束したと思われる」
といった、あたかも国民がコロナに打ち勝ったような、開放的メッセージを出してはいけない。
この時期は開放ではなく期限付きの解禁であり、門限がある、エアコン稼働の時期までの、ほんの僅かな安らぎなのであるから、それをきちんと説明しておかないと、例えば飲食店がアルバイトを大々的に募集したり、旅行会社が無制限に夏の予約を募り始めたり、日本経済は莫大な仕入れを行い、収集のつかない状況となる。後戻りのできない立場となるのだ。
だから私は、円安の好機もあり、夏の前後2ヶ月ずつの4ヶ月間だけ、限定して外国人を受け入れてはどうかと申し上げた。それは当然、それ以外の季節は、国民は大人しくしておかないと大変危険ですよということ。両手をあげてはしゃぎまわることは、そもそもが無理な季節なのである。
【40】人とウイルスの出会い
さて、一難去ってまた一難、ウイルスとの多岐にわたる戦いは続く。底なし沼へと落ちたような感覚に近しく、CV19だけではなく、謎の急性肝炎、サル痘など、次から次へと頭が痛い。
私は人類とウイルスの戦いを評価する際、その人物が、その類のウイルスの、どの種と初めて出遭うかが、けっこう重大な影響を与えていると考えている。
例えば今回の危険な急性肝炎で言うと、英国では案の定、新型コロナウイルスのワクチンを接種していない子どもたちに限って罹患しているという報告があった。
もちろん、結論はまだ出ていない状況であり、あくまで予測でしかないけれど、私は今回は、おそらくアデノウイルスが単独で強毒化したか、或いはアデノウイルスが新型コロナウイルスなどの他のウイルスと同時にかかったことにより毒性が強まり重症化したか等、そういう流れを考えており、仮に、過去に違う系統でもアデノウイルス関連にかかっていれば、その免疫記憶により応答することができ、重症化はしなかったのだろうと思われる。
また、アデノウイルスが検知されない場合もあるというが、例えばこの肝炎が、元凶であるアデノウイルス暴露のタイミングよりかなり遅れて発症し、重症化、発覚するとすれば、急性肝炎が重症化してから精密検査をしても、アデノウイルスの痕跡が見当たらない場合も多いのではと考える。その場合、アデノウイルスに関わる抗体を調べた方が良いのかもしれない。
天然痘が根絶したからと、人類がワクチン接種をしなくなれば、今度は似通ったサル痘が進出したりで、アデノウイルスのワクチンも、過去に生産を終了したので、新たに生まれた子供たちは、やはり免疫を持たない状態のまま、突然、野生のアデノウイルスと遭遇することになる。
もちろんアデノウイルスは、風邪をひきおこすウイルスの一種なので、普通に生活をしていれば、自然と感染する可能性のあるウイルスではある。そして当然、通常は命を落とすような感染症ではない。だからこそワクチンを生産する意味合いも薄れ、生産中止になったのだろう。
そして先程私が「英国では案の定」と書いた解説となるが、この新型コロナ禍で、英国の新型コロナワクチンといえば、アストラゼネカ社のアデノウイルスベクターワクチンであるが、運び屋であるベクター機能として、無害なアデノウイルスを使っているので、過去に何度もアデノウイルスにかかったような人に接種しても、その人らは既にアデノウイルスに対する免疫を持っているので、おそらくワクチンの効きが悪いのではと考えられている。
その流れで読めば、アストラゼネカ社の新型コロナワクチンを接種していた英国人が急性肝炎には罹っていないということは、その人たちは、アデノウイルスに対する免疫をワクチン接種によって既に保有していたので、発症、或いは重症化の危機を免れたのではないかと予測される。
逆に日本国内では、新型コロナウイルスのワクチン接種を済ませた人でも関係なく、この急性肝炎にかかっている。その逆転現象の理由は、おそらく、日本で接種が進められた新型コロナワクチンは、ファイザー社、モデルナ社が製造したメッセンジャーRNAワクチンばかりで、無害化したアデノウイルスを使用したワクチンではなかったことが起因していると考えられる。
それらの仮説が的を得ているのであれば、今回の凶暴な急性肝炎に対抗するには、何らかの形で、過去に優しいアデノウイルスに接している、つまりアデノウイルス系の風邪を対象者がひいた経歴があるか否か、その辺りを明らかにすることがカギとなるのではないだろうか。
もし、冬が終わり、夏季が訪れたという理由だけで、近ごろ肝炎が鳴りを潜めているのであれば、次の冬に対する備えを万全にしておかないと、次々と子供が亡くなるような恐ろしい事態が来るかもしれない。冬はとにかく、感染症が重篤化する。
それゆえ、対象者に風邪症状が出だしたら、早めに肝炎の検査をしてみることも重要な観察となってくる。
また、アデノウイルスのワクチンを再び生産し、一定程度備蓄しておく方策もある。
更には余裕があるのであれば、平時の頃から、アデノウイルスに関する抗体検査をしてみるのも良いかもしれない。抗体さえあれば、ワクチン接種はおそらく必要はない。
それから、アストラゼネカ社の新型コロナワクチンを、新型コロナと急性肝炎予防のふたつの目的で、子供たちに予め接種しておくという方法もある。副反応を我慢できるのならば、もしかすると、この方法が一番早いのかもしれない。英国のデータを参考に、議論の余地あり。
様々なウイルスが飛交う現代、定期検診などで、諸々のウイルスに対する抗体が一覧で数値化されるような検診項目でもあれば、有難いものではあるが。
【41】沈黙列島「行動やめずに、言動やめよう」
さて、コロナ対策も終盤となったので、強い対策を書かせていただく。
夏シーズン到来で、近ごろ海水浴やプール遊びの映像が良く飛び込んでくる。そういう楽しいイベントに対して注文をつけるのは気が重く、どうぞご自由にと言いたいところではあるも、しかしながら無策では、どんな未来になるのか予測し得ない部分がある。
私は、ここまでウイルスの感染力が高まってきたのであれば、経済活動を維持しながら新型コロナウイルスの感染拡大を防いでゆくには、この取組しか無いと考えている。大事なのは発声しないことであり、行動制限ではない。喋らなければ、エアコンの換気なども、たまに行う程度で問題は無いのであって、この大変なコロナ禍でも、黙っていれば、マスクひとつで、実はどこまででも行けるのである。
大切なのは、距離を保ったままのひそひそ話。大声を出さずに、手短に用件を伝えること。はっきり申し上げて、全国民が絶対に喋らないと約束するのであれば、すぐにでもNOマスク生活が出来るのであり、それは裏を返せば、沈黙の約束ができるのならば、無症状に限り、濃厚接触者ですら、すぐにでも職場復帰が可能であるということ。
だから私は、早い段階から手話を提案してきた。人と会う機会を減らさなくとも、会話の量を50%減らせば、単純に言えば、飛沫感染による陽性者が50%減るのである。ゼロに減らせば、飛沫感染の陽性者はゼロである。
野球の監督やコーチが、フィールドにいる選手に手や腕を使ってサインを送るが、そういう風に自分の意思を伝えることは出来ないのであろうか。感染拡大期のほんのわずか数週間程度がまんして、そういう生活を送ることは厳しいのであろうか。
「会話ができないのなら、外に出ても愉しくないよ」
と言うのであれば、常日頃から手話を使い、喋ることが出来ない人は、外で楽しい思いを味わっていないということなのだろうか。それは、そういう方々を健常者が見下しているのではないのだろうか。
私たち人間は、ちっぽけではあるけれど、今の自分たちが置かれた窮地でも大きな幸せを見つけることができる、優れた存在なのである。
会話の量というのは、感染拡大の状況にも、顕著に表れている。
赤ん坊は、会話の世界において、初心者中の初心者であるので、会話とは言い難い。赤ん坊の発する声は、自らの感情をストレートに表現するためのものであり、それを外部がコントロールするのは難しい。
幼児小児は、会話というよりも、何か、自身の行動に対する補語を放っているに近しく、例えば、
「ほら、見てー!」や、
「それ、ボクのだよ」など、
何かに熱中している最中の区切り区切りで言葉を使い、故にそれは会話と言うよりも、短い要点伝達であり、自ずと使われる言葉の量も少ない。
小学校の高学年や中学生くらいになってくると、文章の組立てもできるようになり、対面した状態で、長らく会話を続けられるようになってくる。新しく興味を持ち始めた趣味の話をしたり、解決しない恋バナを親友と延々と語ったり等、会話で遣取りする言葉の量も、格段に増える。
その辺りの差が、感染拡大の数字で表れてくるのだ。幼い子は接触感染や奇声が原因となる場合もあり、感染が少ないとは言えないが、やはり会話が長い時間続く年齢の子供たちの方が、感染被害が明らかに大きい。つまり会話の量が、感染拡大のレベルに直結していると言えるのである。子供たちが集まる夏休みのファストフード店など、特に気をつけないといけない。会話時の言葉の量を減らせば、感染拡大は、自然と収まってくる。
すべての都道府県が同色の取組をするのではなく、
「うちの県は、県民一丸となって、『10日間の沈黙生活』の社会実験に取組んでみますね」
など、同じコロナの波でも試験的に各地域で敢えて違う方法を選んでみないと、何が正解で何が奇策で何が妙案で何が無用不要なのかが、のちのち検証ができない。それでは、次の備えにはならないのだ。
この冬、私たちは本当に覚悟を決めなければならないのではないのか。のらりくらりと、新型コロナを精鋭部隊にまで育て上げたツケが、大波として回ってくるのではないのだろうか。
重症化しづらいはずの夏季でも、やはり死者が出てくる。ケアが出来れば助かる命でも、これだけの数が凍てつく冬に一気に襲ってくれば、おそらくひとたまりもない。
病院は、通常医療の優先を決め、コロナを排除する動きを見せるのではないのか。コロナ患者のトリアージが一切出来ない状況で、医療従事者は、果たしてどこまで良心の呵責に耐えれるのだろうか。
【42】濃厚接触者のAIによるみなし陽性判断
結局のところ、熱も咳くしゃみも無い、鼻声でもない、だるさも無い、抗原定性検査でもネガティブであったのであれば、巷をうろうろしている無症状感染者と比べても大差はないし、そこへ強い行動制限をかけるのは、重い処分にあたるのかもしれない。
逆に同居者から陽性者が出て間もなく、感染疑いの症状がありありと認められるのであれば、その人は、検査をせずともCV19陽性と考えて良いはず。
自治体任せではなく、国がきちんと、濃厚接触者向けのLINEアプリ、或いはCOCOAなどを整備提供し、濃厚接触者は、そのアプリの中で、健康観察を進めながらAIと相談を重ねる。コロナ感染が心配になった人は、すぐに
「検査をしてもらいたい」
と医療機関に駆け込むのではなく、まずはアプリで濃厚接触者の登録を行う。
登録時はもちろん、体調や接触経路など、多くの質問に答え、今の自分の状況を、AIに判定してもらう。当然、虚偽の記入をした場合は罰せられる等の措置を行う。
また、症状が悪化してきたら、アプリ内で当直の医師と直接やりとりをする。
体調に問題が無くなれば、AIから
「ソロソロ出社シテモ大丈夫デスヨ」
とお墨付きをもらい、勤め先にもそれを見せて、職場へと復帰する。もちろん最初から、条件次第では、ほとんど隔離の必要を提案されない場合もある。
それらの遣取りを全国的に繰返せば、AIが日々学習し、どんどん正確性が高まってくる。特に無症状者と、保健所や医療機関が電話の遣取りをしないで済む世の中をつくらないと、次の冬などは、今夏の数倍の波がきても不思議ではないのだから、関係機関は早々にパンクしてしまう。AIに頼めば、たった独りで数百万人の濃厚接触者を一度に相手にしてくれる。
そういう具合に、国が一括して観察システムをつくれば、CV19の感染力や致死率が増減した際に、基準の設定変更が扱いやすい。デジタル、デジタル、つまりはデジタル。
なお、濃厚接触者や感染者の社会復帰に関して、雇用する立場である事業者は、従業員からCV19感染や濃厚接触者が出ることを平素より想定し、復帰の際には、いきなり通常業務を任せるのではなく、しばらく頼む持ち場というのを考えておいた方が良い。
例えば医療従事者ならば、通常の業務は患者のケアだけではなく、パソコンに諸々の経過を打ち込んだり、それこそハーシスに入力する作業などもあるのだから、患者のケアはコロナの心配の無いスタッフが行い、復帰者には、まずは別室でパソコン入力作業などを行ってもらうのが、上手なやり方なのかもしれない。
また、ハーシスは、そもそも陽性者だけを登録しようとするのではなく、PCR検査を受けるすべての人たちを、永年登録の対象とし、例えば検査の順番を待ってもらっている間に、本人がスマートフォンやマイナンバーカード等の本人情報を利用して自身で登録並びに画面内問診を済ませ、あとは医療機関が医療行為による所見であるとか、今後必要と思われる事項などをコンパクトに打ち込んでゆくといった流れがスムーズで良いのではないのか。
コロナに限らず、医療行為の際、医療従事者の忙しさとは裏腹に、患者にはかなりの待ち時間がある。その待ち時間を有効活用するのである。
この夏でも、もう、医療機関はひっ迫状態に陥っている。もちろん、病院の門を叩かなくても大丈夫な状態の感染者でも、検査に並ぼうとするから混み合うだけの話であるが、結局「ウィズ・コロナ」を目指してもこういう事態になるのであれば、今後はきっちりとした線引きが要るのではないのか。
「新型コロナウイルスのワクチンは、打ってますか。ワクチン接種をしていなかったり、打っていても10ヶ月以上が経過している人は、国指定の病院は、コロナ疑いの受診が出来ないようになってるんですよ。それか、体質に問題があったりしてワクチンが打てない『ワクチン非接種証明』があれば、受診ができますけど」
「いや、ワクチンは一度も打ったことが無いし、そういう証明書も無いですけど」
「そうですか。。。だったらごめんなさい、うちの病院では、診ることが出来ないんですよね。あ、ワクチンを打っている方は、こちらに並んでくださいー!」
ヘルメットを被らずにバイクに乗ったら危ないですよと、事故が起こった時に取り返しのつかない事態になりますよと、くどいくらいに警告しているのにワクチンを打たない人を、優先的に助けてあげないといけないのだろうか。
国はワクチン接種を、個々のトリアージに利用すべきである。発展途上国では、ワクチンが手に入らないことも多いというのに、日本では、熱が出るなど、たったそれだけの理由で接種を拒む。高齢者へ感染させているかもしれないという認識も無く、マスクもせずに街を闊歩する。路上で仲間と酒を飲んでは馬鹿騒ぎ。
無料で接種ができるのに、自治体が礼を持って準備をしているのに、日本にあるワクチンは、期限切れで廃棄される始末。
世も末である。自己判断で危険走行をしたのだから、自分で傷口を縫えばいい。なぜ、真面目に努力をしている人が医療を受けられない事態が発生するのか、ワクチンを正当な理由も無く接種していない者は、そこを猛省すべきである。ポルトガルの例に尽きるが、ワクチンさえ、皆が完璧に接種すれば、この夏の医療ひっ迫は起きていないではないか。
医療従事者も、いい加減で愛想を尽かすのではないのか。こんなに、波の度に苦しい思いをするのであれば、医療とは、縁を切りたくなって当り前。
それを、
「その人の人生だから、その人が好きにすればいい」
というひと言で、簡単には片付けられない。並々ならぬ努力を長い期間重ねて、やっとの思いで任された医療従事者の立場なのだ。親の協力、支援などを振り返れば、そんなに簡単に辞める訳にはゆかないのだ。まさに蟻地獄状態ではないか。
そんな方々に感謝もせず、マスクをしない会話は危ないと言われてもあごマスク。そして案の定コロナにかかって病院へと駆け込む。どうして必然性の高い迷惑ばかりをかけるのか、まったくもって理解に苦しむ。
【43】ひとすじの光
それから新型コロナ対策の最後に、ひとつの朗報を贈る。
2019年の終わりから始まったコロナ禍であるが、2022年7月の今日まで、新型コロナウイルスは生き残りを賭けて変異を繰返し、どんどんと感染力を身につけていった。
その変異力はおそろしい程で、人類は、逃げ場を失いつつある。
ただ、実はそれは、嘆き悲しむことばかりではない。
感染力が増したCV19は、自らの増殖力をひけらかすように人体へと潜り込み、またたく間に高熱を放ち、感染者の喉を痛めつける。
つまりCV19は、足跡を遺し始めたのである。
過去には、1週間も2週間も人の身体に潜伏し、忘れた頃に、ようやく顔を出していたCV19。
それが今や、2日、ないし3日で顔を出す。
のろのろと歩いていたCV19が全速力で走るようになった、その、インフルエンザ並みの感染力で、波の形を明々と描き出した。
ある程度ゆきわたってからの波とは、CV19ではない。
巨大な波が現れたのは、CV19の感染力が強まったせいだと言い放つのは、ちょっと拙速。
波とは元来、人間の生活がつくりあげる形。その国の民の意識と慣習が築き上げる波の形。不変。全貌。
かつては、暗い陰に隠れて見えなかったその全形を、今は惜しげもなく披露してくれるようになった。
潜在感染者というくくりで闇に隠れていた人々が、とうとう、表舞台を歩くようになった。
すでにもう、CV19は丸裸なのである。
追跡の時は、あの時ではない。今こそ、追跡の刻。
捜されるよりも、捜す側の軍勢の方が勝っている。
できるのは、あなた。そして、あなた。
人、ではない。人任せでは、なし得ない。
たったの三歩、四歩、振り返り、
皆が意識して連絡をとりあえば、CV19は確実に追い詰められるのである。
「そっちに行ったかも」
「あっちだ、追いかけろ!」
あなたが大切に思う人を、皆で救い合える世の中でありますように。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その6【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その7【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その8【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その9【追記】
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その6【追記】
※本編長文のために送信を見送り、2022年8月1日のWEB公開を、同日中に各省庁へ上申
首相官邸、東京都庁、大阪府庁、福岡市役所
御中
晴天つづく穏やかな日々とは縁遠く、この夏も、行政にまつわる様々な事柄が突出しており、お暑いさ中、直向きなご対処を感謝申し上げます。
この度も乱文の長々とした対策文で恐縮ですが、政治、経済、熱中症、新型コロナ、エネルギーほか諸々、憲法問題、の順で構成を組んでみましたので、ご高覧いただければ嬉しい限りです。
熱中症にも気の抜けない時節柄、どうぞご自愛くださいますようお祈り申し上げます。
その6
【24】安倍元総理大臣襲撃事件
【25】いつ始まるのか「公正な民主政治」
【26】外貨獲得、そのチャンスとは(納豆編)
【27】外貨獲得、そのチャンスとは(原発編)
【28】金融緩和策、その逆効果とは
【29】「二八蕎麦」の失墜
その7
【30】節電対策、熱中症対策、「頭を冷やせ」
【31】熱中症対策「体内のラジエター効果」
【32】「一玄三白(いちげんさんぱく)」
【33】実現できるか「老若分離」
【34】やれるか、バブルの「二段階ゾーニング」
【35】働く環境、列車内のマスク着用は
【36】沖縄の感染拡大、その訳
【37】沖縄民謡の心配事
【38】重ねてみれば、見えてくる波
【39】GW年度替わり案
【40】人とウイルスの出会い
【41】沈黙列島「行動やめずに、言動やめよう」
【42】濃厚接触者のAIによるみなし陽性判断
【43】ひとすじの光
その8
【44】節電対策「寝る前充電」
【45】金を貯めずに水溜める
【46】少子化対策のゆくえ
【47】「技能実習制度」の実名公表
【48】「ね」の使い方
【49】渾沌、その未来
【50】国道3号線の落とし穴
その9
【51】憲法解釈
【52】日本国憲法の恩恵
【53】日本国憲法の歴史と補足された条約
【54】自衛の定義
【55】具体的改正案
【56】日本国憲法の未来
【57】護るべきもの
【24】安倍元総理大臣襲撃事件
起こってはならない事件が起きてしまった。
犯人からすれば、積年の恨みを晴らす矛先かもしれないが、命を奪われるほどの加害性は認められず、ご本人も痛恨の極みではないのだろうか。
現場は、私たちの想像を超えた状況だったようで、本来ならば搬送することすら躊躇われるところを、何とか懸命な処置をし、しかしやはり困難な状態に変わりはなく、駆けつけた昭恵夫人に、最期の刻を決めていただいたのではないかと思われる。心より、ご冥福を申し上げます。
警備体制、ならびに犯行についての検証が続いており、今後は同様のことが起こらないように、双方同等に、万全の改善策を講じてゆかねばならない。
警備の方では、今回は、やはり物理的なガードに乏しく、例えばウイングなどのトラックで、荷台を片側だけ開放した状態で、ゲリラライブを行うように演説をすれば、背面の大部分を、テロリストに狙われにくい状況にできる。また、頑丈な演壇を設置すれば、発砲音が鳴った際に身をかがめる場所もできる。各政党は、要人向けにこういった設備を保有しておくべきかと考える。
更に公安は、政治家の中から5名ほどの、特に命を狙われやすい人物を毎年リセット選定し、通常とは一線を画した警備体制で臨む。
具体的には、講演などの際には本人に必ず防弾チョッキを着用してもらい、時期をみて、本人を交えた模擬訓練を行う。訓練を行っていれば、今回の安倍氏でも、2発目の銃弾が発射される前に、自身で屈むことくらい出来ていたかもしれない。一瞬の行動が、生命のゆくえを左右する。
それから政治活動の類いの見直しで、例えば今回の犯行現場となった安全地帯など、ああいった場所を政治家が自身の利益のために使用するというのが、私からすると、道義に適わない部分があるように思う。
そもそも安全地帯とは、もしものアクシデントが発生した際に避難目的で利用される場所であって、利己的に使用する場所ではない。政治家の演説、特に屋外の公道上で行われるものは、聞く、或いは聞かない歩行者から求められてやっているのではなく、明らかに自身が起する営業活動であり、だとすれば、駆け出しのバンドが安全地帯で路上ライブをやるのと、ほとんど評価に変わりはない。
仮に政治活動だけが優遇されるのであれば、それは基本的人権の不平等に帰する行いであり、その差別行為は断じて認められるものではない。
また、宗教団体と政治家との癒着が急速に問題視されているが、やはり私利私欲のために、グループ企業、労働組合など、そういう多数の組織票を候補者が獲得しようとする動きや、組織の権力者が組織の構成員に対し、特定の候補者への投票を、集会や一斉伝達という手段を用いて画一的な要請を出すことは、個々の民の思想の自由を権力が外圧で奪うことになるので、たとい個人の最終的な投票に、どの候補者を書き入れるかの自由が残されているとはいえ、私は日本国憲法第19条に抵触する行為であると考える。
自動車メーカーが、自家用車を買おうとした社員に自社の車を組織力を用いて売りつけるのは、明らかに法を犯す行為である。
更に、宗教団体側では、私が気になったのは、宗教法人などが信者から寄附を受取った場合に、印紙税は非課税にせよ、果たして受領証を必ず発行することが義務付けられているのだろうかという点。
私が調べても、義務という規定までは辿り着かなかったような状況で、やはり寄附金は課税されないという優遇がある分、受領証だけは最低限、政治活動も含め、きっちりと発行すべきではないかと考える。のちのちトラブルになった際も、何も無しでは協議ができない。
宗教関係では賽銭などもあるので、例えば1万円を超える場合は、宗教団体においては、寄附の際の受領証発行を義務付ける、等の対策を講じることが求められるように思う。
また、安倍氏の話に戻り、国葬儀ということで、色々な波紋を呼んでいる。
私の懸念は、国という主催者が行う葬儀に際し、すべての国会議員の集う国会での承認を得ずに閣議決定だけで推し進めるほど、日本の国家財政はバブルではないという点と、国葬儀に該当するかの判断において、最長政権を挙げるのであれば、それは単に与党内で重責を担うべき次の人物が存在しなかったのであろうことと、単純に世界的な混乱情勢ではなかったのではないかという点、また、その国葬儀の運営費用が億単位と言われる折、参列者からの任意の香典を受取る予定は無いのであろうかという点、更には国葬儀に否定的な意見をもつ国民が、賛同者の後方へ隠しきれないほどのボリュームで存在しているという点。
やはり功績同等、何かとグレーな話題も多かった安倍元首相であり、国葬儀に賛同できない人物が、国葬儀でテロを企てること等の懸念もある。
それでも国葬儀を執り行う場合は、やはり警備関連も含めて金の出処が重要となり、それが国民の税金を用いて警備費用を増やすのであれば、安倍氏の生き様に賛同できない人々からも強制的に開催に関わる費用を徴収することになるので、あまり、良い形とは言い難い。
会場で香典を集め、そこから費用を賄う方が、好ましい手段ではないのだろうか。おそらく必要経費としては香典の方が余るだろうし、その金で、のちのち銅像などを造られてはいかがか。
【25】いつ始まるのか「公正な民主政治」
その、安倍元総理襲撃事件の直後、2022年7月10日の参議院選挙も終わり、52.05%との投票率が出た。辛うじて過半数を獲得したのは慰めであるも、過去のデータを見てみると、昭和が終わったくらいから、選挙の投票率はガタッと下がっている。日本人よ、なぜ行かない。どうして選挙に参加しない。
そう言いたくもなる反面、その現状を理解できない訳ではない。
「選挙なんか、行っても一緒。何も変わらないよ」
「日程が合わないからね。日曜日はいつも忙しいし、期日前投票も、わざわざ役所や遠い学校まで行くことはできないし。ネットか郵送で良いなら投票できるけど」
といった不満も聞こえてくる中、私個人としては、選挙の構造自体をつくり直すことが急務であると考える。
いま現在は、各党がそれぞれ組織票を保有しており、よほどの番狂わせが無い限り、毎回、選挙の度に同等の得票が上がってくる。それゆえ、誰を推薦するかを党が決めれば、あとは自然と、その数字がそっくり候補者へと入る。まるで、同じ力で鐘を叩けば誰が叩いても同じ音量で音色が跳ね返ってくるかの、言わば不動の数字。
この成行きが民主的政治とは、私は逆立ちしても思えない。
極端な言い方、大きな票を持っている政党の血筋や御家人に生まれなければ、生涯、日の目を見ることは無い。純粋に自分の意見を持って投票所へ行ったとしても、その血筋の勢力には、抗うことはできない。少数意見として、ゴミ箱へと捨てられる。
初々しい若人が、栄えある未来を夢見て投票に参加し、しかし二度三度も過ぎた辺りから選挙の全貌が見えてきて、嫌気がさし、ほどなく無投票者と変わりゆく。時間の無駄。行っても一緒だねと。
民主政治なのであるから、すべての人民のすべての意見を、見える化しないといけない。選挙投票が義務だとするのであれば、
「これらの候補者の、誰にも投票したくはありません」
という記入欄を、絶対的につくるべきであるし、その否決票の数次第では、選挙の無効、やり直しということも、実際問題、絶対的に選択肢に入れるべきである。
仮に独裁者ばかりが立候補すれば、いったい誰を、民はその中から信任するのだろうか。選挙に行かないことと否決票を投じることは、まったく同じ意味合いとは言えないのである。
また、これは私の夢でもある理想の民主政治であるが、私は国会議員の集う国会を、国民投票の議題の準備調整機関にすべきだと考えている。
つまり、拒否も含めて4択くらいで、例えば消費税の問題など、重要なテーマを国民投票にかける為、残りの3つの選択項目を練り上げる場を、国会に担ってほしいのである。国会議員は国会で消費税に関する3つの案をまとめ、4つめの拒否欄を付し、4択をワンセットにして、最終的には、年に数回程度の国民投票で、国民に採決を委ねる。
もちろん、それらの選択項目は、国民から見てメリットばかりではなく、どれを選んでも、必ず何らかのリスクが入っている構造とする。なぜなら国民は、いつも楽な方に流されてしまうものであり、挙げれば高速道路の通行料金を無償化すると野党が公約に掲げただけで政権が転覆してしまう程であるのだから、国民投票で、日本そのものが堕落してしまわぬように、
「(選択A)向こう2年間は、消費税を現行の8%から5%まで下げる。ただし公的医療保険の自己負担額を、現行の3割から4割へと同期間は引き上げる」
など、選択内容を工夫する。一概に飛びついた方が良いと思わせる案ではなく、何日も考えないと答えを出せないような形が望ましい。
国会議員はそのための試算を繰返し、民が結果的にどれを選んでも日本社会が良い方向へと進むように、選択案件を調整する。
国民はおそらく、このやり方なら、どの政党が与党であったとしても、自分自身の票がダイレクトに政策に反映されるので、選挙に対する面白みが出て、どんどん政治に参加するようになると考える。仲間うちの飲み会でも、政治の話題が出てくるようになるだろう。自分たち自身の生活スタイルを、自分たちで選ぶのである。
そして当然ながら、これを実現するには、ネットで簡単確実に国民投票が出来るように、マイナンバーカードの普及も含め、デジタル化を進めないといけない。もちろん、選挙アプリも提供しないといけない。
一部の高齢者など、アナログ専門の方々のために、10年20年を超える移行期間を設け、しばらくはアナログ投票も併せて実施する。
まとめるが、国会議員が国会で法案を採決するのではなく、3種の選択案件を練り上げる国会議員を国民が選出し、国会が案件を議決し、最終的には、国民が4種目の拒否も含め、選択案件を民主的に採決するのである。国民と国会議員のお互いが監査し合い、切磋琢磨の状況となり得る。国会議員が法を私物化することも無くなる。
高速道路無償化の件で政権が転覆した2009年の衆議院議員総選挙の投票率を調べてみた。69.28%と、近ごろでは稀に見る高い数字が刻まれていた。
ばら撒き政策ともされる高速道路無償化そのものの賛否は別として、つまりその歴史の1ページは、普段は無党派層とも言われる国民が本気を出して政治を変えようとすれば、確実にそれが実行できるという事実を証明したと言える。
何度選挙をしても同じ結果になる、その時代はすぐにでも終わるのである。覚醒せよ、日本人。
【26】外貨獲得、そのチャンスとは(納豆編)
さてさて、ここからは経済改革について。
このコロナ禍で、日本は儲け損なったと言える。世界との競争に、完全に出遅れた。日本製のマスクがどれほど輸出されたのかを私は存じないけれど、それよりも大きな市場は、やはりワクチンや治療薬の分野だったはずであり、特にワクチン開発が早かった国は、巨額な外貨獲得に成功した。
ファイザー、モデルナ、ジョンソン・エンド・ジョンソンは何れもアメリカに本社がある企業で、ワクチン提供が世界へ行き渡った今、アメリカには置場に困るくらいの金が溢れ返っている。
そんなにお困りであるのなら、遠慮せず、是非とも我が家を使っていただきたいものである。
ワクチン開発には、それなりの地盤が必要だとされる。過去にワクチン接種による健康被害の問題が相次ぎ、頓挫し続けた経歴をもつ日本国政府は、その地盤に見切りをつけ、ワクチン開発を推し進めない国へと変貌を遂げてしまった。ゆえに今回の新型コロナワクチンの開発には時間がかかり、他国に先を越される結果となった。
もし、そんな日本に活路があったとすれば、私は納豆を挙げる。
新型ウイルスに対抗するワクチン開発には、どの国も、やはりどうしても年単位の時間がかかっており、特に2020年などは、殆どがワクチンの無い生活を人類が強いられていた訳で、そんな折に、暫定的な措置でも良いので納豆を輸出できていれば、日本はそれなりの外貨獲得が可能だったと考える。
納豆が各種のウイルスに有効であるのは、新型コロナウイルスが発現する前から立証されていた。納豆を食べさせたマウス実験で、半数ほどまでウイルス量が減っており、だったらその優秀な予防薬、治療薬を、政府は生産体制を拡充し、どしどしと海外へ売り込むべきだった。
ワクチン開発には、かなりの時間がかかったのであるから、それまでの期間、代用品として重宝されたであろうし、その後の納豆習慣のきっかけともなる。納豆は、おそらく多くの利益を日本へもたらしていたことだろう。
こういう陣営では、世界競争に負ける。悪いものを勧めるのは悪事であるが、良品や優れた技術をPRしてゆくのは、些かの悪行でもない。近代の日本人に「控えめ美学」が蔓延しているのであれば、さっさと改めないと国益にならないこと、そして個人個人の生涯においても損をするということを申し上げておきたい。
【27】外貨獲得、そのチャンスとは(原発編)
日本の政治家は、特定の企業を支援したり等、そういう便宜供与の類のバッシングをあまりに気にし過ぎて、結局のところ、日本の技術を海外へ売り込むチャンスをみすみす逃しているケースは無いだろうか。
本来、日本経済界が忙しい状態ならば、先着順でも挙手制でも、動ける企業がすぐに動かないと獲物を仕留めることすら敵わない。誰が担うかの話でバッシングが出るのなら、経済が如何に暇な低迷状態であるかを表しており、当然、その負のスパイラルを抜け出すために、官民、相応の覚悟をする必要がある。
一番の核心は、タイムリーに営業活動をしてゆくことであり、露UKR侵攻でも、エネルギー確保の大問題が浮上しているが、再生可能エネルギーのシェアを拡大する迄の間だけでも、暫定的に原子力発電に頼ろうかと思い悩む諸外国は多いはずで、そういう時にこそ、日本の技術力を世界へと売込む好機であると思われる。
もちろんフランス、ポーランド、イギリスなど、実際に原発推進が活性化してきた国名もあがっており、技術開発、実用化の動きは見える。しかしまだまだ他国と比較した付加技術が足りないのが現状で、もっともっと改良を加えた小型炉心を、地中深くの安全な場所に配置して運用ができるように設計し、
「この最先端技術を駆使した原発が危機的状況となるのは、おそらく地球が破滅するレベルの惨事が起こった時だろう」
と豪語できるくらいに安全性を高め、特にヨーロッパやアフリカ、中東などの地域で実用化を狙ってゆく。
東芝も近年、原発に関しては袋叩きの状態に遭ったが、その原発のおかげで、経営再建の好機が巡ってきたと言える。
もちろん原発に、エネルギーのすべてを依存するのは、幾らCO2を出さないからといって、ナンセンス。それゆえ日本も、明らかな期限を設け、これまでとは違う、次世代型の小型原子炉を設置し、消費エネルギーの一部を授かりながら運用実績を積み、期限後は炉心を解体し、中古品として海外へ販売するといった方策を取らねば、やはり自国でまったく採用されていないものを海外へ売り込んでも、それは買う側からすれば説得力が無い。
原発反対は、開発者の思慮深さの乏しさから発生してくる周囲の不安。開発者がベネフィットばかりを追求してゆくから、そういう頼りない設計になる。想定され得る沢山のリスクを並べ、それらを例外なく打消す設計を考えるべき。視野を広げれば、危険な事業とは、原発ばかりとは限らない。
天然ガスの問題も、欧州よりはましであるが、日本もこの先どうなるかは判らない。給湯や風呂、加熱調理にガスを使用している物件は数多く、深夜の電力を利用して湯をタンクにためる夜間給湯システムなども、今後は併用した方が良いのかもしれない。
日本の既設の原子力発電所とて、もたもたしていても経年劣化が自然とおこってゆくのであるから、使うなら使う、廃炉にするならするで、早々に方向性を決めないといけない。そして同時に、次世代の発電方法を確立し、それらを準備し、切替を行ってゆく。
その場合でも、原子炉が小型化していれば、例えば予め滑車を付しておき、任期満了後は、城などの建造物を動かす曳屋のように、転がしながら炉心を撤去することも出来るはず。
発電の中心部を短時間で入替えることが可能となれば、次世代エネルギーへの切替もスピーディーに行え、空白の時間帯も減り、間断の無いエネルギー供給が可能となる。時間のかかる廃炉作業も、邪魔にならない別の場所でできる。
また、最初から台船の上で発電する方法もある。津波が来ても、水没することは無い。その地での必要性が無くなれば、タグボートで引張り、簡単に引越ができる。
炉心の移動が出来るというのは、メリットが多い。有事や万一の事故がおこったときの対処も、とるべき選択肢が増える。
何れにせよ、原子炉の小型化がカギとはなるのだが、ただ、やはりコストを回収するという観点からは、小型化は逆行している流れとなる。利潤追求の意味合いでは、施主側である電力会社が興味の出るアイデアとは認めがたい。安全面は別としても。
そういったことを考えると、結局のところは原子力潜水艦という存在にゆき着いてくる。原子炉の小型化という、まさにその形を備えた潜水艦の原子炉を、港への停泊時に、陸側へ送電するための発電に利用する。軍事利用のみではなく、発電に重きをおいた、泳ぐ原発。
有事災害の緊急時に、一般発電所が使えなくなった地域にも俊敏に駆けつけ、電力供給ができる。潜水艦の推進装置を解除し、陸側の送電用ケーブルと潜水艦をつなぎ、送電する。緊急時には、潜水艦が突発的に離岸しても、浸水などが起こらないように設計する。
もちろん爆雷や機雷などの対潜兵器もあり、安全が保障されている訳ではないが、潜水艦が、なかなか海上からの攻撃を受けづらいことは、今回の露UKR侵攻でも、やはり見過ごせない部分となってきている。
逆に攻撃力は重きで、やはり相手国からすれば、怖い存在となる。
万が一、世界が核戦争となった場合でも、海に潜る核シェルターともなり得る。海中集落。
そもそも海上輸送は、有事の際は対馬丸の二の舞になる可能性があり、潜水艦はノアの方舟とも言えるが、子供たちだけでも助けてあげて、という瞬間が、未来の日本に訪れるかもしれない。
潜水艦の形そのものの見直しも行っていただきたいが、フル装備の原子力潜水艦を造ると、それなりに巨大なコストがかかるので、海上からの攻撃を避けながら人送物送にも使える、艦内ががらんとした輸送用潜水艦や、深海での作業を目的とした多目的潜水艦の方が、造船に多額の資金を必要としないのではないだろうか。
【28】金融緩和策、その逆効果とは
近頃はドル高の円安に限らず、その他の通貨に際しても円安傾向があるとのことで、国外から原材料やエネルギー資源を輸入している日本は、やはり、特に仕入れの面で窮地に立たされている。そしてその余波で、商品売価への転嫁がおこる。
打開策も様々だろうが、日銀は一貫して低金利の金融緩和策を進め、あたかも当り前の措置であるとの主張。
そんな折に私はふと思う。企業の内部留保が問題となって久しい現在、それらの裕福な企業は、言わば天秤を釣合わせるかのように、敢えて一塊の借金を抱えているのではないだろうか。
要は、預金も借金もある状態。現在の低金利政策では、預けた金に利息は殆どつかないけれど、その反面、借りても金利は驚くほど安いというメリットがある。そういう時節ならば、たとい無駄な借金を抱えたとしても、金利という実損はかすり傷程度。
元より銀行取引とは、基本的に実績が求められるものであり、過去に一度も取引をしてこなかった立場で大口融資を唐突に求めても、すんなり貸してはもらえない。
それゆえ、大した目的が無くとも平素より借入を行い、その代わり借金返済もきっちりと行いながら実績をあげてゆく、そういう企業が多いのではないかと私は思う。いざという時の、大口融資を取り付けるために。
私は、そこに策を入れたいのであるが、日銀が思い切って政策金利を上げれば、企業の内部留保が自ずと市場に流れ出てくるのではないかと考えている。
もともと、大きな預金と大きな借金が両方持続されている状態だったのが、借入金の金利が上がれば、当然ながら借主の損失が増える。さすがに億を超える融資ともなれば、1億円借りていれば、わずか年5%の金利でも500万円にのぼる訳で、長い期間ならば余計に勿体無い。企業とて、その金利をみすみすドブに捨てるような真似はするまい。そうなれば、設備投資などに必要な出資には、まずは自らの蓄えから出そうとするのがセオリーではないのか。
ともすれば、仮に金利を上げて経済の引締めを行ったとしても、結局は企業の内部留保が世の中に出てくることになり、長らく低金利政策を続けてきた日銀の目指す楽園と同じく、金融ジャブジャブ市場が維持される訳で、頑なに低金利を続けなければ決してそうはならないと考えるのは、些か、浅はかな判断ではないのだろうか。
アメリカの現状に、その根拠がある。米国の極端なインフレを改善するために、連邦中央銀行がFF金利を引上げたのはいいが、なかなか物価高騰は改善されない。それは即ち、ドルがまだまだ市場に出回っているからであり、紙幣が待てども表舞台から姿を消さないから、物価も下がらないのである。
それがまさしく、いま私が申し上げたことを物語っているように思う。企業が銀行から借りていた大量のドルを、金利が上がったおかげで早期完済したり、新たなる融資を求めなくなったり、その上で、自ずと莫大な内部留保に手をつけ始める。まだ、切り崩しが始まったくらいのタイミングなのであろうが、おそらくそういったことが、実際には起こっている。
また、更には高騰した不動産も、悪影響に追い打ちをかけている。
この不動産問題も、かなり大きな元凶と言えるが、原材料やエネルギーの仕入れ価格が高騰したおかげで日用品の価格が上昇するのは理解ができるけれど、そもそも、あらかじめ手持しているような不動産とは、そういう仕入れ価格の高騰とは何ら無関係であるはずなのに、ここがチャンスとばかり、家賃などをはじめ、不動産関連の価格を明らかに便乗値上げしている。
アメリカ国民は、哀しいかな、高騰した家賃を支払うために仕事をしているようなものである。収入は確かに増えたけれど、それ以上に不動産が値上がりし、支出の中で、かなりのウェイトを占めている。
こういう法外な便乗値上げをする不動産業者を、悪徳業者と言わずして、なんと呼ぶ。自分が努力をした訳でもないのに、値を上げる必要も無いのに、高い価格で売り抜けては利益を確定し、悪銭身につかずか、そういうあぶく銭を持って、街で豪遊する。そういった悪徳不動産業者の使った金が、またアメリカ市場を金融ジャブジャブにする。
米国がウクライナに対して巨額の軍事支援を続けているのも、結果的にはインフレに悪影響があるように思う。外国製の兵器をアメリカ政府が輸入してからウクライナへ送るのならばまだしも、アメリカ製の兵器を自国政府が買うのならば、それは公共事業への投資と同じで、更に国内にドルが溢れかえることになる。
米国政府は、それらの大量のドルを、とにかく、一時的にでもどこかに押しやりたいというのが本音なのではないだろうか。
だったら、日本が預かる方法がある。アメリカは自国製の砲弾をウクライナへ送り、その目減りした在庫を、日本の軍需産業の砲弾で穴埋めする方法。日本の軍需品を直接ウクライナへ送ることは武器支援にあたり厳しいけれど、同盟国である米国と取引するのは、非難に該当しない。円安ドル高の時期でもあるし、米国としても受け入れやすい。商機を逃してはならない。
【29】「二八蕎麦」の失墜
「ここの蕎麦、うまいんですか」
「いや、実は俺も初めての店なんだけど、いつも店先に客が並んでて、前から気になってたんだよね。店の名前が『にはち』だから、そば屋っていうのは判ってて、いつか来たいなと思ってた。ほんとうは十割蕎麦の方が高級なんだろうけど、まあ、蕎麦粉が8割入ってる訳だから、悪くはないだろうと思ってね」
「あ、お客さん、すみません。。。うちは、小麦粉が8割なんですよね、蕎麦が2で」
「えええ、それ本当なの。そばが8割じゃないんだ」
「そうなんです。店名の『二八』は、先代が28歳の時に独立開業したからその屋号に決めたって聞いてますけど、その当初から蕎麦粉が2割なので、『そば屋』と掲げるのも遠慮したらしいです。ひとまずそういう営業スタイルなのですけど、大丈夫でしょうか」
「うーん、そうなのか。。。いや、それって結局、蕎麦風味の麦めんなんじゃ。どうしようかな、今日は食事を誘った手前、じゃあ今度、一人の時にお邪魔させてもらおうかな。ごめんなさいね、また来ますよ」
上記は完全なるフィクション作文で、実在の屋号などとは一切の関わりは無いというご理解の上でお考えいただきたいが、さて、皆様はこの遣取りを耳にして、何を想像されただろうか。もちろん話の真髄は蕎麦の配合問題ではなく、しかしこれだけで日本の国債事情だと連想された方は、かなり鋭い。
国であろうが企業であろうが個人であろうが、貸付は、やはり信用に基づいて行われる。金を貸した相手が本当に返済が可能なのか、その観点で信用されていないと、当然ながらお金は借りれない。
収入が足りないからと、2割の借金をして一年を過ごす人ならばまだしも、生活に必要な金の2割を収入で賄い、残りの8割を借金で補う人を、誰が信用するであろうか。
日本も将来的に、国債発行などの公債金が歳入の7割程度になれば、そこがもう限界点であろうと私は考えている。二八と表現したが、7割を超えれば、おそらく日本の国債は評価がガタ落ちし、信用を失墜し、誰も買わなくなる。つまり国債を発行して財政を賄おうとする企みがみるみる崩れはじめ、公務員の給与も支払いが滞る。税収も減る一方で、国家が売れるものは売る作戦に出るであろうが、国や自治体所有といえば役所関連の土地や設備ほか山間の国有地等々か、果たしてその窮状においては、役場や水道局でも売却するのであろうか。
政府は、あまりの困難に「とにかく刷ろう」と、悪魔に魂を売ったかのように福沢諭吉を分裂増殖させ、国債など介さずとも、せっせと支払うべき現金を闇ルートで調達してくる。SFのような噺であるが、今でも窮地では、こういう闇金が活用されているのかもしれない。刷りたての埋蔵金が発掘される瞬間。
ただ、その頃とはもう、行政崩壊なのである。
プライマリーバランスの黒字化目標も、新型コロナの台頭で先送りとなってしまった。そういう苦境ならば、やはり幾らか、わずかでもコロナの医療費を徴収し、一定程度のリスクを国民に残す形をとらないと、コロナにかかっても国や自治体が治療費や支援物資を全額支給してくれるという状況では、頑張っても頑張らなくても結果は同じで、民の危機意識は根底から消え去ってしまい、即ち行動にも反映されない。そしてその悪循環が進み、結局は財政危機が訪れる。
仮に、この長引くコロナ禍で、コロナが原因で日本が倒産するのならば、それまでにコロナ医療にかかった人は、何の心の痛みも感じないのであろうか。
もちろん、コロナにかかるというのは様々なシチュエーションがあり、すべての感染者を画一的に評価はできないけれど、
「終息を迎えるまでは、コロナには絶対にかかるまい。そして人にも絶対に感染させまい」
と、このコロナ禍で延々と自主ロックダウンを続けている国民がいるのも事実なのである。そういう人たちに対し、何と言って、言葉をかけてあげるのだろうか。
私には解らない。これだけ簡単に終息できる疾病が、これだけ甚大な被害を社会に与えて続けているという現実が。
経済問題に戻り、今の日本において、国債の信用が失われないことは最重要課題である。窮地に陥ってから慌てて高い利回りを謳っても、そもそも円の価値が急落すれば、そんな紙切れに、誰も見向きもしなくなる。信用が崩れる瞬間。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その6【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その7【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その8【追記】
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その9【追記】
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
【18】露UKR侵攻「ウクライナは農業国」「ウクライナ人集落」「ひまわりの種」
続いて、ウクライナの避難民の方々について。
行政をはじめ、各界から支援を名乗り出ていただき、日本国民が温かくウクライナの人々を迎え入れる姿に、私も本当に心がうたれる。
それで私も色々と考えたが、UKRの戦況によっては流動的であるとしつつも、やはりすぐには安全宣言は出されない状況で、仮に今すぐ有事が終結したとしても、賠償金問題など、まだまだしばらく、UKR復興の基盤づくりが見えてこないと、ウクライナの方々の本格的な帰国にはつながらないと考える。
その場合、数カ月ではなく、やはり数年単位で日本に身を寄せていただくことが想定され、それに見合う地盤の提供が求められるが、私はその礎に、やはり「農業」を筆頭に挙げたい。
ウクライナは、農業国である。当然、農業に関わっている人、農業に戸惑いを覚えない人は多いはず。畑仕事の他、収穫物の発送作業、農作物加工、調理、パンなどの食の加工販売など、これまでウクライナでもやってこられたであろう業種に日本でも従事していただくのが、言葉も通じない国で生活するには、比較的スムーズな歩みだしではないだろうか。
今の日本は、ウクライナでの有事も災いし、世界と共に、食料自給率のアップが急ぎ求められている。アメリカなどはさておき、我が国は、世界的に値上がりしている小麦の自給率は低く、他にも、蕎麦、トウモロコシ、じゃがいも、さつまいも、かぼちゃなどの穀物も、今後は、生産の増加体制が望まれる。
小麦の生産量が日本より遥かに多いということは、おそらくウクライナ人のほうが小麦の栽培は上手なはず。パン、うどん、ピザ、パスタ、お好み焼、お菓子など、それらすべての小麦粉を国産でまかなえるようになれば、行政が価格調整に介入する必要性も薄れるのではないのか。
日本の国力も富む。食生活の底辺とは、元来穀物が支えているのであり、穀物を豊かにすることは、そのまま国の力となる。日本の穀物自給率を大幅に上げる。
私は常々、日本はもっと空家バンクを充実させる必要性を感じており、今後の東南海地震のことも見据え、できるだけ日本海側の過疎地などで、空家と耕作放棄地をフルに活用し、必要であれば仮設住宅を建てて、ウクライナの方々が淋しくないように、核家族などの単体で招き入れるのではなく、集団で農村にウクライナ人集落をつくっていただく。そしてそこで穀物をはじめとする農作物を育てていただくというのが、日本がいま直面している危機、弱点をウクライナの方々が補ってくれ、休眠していた空家、休耕地も活用され、ウクライナの人々も労働力を日本社会へ提供することによって肩身の狭い思いをすることなく、引け目を感じることもなく、日本の地で充実した生活を送っていただけるのではないかと考える。
もちろん穀物や野菜や果物、花の生産だけではなく、パン屋などで勤めていた人も山ほどおられるであろうし、役場や警察署などの各自治体行政機関や道の駅、一般企業なども協力して、社員食堂や飲食テナントでウクライナの方々を複数名雇い入れ、ウクライナ料理やパンづくりを披露していただく。一品二品でも良いので、ウクライナ定食やウクライナ風お持帰りパンを毎日提供する。
農業や飲食などの裏方での業務は、基本的に、そんなに日本語を話せなくとも黙々と作業はできるのだし、過疎地が活性化するのは、そこへ住む日本人にとっても、非常に心強い光景である。火災がおきたり急病人が出たりした際に、ウクライナの人たちに、逆に日本人を助けていただく場面が見られるやもしれない。ウクライナの方々を、日本の再開拓民として招き入れる。
そもそも国は、もっと早くから、空家の整備に本腰を入れるべきだった。災害が起きた時に慌てて仮設住宅をつくるのではなく、どのみち必要となるのであるから、きちんとその方向性を示す。
先代が他界したのに、遺品の整理もせずに家屋をずっと放置している人には税金を上乗せし、きちんと不用品、消耗品を処分して、家具やお洒落な食器、トラクターなどの農機具などは残し、草刈りと美装をすれば、どなたでもすぐ入居できますよという状況にし、そういう所有者には、空家提供の謝礼として税金を免除する。更には条件次第では、国が買い上げる。
ウクライナの方々の利用が一段落しても、大きな地震や有事がおきれば、どのみち、またすぐに活用されることになる。都心からの田舎暮らし希望者の流出にも受け皿となる。
ウクライナ人集落では、公民館など、地域の人々との交流の場を設け、日本語もそこで学んでもらう。
夏はヒマワリの咲き乱れる小中学校で、盆踊りに招待する。地域の皆でこっそり練習し、ウクライナ国歌をサプライズで披露する。上を向いて歩こう、ふるさと、をウクライナ語に訳し、ウクライナの空へ届くまで、皆で一緒に合唱する。
戦争などせずとも、人は死ぬのである。慌てて殺さずとも、そのうち人は、死ぬのである。
だったらその短い生涯で、ひとつでも多くの、幸せな思い出をもたせてあげたい。
日本の有志たちにも、協力を仰ぎたい。
ウクライナの方々が思い悩まぬよう、商品のパッケージには、ウクライナ語や英語の表記を添え、読み方が分からなければ変換、検索もできないので、漢字には必ずルビをうつ。中身が何なのか、要約した説明文を入れる。
餅など、食べる時に注意が必要な食品に関しては、入国時にきちんと説明を行い、もちろん商品にも明記する。核家族で入国をされるケースなどは、日本人が餅を食べながら食べ方を指導するという場面に巡り合わない可能性が高い。
そういう大事な諸々や日本文化、日本人のさが、買物の方法、台所や家の設備の使い方などを紹介する、外国人向けの動画をつくった方が良いのではないのか。
医療機関などは、医師が診察の際に通訳とオンラインでつながるようなシステムがあった方が良いと思うが、ウクライナの方々が現地を出る際に、カルテや健康診断の記録などを予め用意しておくなど、事前の準備も欲しいところ。また、必要であれば、日本大使館職員に、持病の説明文などをしたためてもらう。
それから通信。過疎地は携帯電話の電波も入らなかったり等の問題もあるので、きちんと整備をする。
そして全国民に呼びかけ、パソコンやタブレット、スマホなどの端末で、家に眠っているようなものがあれば、きちんとデータを消去して、ウクライナの方々のために提供する。避難民の方々も、やはりひとり1台は端末が必要であるのだし、子供のリモート授業にも必須となる。
その取組で、仮に日本国内で使いきれないほどの端末が集まったのであれば、ポーランドなどにも送る。
【19】露UKR侵攻「安全運航」「国土交通大臣のつとめ」
そして乗物などの総点検。危険にまつわる箇所に、ウクライナの方々がすぐに理解できるような表記がなされているのかはもちろんのこと、北海道の水難事故のような事例が二度と起きないようにしておかないと、戦禍で助かった命が日本で失われることになり、申し訳が立たない。
ああいったへき地の観光は、そもそも救助に困難を要するのであるから、自然遺産に問題がなく設置が可能な地域には、養殖用の頑丈な筏などを配置しておいたり、一船だけで単独航行をしないことや、或いは避難用の台船を引張りながら巡ったり、携帯電話の基地局を網羅させておくなど、万全の準備が望まれる。
また、案の定ではあるけれど、干潮付近の時刻に遊覧を実施している。潮汐表を見ていたのであろうか。干潮の際は、絶対に岩場へ近づいてはいけない。満潮時の無事故だった記憶が、操船時の常に持っておくべき危機感を鈍らせてしまう。潮が1mたがえば、景色はまるで違う。
もちろん事故当日は、瀬への接触は無く、過去の損傷から浸水した可能性も否定できないが、実際のところ、あの船の船底は傷だらけである。直近の検査の際には、船底が見れない状況だったにせよ、国土交通省がそういう危険箇所を発見できる機会が無かったものかと、悔やまれる思いがある。
未然に事故を防ぐ。失われた命は、もう戻らない。
旅客機にはフライトレコーダーやボイスレコーダーが備わっているように、国交省が管理するドライブレコーダーを強制的にマストへ取付けるなど、事故の多い事業者に対しては、操船状況を監視し続けることも必要ではないだろうか。
仮に船首が浸水していたのであれば、エンジンが止まる前に、大きく後進しながら退避すべきだったのかもしれない。後進しながら浸水を遅らせた上で、港までは到底戻れないと判断すれば、揚陸するように、船尾から浅瀬に突っ込む。
船は座礁させれば沈まないのだから、潮が満ちる前に、可能であればロープでしっかりと陸に係留し、船内で救助を待つ。
雪の残る北の海で、波に呑まれることは絶対的に避けなければならない。私も船舶免許を長らく持ってはいるけれど、そういった、究極のアクシデントの際の対処方法などは、過去に教わらなかったようにも記憶している。人命救助ばかりで。
事故を救えるのは操船者しかいない場合も多いので、裏ワザも含め、見直しが必要では。
不沈艦というのも現実的な話ではないが、そもそも、寒風吹き荒む地域であるという特性があり、全国の天気図を見ても、北海道はいつも低気圧の等圧線間隔が狭く、おそらく大変な風が吹いているだろうなというのが私の常々の印象だった。
そんな厳しい土地だからこそ、旅客事業者で共同出資して、双眼鏡などを甲板に備えた、風の影響を受けにくい、もう少し大型の頑丈な船で共同運行をすれば良いのではないかとも思う。
今回の事故発生時には、二次遭難がおこる懸念があったので、港からの漁船や追加の遊覧船を用いた救助活動ができなかったのかもしれないが、海上保安庁は、一報を受け、すぐに現場に向かえないと判断したのであれば、自衛隊などに要請し、現場の偵察任務だけでも委託すれば良かったのではないだろうか。
ひとまず状況を確認しないことには、何も始まらない。3時間近く放置されては、すべてが流される。
戦闘機のスクランブル発進でなくとも、哨戒機の偵察でも良い。報道局のヘリコプターでも良い。船が沈む前に、どこかの、何らかの行政機関等が現場にたどり着くことが確実に出来ていれば、遭難者の方々が、どれほど心強く思ったかとも考える。
「海は海上保安庁の管轄だから」
という一辺倒な考えでは、困難を乗り越えることはできない。
船はまだ、すぐには沈んでいなかった。模索を続ければ、必ずや糸口は見えてくる。横の組織が協力し、一重ではなく、二重、三重と、何重もの策を講じて、初めて事を成しうる。一重では、脆い。水は大切に扱わねば、覆水となれば盆には返らない。
怒られても、良いではないか。他の用事をしていたとしても、救助用具を常日頃から積込んでいなかったとしても、それらを後から咎められても、別に良いではないか。命を失う訳ではない。
「私たちは、すぐには行けません。申し訳ないですが、代わりに現場へ急行していただけませんか?」
とハッキリ告げるのも、私は優しさだと思う。冷たい対応ではない。
医療従事者などは、その辺りを見事に捌き切る。完璧に。ダメなものはダメと、はっきり言う。それは修羅場には必要なことなのだ。
そして、その災害救助に関して、深海とまでは言わないけれど、発見された船が沈む水深120mの海底まで、生身の人間が飽和潜水で潜るという話になっているけれど、日本国政府は、いつになったら災害救助用のサイボーグ、アンドロイドを完成させるのだろうか。東日本大震災の原発事故から、優に10年を超えたけれど、まだ燃料デブリを完璧に回収するそれらが現れない。東京電力に任せきりの押付け状態。
頻繁である。人間が救助が出来ない場面は頻繁にある。これだけ沢山の需要があるのだから、もっと本腰を入れて開発すべきでは。
その前に、国土交通省の大臣の問題発言。
当該旅客事業所の社長がひらいた記者会見も見ずに、
「会見は到底納得のできるものではなかったと報告を受けております」
という内容の、あたかも言伝で耳にしたようなコメントを発しておられた。
私には、それはまるで他人事のように聞こえたけれど。そして、あの事業者を悪者呼ばわり。
こういった事故の場合、行政には、事業者に対する監督責任がある。また事業者は、従業員や外注業者に対する監督責任が同じくある。
遭難者、被害者、遭難者の遺族、家族が事業者に対して詰め寄るのは当然のことであるが、国土交通大臣が、公に向けた取材に対して、かの事業者を標的にするようなコメントを発するのは、甚だ筋違いである。
なぜなら大臣は、公に向かって
「私の監督不行届で、今回は取返しのつかない事故がおき、誠に申し訳ございません」
と、深々と詫びなければならない立場であり、あの事業者を律するのは、公の場ではなく、閉ざされた対面の場で行わなければならないのだ。人前で叱りつけてはならない。
国交大臣は、国民と一緒に非難する立場ではない。それらの道理を蔑ろにして、到底納得ができるような会見ではなかったとの報告を受けていると、公の場であの事業者をけなし、かばうことも無く、大臣自身も公に対して頭ひとつも下げないのであれば、どこに大臣の資質があるであろうか。海外から見ても、日本の恥である。紛れもない責任転嫁である。逃げるが勝ちと思っていないだろうか。
事件がおこってから、慌てて各所に通達を出し、全国で、まるでパニックのように船舶の点検が行われている。それがまさしく、負けを認めた証拠。常日頃から完璧に行政の責務をまっとうしているのであれば、何を慌てる必要があろうか。平然と構えておけば良いこと。
航空旅客事業者が日々行っている旅客機の点検を、仮に世界のどこかで事故があったからといって、その点検内容を変更するだろうか。もし変更するのであれば、それは個別にバッテリーの性能に問題があるとか、座席が事故の時に耐性が不十分であるとか、物品に性質的な不具合が認められたことに関するリコール問題に限ったことであり、平素から完璧に旅客機の点検整備をしている事業者に、改善の必要は無いのである。慌てる必要性も無いのである。
リコールは、公に対して謝罪のひとつもしようとしない、大臣ご自身が受けるべきでは。
これだけたくさんの人の命が失われているというのに、責任者が頭のひとつも下げないなど、気が知れない。国民は何のために、高い金を払って大臣を雇っているのだろうか。
現場に赴かないと、本質は見えてこない。私が大臣だったら、実際に乗物に乗ってまわるだろう。事故の船でも、実際に乗れば、どれほど万全の体制で臨まないといけない環境かが、理解できるであろうに。
運航計画書も無ければサインも無い、遭難の生存者がいなかったら、船長が犠牲になっていたら、社長の証言しか頼るところが無い。嘘を言っているのか、少なくとも記者会見をきちんと確認して見定めないといけない。
それを行うまでは、大臣としての発言は控えるべきであるし、そして何より、大臣はかばう立場。
静岡県の教育委員会の長であったか、懲戒免職の職員を出したことによる会見の場で、薄ら笑いを浮かべながら、
「羽目を外したいような気持ちになったのでしょうかね」
というニュアンスの、あたかも他人事であるかの言葉を発し、自分の責任は1%も感じていない様子があった。つまり単なる報告会で、トップが頭を下げるための会見ではなかったのである。
今回の大臣の方が、自身が集中攻撃を浴びる可能性に、既にあの時点で気づいている分だけマシではあるが、頭も下げず、トカゲの尻尾斬りのように行政が事業者を守ることすら放棄するのであれば、あの社長は、そのうち自殺するのでは。私には、大事故をおこした罰とはいえ、あまりにも社長が孤立しているように見受けられる。
あの社長ひとりが猛省しても、未来は変わらない。改めるは国土交通省であり、そして乗物を利用する私たち消費者の姿勢である。
私たち傍観者も含め、あの事業所、社長、船長だけを悪者にして終わろうとしていないだろうか。
何れにせよ、運航計画書なし、アンテナ故障、GPS不明、無線故障、衛星電話不備、携帯電話不通、携帯電話不通であるのに運航許可、船底欠損不明、グループ航行なし、安全管理規程あいまい、累積航行時間管理なし、組合制度なし等、ズタボロの状態でも運航を黙認している国交省は、野放しと言われても致し方ない。そしてまた8億という、そもそも国交省がきちんと管理監視監督できていれば出さなくても良かったはずの船の引上費用が、国庫から計上されようとしている。
組合制度とは、ああいった環境ならば、漁協でも良いので、専門の部署をつくり、観光船事業者を毎朝あつめて、
「本日は、午後から海が荒れ始めるので、正午までに帰港できるプランのみ許可します。ただし午前中でも、各船の船長が航行が無理だと判断した場合は、すみやかに帰港してください。安全航行でお願いします」
と、組合の責任で、その日の航行の許可を各事業者へ出すのである。旅客事業者、船長の単独プレーは認めない。
旅客機などでも、確かに機長の権限というのは強さはあるが、それは、きっちり累積フライト時間を副機長として経験し、アクシデントに対応できるキャリアだというお墨付きがあるからであり、特に海の場合は、その海域である程度の時間をかけて操業に従事したという根拠が無いと、どこのポイントは岩礁があってとか、潮の流れが早いとか、引潮の刻はここが危ないとか、水面下の事情を頭に叩き込むことができない。操業経験が無いと、プレジャーボートなどでも、プロペラのチルトひとつで命取りになる。
ましてやこのコースは距離が長いし、地形の変化も乏しく、延々と同じような景色が続く。GPSが無ければ、自分の居場所をうっかり勘違いすることもあり得るだろう。同じような景色でも、水面下はがらりと違う。その勘違いから、海底の岩にぶつかってしまう場合もある。
しかも操縦席が船首から遠いので、岩礁とどのくらいギリギリなのか、都度の確認ができなくなり、甲板員業務をやっていた頃の記憶に頼るしかなくなる。自動車とて、ノーズの長い車は運転しづらい。だからその海域で、甲板員業務の経験が浅い操船士は危ないのだ。
今回の観光船事業者の社長は、そもそも安全意識が低い。いつも、報道陣から逃げるように車で発進するが、まずシートベルトはしていない。
国交省大臣は、高みの見物をせずに、そういうところを見てほしい。自分の首を飛ばす可能性のある男の一挙手一投足は、私はしっかり見ておいた方が良いと思うが。
「クマさんいるかな?クマさんに会えるといいね」
何のけがれも無い親子が、今回の事故に巻き込まれているのである。事故がおきれば、おきる前には、もう戻らないのである。大臣は、それをきっちりと認識してほしい。きちんと安全が保たれているか、自身の目で見てほしい。
今回の海難事故が、どうにもならなかったものかと、悔やまれてならない。
【20】露UKR侵攻「JAPANブランドの屋台骨」「海外支援、その前に」
経済について、少し。
やはり原油価格上昇は、民の逃げ場が無いほどの影響がある。しかしロシア問題も含め、私たちは、何とかこの苦境を乗り切ってゆかねば未来は無い。
100円ショップが銀座にもできて、一度に5000円や1万円もの買物をするマダムが目白押し。普通の店ならば3〜4万円の出費となったであろうそれらの品で、また日本経済は低迷する。
もちろんそのうち、「150円ショップ」などに名前が変わるだろうが。
自制が効かないのであれば、政府は外資で商品づくりをし、市場の独占を狙う、不当とも呼べる売価設定を行う企業に対し、特別な税をかけてゆかねばならない。
要は原価率設定が正常であるかと、仕入れを国内から優先して行っているかのチェック。原価率が4割を超えると、必ずや下請企業に対して無茶を言うようになる。ブラックとは言わないが、明らかなグレー企業である。不当要求など、悪の根源とも言える。もう中華人国は、利益が出ないので、日本からの商品注文を受けたくないと言っているが。
そういった負け組ジャパンの話に加え、比類のない円安に突入しようと暗雲たちこめる状況であるが、円安を意固地になって回避するよりも、円安の時だからこそ可能な何某をどしどし実行に移す方が、身をかわすには良策かと考える。
新型コロナの記事でも書いたように、期間を決めて外国人観光客を招き入れて家電を爆売りしたり、或いは外国と契約をする際に、
「まとめて5年契約、先払いをいただければ、円安ですし、こんなにお安い買物はありませんよ」
と、長期契約を勧める。技術もどんどん、海外へ売り込む。
果物でも日本酒でも化粧品でも、自信のある商品はどんどん海外へと売り込む。通常ならばその場で食べるような品物でも、鮮度を保ったまま長期保存ができる方法を用いれば、土産物としても需要が出てくる。日本の冷凍食品などでも、外国人には人気があるようである。
また、売り込む際には、ネット上で構わないので、海外からでも日本ブランドを安心して注文できる屋台骨なる構造体を設け、日本政府が大いに関わってバックアップしていますよという印象を海外客に知らしめる。
やはり私たちでも、海外の小さな店のホームページに先にお金を払って商品を注文するのは、かなりの抵抗がある。本当に商品が届くのか、代金だけ払って終わる可能性もある。そして泣き寝入り。高額ならば尚更心配である。
ゆえにAmazonなど、信用ある大型商業施設のような屋台骨が必要となり、そこで日本商品を並べ、ジャパンブランドの大型商業WEBサイトとして客の信用を得るのだ。ジャパゾンというか。
客は常々、アマゾンから信用を買っているのである。
商品を海外に持ち出す話に沿うが、有事災害の折には、やはり現金で援助をするよりも、日本国内の物資を被災地へ送り、国内の商業を活性化させた方が得策であると考える。餅を海外へ送る場合は、のどに詰まらせないよう注意書きをしてほしいが、餅、干し芋、乾麺、煎餅、羊かん、ビスケットなど、保存の効く日本食品を、ポーランド等へどしどし送っては如何であろうか。
【21】露UKR侵攻「満席まで待て」「いつになったら個展をひらく」「今すぐ買わなきゃもったいない」「ナイアガラ経済」
次に、非常に塩辛い話を続けざまに。
物資輸送に関わる話で、今回の有事の避難民受入のあり方を明確にするために、ポーランドを視察する予定を組み、しかし法務大臣に新型コロナの懸念が生じたため、代打として外務大臣が現地に赴いた件であるが、この節の流れを要約すると、政府専用機を2機使用して現地視察し、復路では日本への避難を希望していた20名のウクライナ人に予備機へ搭乗していただき、2機とも日本へ帰り着いた。
私はこのニュースを聞いて素直に思ったが、どうして戻りの飛行機で、ウクライナの方々を満席状態で連れて帰ってこれなかったのかと。
私が言いたいのは、燃料費の話である。
いま、ガソリン価格が世界的に高騰しているが、日本国政府は、空港へ着陸態勢に入った旅客機が、車輪を出すタイミングをギリギリまで遅らせているのを知っているのだろうか。車輪を早く出すほど、機は空気抵抗を受ける時間帯が増え、燃料消費がかさむ。だから出すのを限界まで我慢しているのだ。私は
「不時着するおつもりか」
と思ったこともある。
民も然り。今まで自家用車を使っていたところを延々と歩いたり、雨の中、カッパを着て自転車で行ったり、そういった、煮え湯を飲まされるような努力をしているのだ。
しかも外務大臣は、その帰国のあと、すぐにNATOの会議があるため、またヨーロッパに戻っている。
私だったら、
「私はこのままNATOの会議に出席するので、数日かかっても良いから、予備機が満席の状態になるまで、ここポーランドで避難民を調整し、帰国するように」
と指示を出し、二手に分かれる策をとったであろう。実際問題、日本への希望者は多数おり、
「くじ引きを行います!」
と叫んで搭乗者を集めることも可能だったはず。
新型コロナウイルスの懸念があったので、政府1号機にウクライナ人を乗せなかったという気持ちを理解できない訳ではないが、それにしても2号機にたったの20名で離陸というのが、仮に総理の耳にも入っていたとすれば、もう少し国民の気持ちを汲んでいただけなかったものかと、残念に思う。
専用機の燃料費は税金で賄っているから問題ないと考えるのは言語道断であるし、そういった意識は、悪しき習慣として随所に突出してくるもの。涼を求めたが水が出ず、庭先に油をまくような光景である。
現況でも、石油価格が安ければ浪費して良いという話ではない。今はロシア依存、ロシア中毒から我々が毒を抜くため、皆で協力して、エネルギーを大幅に節約しないといけないのだ。自転車で国会へ向かう議員がいても、何ら不思議は無いのである。
それから政府の関わる経済対策について、いつも思うのだけれど、要領が悪い。政府はもっと、「人の意識」、「民の心の移り変わり」を気にかけて政策を行ってほしい。
例えば消費税の増税。日本は、やはりいつかは消費増税をしなければならないという、言わば宿命のような縛りがあるようだが、しかしながら、
「経済がこういう状態になったら消費増税をしよう」
と、まさに七夕に願いを込めるような、絵に描いた餅的なやり方で増税をしようとするから、うまくゆかない。
「絵が上手になったら個展をひらこう」
というのと同じで、そんな呑気なことを言っていたら、いつ作品展が開けるものか不可解で、それゆえ最初に開催する日時を決めてしまい、それに向けて我武者羅に鍛錬に臨んだ方が、上達は早いのである。
例えば、
「消費税は、2年毎に2%、必ず上がりますので、買物、特に高額なものは早めに済まされてください」
と決めれば良いだけのこと。そうすれば国民は、
「早く買わなきゃもったいない」
と、消費に明け暮れることになる。
ところが常々は真逆で、
「お金を遣うのはもったいない」
という意識が蔓延っている。貯蓄、貯蓄、貯蓄、ほらほら増えたでしょ、物価も上がらないでしょと。
そして頑張った貯蓄を減らしたくないので、どうにか支出を減らせないか、どこかに安い店は無いのか、そればかり国民は考えている。
だからそうではなく、
「お金は遣わなきゃもったいないんですよ」
という状況を、政府がつくってあげれば良いのだ。
もし、人類があと1年で滅ぶということが明白になれば、みな、金はすべて遣ってしまうであろう。気のふれた花咲か爺さんのように、1万円札を桜樹の上からバラ撒く人も出るだろう。
そういった、民の心理を突く方法には、例えば1年間でたくさん買物をした人にだけ、優先的にキャッシュバックを行う手などもある。
「もう、年末挑戦の時期だ。あと100万円遣えば、来年、50万円が還ってくるのかー、頑張って遣わないと」
と、消費チャレンジに拍車がかかる。よりギラついた高級品に手を染めるようになる。
国政は、消費者心理を上手に誘導しないといけない。自分たちの首を締めてばかり。日本人はどうして気づかないのかと思うけれど、国民どうしで、ニコニコしながら、仲良く首を締め合っている。破滅の方向にばかり注力している。
サラリーマンの給料をすべて、本人のマイナンバーカードにポイントで支払うというやり方もある。現金化はできず、半分は10年、もう半分は2年間でポイントが有効期限を迎え消えてゆくので、会社員は、嫌でもポイントを遣わないといけない。
「まずい。使い切れない。どうしよう…会社やめるか?いやいや、待て。慌てるな。落ち着け。そうだ、マンションを買おう。不動産のローンに関しては、不動産専用貯蓄にまわしてポイントが消失しないことになっているから、その手でゆこう。もう二度と他の買物には使えなくなるけど」
と、日本経済は、大花火大会の、ナイアガラの状態となる。
そして為替。そもそも私は、為替の取引に消費税がかからないという理屈がわからない。両替と言えばそれまでかもしれないけれど、円から円を除き、円からドルなどの両替に手数料と共に消費税を支払ったとしても、物理的に不可能な話ではない。
日本国内で自身の持っている円で品物を買い、その際に消費税も併せて支払うのだから、同じように、日本国内で自分の持っている円でドル紙幣を買えば、消費税がかかっても然るべきではないのか。
本来、両替と物々交換は、同じことであると思う。リンゴとバナナを交換しても、円の紙切れとドルの紙切れを交換しても、何らの差異は無い。
どう逆立ちしても、世の中に貢献しているとは言えない為替取引の不労所得で美味いメシを食っているお金持ちの方々から、もう少し税金をもらっても良いのでは。その先の金利の収益も含め、たいして儲からないのなら、やっぱり社会のためになることに励もうと、方針転換する人も出てくるのではないだろうか。あなたは何のために生まれてきたのと、問われる前に。
【22】露UKR侵攻「まとめ」「マリウポリ救出作戦」「西側は勝利宣言を出せるのか」「東西決戦の火蓋」
長いけれど、まとめ。
プーチン大統領がやったことは、大きな豪邸に入ろうとした泥棒が、守りが堅くなかなか入れないがゆえに、ミサイルで豪邸を攻撃して入りやすくしたようなもの。入ったところで、金銀財宝は粉々に砕け散っており、売り物にならない。
もちろん彼にとっては、モルドバまで続く海岸一帯を制覇し、ウクライナから海の利権を奪い、クリミア半島に大量の核ミサイル基地を造ることさえ出来れば、御の字と言える目標は達成できるので、街はぐちゃぐちゃでも、マリウポリの製鉄所が手に入り、ミサイル基地建設や造船のための重工業がやりやすくなり、満足なのであろう。だから製鉄所を、できるだけ壊したくはないはず。早々に、プーチン大統領は攻撃中止命令を下した。もちろん、まだまだ攻撃は続いているけれど。
つい先日、国連の事務総長がロシアとウクライナを訪問した。その折にマリウポリの住民を非難させる話もまとまったかに見えたが、実現は不透明。
それについては、国連が船をチャーターして救出に向かわせるべきではないだろうか。若い男性が乗るとロシアは不審に思うであろうから、それ以外の人々だけでもスピーディーに救出をしないと、製鉄所の地下で生活をしている人たちなど、かなり疲弊していると考えられる。
マリウポリは、作戦としては、当初から全市民を非難させて、一度ロシア軍に占拠させ、それから奪取作戦を行った方が、ウクライナ軍が囲まれる籠城スタイルにならずに良かったのではないかと考える。補給ができないと戦いづらいし、ロシア軍を包囲することも可能となる。
仮に製鉄所の地下シェルターにロシア軍が逃げ込んでも、バンカー・バスターなど使わなくとも、簡単にギブアップを言わせる方法もある。もちろん今は、ウクライナの人々が避難しているので、決してその方法は言わないが。
さて、世界がこの露UKR侵攻を、どう咀嚼するか。ロシアの中央銀行のトップも、救いの女神となり得るか、なかなかの逸材で、西側の経済制裁も一筋縄ではゆかない。
もし、西側がこのまま参戦という形をとらず、戦況もプーチン大統領の思惑通りにことが進み、国際社会も嫌々ながら納得し、一応の決着を迎えたとすれば、今度は、それを見届けた矢先に、中華人国が台湾に侵攻を始めるであろう。
だから「前例をつくる」というのは、地球の常識がひっくり返るのである。中華人国は、いま、黙って結果を待っている。包丁を研ぎながら、この露UKR侵攻が、一時的でも、どういう形で静まるのか、それをしたたかに見守っている。
アメリカがどう動くであろうか。最後の最後にロシアに勝たせるようなことを、アメリカは黙認するであろうか。
「結局は負けたけど、戦争が終わって平和が戻り、良かったね」
と、ウクライナに同情の声をかけるだろうか。
じゃあなぜ、アメリカはあれほどの戦費を惜しげもなく投じるのか。負けた暁に、どこからその戦費を回収するつもりなのか。この巨額な軍事支援は、投資ではないのか。答えはそこにある。
私は、もちろん推測でしかないけれど、米はギリギリまで我慢して、参戦するであろうと考えている。その可能性の方が、おそらく高いと。つまりロシアを弱るだけ弱らせて、一気に召捕る。暴れ馬を捕まえるやり方。
その場合の大まかな作戦は、ロシアの極東から攻め入る。まずはロシアの東の地域のミサイル関連施設、飛行場などの軍事拠点を一気に叩き潰し、ロシアの大地に、早々に幾層ものパトリオット迎撃システムを展開させ、東へ向かうミサイルを、ロシア領土、オホーツク海、日本列島、ベーリング海、アラスカ、北太平洋、米国本土、という幾層ものミサイル防衛システムで、ほぼ完璧に撃ち落とす。
ロシアの西側は、NATO加盟国に任せる。両方から挟み撃ちにし、モスクワの首を締める。その前に、プーチン大統領が隠れるシェルターに向かうであろうが。
ロシアはおそらく、今すぐ、例えば5月9日の戦勝記念日を境に兵を撤収しないと、国が滅ぶことになる。その日は今後を占う重要ポイントとなるはずであり、ロシアが早々に武器を置けば、アメリカは当然、追い参戦ができなくなる。
だからアメリカはそれを見越して、ウクライナへの軍事支援も、一気に行うとUKRが勝ち過ぎるし、米国経済にも負担がかかり過ぎるし、武力の消耗も早くなるので、紛争が長引くよう、ほどほどのラインを守りながらロシアの弱体化を狙っている。
そして東寄りの国々がどう出るかは存ぜぬが、中華人国やインドが、わざわざ国民の命を費やしてまで、ロシアを助けるだろうか。エネルギー転換が、これからは急加速してゆくのであるから、どのみち近い将来、ロシアは売るものが無くなる。無くなるというよりも、売るものの価値がなくなる。
西側はロシアに媚を売らなくとも、幸せに生きてゆける。そんな落ち目の国を、共産圏の国々は命をかけて守るであろうか。
仮にロシアが滅べば、中華人国は大人しく、黙って自身の庭先の掃き掃除でも始めるだろう。何事も無かったかのように。
北朝鮮は、おそらくまだしばらくは、先制攻撃ができない。確かに、外の国を攻撃する能力はどんどん高まってきてはいるが、自国を遠隔攻撃してくる存在に対して、きちんと防衛できるシステムが、まだまだ発展途上かと思われる。
ロシアも、その部分に関しては、北朝鮮に協力したくない気持ちがあると感じられる。今回の有事でも、北朝鮮には何の相談も無い。
そもそも、北朝鮮が核ミサイルを保有することを、ロシアは面白く感じてはいないはず。ロシアへの攻撃に使われる可能性も排除できないからであり、だからこそ、ミサイル防衛システムを提供したくはないと予測される。
つまり北朝鮮は、役に立ちそうな盾を持っていないから、強そうな鉾を可能な限りずらりと並べて、周りを威嚇しているのである。そんな状態で一斉攻撃を受けると大打撃を受けてしまうので、今はまだ、痛手を負いたくないのならば、威嚇しか出来ないのである。それか先制攻撃の短期決戦。
そして日本は、アメリカのロシア極東攻撃に便乗する形で、北方領土を奪い返すことになるだろう。もちろん建前上は、侵略を掲げる武力行使はできない日本であり、米兵の進軍の後片付けをする格好で、北方領土の地を踏むことになると予測される。
自衛隊は、北方領土へ駐留する覚悟をもち、艦船の配置や島民、ロシア兵捕虜の扱い、そしてロシア軍の反撃など、そのシミュレーションを行っておくべきだ。
米とNATOの参戦は、おそらく突如として行われるであろう。全軍奇襲。日本の周りに米艦隊が集結しだしたら、私たち日本国民も、覚悟を決めないといけない。いつロシアからミサイルが飛んでくるか、それがもう、日常のひと駒となるのだ。現在のウクライナのように。
そしてもちろん、それは核兵器かも分からない。
その辺りの緞帳がいつ上がるのか、私は断言はできないけれど、ウクライナには、それなりに麦畑などがまだあり、その収穫も、火薬まみれではあるが実施されるであろうから、この夏頃には収穫が終え、そして小麦を運ぶべき処へ運ぶまでは、おそらくNATOの参戦は無いのではないか。
それまでは、地味ではあるが、ロシアの武力をひとつひとつ潰し、バランスを取りながら、あえてロシアの軍勢を西へ偏らせておいて、参戦する。
その流れになった場合、世界は2022年の秋に、ウクライナ全土、そしてロシア全土が戦火に包まれ、麦の播種が行われない可能性を肝に銘じるべきであり、2023年に訪れるやもしれぬ小麦の大飢饉、すなわち世界的な穀物危機を回避する策を、各国首脳陣は現段階から模索しておかなければならない。スーパーに行けば食物が手に入る時代は、一時的かもしれないが、終わる。
【23】露UKR侵攻「欧州の役割」「隊列分断」「復興費用」「日本との戦争」「自分でやってくれ」「防衛能力はどこまで必要か」「米軍基地が無くなる?」「ヒロシマの石」
そして、これはおそらくヨーロッパ各国の任務となるが、参戦すぐにクリミア半島を掌握し、ケルチ海峡、及びロシア本土への援護射撃をしながら必要最小限の艦隊をアゾフ海に侵入させ、マリウポリに上陸し、同じくウクライナ中原の部隊からも攻撃を仕掛け、マリウポリ以西に進軍しているロシア軍を分断し、補給を断ち、完全に孤立させる。そうなるとロシア軍は、弾薬も食料も届かない、まさに兵糧攻めに遭い、投降するしか術は無くなる。
だから西側は、今回のロシア軍が、できるだけ龍の下あごの太さを細いままにすることを望んでいるはず。あまり太いと、簡単には切れなくなる。
もちろんロシアも、それを懸念としているだろうが、露軍はけっこう一列で進軍することが多いようで、簡単に分断されるケースが多いのではないか。
一列で進軍していると、その隊列で爆発などが起こっても、傷を受けなかった味方が、現場に向かって応戦できない。確認もせずに銃火器を放つと、味方に当たるからだ。
なので奇襲する側は、物陰に隠れて横から直角に第1回目の砲撃をし、すぐにぐるりと回り込み、少し時間を置いて、隊列の負傷者の救助が行われている頃に、同じ現場へ、斜め方向から2回目の攻撃を仕掛ける。
その2回目の砲撃を聞き、第1攻撃の犯人を追走していた部隊がUターンし、最初の現場に戻り、敵を探し、しかし見つからず、しばらく経ってから救助活動を始めたところへ、第1回目に攻撃を放った同じ場所から、直角に第3回目の攻撃を加える。
この3度の攻撃で、その隊列には、壊滅的な打撃と致命的な恐怖心を植え付けることができる。
これを読む方々にも考えてほしいが、ウクライナが勝つというのは、どういう状況であろうか。ロシアが出てゆきさえすれば勝ちなのか。
では、露がUKRに対して賠償金も支払わないのであれば、いったい誰があの焼け野原を復興させるのだろうか。住民ひとりひとりが、自費で行うのだろうか。勝った、勝ったと言いながら。
ロシアを負かさないといけないのである。ロシアに負けない、というのも大事ではあるが、そろそろ、ウクライナの勝利宣言が出される場面を、イメージしないといけない。賠償には、もちろん解体費用も含まれるのであるから、その出資者を明確にしないと、復興は歩み出さない。どこぞの犯罪者から放火された物件を、西のほうから通りかかった紳士が、自費で建て直してあげるのは、筋違いではないだろうか。
私はロシアの凍結資産を、そういった費用に回せないものかと考える。だから今後、戦場を調査して足りなければ、まだまだ差し押さえておくことが重要となる。現地調査、罹災証明、復興見積、凍結金支給、の流れである。
ゆえに、軍を撤退させれば凍結を解除してやる等とは、絶対に言うべきではない。ウクライナが勝つというのは、ロシア軍の撤収だけではなく、きちんとそういう賠償金関連まで話を着けることが必須となる。国際社会も、それを目標に協力してゆくことになる。
戦争は、相撲の取組みと同じであり、幾ら劣勢でも、最後に勝てば良いとされる。もちろん長引けば、戦争の場合は犠牲が増えるけれど。
米軍幹部や大統領側近の間では、
「日本との戦争を思い出せ」
が合言葉になっていると、私は考えている。
満州、朝鮮半島、中国大陸、東南アジア、インドなどへ進軍し、まさに大東亜共栄圏を築き上げようとしていた日本に、敵意を感じつつも、その時、アメリカはすぐに参戦した訳ではない。当初は黙って見つめていたが、結局は日本資産の凍結が始まり、ついには石油の輸出を止める。アメリカのそれが致命的となり、真珠湾攻撃へと結びついた。
私には、今のロシアの様が日本と重なって見える。アメリカは、手広く進軍させて後から本格的に攻撃をする、あの戦勝を再びリプレイしようとしている。手広く進軍するのは、補給がかなりの負担になる。だから、あれだけの広範囲に散らばった旧日本軍が、現地で略奪もせずに生き延びるというのは、まず有り得ない話である。今の露軍でさえ、ロシアの隣国に出かけるだけでも、補給が間に合っていない。
さて、日本はどうするか。日本が守備でアメリカが攻撃という分業制を掲げ、そうだそうだと納得している専門家の方々もおられるようであるが、果たしてそれで、一件落着なのか。
日本の憲法、締結条約を鑑みると、アメリカを頼る姿勢は理解ができる。しかし米国が、仮に手が回らない状況であったらどうするのか。
「もしも第3次世界大戦が起きたら」
などというセリフは、今、私たちが交通事故に遭うよりも確率が高くなってきている。もちろん、核戦争も。
そういう、世界的に修羅場を迎えた場合、アメリカがひっ迫状態に陥れば、当然、
「自国のことは自国でやってくれ」
と、助けてくれない場合もある。
また、米国本土が攻撃されていれば、同盟国日本の自衛隊とて、その防衛に駆り出されるのではないのか。そうなれば、日本の本土防衛にも支障が出てくる。
敵とは、弱みにつけこんでくるもの。北朝鮮と中華人国とロシアが手を組んで、同時にミサイルを打ち込んでくれば、日本本土への着弾は免れない。ミサイル攻撃は、たった一発ではないのだ。100本のミサイルが同時に飛んでくることもあるのだ。迎撃システムも追いつかない。
米国は、日本を守るために生まれてきたのではない。条約とて、いつの時代も破られるためにある。形あるものは、いつかは壊れる。
動物園を運営するのに、
「いざとなったら警察に連絡すれば大丈夫だから」
と、麻酔銃のひとつも持たずに運営をするのかということ。
ライオンが檻から出て、4歳児の頭にかぶりついていたとしても、運営者は警察の到着を待ち、抵抗をしないということ。
今回の北海道の水難事故でも、海の事故は海上保安庁が専門だと決めつけ、自衛隊に出動要請をしなかったら、やはり救助に間に合っていない。
綺麗事ばかりでは、困難を乗り越えることはできない。あなたがあの3歳のお嬢ちゃんの親なら、たとい荒波でも、漁船を借りてでも、漁船を奪ってでも救助に向かうのでは。
平素より、二重三重の防衛策が求められる。
そして、気になる件。
アメリカの方々には、これは大きな失礼となってしまう記述なのであるが、私は因果応報というのをけっこう実体験してきたところがあり、もちろん私が悪いことをした訳ではなく、悪い行いをした人の、自らの身に同等の苦難が結局は舞い降りる様を、偶然という二文字では片付けられないような、それなりの頻度で見たり聞いたりしたことがあるという件。
ただ、その場合、A⇒B⇒Aという悪事の流れではなく、なぜかC⇒Aとなるのである。ほとんどの場合、そうである。
私が言いたいのは、アメリカの原子爆弾投下。ヒロシマ、ナガサキである。
あの行いのツケが、私はいつかアメリカ本土に回ってくるのではないかと思うところがあって、なので今後、核ミサイルが米本土へ着弾しなければ良いがと、考える。
そして私は、これだけの戦争危機がおきている国際社会を前に、日本が、弾道ミサイルや空母の保持如何という現実的な協議ではなく、その前の「敵基地攻撃能力」や「反撃能力」という、部屋の扉の名前を先ずはどうしようかねという具合に悩んでおられるのを、些か呑気に思えて仕方がない。
大事なのは部屋の中身であり、議論はそこに始まりそこに終わる。
表題などは然程の重みは無く、なぜなら、どのみち周辺国は、扉の名前で評価をしてくれるほど、日本に都合の良い理解力は持ち合わせてはいない。それがあるのならば、「自衛隊」というネーミングだけでニコニコ外交をしてくるであろうし、防護マスクやドローンをウクライナに送ったくらいで、ロシア政府が憤慨したりしない。周辺国は、中身を見ているのであって、どのみち非難は浴びることになるのだ。
軍事に重きは、虚ではなく実である。だからインドでも、自衛隊機を着陸させることは無かった。
攻守混同、そう判断されても仕方がない。リスクは無くならない。
もちろん、じゃあ段階をスキップしてどうぞというのではなく、議論にかける時間が問題なのである。
日本の国会議員、特に与党議員、並びに閣僚は、自分たちの生命の危機を認識すべきである。
もう、いつ核戦争がおきても誰も驚かないような状況で、まだまだのんびりと構えておられるが、仮にロシアと日本が交戦状態となり、ロシアが日本の降伏を得るような状況となった場合、ロシアは占領国として、自衛隊の幹部や閣僚などを、戦犯容疑で処刑するであろう。
自国民でも平気で粛清する鬼の政権を相手に、文官は助けてくれる等という甘い考えは通用しない。あなた方の命は、もうまな板の上に載っているのである。
ウクライナ政権とて然り。ロシアに降伏した時点で、ゼレンスキー大統領をはじめ、政権中枢の方々の命は無いのである。だからこそ、一生懸命に闘っているのである。
日本の政治家も、最速ならば1年以内に自分たちの生命が終わる可能性があることを、念頭に置かなければならない。核ミサイルの雨を浴び続けて、自国では反撃もできず、1年以上も、日本の士気がもつであろうか。
嫌なら早々に、せめて閣僚を辞任することである。
今の自衛隊の防衛力で、どこまでの状況なら守ることができるのか、シミュレーションを繰り返さないといけない。そして同時にアメリカとロシアが交戦を始めたら起こりうるであろう常識では考えられないこともシミュレーションし、要はその差の防衛力を埋める必要がある。
私が考えているのは、空母は出兵の乗物として、防衛ではなく、攻撃能力と見なされる可能性が高い。それに加え、同盟国の戦闘に駆り出される可能性も高い。また、同盟国の軍事作戦行動中の離発着に使用されれば、それが給油を目的としていても、戦争に加担していることになり、更には、救出作戦などの切羽詰まった時に、航空自衛隊員が、戦線に向かわされるかもしれない。
また、巨額な維持費を賄えるのかという懸念もあるので、私だったらレンタルを考える。もちろん、やすやすと貸してはもらえないにしろ。
そして必要性についても、難解ではある。多面性はあるものの、やはり攻撃作戦に利用されやすく、戦地の奥まで、自衛隊員が入り込むことになる。
なので、もし選ぶのであれば、弾道ミサイル程度がグレーの兵器として認められやすいのではないだろうか。前述の、トンネル収納型弾道ミサイル、並びに台船発射型弾道ミサイル、輸送艦発射型弾道ミサイル、そしてパトリオット迎撃システムである。
必要性については、日本への攻撃、もしくは日本へのミサイル攻撃が確認された国に対しての、敵地ミサイル攻撃システムの破壊と、軍用飛行場の破壊活動。最低限これだけは行わなければ、次の攻撃で再び被害が拡大してしまう。
それでも攻撃が止まない場合は第3ステージへ移ることになるが、日本では、この辺りからブラック・アウトとなることが予測され、あとは空爆阻止や上陸作戦の阻止等がメインになると考えられる。
だからこの辺りの苦境をどう乗り越えてゆくのかが課題であり、巷では自衛隊を日本軍と改めるべきだ等という意見も出ているが、私はそのネーミング問題は置いといて、
「条件付攻撃権の行使」
というのが良いのではないかと考える。攻撃権は反撃権でも良い。
つまり、敵からの攻撃に対し、先ずは自衛を行う。その後、
「これ以上の攻撃を我が国に対し行うのであれば、御国の領土へ攻撃を行う」
という警告を憲法に従って発し、それでも相手の攻撃が持続された場合に行使される。
また同様に、いきなりのように核ミサイルを撃ち込まれたりとか、或いは撃ち落としはしたが、明らかにあれは核ミサイルであったとか、そういう、我が国の存亡に関わる事案が発生した場合も行使されるというもの。
素手で殴られたとしても、殴られ続け、限度を超えれば人は死ぬ。そのラインを、例えば「無慈悲」と定めて、それに該当される事案ならば、この条件付攻撃権が行使される。
これは明らかに、正当防衛の範囲である。あとは、無慈悲の内容を細かく決めること。
戦争の定義というのがあいまいな気もする昨今、日本が掲げる戦争放棄も、現実問題、
「戦争の条件付放棄」
となる可能性が高い。きれいごとでは、総ての事案を片付けることが出来ないからだ。殺すか殺されるかの状況でも、相手を殺すことは選択できませんというのならば、あの大阪の放火殺人事件などで生還することはできない。
現行の日米安保があるから問題ないと言われる方は、一度考えてほしい。
仮にロシアが日本に攻めてくる、自衛隊が応戦する、でもロシア本土への攻撃などはできない、なので露の攻撃が全然止まない。アメリカにロシアを攻撃してくれないだろうかと日本がお願いし、米が攻撃してくれることになった。ミサイルも使ったが戦闘機も用い、しかしその作戦で米軍機が撃墜され、パイロットは死亡した。その後、ロシアの攻撃は徐々に止み、収束を迎えた。
その状況で、日本人であるあなたは、
「良かったね」
と言えるのであろうか。米軍パイロットの命が失われても、あなたは喜ぶのだろうか。
攻撃とて、命がけなのである。否、攻撃の方が、命を落とす危険性が高いのである。そのパイロットにも、愛するご家族がいるのである。命の重さは変わらないのである。
アメリカに、危険を伴う攻撃の総てを担わせようとしている日本で、本当に満足して良いのか、それを一考してほしい。
念の為に申し上げておくが、私は戦争肯定主義者ではない。真向からの、大反対論者である。言い換えれば、理想論者ではなく、現実主義者であるということ。
更に細かく言えば、この乱世の問題を次の世代への宿題にして良いのかという気持ちと、はっきりと銃口を突きつけられている相手に対し、他国へ頼り、自分たちでは銃も構えずに生活をしているような日本で、果たして、きちんと国民を護ってゆけるのかという気持ち、そして武器を下ろすなら、そういった失礼な国が先なのではないのかと思う気持ち、それらがぐるぐると巡っている状態である。
そして未来像として考えるのは、日本がある程度の軍事力を携えて自国で最低限の攻守能力を携えた場合、沖縄をはじめ、日本にある米軍基地を、米軍ではなく、日本の自衛隊が主導使用することも想定できるのではないかと考える。つまり米軍が撤収する、もしくは常駐兵力を縮小する。
今の乱世、またアジア地域の状態を見ても、日本にある軍事用地を部分的に解体しようというほど、安定した世界情勢ではない。米軍も、台湾問題というネックがあり、安易な行動はできない状況ではあるが、新型コロナウイルスの感染状況次第では、中華人国はゼロ・コロナ政策の余波で、台湾侵攻どころではなくなる可能性もある。軍人のロックダウン。
沖縄県民ほか、地域住民が長い間米軍基地の問題に悩まされてきたのは事実であり、法の力が隅々まで届く訳ではない米軍人よりも、日本の自衛隊が常駐した方が、それらの地域の方々にとっては、安心するのではないだろうか。武器が乏しいのであれば、米軍のそれを、米兵撤収時にそのまま基地に置いてもらえば良い。
何れにせよ、もう私たちは、戦争や核などの脅威から、いい加減で開放されないといけない。生きているうちに。人生を、栄えあるものとするために。次の世代のために。
死は、脅威からの開放ではない。
そんな人生を、そんな最期を迎えさせてはならない。
このままでは、私たちは過去の大戦、とりわけ第2次世界大戦で犠牲となった方々に、恥ずかしくて顔向けができない。
彼らの犠牲を決して忘れぬよう、
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」
と、ヒロシマの石に深く刻んだのではないのか。
Atelier Kaii
五郎丸 塊維
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
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新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
【13】露UKR侵攻「前代未聞の大乱闘」「NATOのけじめ」「私たちの絆」
ウクライナ事情に戻る。
まだまだ解決の糸口さえも見えない混沌とした状況であり、核戦争の時計は動き続けている。
私たち西側の、
「ロシア軍は自国へ帰れ」
という願いを現実のものとするには、今後も労力がかかると予測される。
「ちょっと、あなたたち!何やってるの?何?きちんと説明しなさい!」
ベテランの女性教諭の大きな声に、大勢の生徒たちの動きがぴたりと止まった。はあはあぜえぜえと、肩で息をしながら、中にはひっぱたかれたのか、片方の頬が真赤に発色する生徒や、髪の毛がぐしゃぐしゃな男子など、150名ほどの生徒が乱闘騒ぎを起こしていた校舎の長い廊下は、まさに戦場の様相であった。
パトカーや救急車のサイレンがひっきりなしに聞こえ、警官と救急隊員が続々と階段をのぼってきた頃、ひとりの生徒が、大人たちに事情を説明しだした。
この中学校は、同じ学年で全部で10クラスの学級があり、この修羅場にいる学生たちは皆3年生で、女子と平和主義者を除いた残りの男子生徒が、廊下に散らばっていた。
争いの発端は、1組の友愛派のリーダー的生徒を、10組の武闘派的ないち生徒が目をつけ、或る頃から嫌がらせを始めたので、周りの生徒が1組の生徒をかばい同盟を結成したのだが、ほどなく10組の武闘派リーダーも同じく対抗する別の同盟を発足させ、1から6組が友愛派、7から10組までが武闘派という分裂組織となり、冷戦状態が続く中、7組、8組と、徐々に友愛派に寝返り、とうとう先週末、9組までが友愛派に加盟すると言い出したのだ。
その報を聞きつけた10組の武闘派リーダーは危機感を感じ、狼煙をあげ、9組に攻め入ったところ、1から8組の生徒たちが、9組を助けるために援軍を送り、その結果、前代未聞の大乱闘になったのである。
女子生徒たちは、何の前触れも無く、昼休みに目の前で突如としておきた稀に見る惨劇に、教師を呼ぶ前に迷わず警察と消防に電話を入れ、その通報量の多さに、ただ事ではないと、大勢の行政関係者が学校へ駆けつけたのである。
「どうして?あなたたちには、いつも言ってるじゃない。『困っている人を、差別すること無く、平等に助けてあげられる大人になりなさい』って。同盟?ふざけるんじゃないわよ。あなたたちは、自分が同盟を結んだ人しか助けてあげないの?そんな貧しい心しか持っていないの?」
生徒たちは、沈黙のまま、うな垂れた。がっくりと肩を落とし、まさしく放心状態だった。
「今すぐ、同盟なんか破棄しなさい。そして今後、二度と同盟を結ばないって約束しなさい。同盟は、差別偏見の道具です。いじめの始まりです。私たち教員は、あなたたちにそんな未来を歩ませるために、毎日学校へ来ているのではありません。腐った大人へ育てるために、一生懸命がんばっているのではありません」
NATOの事務総長は、まったく懲りていない。
元はといえば、市民の生活ではダメだとされる差別が、国家間ならば平然とまかり通る風習に問題があり、経済制裁とて、国連が主導し、許可を下して各国が実施するのが望ましい方法である。
「国連が言うものだから、制裁などしてごめんなさいね。文句があるなら、国連に相談してもらえませんか」
という流れが本流である。
起こるべくして、の今回の露UKR侵攻は、NATOという軍事同盟の加盟にまつわる悲劇であったのだから、仮に、どこかの国が絶対的にNATOへ加入すべき場面であれば、その作業は水面下で進め、大原則として事後発表を行うべきだ。
そして普段から、事後発表を常とする旨を明言しておかなければならない。その後、仮に国民の猛反発などが確認されれば、当然、同盟の解消に至る場合もあると。あとからキャンセルもできると。民主主義の原則は裏切ることは無いと。
そもそも、ワルシャワ条約機構が消滅したタイミングで、NATOは自分たちの今後の在り方を、きちんと議論すべきだったのではないのか。対抗する軍事同盟が解体されたのであるから、そこから更に拡大させる必要が、本当にあったのか、懐疑的である。今回は、無用の争いと言われても仕方がない。
過度にロシアを刺激する、窮地に追い込むようなやり方は、ロシアに極端なプレッシャーを与えてしまう。経済もどん底で、国の存亡に関わる、そんな壊滅的な状況をプーチンという男が立て直せば、国民の支持は、やはり英雄というレベルにまで高まってしまう。救いの神だと。
私は今回の紛争は、NATOの身から出た錆であると認識している。もちろんNATOには人的被害が出ていないから、ウクライナの状態と比べると雲泥の差であるけれど。
そのような状況で尚、NATOの事務総長は、今回のUKRで起こった有事の責任を感じていない。スウェーデンとフィンランドも、まだまだ話が煮詰まってもいないような段階で、加盟の意志をメディア公表し、すぐさまロシアに核ミサイルを向けられるという事態に陥っている。
メディアもメディアである。どうして公表するのであろうか。諌める術を知らないのだろうか。金になるなら手段を選ばない姿である。これでは、ウクライナの二の舞になってしまう。
けじめとして、露UKR侵攻の停戦交渉は、NATOが行うべきだ。プーチン大統領と面談すべきは、ゼレンスキー大統領ではなく、NATOの事務総長である。国連の事務総長である。
今回の有事は、UKRだけで済む問題でもない。だとすれば、ゼレンスキー大統領が話を着けたとしても、まだまだ未来は闇の中。根底の問題は解決していない。
NATOが拡大を続ける以上は、その先々でロシアの攻撃を受ける可能性があるのだ。だから、国連事務総長が仲裁のために二国を巡ると言っているのならば、それに同行するといい。そしてきちんと、北大西洋条約機構はこういうつもりだと、ロシアに攻撃をしたり、ロシアを滅ぼすためにNATOの加盟拡大を行っているのではないと、プーチン大統領に、丁寧に説明すべきだ。
プーチン大統領は、悪い言い方をすれば臆病。とうとう、世界中の誰よりも命を狙われる存在にまでのぼり詰めたが、そういう生き方が災いしてか、「距離」に対して、もの凄く神経質になっている。
NATOとの軍事境界線も然り、面談する人との距離に、どれほど警戒しているのかが如実に判る。女性たちとのお茶会では、距離などまったく置いていないではないか。マクロン仏大統領は、かなりの距離を与えられていた。だから交渉事も成立しない。
私は暴言となるが、NATOは解体すべし、と考える。それで平和が訪れる。
もちろん解体したからと言って、軍事援助をしない訳ではない。ただ単に、援助が強制ではなく任意となるだけである。西側の結束力で戦う方法に変わるということである。
派閥や差別偏見を、露骨に、特にこの軍事の面で表に出すと、とてもではないが、「商売敵」という位置づけでは済まされない事態となる。虚勢と実益と、どちらが大切か、考えれば解るであろうに。
そしてひと言、余計な記述を加えれば、NATOが拡大していって、とうとう世界の総ての国がNATOに加盟したと仮定すれば、今度はそのNATOの内部で、争いが始まってしまう。米豪仏の潜水艦事件など、国交とは、あれほど簡単に溝が入ってしまうものなのだ。気が抜けない。
だからもし、NATOが存続を是とするのであれば、私は軍事同盟という名目を除外し、「北大西洋激甚災害国際支援機構」とでも名称変更して、表向きは国難など、困った国を助ける同盟であるという形につくり直すべきだと考える。
もちろん有事の際には、軍事協力もするけれど、それはあくまでも任意。NATOの名目を換え、災害協力国際連帯組織、国際紛争難民援助を表に出し、軍事同盟は裏に隠す。
だから結局は、国際連合がもうちょっと出しゃばらないといけないのである。あれこれ思考を重ねても、結局は国連の出番でしょという話になる。
その当の国連は近ごろ、テロを恐れてか、当たらず触らずのオモチャ組織になっている。まったく機能していない。拒否権をもっているロシアが「ヤだ」と言えば対策が白紙に戻される。まさに子供の集まりではないか。
仮に拒否権制度を存続するのであれば、トランプ遊びのジョーカーのように、
「1回行使すれば、次の3回は使えません」
とか、
「使わなければ使わないほどポイントがたまり、新たなる拒否権が付与されます。また、たまった拒否権2回分で、相手の拒否権1回分を消滅させることができます」
など、絶対的に、限りのある権限にすべきだ。
JOKERが無限に補充されるなど、トランプ遊びでは有り得ない。おそらくロシアは、近い将来国際連合を脱退することになるであろうけれど、脱退国がどういう未来を描くか、追従の国が出ないように、見せしめを課さなければならない。
「絆」とは、目に見えない鎖である。離れていても心の中ではつながっている、決して断ち切れぬ鎖である。絆があれば、証文も紙切れも必要ないのである。親が子を、子が親を助けるように。
NATOという目に見える組織が、目に見える条約を交わし、目に見える鎖でつながなければ国どうしが助け合うことも出来ないと言うのであれば、そんな惨めな組織は解体すべきである。そしてもう一度、国家間の外交手段というものを、いちから組立て直すべきである。
条約を結ばなければ先に進めないというのは、相手を信用していないのと同意。そこには、絆は無いということ。絆が無いのに条約だけを結ぼうとしても、それは砂の牙城であるということ。簡単に、波にさらわれてしまう。
だから日ソ不可侵条約でも簡単に破られ、北方領土が奪われてしまったではないか。
「何かあった時は助け合いましょうね」
と、そのひと言だけで外交が叶うくらいの、不断の努力が重要なのである。
【14】露UKR侵攻「タイムスリップ」「ハイレベルな経済制裁」「マリウポリの悲劇」
今後の作戦について。
当然ながら、2月24日よりも前の位置にロシア軍を戻さなければならない。その責務が我々国際社会にはある訳だが、しかしながら、やはり西側でも、たとえウクライナが領土を失ったとしても、自分たちの身の安全の方が重要だと考えている人も大多数であると私は思う。幾ら独裁国家を排除せねばならないという窮地に追い込まれたとしても、自身が核ミサイルを浴びては元も子もない。ゆえにそういう主張があったとしても、咎めることはできない。
ただ、今回の紛争は、当事国だけの問題と括れない部分も多くあり、難しいところではあるが、その辺のバランスを考えて、具体策を幾つか書かせていただこうと思う。まずは、現在世界の各国がロシア経済を干しあげることに必死になっている経済制裁の、特に貿易について。
ロシアを追い込むことで侵攻を止めさせようという経済制裁策の、しかし現在既に実施されている取組も多いので、それ以外のポイントで何か無いかと、ロシアの弱点を探ってみた。
結論は、医療用品。
ロシアの輸入品類には、ほとんど中華人国が関わっている。なので、例えば西側がプラスチック製品や家電の輸出を止めても、おそらく中華人国がそれをカバーするように輸出量を上げ、儲かるだけである。露を絞っても、逆に東の予備勢力が国力をつけてしまい、第2のロシアに成長してしまう。
それゆえ医療関連の、特にハイレベルな製品に特化して輸出を止めれば、ロシアの高度医療はゆき詰まり、住民のうちの、特に高齢者が痛い目を見ると推察される。
もちろんこれは、人道に反する行為と言われかねない。しかし、既に無慈悲な行為をロシアが行っているのであることを考慮すれば、無関係ではない彼らは、その報いを甘んじて受けなければならない。
鬼に向き合うのなら、心を鬼にすべし。なお、無関係ではない理由は、後述する。
ロシアは、昔と比べて平均寿命が延びてはいるものの、それでも男性は68歳程度。つまりプーチン大統領は、すでに平均寿命を超えている。
冷え込むロシアでは、医療のサポート無くしては、おそらく高齢者の越冬は厳しいのであろう。CTやMRIなどの画像診断機器をはじめ、特殊な手術器具や医薬品など、高度医療の輸出を断つ。それにより、次に訪れる冬のロシアは悲惨な状況を迎え、来年の春には政権交代を望む声が高らかに上がると考える。
そういった高度な医療用品は、西側諸国が牛耳っている。東洋医学、漢方、鍼灸、ヨガを中心に医療の歴史をつくりあげてきた中華人国やインドでは、今の状況では、その分野でロシアを完全に支えることはできない。ロシアへの医療用品の輸出金額の統計にも、そのあたりは顕著に現れている。
対ロシアでは、日本でさえ中華人国の5倍近くもあり、米国は、その日本の15倍近くの金額の医療用品を輸出している。ドイツ、イギリスも、日本より遥かに上額である。つまり、この分野は完全に西側が牛耳っているのである。
無論、中華人国やインドが横流しをしないか、監視しておくことは重要であり、
「いま、品不足で困っている」
などと伝え、これらの国へも、輸出量を増やさない対策を講じる。
次に、ロシアの若者に対して。制裁は、画一的に行うのではなく、年齢層に分けた取組みが効果的であると考える。
若者をターゲットにした場合、すでにロシアは若者の海外流出がおこっているが、世界第2位のカナダの1.7倍くらい大きな国土面積をもちながら、人口は1.458億人と、世界第9位に留まっているロシアは、常日頃から、明らかな人手不足に陥っている。
だからこそ中華人国やインドなど、人口が極端に多い国にすり寄って、いざとなったら兵力を借りようとでもいう甘い見通しを持っているのであろう。
これだけ国際社会が露の愚行に断固たる反対をし、近親国であるベラルーシですら参戦をしないのに、誰が物理的な援助をするであろうか。国連の場でロシアに味方をしても、リスクの控えめな挙手くらいで済めば実損は最小限に抑えられるという国が目白押しであるのに、ロシア政権は、まったく甘い考えである。
軍人の数が足りないから、ウクライナから国民を誘拐する。服従する意思の乏しい人は極東のへき地へ送り、簡単には脱走できないようにする。そして後方支援の役割を担わせている。
また、役立ちそうな人材を、露軍に入隊までさせている。ロシアの兵力不足、人手不足は、それほど切羽詰まっているのだ。
だから本当は、ロシアのような国と武力を交える場合、補給を切らさないという条件は求められるものの、絶対的にロシアの国土を戦場とすべきだ。ロシアは攻め込まれると、国土があまりにも広いので、少ない人員では、敵を見つけ出すことが困難になる。
また、上陸されるということは、ロシア住人がいる地域に、ロシア軍は簡単に遠隔攻撃ができないということ。今のウクライナがまさにそれなのであるが、住人がいるおかげで、ウクライナ軍は攻防作戦がやりにくくなっているのである。
「我々も、国のために戦うぞ!」
と、決起するのは有難いけれど、一般市民は、避難をすることが最大の後方支援でもあるのだ。自国の市民がウロウロしていては、銃火器は使えない。
そういった事情があり、ロシアが攻め込んできたのならば、まずはUKRは住民を全員退避させ、街をもぬけの殻にし、そして進軍するロシアを尻目に、ウクライナ軍は、あえてロシア国土に攻め込んでゆくのである。
ロシアに国土を7獲られたら、ウクライナもロシアの国土を7奪う。8の場合は、UKRも8。そして初めて交渉をする。
「もうこの辺で、無益な争いは止めないか」
と。お互い、自国に軍を退こうではないかと。有事の前に、地図を戻そうではないかと。
大原則として、交渉の際は、相手の弱みを握っておかなければならない。それは私たちの一般社会でも同様であり、その武器が無い話合いは、まさに服従、つまり降伏調印の場である。
だから厳しい策であるが、UKRに活路があったとすれば、ロシアが多面的に攻め込んできた際に、すぐに自国のロシア人地区を包囲すること。そしてロシアに対し、
「我が国の子どもを一人でも殺してみろ、同じ性別、同じ年齢のロシア人の子に、まったく同じことをしてやる」
と、警告を発する。そして軍を退けと迫る。
子どもが死んでからでは遅い。失われた命は、もう二度と戻ってこない。
マリウポリでも、地球の財産である子どもたちが何人殺されてしまったのか、正しく数えることすら不可能に近い状態である。
産科病院が理由も無く空爆に遭い、担架で運び出された、もういつ産気づいてもおかしくないくらいの、あの腰の骨を砕かれた妊婦も、そのお腹の子と共に亡くなった。朦朧とする意識の中、お腹の子にそっと手をあてる母の姿は、まだ陽の光を浴びたこともない我が子が不安にならぬよう、だいじょうぶだからねと、心でそっと語りかけているようにも感じられた。
ロシア語で「子どもたち」と、ロシアの衛星に見えるように、わざわざ大きく記された劇場も空爆を受けた。屋根は崩れ落ち、中に避難していた子どもたちは、大人と共にがれきの下敷きとなった。
戦火が激しく救出作業もできず、長らく放置された瓦礫の劇場は、ロシアが証拠隠滅のために、解体作業を行っているという。空爆をしたのは自分たちじゃないと言いながら。
なぜだろうか。どうしてだろうか。どうして彼らは死ななければならなかったのか。なぜ殺されなければならなかったのか。考えても考えても、答えは出ない。
教えてほしい。鬼じゃない人に。
解ったことがある。ジュネーブ条約では、子どもは守れない。ここが病院だよと大きく表示をしても、そこを意図的に空爆され、人の命とともに、滅茶苦茶に破壊される。そして露軍は、やったのは自分たちじゃないと。やったのはウクライナだ。なんてひどいことをするのだと。
そう、鬼どもはしらを切るのだ。
「砲撃した犯人は俺達じゃないと言えば通るのだから、構わん、遠慮はするな」
手に負えない。ロシア軍は、鬼なのである。どれだけ非難を浴びようと、殺されたウクライナ人の数だけ、ロシア軍人は鬼だと言ってやる。
鬼に立札は通用しない。そもそも人類の礼儀を鬼は知らない。女、子どもが鬼に弄ばれるのを、黙って眺めていることはできない。ロシア軍は、プーチン大統領とともに、宇宙の果てへ永遠の旅に出るべきではないのか。片道切符の。地球は喜んでいない。
条約とは、片方が破った時点で、もう適用外なのである。相撲の取組で、相手が飛び道具を持ってきたら、そのまま相撲をとっても殺されて終わりなのである。
だからこそ、鬼と同じ作戦を用いる必要があるのではないだろうか。
もちろん、実際にはロシア人の子どもを殺めたりはせず、しばらくどこかに隠れてもらえば良い形になるのだろうが、何れにせよ、人命や国土や情報や財産など、ロシアの弱みを実質的に握っておかないと、露の進軍は止まらない。交渉ごとが成立するはずもない。話がまとまったとすれば本当に、それは降伏調印である。女こどもへの乱暴は、降伏後も続く。
甘い考えでは、国を護れない。日本も、ロシアに占領されても良いのか。日本の女性が露軍に銃を突きつけられ、手を縛られ、乱暴されても良いのか。
平時の折から証拠を集め、敵となりうる国の弱みを、切り札として握っておくべきだ。そして有事の際の交渉カードとする。
【15】露UKR侵攻「核の驚異」「子ども騙しは通用しない」「国連憲章」
ウクライナも、ソ連解体の折に核兵器をロシアに返納する形をとったとのことではあるが、平和な未来のために、自国の領土内で同兵器を凍結保存する方法も、もちろん選べたであろう。
それが今、ロシアの核の驚異に曝されている。
チョルノービル原発で放射性物質を掻き集め、鉛の箱に詰め込み、ミサイルの弾頭に火薬と共に仕込んで、簡易的な核物質ミサイルを造ったり、そういう方法でも取らなければ、ウクライナは核の驚異とは戦えない。
もちろん現在、アメリカを主とする西側の支援で均衡は保たれてはいるものの、段階が上がれば、そういう作戦も出てくる可能性がある。当然、核爆弾のような威力は無くとも、放射性物質を撒き散らすことは十分にできる。福島第一原発で発生した水素混合気化爆発で、あれだけ人が住めない地域が出たのだから、この簡易核物質ミサイルでモスクワを人が住めない都市にすることなど、それほど難しいことではない。原発をもつ国なら、核兵器を持たなくとも、いとも簡単にできるのである。
窮鼠猫を噛むというとおり、ロシアは総ての可能性を否定すべきではない。甘く見ていると、小国から足元をすくわれる。
ロシアが、自分たちは一番強い、誰からもどこからも報いを受けることは無いと構えるのは、至極に浅はかである。
若者の制裁話に戻る。すでに行われているも、芸術、スポーツなどの発表の場での、ロシアの参加を認めない。
これは差別というよりも、ロシア人が参加をすると頻繁にボイコットが起きるので、必然的に参加が出来なくなる。やはりその場合、棄権するならばロシアのチームにお願いするしかない訳で、なのでどうしても参加したいのであれば、ロシアという国を捨ててから出場をしてもらう。
五輪メダリストのロシア人が、アスリートを締め出すことは認められない、アスリートに罪は無い、大会に参加させよ等と言っているが、罪は大いにある。プーチンなんかを大統領に選ぶからだ。そしてこの期に及んでもなお、そういった発声者が支持をし続けているからだ。自業自得ではないのか。
ロシア人アスリートや俳優は、ブランドバッグを切り刻んだり、呑気なことを言っている場合では無い。ロシアは今、国際社会から破門を受ける寸前なのだ。国際社会は既に、脱ロシアを決定している。首の皮が一枚つながっているだけ。脱ロシアか否かを協議しているのではなく。脱ロシアありきで、その中で選びうる最良の方法を模索しているだけなのだ。もう、分岐は超えたのである。
それが何を意味するか。ロシアに近い将来、氷河期が訪れるということである。もうロシアは、その蟻地獄に吸い込まれ始めたということである。早く脱出しないと、ロシアの人々よ、あなた方は地獄へ落ちるということである。
プーチン大統領にとっては、
「ロシアは強い、最強だ。ロシアを怒らせると恐ろしい」
ということを、NATO諸国をはじめ全世界へ認識させたかったのであろうが、世界が認めたことは、もうロシアとは付合えないという認識だった。50年や100年ではない、その意識は1000年続くであろう。
今回の露UKR侵攻で、ロシアは確実に、永代のブラックリストに載ってしまった。もう誰も、ロシアで商売をしよう、ロシアと取引を始めようとは思うまい。外資系企業の設備を問答無用に接収するなど、ロシアはまさにギャング集団なのだから。
何も知らされずに人生が破綻するのも、可哀想な話である。西側諸国は、「10年後のロシア」と題し、経済や国力、保身、年齢構成や就労環境、失業状況、街に並ぶ商品など、あらゆる分野でロシアの未来を予測した読物をつくり、また「10年後の西側諸国」も同時につくり、冊子にしたり、SNSなどを活用し、ロシアの若者に提供してあげるべきだ。
西側がつくった映画の上映は無くなる、ブランド品も無い、食材は偏りが出る、ウクライナには賠償金の支払を続ける、支払わなかったら凍結されたロシア財産から無理やり精算される、これほどまでにと国民の収入が減る、警官が犯罪に手を染め始める、スポーツや芸術に携わる人々が国外で活躍できる場がまったく無くなる、オリパラは出場停止、ロシア国内ではテロが頻発しだす、ロシア大使館だけではなく、世界のロシア人が命を狙われ迫害を受ける等、ゆくも地獄、退くも地獄の状況となる。観光ビザもおりず、国際社会から絶交を言い渡される。
そういう未来があなたたちには待っているのですよと、それでも良いのですかと、出国、亡命するなら早いほうが良くないですかと諭してゆく。
ロシアはいつでも、無垢な子どもを使って、プロパガンダに利用する。西側の情報を信じてはダメだよと。自分で確かめることが大事なんだよと。
じゃあ私が言ってあげよう。お嬢ちゃん、国連は何と言っているのかな。世界の国々に対して、いつでも公平な立場で物事を監視しないといけない国連は、何と言っているのかな、この争いに向けて。
西側諸国の情報を見たくない、聞きたくないと言うのであればそれでも良いから、国連が何と言っているのかを調べてごらん。そしてお嬢ちゃんの国で、もし、国連のホームページすら見れない状況になっている時は、お嬢ちゃんは、自分の国から騙されているということに、気づかないといけないよ。
これは中国大陸の情勢にも当てはまる。真実を知らされないということが、どれほど罪であるのかは、この有事で明白になった。弁護人が出廷すると膨大な不利な情報が裁判で明らかになるから、検察が弁護人の出廷を禁じているようなものである。そんな裁判など、あってはいけない。不公平があるのなら、そもそもそれは裁判ではない。
国連は、ウクライナで撮られたすべての画像と映像を、自身のWEBサイトに掲載すべきだ。これらは紛れもない真実ですと。そして国連のホームページを閉ざす国は常任理事国にはなれません等の制限を設ける。国連憲章を書き換える仕組みを、早く確率しないといけない。
そして西側は、ウクライナの状況を正しくロシア国民に伝えるため、キーワードで排除されないように、画像ファイルを使って地道に新聞を配信すべし。また、ビラをつくり、西側から空へ放つ。韓国に、上手なビラの飛ばし方を教わると良い。
【16】露UKR侵攻「どうする、退避勧告」「当たらないと信じる鬼たち」「無慈悲な報い」「赤穂浪士の最期」
そして今の状況で、露の国土にいる邦人に帰国が求められていないのならば、それは不思議でならない。正しい情報が邦人の耳に入らない可能性もあり、一旦帰国を促し、ウクライナでの総ての真実を日本で知ってもらった上で、その人がまだ尚ロシアで商売を行うのか、生活を続けるのかを考え、帰国か残留かの決断をしてもらった方が良いのではないのか。
あまりもたもたしていると、邦人がロシアの人質になってしまう。情報統制され、正しい情報が入らないというのは、騙されているのと同義である。
ロシア軍の若い兵士たちも、半ば騙されたような状況で戦地へ送り込まれている。自分が生身の人間に対し、実弾の入った銃口を向けることなど、夢にも思わなかった若者もいる。
そんな彼らでも、仮に、目の前に市民がいなければ、砲撃の命令に渋々でも従うであろう。この砲弾が誰にも当たりませんようにと、何人も死ぬことはありませんようにと、心で願いながら。
大昔の戦いと、近代の戦争の違いはそこにある。遠隔で行われるため、自分の手が、無実の人を殺めた事実を知らない。
だからこそ、真実を知らせてあげることが重要となる。街が遠くから砲撃を受け、市民や行政が負傷者を運び遺体を片付け、その後に砲撃の当事者が街へ侵入したとしても、しかし遺体はどこにも無い。既に片付けてある。そして
「良かった。建物はメチャメチャに破壊されているけど、どうやら市民の被害は無かったようだな。けっこう大量に撃ち込んだけど、大丈夫みたいで良かった」
と。
私は、この戦禍で命を失ったウクライナの住民の方々に、大いなる失礼を申し上げるけれど、露軍の砲撃で亡くなった沢山のご遺体を、露軍が侵攻してくるであろう路の両脇に整然と並べ、自分たちがやったことを、恥ずべき行いを、消して犯人の記憶から消えないよう、自責の念が噴出するよう、知らしめるべきではなかったのだろうか。
そんな惨状を見せられても武器を置かないのであれば、本当に鬼である。
「あなたは実際に、こんな無慈悲なことをやりました」
というビラを見ても何とも思わない兵士は、生きている資格は無い。
だから市民の人たちには、とにかく、いったん街を出てほしい。ウクライナ軍を助けたい、力になりたいという気持ちは痛いほど解るけれど、自軍の守備の邪魔にもなるし、負傷すれば助けの手が必要となるし、ロシア軍に包囲されれば人質になるしで、良いことはひとつも無い。西側諸国が受入れの扉を開いているのだから、存分に頼ってほしい。
そして実行するのならば批判も受ける覚悟が要る話であるが、やはり、もぬけの殻となった街で、民家に無断で侵入する鬼畜ロシア兵には、きっちりと罰を受けてもらわないと、卑劣な事件が無くならない。思い悩むところであるが、幾つかその方策を挙げてみた。
退避者が家を離れる際に、家の中に細工をし、玄関扉に材木を打付け、わざと「入ってくるな」のアピールをして、しかし、それでも侵入してくる鬼畜露軍であるのならば、冷蔵庫の食べかけのパウンドケーキのひと切れひと切れに青酸カリを仕込み、寝室のドアは開けると目潰しの硫酸が降りかかる、机のひきだしには手榴弾を仕込み、家の庭には落とし穴を掘って竹槍を突き立て、毒を塗った小さなガラス片をシャワー室の床に置いておく等、様々な罠を仕掛ける。仮にこういった仕掛けを皆が強力して仕込めば、あまりにリスクが大きいと、おそらくロシア兵は住宅に侵入してこなくなるであろう。鬼退治には、罠が有効であると考えられる。
パスポートのチェックも受けず、他国へ勝手に侵入してくるのが罪であるのなら、その地の住居の敷地内、更には住居内に正当な理由なく侵入するのは、もっと大きな犯罪である。その場で罠の被害に遭ったとしても、当該人は救ってもらう権利があるのだろうか。自業自得である。戦争犯罪だ、などと訴えることは本末転倒である。
いったいロシア軍は、何をしにウクライナにやってきたのだろうか。
戦争は、始まる時は大義名分を掲げる。しかし時間が経つと、それが弔い合戦へと変わる。双方、たくさんの近しい人が殺され、
「大義名分など、どうでも良い。絶対に停戦などするな。敵を皆殺しにせよ」
と、戦場にいる人々の心はすさみ、どんどん泥沼化してゆくことになる。
戦場で戦闘がおこるのは、人類の永い歴史をみても、或る意味仕方がないとしても、更なる戦争犯罪を現場で撒き散らし、挙げ句の果てには
「やったのは自分たちではない」
と。
忠臣蔵をロシア語や英語に翻訳して、世界へ配信すると良い。赤穂浪士が
「やったのは私たちではない」
とでも言ったのだろうか。
また、彼らがどのような最期を迎えたのか、切腹と処刑はまったく違うものであるということを、鬼に理解させる必要がある。ウクライナで戦争犯罪に加担したロシア兵は、あまりにも低脳である。
【17】露UKR侵攻「次期リーダーの育成」「公正選挙術」「日本のあしあと」「沖縄の母」
それから、プーチン政権を交代させるには、これまでも幾度となく育成が決行されたようではあるが、当然ながら、次のリーダーを育ててゆく必要がある。
ただ、過去の失敗例のように、あからさまに現行政権を否定することは、ナワリヌイ氏のように毒を盛られたり投獄される恐れがあるので、現政権を拒絶する策よりも、自分を次期大統領に選んだ際にはこういう幸福がもたらされますよという、要は削る作業よりも付加価値をアピールしてゆく方法で賛同者を得てゆくことが、比較的安全といえ、成功に近づくと考える。
「プーチンも良いが、もっと良い方法がある。例えば自分は、西側からの制裁問題を解決できる確約をもっている」
など。
同じくドイツ首相にも、
「彼がロシアの大統領になった暁には、天然ガスのパイプラインを開通させると、既に本人に約束している」
と、公言してもらう。夢の部分を膨らませる形で、ロシア国内の人心を掴む。次の大統領選挙に合わせ、準備をすすめることが望ましい。
ロシア人は、消去法で大統領を選んでしまっている。プーチン以外で、誰がこの国を率いることができるのかと。そして考えあぐねても出ない答えに、堂々巡り、萎縮がおきる。
そして大きな問題が、選挙の公正化。独裁政権が相手だから、当然、かなり無茶苦茶な選挙を行ってくるので、それに勝たないといけない。
今回の有事でも、すぐに住民投票のヘタクソな芝居をうって、きちんと手順を踏み結果が出されたのだというアピールをしてくる。
こういうことを正してゆくには、私たち、まともな選挙を行っている諸国が、常日頃から物理的にインチキができない選挙方法を確率し、それを定石とし、国際社会が採用、実施を繰り返す。
そしてこの、国際社会に認められている選挙方法で実施をしないと無効ですよと、民主主義国家とは言えませんねと、非実施国は独裁国家と見なされ、相応の仕打ちを受ける。不正選挙に対し、範を知らしめることが重要となる。
例えば私の記憶ならば、通常、投票用紙にシリアルをナンバーリングはしてなかったように思うのであるが、有権者Aが候補者Bに投票したというのが、後からでもきちんと確認ができるようにすることも重要で、マイナンバーと投票を紐付けして、どのナンバーの人が誰に投票したのかを、WEBで確認ができたり、他には、投票箱に入れる前に、投票者と投票用紙と投票内容がワンカットで映り込むビデオ撮影があったり、マークシートで集計を行い、箱の中の投票用紙を人が触ることが一切無い状況をつくったり、ネットでマイナンバー投票をしたりなど、やはり誰が誰に投票したのかを、問題が発生した際にさかのぼることが出来るシステムが構築されるべきかと考える。
それが民主主義の大前提であるし、トランプ大統領が敗戦した際にも、
「不正があった」
と、そういうコメントを発する余地があるのならば、民主主義社会も、まだまだ完璧な選挙手法を採用しているとは言えない。
かつての日本のことを、この機に書いておこうと思う。その必要があると考える。
真実を知らないことは最大の悲劇、真実を伝えないことは極致の大罪である。
私たちはそのことを、今回のロシアの卑劣なプロパガンダで、心底痛感した。嘘で塗り固めるのではなく、自分たちとつながりのある場所でおきた出来事は正しく知り、正しく伝えなければ、人は何も行動をおこせない。真実を正しく伝え知りさえすれば、人はきちんと評価をし、行動ができる。
UKRの街全体に、無数の砲弾が無差別に降り注ぎ、無辜の市民が次々と犠牲になっているが、かつて白黒フィルムで見慣れていたかの戦場の映像がカラーで目に飛び込んできて、私たち日本人は、地獄絵図を見たかのショックを受けている。
「どうしてこんな、ひどいことをするのか」
と。
私もそう感じるひとりであり、しかし、かつての旧日本軍も、中国大陸の錦州や重慶で無差別爆撃を行っていた事実を、どれほどの日本人が知っているのだろうか。
軍事施設だけを狙ったなどとは、投下された爆弾の誘導技術も無い時代では、言い訳に過ぎないほどの被害が出る。逃げ惑う中華民国の民間人がたくさんいる街の上から、爆弾が次々と降り注いだのだ。かの住人たちが、どれほど恐ろしい思いをしたかは計り知れない。
私たちは、無能なのであろうか。過去におきた出来事に対して、自分たちで噛み砕き、考え、色んな人を思いやり、心を痛めている方々に手をさしのべる、それすらもできないほど、私たちは無能なのであろうか。
近ごろ、従軍慰安婦が「慰安婦」という表記に、教科書が改訂された。文字通り、「従軍」のふた文字が消された格好である。
偏った表現を広義へ修正しようという意図に、理解ができない訳ではないけれど、仮に、現在の日本国が、過去におこった出来事にふたをして、当事者から、数々の記憶が自然と消え去ってゆくのを待ち焦がれているのであれば、私はその姿勢には大反対を申し上げたい。
「従軍慰安婦、または慰安婦を」
という表記でも良いではないか。
独裁国家でもあるまいし、国は、過去の大戦でおこった出来事に対して、要約するような評価をすべきではない。表現の自由と解釈の自由は、水魚の交わりである。
国がやらなければならないことは、国民に真実を伝えること。味付けせずに、素のままを提供すること。そしてその評価のすべてを、国民に委ねること。
過去におこった出来事に、国は主観性の強い注釈を付してはいけない。
私たち日本人が、ウクライナで起こっている事実を何も知らない、ロシアの見聞の貧しい民に成り下がってしまうことは、自らの価値観を奪われる、最大の汚点なのである。
私たちには、知る権利がある。そして自ら、花を供えにゆく心もある。だからこそ、昭和天皇が最後まで足を踏み入れることが無かった沖縄に、上皇御夫妻、かつての皇太子御夫妻は、危険も顧みずに赴かれたのである。
「来年の大型連休、ヨーロッパに行こうとか言ってたの、重慶にしない?」
「ジュウケイ?どこそれ」
「どこって・・・中国」
「中国かぁ、ジュウケイで、何をするの?」
「何って・・・花を供えに」
「オハナ。誰に?」
「誰って・・・生きたくても生きれなかった人たちに」
「生きたくても生きれなかった人たち!そんな人がいたの?どのくらい?」
「沢山」
「たくさん?それはいけない。すぐ行かなきゃ。来年と言わず、今年行った方がいいんじゃないの?お花もいっぱい買ってってあげなきゃだよね」
私はここで、苦々しい話をする。
今、新型コロナの影響が幼い子どもたちにも色濃く出る中、子どもにマスクは可哀想だとか、ワクチンは子どもが熱を出すから打たせるのは止めておこうとか、そういった保護者のご意見もあり、もちろん私としても、決してそれらを否定はしない。
しかし同時に、かつての沖縄で、迫りくる米軍から逃げ惑う島人たちが洞窟に隠れて息をひそめ、それでも米兵が握る火炎放射器で燻り出される極限状態の中、泣き出そうとする我が子の口を手で押さえ、じたばたする赤ん坊は息もできずに事絶え、我が子の命よりも、島人たちの命を大切に思った沖縄の母がいたことを、決して忘れないでほしいと願う。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
【8】露UKR侵攻「鬼ヶ島の発現」「アカデミー賞の波紋」「ドンバスの歴史」
ロシアのウクライナ侵攻について。
泪の出ない日は皆無である。人類は、これほどまでに愚かであったのかと、この21世紀に亡霊のように顕になった愚行は、「衝撃」というひと言では語り尽くせない。
他国の領土に土足で足を踏み入れ、街をメチャメチャに破壊し、民間人もお構いなしに殺戮し、若い女性の洋服をひっぱがしては、子供の目前でオモチャにする。相手が老人だろうが子どもだろうが、射撃訓練の標的。「これ以上先へ進むな!」と、身を挺して戦車を止めようとしたウクライナ人の頭を、平気で踏み潰して去ってゆく。そして宝さがしゲームでもしているのか、人様の家に無断で押し入り、金目の物を持ち去っては、せっせと自国へと送る。
しまいには、数々の凶悪な犯行に際し、
「やったのは俺たちじゃない」
と。
鬼であろう。鬼畜ロシア。これが鬼どもの仕業でないのなら、誰の仕業なのか。ロシアという国が鬼ヶ島であったとは、私もそこまでの査定能力を、残念ながら、これまで持ち合わせていなかった。
人類と鬼は、一緒には住めない。まだライオンやクマの方が、人間と理解し合える可能性を秘めている。
鬼は、退治されるべきである。或いは完全に隔離し、交流を断絶されるべきである。そして正露丸は、今すぐ「征露丸」に、漢字を戻すべきである。
とはいえ、すべてのロシア人を鬼だと言い放つのは、差別偏見のもと。正しい行いをされるロシア人の方も多くおられるのだし、差別をしては、私たちも悪人の仲間入りとなってしまう。
色眼鏡を使うのは、争いを長引かせる原因ともなりうる。今後は公正な観点から、私たちはロシア人をグループ分けしてゆく必要がある。
それにあたって私たちは、ウクライナとロシアの間で、この紛争に至る期間に何が起こっていたのかを、虱潰しに調査し、きちんと頭に入れておかなければならない。
プーチン大統領は、
「他に選択肢が無かった」
と、何度も連呼している。裏を返せば、悪いのはウクライナだと言い放っているようなもので、
「UKRが私の主張に聞く耳を持っていれば、露軍を派兵する必要も無かった。人命も失われることは無かった。だからロシアが悪いのではない」
という風にも聞こえる。
私はそのもやもやとした部分を払拭するため、最低でも、ここ10年くらいの両国、特にドンバス地方で起きていた諸々を知りたいのだけれど、その重要度を示す、良い例がある。ビンタ事件。
皆様は、あの事件をどう思われたであろうか。アカデミー賞の主催者側は、暴力をふるったウィル・スミス氏を当面の間、追放する形で決着をつけ、きっかけとなったコメディアンに対しては、米国では擁護する声も多く聞かれる。
私は率直に、コメディアンのやったことに、開いた口が塞がらなかった。自身の短い髪型のことを笑いのネタにされたスミス氏の妻の、あの何とも言えない苦々しい表情が頭から離れないけれど、その直後の数秒間はカットされ、スミス氏が舞台に歩み寄る映像につながって放送されたとのこと。
おそらくその空白の数秒間に、
「あまりにもひどいわよね」
という類のひと言が、妻から夫へ発せられたのではないのか。
私は、前にも書いたように、20代の半ばを超えた頃、顔に重度のアトピー性皮膚炎を発症し、自殺を考えるほどの散々な目に遭った経験がある。
その時の思いを正直に書くけれど、私は隠しようも無いひどい顔で、
「俺を見るな」
と、心の中で、懸命に周囲の人に念じながら生きていた。とにかくひとりでも多くの人に、自分を見ないでほしい。注目しないでほしいと。
だから私がスミス夫人の立場だったら、あのコメディアンに対して平常心ではいられなかっただろう。それなのに、あの主催者側は、スミス氏だけに退席を要望した。この授賞式会場から、出ていってくれと。
しかしビンタをしてしまったスミス氏は、退席を拒んだそうであるが、私なら、そこで言ったであろう。
「なぜ私が筆頭?まず一番に退席しないといけないのは、あの司会者では?」
と。
どうすれば良かったのか、方策が無い訳ではない。問題なのは、あのコメディアンが、事前にスミス夫妻に了承を得なかったこと。
映画の祭典がゆえに、GIジェーンの話題を持ち出し会場の笑いを取ろうと司会者は企てたのだろうが、それならば、
「実はこういったジョークを考えたんだけど、会場で披露するのは如何かな?」
と、夫妻に対し、予め伺いを立てれば良かったのだ。
仮に、スミス夫妻だけを笑わせるために考案したジョークだったのならば、楽屋でこじんまりと、夫妻に対して披露すれば良かっただけのこと。その場合、スミス夫人は恥をかかずにすむ。
それなのに、あの大勢の列席者がいる中で、更には全世界に映像が配信されているという状況で、司会者という重責を担っている立場の人間が、列席者の身体的な容姿を笑いのネタにしたという行為が、なぜ、何らのお咎めを受けないのだろうか。主催者側で議論されていたのは、スミス氏の処分を重くするか軽くするか、そのお題目ばかり。明らかな的外れである。
主催者側が考えあぐねたであろう事後処理の方法を受けて、アカデミー本体のモラルの無さを、私は看過することはできない。スミス夫妻は、或る意味、被害者である。一番真っ先に処分を受けるべきは、原因をつくったあのコメディアンであろうに。
争い事は基本的に、相応の理由がある。もちろん、暴力武力をぶつけた側が大いに罪ではあるが、そう認めるのにも、やはりきちんと過去の事情を知る必要がある。
ウクライナの話に戻るが、プーチン大統領は、ドンバス地方でロシア系の住人が迫害を受け続けてきたと主張しており、それが非常にネックになっていると言い放つ。では果たして、これまでのウクライナ政府、軍、そしてアゾフ大隊は、そのドンバス地方の住民たちと、どういう風に接してきたのか。
もちろん、一般市民に対しての迫害など、一切無かったと私は信じたい。ウクライナの人々の口から、
「ロシア系の住民に対し、いつでも丁重に接してきた」
というひと言を聞きたいのであるが、けれどなかなか、そう聞こえてこない。ずっと戦争が続いてきたという証言は、多く聞かれる。
やきもきする中、私も歴史という括りで幾らか調べてみたのだけれど、要約すると、激戦地となっているあのマリウポリは、農業を主として生きてきたウクライナの人々がつくる穀物を船積みする港でもあったが、産業革命の頃に、ドネツ炭田で石炭が採掘されていた関係で製鉄業が盛んになり、マリウポリの巨大な製鉄所の運営にもロシア系の人々が深く関わり、ウクライナ人も出稼ぎ目的で製鉄所で働くようになり、そこでロシア語を話せるようになった。
かつての残虐な時代に、その巨大な製鉄所はドイツ軍侵攻の標的となって、一時は占拠されることになるが、最終的にはロシア人の力で奪い返す。
今回のロシアの侵攻の前は、マリウポリという街は、もちろんウクライナ領ではあるものの、市民全員がウクライナ人という訳ではなく、3割を超えるロシア系住民、そして幾らかのギリシャ系の人々も住んでおり、そういう実情からも、製鉄所は完全にウクライナ側が実権を握っているのではない。
しかし、ウクライナに属するアゾフ大隊がマリウポリという都市を掌握してきたのは確かなことであり、北東へ延びるドンバス地域の親ロシア派とも対峙する格好となってきた。
プーチン大統領は、アゾフ大隊のことを「ネオナチ」と呼び、それらの地域の親ロシア派を助けるという大義名分でUKR侵攻を決意した訳だが、しかし、過去にドンバス地域で行われた世論調査で、ロシアに併合されたいと希望している住民は、わずか10%にすら及んでいないという貧相な結果も出ている。
なので私の主観ではあるが、ロシア国民にならずとも、ウクライナ国籍で、何の不自由もなく鉄鋼業関連でこれからも働いてゆけるのであれば、それで問題ないと考えるロシア系の人々も多いのではないのか。ロシア系の人々のすべてがロシア依存ではない。
そういった流れゆえに、製鉄所の利権の関係は、従来どおり、過去のままで存続させてゆきたいと願っているはずである。
ウクライナは、過去に幾度もロシアに翻弄されており、一番ひどいのは、旧ソ連時代にヨシフ・スターリンが画策したホロドモール、あの有名な人為的大飢餓である。UKRで穫れた小麦をソビエトがどんどん輸出に回したため、三百万を超えるウクライナの人々が、食べる穀物が無くなり飢え死にした。それはウクライナ人が絶滅するかの勢いで、ドンバス地方では、ウクライナ人の人口が2割程度にまで落ち込んだ。5人に4人は食べる物も無く、亡くなったのである。ロシア系の人の死者はごくわずかだったため、ロシアによるジェノサイドであると非難された。
近々では、ソ連解体の折に大きな荷物となっていた核ミサイルをはじめ、数多くの武器を、何れ戦う羽目になるロシアにゆずったり等、ロシアに対して良い思い出が無いUKR政府が、ロシア排除を掲げるのも無理はない。しかし、製鉄所を含むドンバス地域に住む人々は、仕事と自分たちの安心できる生活環境を維持できるかで、意見が分かれている。
「もっと早くに戦争をすべきだったのだ」
という主張もロシア人あたりから聞こえてくる。紛争は、到底回避できないものだったと。
ウクライナの人々の反応も、露軍の侵攻自体に関しては、極端に驚くような様が目立つでもなく、
「やっぱり来たか」
という印象。そして残虐な行為に関しては、
「ここまでやるのか」
と、驚いている様子ではある。
【9】露UKR侵攻「『龍のあご』作戦」「首都キーウの未来」「レガシーを求め続けるスターリンの亡霊」
そしてこの軍事力行使の真意を探らなければならない問題が、プーチン大統領の野望、ならびにロシアの軍事作戦目標を解き明かすこと。
クレムリンで行われた、開戦直前の下手な芝居にも表れていたように、実は助けてほしくない住民も多いドンバス地方の問題が、いつしかウクライナに攻め込む大義名分に偽装利用され、この軍事作戦におけるウェイトをまったく占めていなかった事実は、明らかである。
ドンバスを救出することだけを目標としていたのであれば、ただ単にその地域に進軍すれば良いだけのこと。しかしロシア軍は、UKRの北部など、首都キーウへ向けた派兵も進めた。
首都を狙ったのは、もちろん、ゼレンスキー政権を崩壊させれば、ロシアの願いの総てが叶うようになる訳で、もちろんそれはUKR軍の抵抗により棚上げにされたが、それを機に、もうひとつの大きな目標へ向けて攻撃体制を強化した。それが言わば、「lower jaw of the dragon(龍のあご)」作戦。
ロシアが龍とすれば、ウクライナの国土を丸呑みするように、ルハンシク、ドネツクのドンバス地方、マリウポリ、クリミア半島、オデーサ、モルドバ、へと続く下あごを完全につなげようという作戦。つまりウクライナから、海の利権をすべて奪う。
これによってUKRは海運事業が事実上ロシアに支配されることとなり、貿易品は検閲を受け、軍事品の出入りは監視され、船で行う貿易のすべての実態をロシアにさらけ出すことになる。或いは水揚げを拒絶される。
こうなると、ウクライナ軍の戦力はどんどんと弱体化する。
そしてプーチン大統領は、ウクライナ新国の全体的な大きさは不透明としつつも、何れにせよ、マリウポリを手に入れた後、そこを新国の首都にしようとしている。水深が浅いので汚泥を掻き出す作業が必要となるが、その事業のあと、アゾフ海に一定程度の黒海艦隊を停泊させ、それを囲うようにクリミア半島をミサイル防衛システムで要塞化し、首都マリウポリと黒海艦隊を護る。これが完成すれば、ロシアを護る大きな砦となる。
もちろん、すんなりUKR侵攻が進むのであれば、首都はキーウのままでも良かった。歴史のある街でもあるし、ロシアにとっても聖地であるはずなのだから、キーウは手に入れたい都市ではあっただろう。
しかし作戦が失敗した際の首斬り役として、例の司令長官が新たに任命される際に、大幅な作戦の見直しも行われ、役に立たない情報員は追放され、広く展開していた部隊は集約され、UKR南東部戦線へと移された。
西側はそれを受けて、首都キーウがもう安全地帯になったかのような対応をしている。しかし、実はそうではなく、
「大量破壊兵器を使うならば首都キーウに」
と、単に核ミサイルの第一標的と定められただけのことについては、何ら気づいていない。
理由がお解りだろうか。核ミサイルの着弾地点に自軍の兵士がいては、ミサイルを放つことが出来ない。そんなことをすれば、ロシアの国民から、兵士の母会から、プーチン大統領を引きずり下ろせという声が嵐となって襲いかかる。だからこそプーチン氏は、キーウ州から完全に兵を撤退させた。いつでも核ミサイルを撃ち込めるように。
いま、かつての住民が避難先から次々とキーウへ戻り、まるで侵攻前に戻ったかのように経済活動が再開されようとしているが、街の再建を図るのはとんでもない話で、まだ時期尚早である。
もちろん、ロシアが見境なく核攻撃を行うつもりは無いことは判る。ただし、西側兵力がロシアになだれ込んできたり、モスクワにミサイルが降り注いだり等、今後、戦況がレッド・ゾーンを超えた時に、ロシアが首都キーウに対し、すぐさま大量破壊兵器を発射する軍事作戦を描いているのは明白である。相手政権を打破しないと自国が危ないという理由で、ウクライナ政権そのものを、街ごと一気に破壊する。
ゼレンスキー政権も含め、キーウ州のウクライナ人は、今こそ国外退避をしないといけない。ロシア軍司令部が、わざわざご丁寧に
「ウクライナ北部からロシア軍を撤退する」
と広報したのは、
「キーウに戻っておいで〜」
と、核の餌食となるウクライナ人をひとりでも増やそうとしているのが理解できないのであろうか。あの新しい司令長官と、今後の作戦となるその辺りの打合せを、プーチン大統領は行ったのである。
ロシアがキーウを首都にこだわらない点は、ロシア側の立場から見れば、その地理的関係で理解できる。キーウを首都にしてしまうと、NATOとの軍事境界線にあまりにも近くなるし、キーウそのものを守り抜くことが難しくなる。キーウを守るための要塞を、更に西側へつくらないといけなくなるのだ。
それならば、いっそのことキーウを単なる巨大な防衛拠点とし、それより西の近郊に核ミサイルを配備し、リビウなどを含め軍事要塞として活用し、政治の中枢は、ロシアに近いマリウポリへと移す。そうすれば、西側は簡単には首都を掌握できない。
つまり露軍の作戦行動は、ロシアからクリミア半島まで続く一帯を占領し、新ロシア改め「クリミア共和国」などの国名で新国を立上げ、マリウポリを首都にし、クリミア州、ドネツク州、ルガンスク州という形で地域分けを行い、5月9日の戦勝記念日にそれを報告することである。
だからプーチン大統領は、マリウポリを絶対的に手に入れないとダメなのである。同時に現時点でのキーウは、単純にウクライナの中枢を、たった一度の攻撃で消滅させるための罠に利用することを決めたのである。
そしてもちろん、作戦は5月9日の戦勝記念日を超えてもまだまだ続く。モルドバまでクリミア共和国をつなげてしまうのが、彼のレガシー創造の最低限目標であるのだから、モルドバの住人は、ロシアの侵攻具合に特に注意し、早めに国外避難すること。西側も、更なる覚悟をしなければならない。
ただ、そこまで進軍すると、西側も黙ってはいない可能性があり、いつ西の参戦があっても驚かない、或る意味覚悟を決めた状況で、我々も臨む必要がある。
それらを裏付けるかのように、既にプーチン大統領は首都モスクワを離れ、東へ向かい、立派な核シェルターに身を寄せているという。もちろん所用も多いので、ちょくちょくモスクワに戻っている映像も入るが、あの新司令長官任命を境に、プーチン大統領の映像も、映る部屋が様変わりした。あれは恐らくモスクワではない。核ミサイルは既にキーウに照準が合わされ、あとはボタンを押すだけとなっているはず。
ウクライナに核ミサイルを撃ち込むことは、ロシアにとってもリスクである。偏西風に乗って、放射性物質がモスクワにも、無視できないくらいに降り注ぐであろう。甲状腺がんが更にひどいことにならないため、彼は自分だけ、さっさと強固なシェルターに避難しているのである。
西側の報道陣も、覚悟をしておいた方が良い。ロシアが兵を完全に退いた地域は、確実に、核の驚異に曝されている。
ゆえに私は、世界各国にあるロシア大使館の地下がどうなっているのだろうと疑問に思う。もし確実に核シェルターが存在するのならば、例えば大使館員の家族が大使館に続々と呼ばれ、外で警備をしている日本人警察官には、
「中でパーティーがあるんですよね」
くらい告げておいて、実はその地域に核ミサイルが撃ち込まれるようなケースもあると考える。そういう意味でも、日本にあるロシア大使館の動きは、特に注意をしないといけない。
そしてそもそもの話、政治家がレガシーを刻みつけたがる癖は、絶対的にやめるべきである。
「平和な安定した時代を提供した政権だった」
と、ただそれだけでも良いではないか。
プーチン氏が思い描くのは、軍事面において、
「世界一の強国、ロシア帝国の復活」
を遂げることである。ズタボロになったロシアを経済面でも立て直し、そして軍事面でも逆らう国はいなくなったと、彼は残りの政治生命をかけて、その信念を実現化しようとしているのである。
頭の中はスターリン。戦う方法、強奪の方法、暗殺の方法、粛清の方法、虐殺の方法、それらをスターリン学から学んでいる。だから、残虐非道のスターリンを基準にしているから、いまウクライナで現実的におこっている諸々の事柄などは、プーチン大統領にとっては、何の残虐性も感じないのである。甘い甘い、過去にはもっとひどいことが起きていると、そういった尺度をもって、この侵攻を見守っている。もちろん、核に対しても。
ただ、その彼に理解してほしいのは、時代が違うということ。かつて当り前のように行われていたことを現在に持ち込んでも、それは残虐行為だと言われ拒絶される。これだけの国際社会の反発を一斉に浴びたプーチン大統領は、その自らの時代錯誤を予見できなかったのである。そして開戦してしまった手前、引込みがつかなくなっているのである。
【10】露UKR侵攻「ドーピング王国の世界地図」「バイデン大統領の失言ぐせ」「米露開戦の砂時計」
日頃のロシアの姿勢を見ても、それらはあからさまに見てとれる。五輪大会ではドーピング王国。手段など選ばず、どんなに汚い手を使っても、とにかく勝てば良いのだ。1着を取りさえすれば、方法は何でも良いのだという姿勢に、その辺りが如実に表れている。
「2位じゃダメなんですか?」
は、まさに彼らのためにある文句なのである。
元を正せば、世界地図が良くない。メルカトル図法で、地図の上辺下辺の近くが膨張して記される理屈は判るが、ロシアがあまりにも巨大に、そして上部に位置し、他の国々は、何だかロシアの家臣になったような、ロシアに従えているようなイメージがある。
この、人類史上稀に見る馬鹿げた蛮行を機に、我々人類は、世界地図を改訂どころではなく、がらりと改定すべきだ。メルカトル図法なら、赤道を上辺下辺にし、ロシアを地図の中央付近にもってくる。または、いっそのこと横向きに倒し、日付変更線を上辺下辺にもってきて、縦長の世界地図をつくる。
もう、今までの北が上の地図は見飽きたし、ロシアにこれ以上大きな顔をさせては、永代までも懸念が続く。
さて、プーチン大統領の分析はこのくらいにして、やはり、これからどう対処してゆこうかというのが課題となる。
それにはまず、キーマンとなるバイデン大統領であるが、彼の失言ぐせを、一番に何とかしていただきたい。
アフガニスタン撤退の折に大失敗したのに、まだ反省、改善ができていない。軍事的な作戦に関することは機密情報であり、公言してはならない。アフガン撤退作戦なら、例えば兵をあちこちの都市に移動させ、
「米兵が、やたらと少ない気がしないか?」
「いや、隣町に大量にいるらしいぞ。何れまた、戻ってくるだろう」
と、相手を撹乱させながら撤収すべきだ。わざわざ自分たちの行動を予言している。相手にとっては、こんなにやり易いことは無い。
今回のロシアの開戦劇でも、露に追い風を吹かせるかのように、
「有事がおきても、アメリカは派兵しない」
と、早々と公言してしまった。この発言でロシアは自由になり、のびのびと作戦を開始した。
また、その侵攻後に派兵すれば、アメリカは明らかに嘘つきとなってしまう。
もちろん今回の有事は、ロシア解体の最大のチャンスであり、アメリカは内心では喜びを隠すのに必死であろうから、あくまでも現状は後方から、言わばアスリートを支援するパトロンのような存在で、時間を稼いでゆく作戦であろう。露軍が消耗するのを待ち、自分たちはその間に生産稼働率を上げ、着々と軍備を強化し、ロシアとの本格戦争が勃発した時のシミュレーションを何度も行う。
ポーランドを除き、他のNATO諸国は比較的に及び腰ではあるが、アメリカは、既にもう参戦状態である。
プーチン大統領の大誤算と言うよりも、アメリカの罠にまんまとハマったとするのが近いが、小城だと思って攻め始め、城門を開けさせてなだれ込んだは良いが、しかし次から次に、奥の方から軍勢が応戦してくる。よく見ると、小城の裏口は、次の中城、更に次の大城へとつながっており、絶え間なく援軍が差し向けられているではないか。攻撃の軍勢はじわじわ減ってゆき、大城に攻撃を仕掛けたのと同等の兵力を失うこととなった。
米国が、あれだけ露骨に軍事援助をすれば、当事者ではないと、逆立ちしても言えないし、ロシアにいつでも攻撃しておいでと、やる気満々なのが見て取れる。露と向き合いたくないのが本心であれば、軍事援助も、ごくごく最小限なはず。
そういう、米露開戦の危機を示す砂時計は、もうじりじりと動き出している状態であるが、では我々は、人道的な観点から、そもそも今回の露UKR侵攻を止めることは出来なかったのだろうか。アメリカが世界の警察と呼ばれていた時代もあったが、その効力は無かったのであろうか。
私は危機回避のチャンスがあったとすれば、あの、ロシアが
「ベラルーシと軍事訓練を行う」
と、下手な化粧をしながらUKRを包囲するかのように進軍した際に、例えばアメリカあたりがUKRの全土に派兵をし、
「ウクライナ政府の要請を受け、ウクライナ軍と、長期的に軍事訓練を行う。また、ポーランド国境にフランス軍が駐留しているのは、我々の護衛任務と、我々米軍の訓練のあとに、UKR軍と軍事訓練を行う予定があるからだ。また、フランス軍の次はドイツ軍である」
と、迫るロシアに対しメッセージを送り、NATOの各国で、ロシア軍がしびれを切らして本国へと撤収するまで、UKRの国土に駐留し、護衛をするべきだった。
もし、開戦のあとに派兵をすれば、それは訓練であるという言い訳が出来ない。明らかに援軍であると見なされる。
ロシア軍は、客人がいる土地に、むやみに砲撃は出来ない。暴力団の抗争と同じで、A組がB組に奇襲をかけようという、まさにそのタイミングで、強力なC組の組員がB組の関連施設に客人として招かれていれば、A組は迂闊にB組への攻撃ができなくなる。その攻撃が、C組への攻撃と見なされるからだ。
争いの火蓋、その最初の一歩を踏みとどまらせるというのは、紛争問題にとって、最重要課題である。そもそも国連が、そういう、きちんとした役割を果たさないといけない。
そしてバイデン氏の失言ぐせをあとひとつ。プーチン政権の交代論にまで及んだとされるが、私はあの件に対しては、そう失言レベルには思わなかった。
やってはいけない軍事行動をプーチン政権が指揮しているのは明らかで、彼を交代させた方が良いよと、ロシア国民に対して助言しているのだから、失言でも何でもなく、何ら臆することは無い。断じて正論である。
【11】露UKR侵攻「メディアの失言」「西側首脳陣の失敗」「ロシア軍を撹乱せよ」
それから失言ぐせの話題は、西側のメディアにも、バイデン氏を超えるものがある。
刻々と、タイムリーに戦況報道したい気持ちを理解できない訳ではないが、有事の報道は、通常とは性質がまったく違う。報道することによって、とんでもない数の、大勢の人が死んでしまうのだ。なので最低限、特に作戦に関しては、絶対的に事後報告の原則を守るべき。
例えば、西側諸国が軍需物資を提供することを今日決定したとか、どういう風にそれらの物資を積込んだとか、鉄道で送るのか、どういうルートで送るのかとか、或いは市民が避難のために駅に集中しているとか、どこの町名、地域に隠れているとか、どういうルートで避難をしているとか、そういったことは、タイムリーではなく、取材VTRを撮りためておいて、それぞれの作戦が完了してから、
「実は当時、こういうことが行われていました」
という完了報道をしないと、今から行おうとしている作戦をメディアが公表した時点で、それは作戦ではなくなる。
だから戦車を送るとか、このように貨物列車に載せて今から輸送するところですとか、地対空ミサイルを今から陸上輸送しますよ等は、絶対に公開してはならない。それらが運ばれて実際に運用がなされた後に、初めて報道しないといけない。
「西側諸国が支援した軍需物資が、大きく活用されています」
と。
そもそも、どうして西側諸国の政府は、何でも公表したがるのであろうか。武器の輸出等に関する武器貿易条約なども調べてみたけれど、前年の結果を翌年の5月末に報告をすることになっているとかで、タイムリーに武器供与を公表しなくても良いはず。ちなみにその条約にも、ロシアの名前は見当たらなかった。
「ポーランド大統領よ、戦闘機を提供してくれないか」
「ウクライナ大統領よ、急にどうした?」
「我が国の兵士は、御国の保有する戦闘機に操縦が慣れているので、どうしても欲しいのだ。もちろんタダでとは言わない。売却してほしい」
「ちょうど我が国も戦闘機を入れ替えようと考えていたのでタイミングは良いのだが、ロシアとの戦争に使うのではないのか?それはうちとしても、まずいことになるが」
「いや、実は近ごろ、ロシアが傭兵を入れる話があり、そうなると我が国も存亡の危機となりうるゆえ、戦闘機で対応したいのである。ロシア兵に使う訳ではない」
「なるほど、それは大事である。では、ロシア兵には使用しないということと、ポーランドの空港を離発着に使用しないということを書面でしたため、実戦投入の前に、公にしてほしい。それからきちんと、ロシア兵と傭兵を区別できる体制は整えておられるのかな?」
「それはもちろん。我が国のパイロットはとても目が利くので、上空からでも識別ができる」
「なるほど、わかった。では極秘に準備をすすめよう」
「ポーランド大統領よ、感謝する」
これは日本国政府にも言えるが、あまりにも、未来に関する活動内容を詳しく公開しすぎ。防護マスクやドローンを送る予定だとか、何の輸送システムを使うことにしているという詳細まで、全てを事細かく公表する。危機意識が無い。今は世界が口を閉ざし、誰がどういう援助をしているのかにフィルターをかけ、ロシアを撹乱させないといけない時期なのである。
「どこが支援しているんだ?どれだけの量なのだ?いったいどうやって運んでいるんだ?」
と。
戦う相手の軍事力の全体像が把握できないほど、攻めにくい状況は無い。子犬と闘うのか熊と闘うのか、自分の武装を決めることすら難題となるのだ。
西側がこのようであれば、大問題である。日本政府も、有事の際の報道ガイドラインを作成し、必要であれば、公安を害しないとされる放送法も改定し、各報道機関に通達を出して、今回の有事を受けた実施訓練をしてもらわないと、いざ日本の有事の折に、日本は、自国のメディアによって丸裸にされてしまう。
ウクライナの副首相だったか、SNSにマリウポリの製鉄所の地下シェルターの見取図を掲載したというニュースが流れてきたが、本物の見取図を本当に掲載したのであれば、自国の避難民を処刑するくらいの愚行と言える。大きな危険にさらしている。
世界に散らばるロシア大使館が、こういった情報収集に活用されていることは間違いないのであるし、西側のメディアは、明らかに、ウクライナの戦略、作戦の邪魔をしているのだ。
ゼレンスキー大統領の各国の議会で行われてきたオンライン演説でも、具体的に要求された軍事品目などは伏せて報道すべきである。
つまり、あの演説を生中継してはいけない。生で報道する国の政府は、危機意識については論外レベルである。生で聞けるのは、公聴の場に座ることが許された議員だけであり、そして彼らには守秘義務がある。映像は演説が終わってから編集され、問題の無い部分だけが報道陣に公開される。
プロパガンダに徹しろとは言わないけれど、西側のこういう失態は、今回の有事では目に余る。NYタイムズの無神経な報道により、ウクライナに届けられた大量の軍需物資もミサイル攻撃を受けた。
日頃、如何に戦争とは無縁の生活をしているか、平和ボケは明らかである。
ロシアは日本の、そして世界の報道を見ている。世界の報道機関は、西側と東側の鬼ごっこの邪魔をしてはいけない。西側の居場所、今後の行動を東側にタイムリーに伝えてはならない。きちんと会議を重ねておくべき。
そして、仮に報道でウクライナを助けたいと言うのであれば、逆に偽りの情報を流してロシアを撹乱させるべきだ。
「〇〇の街の郊外に大勢が展開しているウクライナ兵を、今日まで連日追いかけてきましたが」
など、実は2週間前に繰り広げられていた様子を、わざと今現在の情報として公開し、そこへ通じるルートへ大量の地雷を仕掛け、伏兵を置いてロシア軍を待ち伏せする。報道機関には邪魔を被るのではなく、そういう風な協力をお願いしたいものである。
報道に限らず、ロシア軍を撹乱させるのは、作戦上で重要な取組みであり、戦車にも、更なるカモフラージュを施す。市街戦ならばガレキ塗装や本物の瓦礫を付して、ロシア軍に
「瓦礫が動いた!」
と言わせる。
戦車の砲身は目立つので、草木などを縛り付け、衛星から見ても植込みにしか見えないようにする。戦車の上部は、道路色をメインに、もちろん、ガレキ、木々、砂、ゴミなど多種の模様を継ぎ接ぎ状態にする。
そして偽影の計。現代では、赤外線温度計を用いられると嘘が発覚しやすいという脆さはあるが、ロシアが相手なら通用する可能性もある。大判のシートなどに戦車や軍用車両の実物大のペイントを施し、半ば隠れたような状態で、森の外周に一夜にして集める。もちろん戦車のキャタピラの跡もつけ、
「UKR軍がこの森にいるぞ。攻撃せよ」
と、露の衛星に発見させ、無人のハリボテ軍に対し攻撃をさせる。
ロシアはより多くの弾薬を消耗し、戦力が弱まる。
西側報道陣は、よその地域で撮りためていた映像を一気に流し、UKR軍が大被害を受けたことを伝える。ロシア軍は攻撃作戦の成功に高揚とするが、補給を整える間もなく、背後から突如として現れた大勢のUKR軍に、
「こんなに大量の戦力が、どこから湧き出てきたんだ?あの森で破壊したはずでは?もう、応戦するだけの弾は無いぞ」
と混乱し、弾薬の補給もままならず敗走する。
【12】露UKR侵攻「全機スクランブル」「核シェルター問題」「日本の防衛問題」
日本も、他人事ではない。
東日本大震災の折、自衛隊の複数の航空機が災害に呑まれた事案は、有事の場合でも同じ結果を被る可能性を示唆している。
有事の際は、軍用機は敵からイの一番に狙われる。当然、飛行場もである。
自衛隊は「全機スクランブル」、つまり対象空港に駐機させている自衛隊機を全機緊急発進させる訓練を恒常的に行っておかねばならず、わざと隊員の昼食の時間帯に行うことなども重要となってくる。
そしてそれはもちろん、複数のポイントから複数の攻撃が同時に放たれたというシミュレーションのもと、どちらの方向へ飛び立つかなど、的確な指示を出しながら、実戦形式で行う。
時間的にうまくこなせない場合は、V型滑走路の導入やカタパルトの設置なども必要となってくる。
また、ミサイルで穴だらけとなった滑走路に帰還することは出来ないのだから、そこはヘリコプター専用に変更し、滑走路として代用できる道路、そして格納施設を全国に造っておく必要がある。
もちろん、2kmの直線道路があれば敵国から疑われるので、大部分をトンネルでまかない、そのトンネルの中に航空機を格納できるようにし、トンネルの入口は分岐道路を曲げ、直線道路の両脇には竹林を置き、生きた竹を高所で結んで竹林のアーチをつくれば、衛星からはトンネルの入口や滑走路は見えない。
F15あたりは性能は良いけれど、戦闘機幅が13mもあるので、トンネル構想には無理がある。できるだけ機幅の小さな戦闘機で、可能な限り直径の大きなトンネルを掘ることができるのであれば、このトンネル基地の計画は夢物語ではない。
カタパルトや、制止用のアレスティング・ワイヤーを設置すれば、2kmと言わず、かなり短いトンネル堀りで済む。一般道とトンネル内部で連結させ、物資の補充などがスムーズにできるようにする。
竹林アーチは、戦闘機や戦車、軍需物資の隠れ蓑ともなる。とにかく衛星に発見されないこと。
今回の有事で、如何にミサイルが驚異であるかを世界が再認識した訳であるが、山そのものを要塞とし、しかし敵からはどこにそんな要塞があるのだろうと、機密工事として、衛星や非関係者に発見されることなく建設し、運用する。
トンネルの入口付近は盆地などを利用し、レーダーから逃れる。山間をすり抜け、低空飛行でも離発着ができるようにする。滑走路に使用する道路は中央分離帯をペイント式にして段差を無くし、離発着の妨げとなる設備も設置しないようにする。
ダムなども、実は軍事要塞となりうる。ダムの底5割くらいを基地にし、ダムの分厚いコンクリートから扉が開き、戦闘機が飛び出してくる。もちろん見せかけはダムなので、常に水をたたえておかねばならない。発電装置や放水口も、一見はダムであるが、巨大な軍事要塞である。
それと石油タンクも、こういった山の中に隠しておく方法を選べるのであれば、ミサイル攻撃を受ける心配が減るのではないのか。それゆえトンネル基地をつくるのであれば、海が近く、山もあり、幹線道路も近く、津波の影響も受けず、盆地のような場所が望ましい。
また、核の傘で護られている日本が、その上で先制攻撃を受けないための抑止力を世界に認めさせるには、私は最低限、弾道ミサイル配備の是非を問う話合いくらいは、頻繁に行われていても不思議ではない時期にきていると考える。日本が弾道ミサイルを保持すれば、北朝鮮の挑発行為は、おそらく静かになる。理由は後述する。
定点型の弾道ミサイルは、敵国からの攻撃目標となってしまうので、車両型の弾道ミサイルをトンネルの中に隠したり、日本は空母が無いので輸送艦おおすみ等に載せ、または台船に載せてシートで隠し、有事の際には洋上からでも発射できる形をとる。
その他、防衛の面で、ミサイル防衛システムを拡充するのであれば、イージス艦やパトリオット迎撃システムの数を増やすのが現実味はある。
波の影響がどう及ぶか私は知らないが、台船にパトリオット迎撃ミサイルシステムを載せて運用する形もとれるのではないのか。或いは外観はタンカーで、しかし蓋が開けばパトリオットが備わっているという方法。イージス艦を追加購入すればそれなりの費用がかかるし、万一、沈められた時の損害も大きい。実を得られればよしであるのだから、最小限の経費をかけるように体制を見直す。
そして重要なことが、日本の核シェルター問題。
言うまでもなく、欧米各国と比べると、日本のシェルター保有率は低すぎる。核爆弾に耐えうるものでなくとも、やはり普及はまったくしていない。
今から先に建設される大きな施設などは、頑丈な地下をつくり、衛生配管や空調などの設備を地上階と地下階で完全なる分離構造にし、地下のトイレもしっかりとした数を揃え、発電装置や食料備蓄なども、充実した建造物が建てられることを切望する。ただし地下は、地上階が崩れた場合でも脱出できるよう、横孔を複数設けておくこと。
とはいえ、既存の建物にはシェルターが無いので、私は暫定的に、要塞化の話でも挙げたトンネル利用を提案する。トンネルのシェルター化。
日本は島国と言われるが、平たく言えば、山と海である。私たちが宅地として利用する平地は少なく、陸は山だらけ。なので全国各地、トンネルだらけである。
そのトンネルを、有事や災害の際の避難所として活用する案だが、具体的には、閉じ込められたり、火災がおきたりを考え、高速道路などに建設されている、排気設備や脱出ルートを備えたトンネルが望ましい。
全長1kmのトンネルであれば、キセルの金具の部分、つまり両方の入口200mずつくらいを駐車場にし、中央の600mに、ダンボールなどで居住スペースをつくる。その付近に脱出用の別トンネルが備わっていることが大いに求められるが、水道やトイレ、簡易シャワー、調理場、物資置場などが充実していると頼もしい。
通常から、トンネル内部がサービスエリアに通じているような設計を採用しておくのも、有効な手段である。
また、トンネルは、車両を空爆から守るという意味合いでも、駐車場としての活用が望まれる。衛星から発見されないように、トンネルの出入口で歩行者がウロウロしている様は避けたい。
空爆というのが、やはりその頻度がカギでもあるが、連日のように空襲警報が鳴ったりする状況であれば、基本的にはトンネル・シェルターに身を寄せ、たまに自宅へ必要な物品を取りに帰るくらいの生活が、比較的安全と言え、当たり前のようになるのではないか。
避難所として使うトンネルを予め自治体が決め、最低限の物資も置いておき、民はそういう情報をSNSで上げたりしない。敵国にリストなどが漏れたら、バンカー・バスターの標的になるからだ。国も、地域住民だけに限定的に告知し、全国的には場所を公表しない。
トンネルを指定したら、連絡のための脇道や通信環境、通行止めの際の方法、手順などもきっちりと整備する。通行止めは、衛星に悟られないようにトンネル内で行い、トンネルの手前で、表示板等を使って分岐への誘導等を行う。
また、居住スペースの両サイドに、有事の折に防火対策ともなるカーテンを設置することができれば、爆風、破片、核物質などの流入等をある程度抑えることができる。なお、トンネルの高低差が大きい場合は、煙は上方に流れるのが普通であるので、火災の想定に役立てる。
このトンネル・シェルターは、シェルター病院としても活用したい。有事災害の折は、如何に病院機能を維持できるかが、大きな課題となる。ジュネーブ条約を読めない鬼畜にとっては、マンパワーを助ける病院も攻撃対象であるのだ。
ストローを何列も並べた格好でトンネルを掘り、各棟をバイパスでつなげる。ストロー内の下部にあたる床下を配管スペースにし、ストローの上部に医療物資を並べる長い棚を設置する。ベッドやストレッチャーは片側に寄せ、反対側を通路に限定すれば、そんなに直径の大きなトンネルを掘らなくても済む。
各ブロックで配管設備などを完全に分離し、A区画が攻撃でやられてもB区画は問題ない、という分離型設計で施工を行う。
今後新たに造る際は、ぜひ、山を丸ごと病院にする計画を実施されたい。トンネルさえ掘れば、外装工事も要らず、あとは内装工事なので、そこまでコスト面でも割に合わない方法ではないと考える。
なお、このトンネル・シェルターは、有事でなくとも、東南海地震などの災害でも活用ができる。
東京都などでも、一般的な地下施設だけではなく、大雨の際に排水をする巨大な地下排水路なども、核シェルターとして利用することが可能ではないのだろうか。このシェルター問題は、とにかく使えるものは使わないと、間に合わない可能性がある。
また、中華人国の大気汚染がきっかけで、PM2.5の値を速報値として扱うメディアが増えたが、今後は大気中の放射性物質の値も、日々公表するようにしてほしい。いざ核戦争となったら、そういった目安が無いと、外出するのもままならなくなる。米軍は衛星監視しているようであるが、世界の状況を一見できるような情報でも有難い。
そして予備人材の登録。日本国政府、各自治体は、有事や巨大災害の時に慌てて人材を集めるのではなく、平時から、そういう、いざという時に労働力となる人員を、個人情報を守れる人物なのかや、きちんとした生活を送っている人であるか等を審議し、必要であればランク付けし、マイナンバー情報を元に登録しておく。
戦地へゆく等ではなく、何かの折に、物資を運んだり救護所でけが人のケアをしたり、支援を行ってくれる人材。急に声かけして審査するのではなく、日頃から人材ストックとして保有しておく。
日本の防衛問題を続ける。
日本の国会では、今回の露UKR侵攻を受けて、いったいどこまでが自衛で、どこからが戦争であるのか、何月何日がその境目であるのか、はっきりと明言できる議員はいるのだろうか。
世界各国の報道では、「戦争」という表現を用いて、ウクライナの「自衛」という報道を行っているメディアは皆無である。ほか、侵攻や、ロシア国内では特別軍事作戦など。
日本では当然ながら戦争放棄を掲げ、憲法では自衛しか実施できないことになっているはずであり、ではUKR防衛の、いつがその限界線なのか、仮に限界を破ったとするのならば、ロシア軍をどう排除すれば良かったのか、どういう作戦ならば日本の憲法に抵触しないのか、その議論を集中的に行ってほしい。
もちろんそれらは軍事作戦のくくりとなるので、すべてを公開はできないのであろうが、本当に有事に見舞われた際に戸惑わないよう、予め入念な協議を行い、方針を決めておかねばならない。
そして当然、自衛隊組織はその方針に基づいたシミュレーションを繰り返し訓練しておく。いつ何時、北海道に他国の上陸作戦が行われるやもしれないのだから。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
【6】コロナ対策「現場の声が未来を救う」「推奨年齢で感染防止」「マスク効果」
コロナ対策も終盤となるが、保健所会合。
現場の状況を正確に把握できないと、戦争に負ける。それは太平洋戦争でも証明された事実であり、今回の露UKR侵攻劇でも、本当の出来事を知らされなかったプーチン大統領に、関係者を大勢更迭させるなど、屋台骨を根底から組直すほどの、屈辱的な誤算をうんだ。
さて、まだまだ戦闘状態が続いているこのコロナ戦争に打ち勝つには、ではどうすれば良いのだろうか。
私は思うが、仮に全国各地で発生した数々のクラスター発生現場に保健所の職員が赴き、くまなく現地の調査を行ってきたとするのであれば、それらの保健所関係者をつなぎ、是非とも全国一同のオンライン会議を定期実施すべきである。
「先月調査した医療機関では、こういうゾーニング方法だったので、逆に感染が拡大してしまったと思われます」
「うちの県の居酒屋でおこったクラスターですが、こういうレイアウトであったがために、パーティションを設置していたにもかかわらず、感染伝播が生じました」
「先月お知らせした高齢者施設の、各所空調設備のフィルターに残るウイルス量の分析結果が出ました」
など、個々の現場で実際に何が起こっているのか、細かい状況の報告会をもち、今後、ではどうすれば感染が拡がらない安全な空間をつくり上げることができるのか、皆で意見を出し合う機会を設ける。
また、
「感染がかなりひどい地域であるにもかかわらず、うちの県では、利用者も職員も、一度も感染者が確認されていない高齢者施設があります。そこで行われている感染防止対策は、以下のとおりです」
「我が県のとある地域では、各家庭で、実はこういう取組が行われています」
など、悪い状況ばかりを報告するのではなく、上手に運営している施設や家庭なども議論の場に挙げ、技術交換を行う。
政府分科会が行っている対策会議に、私は出席した経験が無いので、すべてを評するのは閉口するけれど、机上の空論とは失礼にも、椅子に座って数字ばかりを追いかけておられるのであれば、確実に安全であるというお墨付きを与える、
「こういうレイアウトで運営してください」
という自信に満ち溢れる感染防止対策の鑑のような室内レイアウトの提案は、おそらく今後も同会からは出てこないのではないだろうか。
私は近い将来、それを発表する予定。現在、私が特許申請をしている案件は、新型コロナ対策において、確実に強力な援軍となるはずである。
現在の進行状況は、3月に拒絶理由通知が届いたので、意見書と手続補正書をしたため、このあいだ送り返したところ。なのでもうしばらく、お時間をいただきたい状況ではある。
他に取りうる策があるとすれば、例えば色々な施設を利用する際の推奨年齢を、各テナント毎に定める。
今現在でも、風営法で年齢によって入場ができない施設もあるのだから、感染症法で入場年齢制限があったとしても、不思議な話ではない。強制力はなくとも、推奨だけでも効果はある。
がんじがらめに入場を禁止するというのではなく、例えば若い人が多く利用する店であれば、
「10〜30代まで」
などと前置きし、仮に高齢者など、推奨年齢を外れた人がそのテナントを利用する場合には、基本的に、あらかじめ予約を入れる。そしてVIPルームなど、ある程度、一般的な客から隔離の効いた場所を利用してもらおうという取組み。 可能な限り、感染がひどい世代とは距離を保つという意識は、たいへん重要なことである。
それから最後の枠に、長くなってしまうけれど、今後のマスクの着用機会について、近ごろ何かと議論もおこっているようなので書いておきたい。
それにあたっては、まず第一に、私たちがマスクを着用することで実際に何が起こっているのかを、今一度、確認しておく必要がある。
NOマスクは更にひどいが、日常生活で、私たちが安価で大量購入できるようなマスクが新型コロナウイルスに無敵でないことは、富岳分析でも、すでに明らかである。サージカルマスクをきちんと装着していても、水分量の少ない、ごくごく小さな飛沫は残念ながら通過するのだし、装着法によっても効果は差が出る。
ましてやウレタンマスクの、まるでスポンジのような目の粗いマスクならば、ほとんど飛沫の出入りを防ぐことができず、息を吸えば、どんどんとウイルスが侵入してくる。
そんな種のウレタンマスクでも、何も装着しないよりはマシだとは言えるので、大量の酸素を欲するスポーツの時に使用したりもできるが、では次に、マスク着用でどういう作用がおこっているのかを分析。
基本的に、日中韓の三国で、生産しているマスクの輸出入も行われ、大まかに言って、ほとんど同様のマスクが流通していると考える。また、着用率も欧米と比較すれば遥かにこの三国は高いので、マスク分野だけに着目すれば、マスク効果は同じように作用していると前提ができる。
その視点で見つめ直すと、新型コロナ禍が勃発してから、2022年4月現在に至るまでの2年半に満たない期間で、この三国の新型コロナ関連の状況は、これだけ近い地域で同様のマスク着用率であるにもかかわらず、大いに異なる。
以下、度合いが大きい順に並べてみたが、
1、感染の波の高さは、韓日中。
2、総人口に対する死亡者の割合は、韓日中。
3、局所ではなく全国的な感染被害を早く被った順は、日韓中。
4、オミクロン株の現時点での被害は、韓日中。
5、自然免疫の獲得率は、韓日中。
6、米軍人との接触機会が多いのは、韓日中、或いは日韓中。
7、コロナ対策の規制の強度は、中日韓。
8、食事方法などの規制に国民が慣れているのは、日韓中、或いは日中韓。
9、感染拡大地域におけるPCR検査の実施率は、中韓日。
10、ワクチンの進捗状況は一概に評価できぬし、そう大差は無いが、韓中日。
11、今後起こりうる感染爆発に対する安全度は、韓日中。
上は、マスクうんぬんに限らず、全般的な特徴を並べてみた。厳密に言うと順位が微妙な項目もあるので、参考程度につきご容赦を。
【7】コロナ対策「日中韓の根絶のチャンス」「変異株は成長株」「外せる場面、外せない場面」
さて、本題であるマスクの話に戻し、まとめると、以下のとおり。
このコロナ禍が勃発した当時の流行株である、武漢型などの感染力であれば、現在我々が着用を続ける一般的なマスクでも、人類はCV19の根絶が手中にあった。中韓共に、初期は完璧といえるくらいに抑え込み、日本とて、最初の緊急事態宣言が発出された期間の感染状況を今になって振り返ると、根絶作業が、如何に現実的であったかを思い知る。東京都など、200名程度の新規陽性者数で、大ニュースになっていた。
もちろん世界各国の同調を得るのが必須となるが、全世界がコロナ根絶に取組んだとしても、やはりあの頃しか全滅させるチャンスは無かったと言える。その辺りは、上の4番、オミクロン株の感染拡大状況でも明らかである。
なので、あのコロナ初期の日本政府が取るべき対応は、CV19を街なかに拡散、並びに低温貯蔵させる人をひとりでも減らすための速やかな検査であり、
「4日間連続で高熱が続く」
という厳しい条件を設定すべきではなかった。検査を渋ったがために、新型コロナウイルスがのうのうと街を徘徊するようになり、結果的に、その頃から今に至るマスク生活を、国民が長々と強いられることになったと考える。近ごろの、オミクロン株の発現を除き。
最初に流行り始めた時期が北半球の冬季だったというのも、人類は非常に運が無かった。もし、あの節に完全にCV19を封じ込めていれば、武漢ショックを抑え込んだ頃の中華人国のように、日本は間違いなく、完全なる自主マスク推奨国となっていたであろう。マスクを装着しない人がいても、何らの気にも留めない生活である。近ごろの、オミクロン株の発現を除き。
そういう風に、ゼロ・コロナ政策は、比較的初期に有効な策であると言える。長引けば、色々と不都合が芽生えてくる。
例えば、死者数を抑えるには妙案だと言えるが、免疫学的な弱点もある。感染している人と非感染者の交流が無いため、自然免疫を地域住民が獲得できず、CV19が体内に侵入してきた際の防御体制がゼロからのスタートとなる。敵が自陣に攻め入ってきているのに、武器の製造から開始し、反撃できる装備品の調達に時間がかかる。その間に、敵のウイルス軍に殺されてしまう場合もある。
今の中華人国が、まさにその状態である。ゼロ・コロナは、安全な環境をつくり出す反面、いざ攻め込まれたら大きな被害を被ってしまう。
それから、人類とウイルスとの対峙期間が長引くことは、当たり前だがウイルスの変異がより多く確認されることになる。
前述のとおり、新型コロナウイルスが、初期の株である武漢型の程度の感染力であれば、通常のマスク使用でかなりの感染防止効果は得られる。これは、中韓が長らくコロナを抑え込んできた事実により明らかであり、しかし日本は或る意味抑え込みに失敗したので、同じマスクを使っても、波の下げ止まりというのを経験してきた。
それが近ごろ、中韓の両国が極端にひどい感染状況に見舞われているということは、オミクロン株に対抗するのは、通常のマスクでは不十分と言わざるを得ない。今までと同じやり方ではオミクロンには勝てない。
中華人国のゼロ・コロナ政策も、在りし日の良き思い出をずっと胸に抱き、オミクロンの空気を読めていないということ。新型コロナ先進国であったのに、あぐらをかき、防ぐことばかりに注力し、上陸した際の対応策を学ばなかったので、あっという間に後進国となってしまった。
念の為に申し上げておくが、いま書いている記述は、ワクチンや治療薬の作用、ならびにマスク無し会話の影響を加味してはいない。マスクに特化し、マスク着用だけで、人類がどれほどCV19に抵抗できるのかという話を続けている。全員マスクをきっちりと着用すれば、武漢型は根絶するが、オミクロン株は根絶しないということ。
もちろん、例えばデルタ株とオミクロン株を比較し、オミクロン株の方が小さなサイズなのでマスクを通過しやすくなった、という事例が起きているのではなく、サイズは同じでも、体内に入り込んだ時の活性力がオミクロンの方が強いので、自ずと感染が拡大してしまうということ。より強力な繁殖力をもったウイルスである。上の1、感染の波の高さや、7、コロナ規制の強度など。
こうなると、
「感染したくないよね」
という非感染目標を掲げた場合、今後に言えることは、新たに主流となる株がオミクロン株よりも感染力が下回らない限り、私たちはマスクを外す行為はとんでもなくNGとなるし、マスクそのものをN95などにグレードアップしなければならないということが、当たり前となってくる。否、既にオミクロン下で、当たり前なのである。
その理由は、変異株の感染力が将来的に弱まってくるとは考えにくく、なぜならウイルスが置き換わる際には、感染力が強い株に淘汰されるという流れが必然だからである。つまり、
「今度流行り始めた株は、感染力が強いみたいだな。残念。運が悪いよ、本当に」
とボヤくのではなく、感染力が強いからこそ、今まで流行っていた株を呑み込んで、私たちのところへ新たなる波として襲ってきたということである。
複数種を同時に器に投入しても、染まる力が強い染料の方に、素材は染まってしまうということ。運ではなく、必然。それが偶然なら、染屋は仕事ができなくなる。上の4、オミクロン株の被害など。韓国は、一番悪い時期に大統領選挙を実施した。
もしも例外があるのならば、例えば、より強い変異ウイルスが、樹木の枝先が伸びるかのように世界地図上を進軍していたとし、その状態で人類が国家間交流を断絶すれば、ウイルス同士の交流もなくなり、ウイルスはそれぞれの地域で進化や消滅を遂げる。その時に、たまたまどこかで生き残っていた弱いウイルスが、地域的に、少しずつまん延方向へ向かう場合は考えられる。絶滅危惧種。
上は、あるとすれば中世などの時代の話で、やはりこれだけ世界的人流が認められる国際社会では、ほぼ間違いなく感染力の強い株は世界地図を塗り替えてゆくのだし、その流れをマスクでは完全に防ぎきれてはいない。
日本国家も同じで、島国で、水際対策というなかなか上等なマスクを着用していても、やはりオミクロン株は上陸してくる。防ぎきれていない。
そろそろ結論を発表する段階であるが、我々人類が、仮にマスクだけで新型コロナウイルスに対抗しようとするのであれば、この先、マスクを外せる未来は99.99%訪れないと考える。
それでもマスクを外したいと言うのであれば、最低限、ワクチン接種を済ませるのが礼儀といえる。
落胆するのはまだ早いが、そのように、いくつかの策を併用してゆけば、当然、マスクを外せる機会は増えてくる。コロナ対策は、マスクだけではないし、また、ぶっちゃけ話、国家がどこを目指しているかでも、マスク着用エリアは変わってくる。経済だけは守りたいとか、人命だけは死守したいとか、医療体制を守りたいとか、国の個性が発揮される。上の7、コロナ規制の強度や、8、食事方法など。
それゆえ第一に、国家がその方向性を明確にする必要はある。中華人国の場合、完全に、政権のプライドを守りたいだけである。新型コロナを押さえつけることができる政権は、世界広しといえども中国共産党だけであるという、ただそれだけを守りたいようだが、しかしそれは、コロナがオミクロン株に育つ前までに有効な策。いま愚直になるのは危険で、そのせいで大混乱が起き、国家も錯乱状態になっている。大型商業施設の利用客で陽性者がひとり出たからと、出入口を封鎖し、施設内のすべての客を監禁して検査を行う乱暴ぶり。CV19の潜伏期間など、丸無視である。ほとぼりが冷めた頃に発症する。
「施設の利用者で感染が確認されましたので、1週間程度は、誰とも接触が無いような状態で過ごしてください。また、具合が悪くなったら検査をしてください」
と注意喚起すれば済むこと。
中華人国は、今まであまりに感染被害が無かったので、感染経路や隔離手段についての研究が、ここまでレベルが低いのかという程、おろそかになっている。ベッドを置いた隔離施設なんかでも、ついたては低いし、あれでは自宅で療養した方が100倍マシである。
この調子なら、政権崩壊がおこるかもしれない。21世紀の天安門事件。
上海は、ゼロ・コロナを実現するのであれば、まだまだ延々と期間を要する可能性がある。そんな中、北京など他の地域でもロックダウンが出だしたので、上海を中途半端で解除すると悪しき前例を出すことになり、中国共産党も認めないであろう。つまり延々と上海ロックダウンは続き、そのうち暴動がおきる。
いつの場面でも加減が重要となるが、もちろん日本も、まだまだ対策調整は完璧ではない。この冬は、人命に関しては惨憺たる状況であった。
以下、グレーゾーンも含め、オミクロン株相当のまん延時期で、マスクを外せる場面を幾つか挙げてみた。
★マスクを外せる場面
・自分自身しか運転しない、同乗者も乗ることがない車の中。
・晴れた日に、人が混み合っていない公園を、黙ってゆっくりと散歩する時。ただし冬場は周囲を警戒。
・図書館、自習室、静かなオフィス、単身で飲食利用する休憩室や食堂などで、周りの人と会話をしないこと、および咳やくしゃみが出そうになった時に口にあてがうことが出来る厚手のタオル等(以下、飛沫回収用具)を手もとに準備している場合。
・しばらく誰も利用していない部屋や空間で、すでに換気が終えていると確認をし、自身が退室したあとも、誰も入室する予定が無い場合。もしくは入室があるとしても、自身が飛沫を発生させないと約束ができる場合。
・周囲に人がいたとしても、皆が黙り込んでいて、各自が飛沫回収用具を手もとに準備している場合。ただし、満員電車などを除く。
・無人の農地で単身で黙々と行う農作業や孤独な魚釣り、独りで実施する自宅の庭いじりなど、周囲に人がいない状況が長らく続くことを予見される場合。
★基本的にはマスクを外せるが、着用が推奨される場面(グレーゾーン)
・屋外でのバーベキュー等も含め、人が対面し会話をする場面で、発声をする際に、発声者が自身の口元に手を浮かせるようにあてがうなど、何らかの方法で発声者の口元が周りの人から見えないようにする、またはアクリル板ごしに会話をする等の対策をした場合。なお、正しい換気法を併用することが条件となる。
・車の中も含め、同居家族が集う場面。ただし、家族以外の人々と頻繁に交流がある、地域の感染拡大が顕著である、高齢者が同居している、ワクチン接種が済んでいない同居者がいる、地域の医療がひっ迫状態である、などの場合は、NOマスクは推奨できない。
・自転車に乗っている時。ただし、目前でNOマスク会話をしながら自転車に乗る人たちを長らく追いかけている格好では、着用が推奨される。
・コメディを除き、発声をしない、咳やくしゃみをする時は飛沫回収用具を必ず使用すると約束ができる映画鑑賞。
★絶対的に外せない場面
・エレベーター、タクシー、観覧車、遊具など、すぐに次の利用者が乗り込む可能性がある、比較的狭い空間を備えた乗物。
・満員に近い電車やバスなど、混み合った乗物の中。
・医療従事者や高齢者施設の職員が、業務で患者や高齢者と接する時。
・冷蔵冷凍の物流倉庫。
・パトカーの運転席と助手席でパトロール中のふたりの警察官
・集合的に行われるコールセンター業務。
・観客が思わず吹き出したりする可能性がある喜劇などの劇場。
上の例に、季節の影響を加味することが、本来ならば望ましい。当然ながら、冬季はマスク着用を強化すべきであるし、エアコンを使う夏場も、冬に次ぐ感染拡大が予測される。
「COOL BIZ」という取組みがあるが、同様に、感染拡大の季節が来ればワクチン接種を開始し、マスク着用を強化する。そして春が来て、暖かくなってくれば規制を解く。解禁日を決めておく。そういった流れは、些かも自然に逆らうものではない。
政府が、ワクチン接種の間隔をどのくらい空けるのか、やたら悩みに悩んでおられるようであるが、時の流れは12で回っている。1年は12で分割される。12というモノサシで割っていった場合、5ヶ月に一度のワクチン接種と定めては、暦に抗うことになり、時の流れ、つまり自然とは波長が合わない。
新型コロナウイルスは季節で巡っている。それを破れば、この冬の大惨事と同じ結果を迎えてしまう。
なのでもし、今後CV19が冗談では済まされないくらいの感染力を携えるようになった場合、
「冬場の高齢者へのワクチン接種は、11月と2月の2回行おうか」
等の工夫が重要となってくる。
私はこの冗談が、必然のものであると考えている。そして今の若者が高齢者になる頃、ようやく大問題が軽微な懸念へと変わる。
いま、また怪しげな変異株が出没しているが、私はその遠い未来までに、
「どうしてあの頃の人類は、デルタ株を追いかけ、封じ込め、根絶するという手段をとらなかったんだろうね」
という声が上がらない世界が続くことを願う。
人類が自然にひれ伏せば、新型コロナとの戦いはすぐに終わる。エアコンなど叩き壊し、夏はひたすら汗をかく。秋は実りに感謝し、大切に蔵に仕舞う。冬はねぐらにこもりわらじを編んで、大人しく春を待つ。春になったら表に出て、花々の出迎えに再会の喜びを語りかける。
冬に活動的に動き回ることは、至極に不自然なのである。夏に冷房を入れるということは、危険な冬をもう一回味わうということである。
メリハリのある、そして突発ではなく年間を通じた計画性のある感染対策の仕組みづくりが、新型コロナ禍に与えられるストレスを緩和する術ではないだろうか。
そして2022年4月現在の状況として、日本よりも韓国の方が、国民が自然免疫を獲得している可能性は高いので、マスクを解除できるのは、韓国の方が先である。なので韓国の動向を参考にしながら、今後の模索を行うことは有効であると言える。
もちろん中華人国は、ほとんど自然免疫を持たないので、いまNOマスク生活を始めると、大変なことになる。その前に、もう既に大変であるが。
あの巨大な人口をもつ国でパンデミックが起きれば、生き延びようと、日本への密航者が増えることになるかもしれない。
最後に。いま現在、私たちはマスク着用が習慣づいてしまったので、ほとんどの方が着用しているし、マスクをしていないと精神的に不安定だ、落ち着かないという方も多いはず。
それは、シートベルトやヘルメットの事例を彷彿とさせるが、若い方は初耳か、自動車のシートベルトや原付バイクのヘルメット着用は、昔は義務ではなかった。それがやはり、事故の際に死亡に至ることが多いという理由から義務化され、しかし事故が起こるか起こらないかも分からないのに着用義務を課されるという新ルールには戸惑いも多く、実施しないドライバーもたくさんいた。
しかし現在では、シートベルトをしていないと落ち着かない、ヘルメットを被らずにバイクに乗るなんて自殺行為、という考え方が根付いている。
私はこれと同様であると考える。無事故が一番良いけれど、もしものことがあるので、運転の時はマスクをしましょう、安全にお気をつけてと。
国民はその意識を忘れず、行政も検査の機会をきちんと設け、下水の調査もし、私たちの環境、私たちの生活にウイルスが入り込んでいないかを、自動車が運行前に仕業点検をするように、忘れずに点検してゆく。
遠出をするなら、尚更である。当時者は、きちんとした検査が必要である。旅先で発熱しないように。
現在の日本で、24時間、365日、いつでもどこでも、場所や時間を選ばないNOマスク生活を実施しようとする人がいるのであれば、私は
「いざという時、あなたは医療従事者へと転職できますか?」
という質問を投げかけたい。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
※本編長文のために送信を見送り、
2022年5月3日のWEB公開を、
同日中に各省庁へ上申
首相官邸、東京都庁、大阪府庁、福岡市役所
御中
新たなるオミクロン株による影響と、ロシアのウクライナ侵攻を受け、対策文を掲載いたしました。お忙しいさ中とは存じますが、ご高覧いただければ幸いです。平素のとおり、丁寧語は割愛させていただいておりますことをお詫び申し上げます。
【1】コロナ対策「第7派の襲来」「とめどない改善点」「いざ分類」
【2】コロナ対策「福岡と北海道、どちらが過酷?」「季節の変わり目がコロナの変わり目」「年間行事大改革」
【3】コロナ対策「どうぞ円安おこしやす」「ゼロ・コロナの罠」「週3日のリフレッシュ」
【4】コロナ対策「陽性率は裏方か」「狙われたデルタ一族」「ワクチンで軍事訓練」
【5】コロナ対策「ありがとう。疑ってるんだよね」「暦どおりのワクチン接種」「そもそもワクチンって」
【6】コロナ対策「現場の声が未来を救う」「推奨年齢で感染防止」「マスク効果」
【7】コロナ対策「日中韓の根絶のチャンス」「変異株は成長株」「外せる場面、外せない場面」
【8】露UKR侵攻「鬼ヶ島の発現」「アカデミー賞の波紋」「ドンバスの歴史」
【9】露UKR侵攻「『龍のあご』作戦」「首都キーウの未来」「レガシーを求め続けるスターリンの亡霊」
【10】露UKR侵攻「ドーピング王国の世界地図」「バイデン大統領の失言ぐせ」「米露開戦の砂時計」
【11】露UKR侵攻「メディアの失言」「西側首脳陣の失敗」「ロシア軍を撹乱せよ」
【12】露UKR侵攻「全機スクランブル」「核シェルター問題」「日本の防衛問題」
【13】露UKR侵攻「前代未聞の大乱闘」「NATOのけじめ」「私たちの絆」
【14】露UKR侵攻「タイムスリップ」「ハイレベルな経済制裁」「マリウポリの悲劇」
【15】露UKR侵攻「核の驚異」「子ども騙しは通用しない」「国連憲章」
【16】露UKR侵攻「どうする、退避勧告」「当たらないと信じる鬼たち」「無慈悲な報い」「赤穂浪士の最期」
【17】露UKR侵攻「次期リーダーの育成」「公正選挙術」「日本のあしあと」「沖縄の母」
【18】露UKR侵攻「ウクライナは農業国」「ウクライナ人集落」「ひまわりの種」
【19】露UKR侵攻「安全運航」「国土交通大臣のつとめ」
【20】露UKR侵攻「JAPANブランドの屋台骨」「海外支援、その前に」
【21】露UKR侵攻「満席まで待て」「いつになったら個展をひらく」「今すぐ買わなきゃもったいない」「ナイアガラ経済」
【22】露UKR侵攻「まとめ」「マリウポリ救出作戦」「西側は勝利宣言を出せるのか」「東西決戦の火蓋」
【23】露UKR侵攻「欧州の役割」「隊列分断」「復興費用」「日本との戦争」「自分でやってくれ」「防衛能力はどこまで必要か」「米軍基地が無くなる?」「ヒロシマの石」
【1】コロナ対策「第7派の襲来」「とめどない改善点」「いざ分類」
第7波の派生と認定するには波のボリューム不足を感じるも、やはり、ステルス・オミクロン株であるBA.2への置き換わりが顕著であり、私たちはもう、第7波のただ中にいると認識する必要がある。
その流れで、この対策文も第7編を数え、しかしまだまだ書くことが尽きないのも、新型コロナがしつこい証拠。けれど今回は、ウクライナ問題に多くのスペースを費やすため、足早に駆け抜ける予定。
「もう改善点が無い」と言い切るには、まだ早い。まず筆頭は、コロナ保険。
入院の有無にかかわらず新型コロナに感染すれば保険がおりるという、そんな、すぐに金儲けに悪用されそうな保険を認めて良い訳が無い。どうりで今年に入ってから、やたらと街をノーマスクの人が闊歩している様を見受けられたが、これは金融庁の認可を必要としない保険なのであろうか。これでは、
「ほんのわずかに、軽く感染したいんだけどな…もちろん会社は休まなきゃだろうけど、寝込んだりせず、鼻風邪くらいがいいな。PCR検査さえ陽性になってくれれば保険がおりるから、それで十分なんだけど」
と、保険金目当ての服毒陽性者が続発してしまう。
「中等症2か、5日間以上の入院の場合に保険がおりるという形に改定されました」
と、きちんとハードルを設定すべきだ。
また、保険ついでに述べると、国の新型コロナに対する金の使いみちを、私は大いに疑問視している。
もちろんこれは、コロナに感染した人が努力をしてこなかったと言いたいのではなく、コロナ禍が始まって久しい折、国はこれまで、新型コロナウイルス感染症にかかった人にばかり金を遣って、今まで一生懸命、感染防止対策を徹底した成果としてコロナを回避してきた人たちに対し、どれほどの金額を拠出したのだろうか。
アベノマスク、給付金、ワクチン接種あたりがそれに該当するが、しかし、それらは何れも、コロナにかかった人にも漏れなく支出されているので、努力した恩恵として発症を免れ、行政や医療機関の健全な運営、飲食業界の存続などに大いに貢献している人々にとっては、些か不公平感が残る。
なのでそういう方々に、私は努力賞となる、少なからずの報酬制度があっても良いのではなかろうかと考える。そうすることで、新型コロナには絶対にかかるまいという意識、目標が国民に芽生える。例えば非感染期間は毎年等級があがる、
「新型コロナ等級制度」でも良い。長年感染しなかった人には、ゴールド免許が与えられる。
それらの話は、CV19の分類の問題へもつながる。
新型コロナを2類にしようか5類にしようか、国会議員は頭を痛めているようであるが、私は「どうして?」と思う。「新型コロナ等」、或いは「6類」を新たにつくって当然ではないのか。
これだけ様々な変異を繰り返し、ボリュームも、ほぼ無制限。パンデミックが起きない確証も無い。規制を敷いたり解いたり、まったく掴みどころのないウイルスが相手なのであるから、よもや、既存の分類には適合しないであろう。新たに布して、対応も特別なものとする。
詳しくは、入院などの個別の指示や隔離義務なども、感染状況の悪化に伴い加減が可能とする。株の種類によっては、強制的に収容を行うこともできる。今後発生しうる、あらゆる変異株を想定して、法を定める。
金銭面でも、どういう風にサポートしてゆくか、また、そのサポートが感染拡大を防ぐ方向へ正しく機能し、民を誘導しているのかを、きちんと検証する必要がある。
先の保険の話のように、至れり尽くせりでは、感染は収まらない。ノーリスクはご法度。新型コロナ医療を、通常どおりの3割負担にして、エクモや入院などの高額治療を心配している人は、各自で「エクモ保険」や「新型コロナ入院サポート保険」など、民間が運用する保険に任意で加入する。
それに加え、そもそも新型コロナウイルス感染症は、高齢者が重症化するのだから、65歳以上は医療費がかかりません等、現役世代が羽目を外さないように、偏向性をもった仕組みに変える。エクモ治療の金額など、もっともっと公にすべきではないのか。
そして国は、病床の確保に季節性をもたせ、感染の危険が少ない季節には大幅に解除するなどし、コロナ医療への支出額が軽くなった分を、無料のPCRと抗原検査、そして無料のワクチン接種にあて、それでも使い切れない分を、コロナに感染していない人でマイナンバーカードを所有している人たちに、報奨金として定期的に贈る。毎年5千円など、
「今年も良く頑張りましたね」
と、感染をしなかった人は、国からずっとボーナスをもらい続ける。報酬型収束計画。
それから「小学校休業等対応助成金制度」の件。
学級閉鎖や休校、休園などの影響で子どもを預けることができず、そのせいで仕事に出れないという保護者たちに、有給休暇の消化分を政府が補填する制度。これも毎度申し上げているように、ノーリスクでは、物事はうまく進まない。
賛否両論あるにせよ、政府はそもそも、この件に限らず、政策を実行に移す前に、それに関わる多色の立場の人々の気持ちを、ぐるりと一周して考える必要がある。子育てに奮闘している労働者のために準備している制度であるのは理解できるが、朝、
「今日は子どもの保育園が休園になって預ける場所が無いので、お休みをいただきます」
と、急に会社に連絡が入れば、会社としては、どう思うだろうか。
「だいじょうぶですよ。お大事に-」
で、済むはずが無い。頼りにしていた人が来ないのだから、当然代打を探さないといけなくなり、補填できる手段を模索し、朝から、てんやわんやの状態となる。
会社としては、いい迷惑であり、まだ、
「保育園が突如の休園なのですけど、いま他に子どもを預けることができる施設を探していますので、少し出社が遅れるかもしれません。申し訳ないです」
と前向きな連絡をしてくる社員のほうが、可愛気があるであろう。その努力もせず、
「どうしようかな…もう、いいよね。どうせ国から休業補償が全額出るんだから、うちの収入が減る訳ではないし、今からあちこちに連絡するのも面倒くさいし、今日は子守しながら、家の掃除でもしていようかな」
と、会社への迷惑も顧みずに欠勤し、そして更には、後日、会社としては何の利益にもならない助成金申請の業務をニコニコ顔で依頼してくる社員に対し、会社側が快く思わないのも無理はない。ブチ切れる寸前である。トランプ氏なら、クビ宣言している。
この助成金制度は、損失額の7割程度に留めるべき。会社にゆける望みが少しでもあるのならば、労働者はそれに努めるべきである。
そして臨時の託児所に預けたことにより、余計な出費が出るであろうから、その領収証と、小学校等から発行してもらう休業証明、会社との雇用契約書等を併せて、その本人が行政に直接請求をおこす。それが一番スマートなやり方である。
やはり、臨時の託児所に預けてでも出社しようとした労働者に対して、何の労いも無いというのは、あるべき姿勢ではない。
【2】コロナ対策「福岡と北海道、どちらが過酷?」「季節の変わり目がコロナの変わり目」「年間行事大改革」
それから、年間の行事について。
私は福岡市在住であるが、実はこの越冬で、北海道と集中的に感染状況の比較を行ってきた。とはいっても、陽性者の増減を見守るくらいではあるのだけれど、南に位置する福岡県と、北にある北海道では、北海道のほうが冬の寒さの影響は大きいはずなので、福岡よりも感染状況が悪くなるのが当然ではないのかという予測を私は立てていた。
結果的に、両地域の実数はかなり近似していたものの、雪の盛んな時期を含め、全般的に北海道の方が、日々の陽性者数は幾らか少なめであった。
考えてみれば、福岡県において、よほど山間部でない限り、雪の影響で冬季に身動きがとれないような日はほとんど無いので、北海道でホワイトアウトが起こって外出ができない、いわば自主ロックダウンのような状況が、新型コロナの感染拡大を防止するのに或る意味役立っているという可能性はある。
その点、福岡県では、やはり真冬でも外出が自由に出来るので、必然的に陽性者数も多いのであろう。また、人口密度も福岡の方が高い。
そして、その状況比較がとうとう逆転したのが、4月の半ばであった。福岡から先に暖かくなるので、言わば、新型コロナウイルスの「収束前線」が、桜前線を追いかけてゆく形で北上してゆくのではないかと私は考えている。
もちろん、鹿児島あたりでもドカンと大きな新規陽性者数が春に計上されるし、気が抜けないという前提はあるものの、九州から関東までは、それほど緯度が違う訳でも無いので、だいたい同じくらいの時期に、同様に収まってくるようである。
沖縄が、そういう意味では先駆けて収束しても良い気がするが、やはり観光地として人気が高い、米軍基地がある、ひと家族の同居人数が多い、エアコンの除湿機能を使用する期間が年間を通じて長い等の、対コロナにおいて、けっこう都合の悪い部分が多く、なかなか収束が訪れない地域なのだろうと考えられる。
ゆえに重要なのは、その前線がまだ通過しない時節に宴会をしないこと。冬ごもりも終わり、桜も咲き、散りはじめ、さてさてそろそろ宴会の予約を入れてみましょうかと、そういう解禁制度さえ厳守すれば、CV19の残党が残っていたとしても、措置を講じないといけないほどに恐れるものではないと考えられる。
感染カレンダーを見てもらえば解るが、新型コロナウイルスの季節の変わり目は、例えばこの2022年は、4月の15日頃であるのが解る。まだ専門家は認めていない第7波がやってきたので、また大きな波へと変貌すると心配された方も多いであろうが、しかし季節としては、ウイルス感染症の呪縛からようやく解き放たれてくる時節であり、その変わり目は当然、毎年同じ時期に訪れると考えておいた方が良い。
コロナが始まった当初の2020年の春も、4月7日から始まった緊急事態宣言が解除されたのが5月25日であり、4月の後半あたりで、徐々に感染の勢いが鈍化していたことが、はっきりとしている。
翌2021年の春は、前年とは変調があり、冬の感染拡大が割と早めに落着く傾向が見られ、3月の宴会時期を迎える際に、例えば大阪では措置の解除が行われ、それが起因ではないかと推察される大きなリバウンドも発生し、全国的に、その春の新規陽性者数は、GWをまたいでずるずると引きずることにはなる。
そのずるずる現象は、今年の春にも見られることであるが、累積の新規陽性者数のグラフを見ると、謎が解けてくる。
累積なので、グラフに下り坂は無い。年月を追う毎に、どんどん山を登ってゆく格好であるが、その山の勾配が、波の合間は緩やかであるも、波が襲ってくる毎に、どんどん急勾配に変化しているのだ。つまり、波を追う毎に、着実に感染力が高まっているということ。私たちの対策は変わっていない、しかも近ごろはワクチンも治療薬もあるというのに、そんなことは関係ないと言わんばかりに、最近では、まるで崖を登るような波の形をしている。
これはまさに、変異ウイルスの感染力の仕業に他ないが、これについては、終盤のマスク特集で詳しい記述をする。そして大事なことだけを言うと、私たちは、CV19の冬場の抑え込みがどれほど重要かという事実は明白である。
そういった、季節のおこす必然性を鑑み、私はそろそろ、行事の移動を真剣に提案する。
私たちは、皆で協力して新型コロナウイルスに勝たなければならず、コロナに迫害を受け続けている人々を、腹をくくって、人道的観点から救出しなければならない。
その難題が、たった、行事を引越しさせることで大きく解決するのであれば、こんなに安い買物は無い。以下、具体例。
大問題なのは越冬であり、その大炎上を引きずったまま行われる、春の年度替わりである。それゆえ、ほぼ1ヶ月遅らせて、4月の後半に卒業式や終業式、定年退職等々の年度末行事を設定し、GWを含めた長期の休みを挟んで、5月の中旬あたりに成人式や入学式、入社式を行い、新緑薫る頃、新年度をスタートさせる。その後、新入社員の歓迎会。
桜のシーズンに年度替わりが合わないのは、私だけではなく、残念に思う方が多いであろうが、新しい制服や晴れ着を羽織り、家族で桜の下で前撮り写真をじっくりと撮っていただくのも良いのではないのか。
とにかく、ゼロはどれだけ乗じてもゼロなのだから、冬の感染拡大を徹底的に抑え、春もぎりぎりまで我慢し、解禁日を迎えてから宴会をどうぞと。それにより、幾らか感染が拡大したとしても、湿気の多い6月の梅雨時期に収束させることができる。
この、GWを年度の境目にする案は、何かとメリットも多い。引越しの時期に、親子で一緒に休みが取りやすくなるので、家族ぐるみで協力して引越しの作業が可能となる。そして今まで学生の方々が消化していた春休みが削られる勘定になるので、それを補うために、例えば1月2月3月を、完全週休3日制にする。受験が3月から4月の初頭に集中してくるであろうから、受験生は、この週休3日制の時期に、自身の苦手な教科を集中的に補習できる。つまり、自由に時間が使える。
また、冬場はこじんまりと、家族や恋人同士で温泉旅行へゆくこともできる。大勢の集まりは、解禁日を迎えてから。
更には、これも後述するが、若者の今後のワクチン接種はおそらく真冬にのみ実施されることになるだろうと私は考えており、その際に懸念とされる副反応対策で、週休3日制というのは、木曜日の仕事帰りや金曜日の休みに集中的にワクチン接種を行い、土日の休みに、ゆっくりと副反応を味わっていただくことが可能となる。木曜と金曜はワクチンDAYとなる。
要するに、冬季と桜のシーズンは宴会を縮小し、優先的に家族で過ごす、または自分自身のため、人生を振り返るために時間を費やす期間にして、4月20日など、寒い地域はまだかもしれないが、桜も散った頃に宴会の解禁日を迎え、4月の後半に年度末を迎え、送別会を実施し、GWは引越し等、新年度の準備に費やし、5月に新年度を迎え、新緑の爽やかな風が吹く頃に歓迎会を開催しようという案。
学校関係は、藤棚などを設置すると、記念写真が撮れるようになる。おそらくその頃であれば、仮に宴会を開いても、気候がコロナ対策に追い風となり、被害は抑えられるはず。
そもそも、鮎を釣るにしても、解禁日は決まっている。便利すぎる私たちの生活では感覚が麻痺しているが、他にも、時期が来ないと実施ができないという類いのものは山ほどあり、12月に桜の花見をしたいと言っても、それは無理な話である。
そしてやはり、鮎が食べれない時期があるからと言って、政府がどこそこに補償を行うことも、基本的には無い話。新型コロナウイルスが私たちの生活圏から消えて無くなるか、本当の意味で共存してゆけるような状態となるまでは、飲食店業界には、冬場は大人数での宴会を控えていただく形となる可能性が高いけれど、4〜5人程度や、家族での外食などは、そこまで規制の対象にせずとも実施できるであろうし、GWの年度替わりを皆で楽しく過ごすためにも、そういった、冬場の努力が必要となるご理解をいただきたい。
ゼロは、ずっとゼロ。
「マッチ1本火事の元」
という通り、マッチ1本さえ無ければ、どれだけ扇いでも火災は起きないのである。
基本的に、如何なる業種でも、最初から年間の予定が分かっていれば、仕入れ等々、各々で予めの対処ができるのであるし、問題なのは、先行きが全く見えないこと。店を開けれるのか閉め続けるのか、緊急事態宣言が急に出てみたり、いつ解除になるのかも判らない状態では、先々の予定は立てられない。収入に関わることで、ずっとストレスを受け続けてしまう。私たちはもう、如何なる変異株が現れようと、あの歩みを繰り返してはならない。
【3】コロナ対策「どうぞ円安おこしやす」「ゼロ・コロナの罠」「週3日のリフレッシュ」
また、外国との往来についても、今は極度の円安に見舞われており、海外旅行が再開され始めたことは喜ばしい反面、
「旅行に海外へ行ったけど、高くてお土産が買えなかったよ」
という事例も多いであろう。
円安の場合は、外国へ出てゆくよりも、外国からの旅行客を招き入れ、インバウンド効果を狙うのが定石であろうが、それについてひと工夫し、「季節」という範囲で認め、例えばGWから6月末までと、盆休みから10月半ばまでの期間に限り、ワクチン接種を終えた方は日本へどうぞ、ご自由に観光へ訪れてください、と規制を緩める。
この時期ならば、感染の影響を最小限に抑えることができるし、今の円安の時期に実行すれば、日本の家電などは、その期間にバカ売れするであろう。輸入原材料の高騰は円安ではネックであるも、円安は或る意味、大きなチャンスでもある。
だらだらと年間通じて外国人観光客を受け入れると、日本は、この冬の韓国並みの感染被害を被る可能性があるので、期間を限って受け入れる。
それら、多岐にわたる解禁日の取組みに際しては、行政も民間も総力でサポートしてゆく。冬場の飲食店などは、少人数客を相手にする営業スタイルとなるであろうから、柔軟な雇用体制も構築させる。冬季は、バイトの人たちを予め減らしておこうとか、少ない人手でも対応できるメニューを開発しておこうとか、保存の効く食材を中心に構成を考えるとか、或いは冬季は店を閉めて別の事業計画を立てようとか、すべてを計画的にすすめてゆく。
中華人国の不味さはそこにある。ゼロ・コロナ政策というのは、他にも同様の国があるので驚きはしないが、問題は進め方。
「我が国は、ゼロ・コロナ政策を行っているので、いつでも、急にロックダウンを実施することがある。それゆえ各家庭は、仮に1ヶ月程度、食料の調達ができなかった場合でも生き延びられるよう、米、小麦、乾麺、もち、いも類、干物、缶詰、レトルト、冷凍食材、飲料などの備蓄を常日頃から行い、定期的に、それらの古い在庫を消費しつつ、新たに補充をしておくことを望む」
と国民に告げ、更にロックダウンの実施には、やはり1週間程度の余裕をもった事前告知は欲しいところ。そういう準備もせず、急に強制力を行使するから、すぐに人権問題として注目を浴びてしまうのだ。
今までが安全すぎて、国民にCV19に対する危機意識が乏しいというのも大きな問題であるが、素早い隔離を実施しても、食糧難、生活難であんなに人々が喚き散らしながら暴れまくっては、感染は到底収まらない。
そして週休3日制の話を再燃させるが、これを導入することは、いま政府が躍起になっている「労働者の賃金を上げる」という政策と同等の意味合いがある。働く時間が少ないのに賃金が同額なのは、当然ながら給料が上がったということである。なのでそういう対応をしている企業に対しても、同様の優遇措置は行われるべきである。
仮に、週休3日制を導入すれば業績が下がる可能性があると判断した企業は、社員を増やせば良いし、例えば銀行や役所など、週3で休まれたら困るという市民も多いであろうから、個々の従業員や職員の内々だけで週3日休みを実施し、人員は減るが店構えは今までどおり開ける、或いは部署を限定的に消灯する縮小営業を行い、休業できない部署だけは週5で開ける。銀行も金曜日は外回りを休業したり等、要は、労働者が交代で休暇をとれば良いだけの話である。
仕事ばかりしてても、金は減らない。つまり経済は低調化する。休みが増えれば、人間、ついつい金を遣ってしまうもの。それにより、自ずと経済は活性化される。仕事が三度のメシよりも好きな人は出社を希望すれば良いし、企業はその分、手当を付す。
【4】コロナ対策「陽性率は裏方か」「狙われたデルタ一族」「ワクチンで軍事訓練」
行政に求めたいその他の内容では、陽性率について。
このコロナ禍では、新規陽性者数の発表が日々の務めのようになされているが、私はそれよりも、
「今日の全国の陽性率です」
と、陽性率に、もっともっと着目いただくことを願っている。
なぜなら、医療がひっ迫するような状況では、陽性率は確実に跳ね上がっていて、逆に収束期には、それが極端に減少する。では、その事象を裏返せば、陽性率を下げることができれば、自ずと感染状況を収束方向へ向かわせることができるということ。
抗原検査キットが足りないなど、第6波では嫌と言うほど、その脆弱性が明らかになったのであるが、陽性率を原則2割、どんなに悪くても3割未満に抑えると目標設定した場合、日本国内の検査体制は、まだまだ、全くと言うほどに満たされていない。
第6波で、日に10万人程度の新規陽性者数が全国で確認されたが、それを2割の陽性率に抑えようとすれば、日に50万人分の検体を回収し検査をこなせる能力が、最低でも必要となる。
今後、CV19の感染力がどう推移してゆくかは後述するが、仮に第6波のオミクロンBA.1の2倍の感染力をもつ変異株が現れれば、日に100万人分の検査能力を保持しておく必要がある。
ちなみに第6波では、全国で一番多くPCR検査が行われた日で、検査数は30万を幾らか超えた程度。その30万のうちで10万の陽性が確認された訳だが、やはりその数字では、都市部では検査がまったく追いついていないと言える。その頃の福岡でも、私の記憶では、陽性率は、確か5割を超えていた。
もちろん、人々を検査に如何に誘導してゆくのかという取組みも重要であるが、私はハード面で、日に100万検体を回収検査できる能力の保持を国の最低目標とし、自衛隊の防衛力保持と同様、次の越冬に向けて、整備を進めることが望ましいと考える。
また、地産地消の取組みのように、各自治体が自分たちの地域の検査能力が如何ほどであるのか、陽性率をもとに、きちんと実態を明確にしておくことは重要である。
それらが万全となれば、コロナに狙われるのではなく、コロナを包囲する生活が送れるようになる。措置を講じて陽性率を下げようとする取組みは難しいけれど、検査体制を増やすだけなら、割と単純な作業である。
それについては、薬局やドラックストアで働く薬剤師が行う抗原定性検査を、正式な検査行為としてカウントするようにしても良いのではないだろうか。PCRや抗原定量検査ばかりを有効とするのではなく、もちろん医師もであるが、薬剤師が主導し、被検査者が目の前にいる状態で抗原定性検査キットを正しく使った結果は、みなし陽性を認め、全国の集計に抗原検査の分類で加算され、陽性率にも反映される。
それから変異株の問題。 やはり出てきたオミクロン株の新種であるも、次から次に新参者が出てくるので、私たちも慣れてゆくのが怖い。けれど運任せも良くないので、私はせめて、デルタ株一族をこの地球上から消し去るべきだと考えている。デルタ株の血統さえ無くなれば、毒性は弱まる、もしくは横ばいかと考えられ、変異によるリスクは、おそらく軽減される。
オミクロン株の出処に関して、日本政府から下水のコメントがまったく出てこない。正確性の判断はし難いが、割と早い時期から、下水に住まうネズミが関わっているという情報は表に出ていた。人間社会が排出したオミクロン株を下水のネズミが取り込んだのではなく、ネズミの体内で造られたような痕跡も、同株のゲノムには存在するとか。
そういった下水調査では、まだ世に出回っていないCV19変異株も見つかっているようで、日本も、大きな都市だけでも、定期的に調査報告をすべきではないのか。新たなる変異株の上陸を早めに察知する手段でもあるし、人間たちが幾ら頑張っても、ネズミやペットなどが媒介となっているのであれば、最低限の対策は講じなければならない。感染がひどい地域では、ペットの感染状況をモニタリングする。危険度が高いと判明した場合、ペットと過度にじゃれ合ったり、顔を舐めさせたりしない、接触した後は必ず手を洗う、等の対策を強く提言する。
ワクチン接種について。
なかなか3回目の接種が進まない状況は、やはりロスが多いといえる。中には廃棄するワクチンまで出てきている。4回目の希望者に接種した方が良いのではないのか。行政とは、融通がきかないものである。
また、仮に3回目がスムーズに進んでいれば、この越冬に死なずに済んだ命もあったのではないかと考えられる。
もちろん新型コロナウイルスは、感染自体が直接的な死因ではなく、がんのように、肺炎などの合併症が実質的な死因になる訳だが、その合併症だったにせよ、連日のように3桁の死者数が数えられる光景は、否応なしに、落胆せずにはいられなかった。まだひどい被害の国と比べて、自身を納得させるのは論外であろう。次の冬は、同じ轍を踏んではならない。
ただ、私たちがマスク生活を送ることでインフルエンザによる死者数が激減したのは事実であり、そういう意味では、歩んだ方向性は間違ってはいなかったと言える。
現役世代のワクチン接種を鈍化させる要因の筆頭に、副反応の影響が挙げられている。私はそれについて、今回も意見を述べたいが、ワクチン接種とは、言わば軍事訓練である。
いま、ロシアの侵攻を懸命に食い止めているウクライナ軍であるが、もしUKR軍が訓練をしていなかったら、今ごろ国全体がロシアに占領されているのは明白である。
ワクチン接種は、まさに空砲を使った軍事訓練であり、いきなり、一度も銃火器を握ったことも無い、真白の状態で実弾が飛び交う戦場にゆくのではなく、あらかじめ訓練を行い、戦場ではこういう辛い思いをする、こういった苦労がある、怪我をすることもある、装備品を実際に背負うとこれだけの重みがあるなど、模擬実習をして、体と精神を戦いに慣らしておくのである。
それらを体に染み込ませておけば、いざ本番で装備品を背負っても、体がその重さを覚えているので、スムーズに対応ができる。いきなり実弾が飛び交う実戦にゆくから、ダメージを受け、後遺症が残るのだ。
ウイルスをナメてはいけない。肝臓は人体の食料倉庫であり、そんな場所にゴキブリやネズミが隠れ住んでいても、なかなか見つからないではないか。
英国でも、遅れて日本でも、子どもに原因不明の肝炎が流行っているという。軽度ではなく、数例は肝臓移植にまで至り、死亡例まであるそうだが、症例のすべてではないものの、アデノウイルスが患者から発見されている。
アデノウイルスといえば、ジョンソン・エンド・ジョンソン社がウイルスベクターとして新型コロナワクチンに使用しているウイルスで、肝炎が、このワクチン接種を受けた人なのか、接種の副反応によるものなのか等は発表されていない。
もし副反応だとすれば、過剰な免疫応答等による肝炎が考えられるが、新型コロナそのものと無関係であるのか、真相はまだ分かっていない。
ワクチンが無関係だとして、例えば旧アデノウイルスが強毒性をもつ新型アデノウイルスに変異した場合なども想定される。まさか、アデノウイルスと何らかのウイルス、特に肝炎ウイルスが合併した話ではないだろうけれど、今までの肝炎ウイルスは発見されてはいないとのこと。
結局のところ、アデノウイルスは風邪の原因となるウイルスの一種であり、扁桃腺などから感染をしてゆくとのことで、小さな子のマスク着用は、この件が落ち着くまでは、出来る限り求めた方が良いのではないのか。
日本はなぜか、幼な子に甘い。
「マスクはしなくていいよ。苦しいでしょ、外していいよ」
と、対策をゆるめる傾向が強い。行政のコロナ対策会議で今般行われている、マスク協議も然り。重い代償の責任をとれるのであろうか。
何れにせよ、細かな分析が待たれる。
【5】コロナ対策「ありがとう。疑ってるんだよね」「暦どおりのワクチン接種」「そもそもワクチンって」
富岳シミュレーションの話を少し。
理化学研究所から、飛沫シミュレーションの詳しい発表があったように、湿度が下がる環境では感染リスクは上がる。そしてエアコンの風が飛沫を撹拌させることは、ウイルスが散らばるけれども、同時に一部分のウイルス量も減らすことになるので、一概に、良し悪しの判断が出来ない形となっている。
しかし何れにせよ、エアコンのスイッチを入れて湿度を下げることは、明らかに室内の感染リスクを上げるということ。省エネも叫ばれる今、我々は夏の過ごし方を模索しないといけない。
お喋りな友人を前に、
「扇いであげるよ」
と言いながら、その友人の顔をひたすらうちわで扇いであげれば、あなたの感染リスクはぐんと下がる。
「なに?なに?もしかしてコロナ疑ってない?」
「ううん。そんなこと無いよ」
これから梅雨を迎えるが、その湿気の多い梅雨時期にエアコンを我慢してウイルスを根絶することが出来れば、梅雨の終わりにエアコンのスイッチを入れても、ゼロはどれだけ乗じてもゼロである。
また不織布マスクも、神話ではなく、微小のウイルスは常に透過していることが認められたので、やはり私たち人類は、新型コロナウイルスをひと核も吸込んだことのない人は、生まれたての赤ん坊を除き、おそらくこの地球上にはひとりもいない。
今回米国の調査で、自国民の半数以上がCV19罹患に関する抗体を持っている事実も認められた。日本の10倍以上であるが、それは言い方を変えれば、高齢者は、やはりワクチンの効果無くして、マスク生活のみでは危険すぎる環境であるということになる。
それらを鑑みると、年間のワクチン接種計画が形となって見えてくる。
最優先される、高齢者の絶対的とも言える接種が、越冬前の10月と11月。夏向けの接種は、5月と6月。仮に山間部で、高齢夫婦が畑仕事をしながらひっそりとふたりで暮らし、他の誰とも接触しないような場合は、この夏の接種は、無理じいをしなくとも乗り越えてゆけるのではないかと考える。ただし病院に通院している人は、接種をしておくべき。冬は必須。
医療従事者や介護施設職員など、高齢者と接触する立場の方々は、9月と4月に接種。中高年は、12月と7月スタート。7月は感染の実情において、検討がなされる。実施の是非や、単身者よりも高齢家族同居者優先など。
若者は、1月と8月スタート。夏は中高年と同じく、高齢者との接触が絶対的に無いのであれば、打たない場合も想定できる。
5歳未満の子どもは、基本的に鼻噴霧型が望ましい。ワクチン接種で一気に異物を体内に入れるのは、やはり過度な反応がおこっても不思議ではない。親御の立場からも、心配が尽きない。
それゆえ慌てず、熱を計りながら、様子を見ながら鼻へ噴霧を行うやり方が、徐々に慣らしてゆく上では安全な訓練実施方法ではないだろうか。
近ごろ、組換えタンパクのワクチンが認証を受け、選べる種類も豊富になりつつあるので、様々な要望に応えることが望ましい。
そしてもうひとつ、CV19の台頭で、インフルエンザが表舞台から消え去りそうな可能性は前にも書いたが、その事象プラス、幾度となくおきた変異株の置き換わり等も受けて、私がふと思ったのは、CV19感染の拡大初期に、その地域で、CV19よりも強い感染力を備えた絶対的に安全な無毒ウイルスを、わざと対象地域の人々にまん延させることが出来れば、新型コロナウイルスは人に感染することができず、消滅してしまうのではないかという解決策。
風邪Aにかからない為に風邪Bにかかると言うか、風邪Aという聞いたことも無いウイルスが現れて死亡者が多発したから、風邪Aウイルスから毒を人工的に抜いて風邪Bウイルスをつくり投与する。つまり新型コロナにかからない為に、あえて他のウイルスにかかるという策。
もちろんそれがワクチン接種の基本的な考え方ではあるけれど、少し違うのは、ワクチン接種後に備わる中和抗体で勝負するのではなく、ワクチンBがいることによって風邪Aウイルスが活躍できないというシチュエーションをつくること。可燃物が先に燃えていれば、後から来たウイルスは燃えにくく、当然消火剤もどんどん造られるし、影響を受けにくいのではという考えである。
飲み薬なんかでもこういう作用をするものはありそうだが、基本的に、感染したあとに飲むことになるし、感染前なら、やはりワクチンかという話になる。要は、このルートを補う存在が無いのだ。ポカンと空いている状態。
だから無理やり、治療薬を予め飲んで会食に臨むか、或いは、無症状感染者が発覚した際に、すぐさまその陽性者にワクチン接種をする、などが有効的手段として認められのるかもしれない。
また、私はもう少し恩恵をひねりたいのであるが、現行、不活化もメッセンジャーも、ワクチンというのは特定のウイルスのためにつくられており、違う感染症には違うワクチンが必要となるので、私はそれらの無毒ウイルスを、感染症全般に効くような形にできないものかと考えている。それはたぶん、無毒ウイルスのスパイク蛋白質の働きばかりに注目をするのではなく、ヒト細胞のACE2受容体などに憑依して満席状態にして、新たなるウイルスがヒト細胞へ侵入するのを阻害してくれるような、それでいて多種の中和抗体もつくられるような、そういう3段構えのイメージのワクチンができれば、「感染症ワクチン」等の名目で、1種類のみでまかなえるようになるのではないだろうか。まだまだ理想の話かもしれないけれど。
それから私はファイザーを、前編で「F」と表現したけれど、日本人に慣れ親しまれたローマ字読みを用いただけのことで、正しいスペルは「Pfizer」であるのでご注意を。おそらく「phantom(ファントム)」などと同じ構造かとは思うのだけれど、ちなみにファイザーの略称は「PFE」とのこと。
現在、私はF2M1。モデルナを打った翌日に、あまりに副反応が乏しかったのでビールを何口か飲んだら、急に頭痛がしだして、調子に乗ってしまったことに、我ながら痛く後悔した。接種翌日は、やはり安静にしておいた方が良い。
とはいえ、私は副反応ウェルカム。副反応が起きるということは、ワクチンが効いている証拠。副反応万来。嫌だとか残念がることは何も無い、喜ばしいことなのだ。赤飯を炊いてお祝いをすべきことなのだ。
高齢者はワクチンの効果が弱いので、やはり副反応も乏しいと考える。
もちろん、自身の体調管理も重要となる。ワクチン接種と心筋炎などの関係性が取り沙汰されているが、きちんと水を飲んでほしい。栄養価の高い食物ばかり食べて水分を摂らなければ、循環器系にも悪影響がでる。なので水分摂取は、怠ってはいけない。
夕方、喉が渇いたからと、いきなりアルコールを摂取するのは大変危険な行為。まずは水を飲んで、それからにしてほしい。下手すると、倒れてしまう。
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策・露UKR侵攻 -第7編- その5
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
※コロナ対策の『全編リスト』はこちら
新型コロナウイルス感染拡大防止策 -第6編- その6【追記】
※本編長文のために送信を見送り、
2022年1月29日のWEB公開を、
同日中に各省庁へ上申
新型コロナウイルスのオミクロン株に関わる混乱が収まらない状況につき、以下の点を追記した。
・濃厚接触者の就労基準及び隔離解除までの流れ
・緊急事態宣言の基準について
・検査体制のあり方
・3回目ワクチン接種
・どうなる飲食店「事前3日事後3日の、計6日間ケア」
・帰宅駅前の路上販売「生ビールset」
・家庭内対策にメス
・新たなる変異株の発現
・世界の中の日本のコロナ禍
・カンニング対策
・オミクロン株の寿命
★濃厚接触者の就労基準及び隔離解除までの流れ
看過していた訳ではないが、やはり濃厚接触者の隔離解除基準および手順について、きちんとした形をつくることが急務であり、以下の表を作成した。
新型コロナウイルス感染症
濃厚接触者経過観察要領 PDF
政府や自治体は、元より、国民に伝達周知したい内容が生じた場合、特にこのコロナ禍では、読解力に訴える漢字ばかりの書面よりも、表など、解り易く図柄を用いる方が得策といえ、相手には子供世代もいる上、普段、読み書きとは縁遠い方々も多いのであるから、せっかく良いアイデアがあっても、飾り気が無ければ浸透しない。
上の表で、私は濃厚接触者の10日間程度の推奨行動をデザインしてみたが、全国共通してこのような基本的な対処表をつくり、あとは各自治体や末端の組織で個別の事情を鑑みてアレンジしてゆく手順が望ましいと思われる。
そして具体的な内容を解説する。そもそも今現在、時間の経過に伴う濃厚接触者の隔離期間中での推移、つまり隔離の重要度に、日数に関わる変化が乏しいことが問題で、データで示される発症頻度に表れているように、リスクは100かゼロかではなく、時を重ねる毎に、徐々に減ってゆくのが相当であると考える。
細かく説明すると、隔離の種に拘らず、すべての濃厚接触者は、はじめの3日間は完全待機。その後、医療従事者など、積極的なPCR検査を受けられる環境にあれば、万一の際の拡散防止策を施した上での就労再開を認められ、その後も段階的に早期の社会復帰ができるように改め、もちろん一般人でも、何れかの検査を要所で行うことで、早期のステージ移行、ステップアップ、スキップが可能となる。要は、隔離初日と第5日目では、隔離の扱いが違う。
その区分は、原則3区分とし、STEP?ひとまずの完全隔離から、STEP?外へ感染させない為の拡散措置[訂正:拡散防止措置]を行った上での生活必需品の調達や自身の重要な業務活動への参加資格、STEP?そして同じく外へ感染させない為の拡散措置[訂正:拡散防止措置]を伴う日常生活への試運転および復帰への事前準備、それら3つの段階である。そこまでクリアして、体調を確認して、最終的な隔離解除となる。
仮に、それらの区分に呼称を付すのであれば、?完全隔離期間、?緊急的活動期間、?事前準備期間、そして隔離解除が適当ではないだろうか。
★緊急事態宣言の基準について
ぎりぎりまで緊急事態宣言は発出したくないという心情は理解できる。ただ、宣言の基準があまりにも医療的観点に偏り、保育所や学校の状況をはじめ、社会経済活動を支える柱に大きな亀裂が生じている現状、その辺りが考察されていないのならば不可解であり、あちこちの保育所が休業に至り、親が働きに出れないこの1月下旬は、すでに社会経済の緊急事態宣言を発出するレベルの状況なのである。この件については、後半にも触れる。
★検査体制のあり方
検査体制について、東京都のPCR検査改革などは誇れる取組みであるが、全国的に不足している簡易抗原検査キットの取扱いについてクローズアップし、提案したい。
まず、風邪症状がある人に簡易抗原検査キットがゆき渡らないという状況は、どうにも回避されるべきで、その中でも医療機関に在庫切れがおこると、最低限の根拠も得られないまま新型コロナの治療薬を処方するなど、あからさまに医療崩壊ともとれる事態が発生してしまう。
また、マスクや消毒液やうがい薬など、過去にも、地べたに頬ずりする程の、みっともない買占め高額転売行為が横行し、今回の簡易抗原検査キットも然りで、高額商品を買わない、売らせないという措置も、絶対的に必要となる。なので無料配布も、一旦は中止をしていただきたい。
その上で私が提案したいのが、簡易抗原検査キットの使い方。医療機関はこれまでどおりでよしとして、それ以外の、会社や家庭、及び飲食店の入口検査などで、「グループ抗原検査」を導入してはいかがであろうか。
例えば4人で飲食店を訪れ、会食の前に、その場のメンバー総ての唾液を混ぜ合わせ、ひとつの抗原検査キットを使い、検査をする。仮に陽性であれば、
「今日はまずいね。中止しようか」
と改め、解散する。飲食店には、行きがかり上のドタキャン劇への理解をしてほしいが、無理に陽性者を特定しないことで差別を防ぐし、「俺たちだけでメシを食うから」など、仲間外れのような仕打ちを受けることも無い。無論、詳しい検査で陰性となるメンバーがいたとしても、集まった時点で濃厚接触者の疑いがあるので、当然そのまま会食を実行すべきではないし、そういう流れで終われば、検査キットはひとつで済む。
家庭内や職場でも、各部署で、日頃顔を合わせている、言わば濃厚接触者になり得る関係の人たちで区分けしてグループをつくり、まずはグループ抗原検査をする。そして特に家庭内でのグループ陽性は、全体が濃厚接触者であり、追加で精密なPCR検査や抗原定量検査などを個別に受けることが望ましく、個々の簡易抗原検査を家庭内で急ぐよりも、保健所や医療への相談が先となる。即ちここでも、簡易抗原検査キットはひとつで済む。家庭内で誰か体調不良者が出れば、まずは全員のグループ抗原検査を行う。
以上、現状、簡易抗原検査キットを無駄に使いすぎである。
それについては、検査行為そのものについての話をしたいが、私は
「今日の陰性は明日の陽性」
と常日頃から考えていて、無症状検査の重要度よりも、自分はコロナにかかっていると常に認識し、ショッキングな状態で周囲の人と接することの方が、遥かに重要であると考えている。
「検査結果は陰性だった。良かったー!よし、遊びに行こう」
では、はっきり言って検査の意味は無い。悪影響の方が大きく、気のゆるみを誘発するだけ。ウイルスが増殖し、明日陽性になる場合もあるのだ。現に、スポーツ選手や芸能人などは、日頃から検査を受ける機会が多いので、図らずも、同じく気の緩む機会が必然的に多くなる。物理的ではなく、心理的な問題。
この珍現象は、検査の落とし穴と言える。実は検査を受けない方が、感染対策に真面目な人には、得策なのだ。
なので、「安心したい」というだけの意味で簡易抗原検査キットを使うのは、よほど流通に問題が無い時に行ってほしく、更には、感染しているかもしれない人が、すでに平然と街歩きをしているのが、紛れもない昨今の現状であり、濃厚接触者だけがターゲットのように扱われるのは、本来理想ではない。特にこの感染爆発期では。
そういった経緯を考慮し、原則として、この有事の際には、安心よりも「安全を得る」為に抗原検査キットを使うよう、周知徹底をしていただきたい。特にこの冬季は、安心できる環境などはどこにも無いと、認識を改めていただきたい。
また、気が緩むという意味では、「罹ってしまえば、もう罹らない」と思っているのか、マスク無しで街を闊歩する人々が、今年に入ってから、福岡でもやたら目立つようになってきていて、そういう方には、ひとたび匂いを嗅げば感染し、再び同じ匂いを嗅げば再感染するよという事実を告知すべきである。
においは何度でも感じる。いつでもにおいを感じるという、人間に備わった能力とは、いつでもウイルスを受け入れるという能力と同じで、ワクチン接種に侵される分野ではなく、不動のものである。何度ワクチンを打とうが、いつでも軽微な感染はするのである。ワクチンを接種し数週間経つことと、CV19に罹患し回復することは、抗体を獲得するという同類の意味をもつが、ウイルスを受入れる機能は失われないのである。
★3回目ワクチン接種
さて、なかなかスムーズにはゆかない様子のワクチン3回目接種。ファイザーに人気が集中しているのが理由のようで、ただ、私ならモデルナを率先して接種する。モデルナは今回、濃度を薄めて接種されるとのことで副反応も抑えられる傾向にあるし、3回目にモデルナを打った方が抗体の獲得量が多いというデータも届いている。それゆえ私は、ファイザー2回のモデルナ1回の、つまり「F2M1」を目指している。仮にF3なら、3回目は、オミクロン株対応のファイザーワクチンを打ちたい気もする。みな、声に出しては言わないけれど、そのワクチンを待っている人も多いのではないのか。
ただ、高齢者などは、あまりえり好みをしている余裕は無いはず。本来、昨秋の穏やかな時節に高齢者のワクチン接種が推進されるべきであったのは事実であり、戦火に逃惑う人々がいる中でのワクチン接種は、もはや四の五の言わず、次々に行われるべき。
ワクチン接種を迷っている人にも、いつも言うように、きちんとNOワクチンのリスクを考え、善処してほしい。これだけ大勢の人々が人体実験を済ませたのだから、それらのデータを精査すれば、自ずと答えは出るはず。
安全だと言われている学校の給食を食べても、食あたりを起こすことはまれにある。けれど、アレルギー体質でない限り、普通は学校給食を黙っていただくのが習わしであり、「どうして給食を強制されないといけないの」などと、誰が言うだろうか。給食を食わせられて被害を受けていると、デモ行進するだろうか。
私がブラックジャックだったら、
「何だかお疲れのようですね。栄養剤を点滴してみますか」
と言いながら、栄養剤にワクチン成分を混ぜ込むであろう。それがコロナに一番強い効き目があり、「ワクチン打ってないんだから気をつけないと」という警戒心と、実際にはワクチン効果で重症化しないという恩恵、そのふたつが同時に効力を発揮する、まさに金銀、飛車角、阿形吽形、東西横綱、鉄壁の護りなのである。
★どうなる飲食店「事前3日事後3日の、計6日間ケア」
さて、いつもいつもターゲットにされる飲食業界の行く末に希望はあるのかと、心配でならない。そんな中、今までずっと長らく着目されているのが、飲食店内での過ごし方。換気、ついたて、遮蔽板、CO2濃度計、マスク会食、大声を出さない、酒は控えよ、座席の間隔を空けよ等、細かいことを言い出せばきりが無い。
もちろんそれらも大事ではあるけれど、要するに、感染者がひとりも混ざっていなければ、その会食の場でクラスターはおこるはずもなく、安心してお酒を飲むことができる。
その流れをつくるために、私はこの、「事前事後のケア」を提案したい。
「ごめん。今週末に友人一同で飲み会があって、そこで迷惑をかけるのはまずいから、いま、毎日きちんと体温を測定したりで、事前準備の期間中なんだよね。だから、久々の再会を喜びたいのは山々なんだけど、ちょっと急な会食は止めとこうかな。来月はどう?来月の前半なら、割と仕事も詰まってないんだけど」
と言って、週末のために自粛をする。そしてその友人一同の飲み会の後も、3日間程度は、「もしかするとコロナをもらっている可能性があるから、出来るだけ黙って生活をしよう」と自戒し、喪に服すように過ごすこと。前3日間、後ろ3日間の、計6日間のケア。これさえ皆が守ることが出来れば、何の問題もなく飲食店を利用することが出来るのではないだろうか。出入国の際も同様、重要なのは、会食の場よりも、事前事後のケアなのである。
「人流抑制か人数制限か」という論争についても記憶に新しく、且つ、まだ係争中であると思われるが、私には、なぜにまた白黒論争が勃発しているのかと、不思議でならない。
人流には、基本的に目的がある。目標地点がある。その目標地点において、収容人数が過密になるのであれば、当然、人数制限をせざるを得ない。また、それに伴い、人流も抑える必要が出てくる。例えば1万人制限のイベント会場に2万人が駆け付けるのは、不格好。つまり、まず最初に受入れ先が安全に運用が可能である制限人数を決め、それを超えない人流で遣り繰りすることが、無駄の無い、危険の少ないコロナ生活を送れる、ということとなる。人流抑制も人数制限も、どちらも軽んじられるべきではない。双方、必要なこと。よって、今の飲食店を安全に運用するのであれば、席を間引いた上での完全予約制が基本形となる。
★帰宅駅前の路上販売「生ビールset」
昨今、「会食はするな」と、会社から厳重に釘を刺されているサラリーマンや、「役所の人間のくせに宴会など」と世間から罵られることを恐れ、外食すらできない行政の方も珍しくない。昨秋の収束で光が差したが、それもつかの間、再び自粛生活が続いている。
もう、それが当り前になったというか、我慢も限界をとおり越した観があるけれども、そういった、飲食関係を生業としている方々、祭りごとが無くなったおかげで影響を受けている露天商の方々、そしてその客の立場であった方々を救済する目的で、私は、国や自治体が最大限バックアップした形で、労働者の帰宅駅前の広場で、「生ビールsetマルシェ」を開催することを提案したい。
このオミクロン禍で、生ビールの出荷量は再び下がり、酒造メーカーや卸売酒店は対応に苦慮している。一日二日で完成する商品ならば小回りが利くが、発酵などを伴う商品づくりは、本来一番おいしいタイミングで出荷することが望ましく、日本酒も同じく、コロナに振回される各メーカーには、どれほどのご苦労があるであろうか。
地域の祭りも中止が相次ぎ、露天商は活躍の場が無くなった。なので月曜から木曜だけでも、彼らに駅前広場での販売を委ね、酒屋は生ビールを届け、周辺地域の飲食店は、店で作ったおつまみをパックに詰めてマルシェへ届け、帰宅途中の会社員などに、
「今日もお疲れ様でした。家でゆっくり召し上がってください」と、生ビールset、日本酒setを売渡す。
予約がとれる分は、受付ける。客は直接飲食店に連絡し、注文をし、受取の大まかな時間帯を伝えておく。飲食店は、「これは、20時頃に受取りの山本さまの分です」と明確にしておき、販売担当に後を委ねる。客は「予約の山本です」と言って受取時に支払いをすれば、トラブルも起きない。各店舗は店のPR用紙を準備し、新たな集客も望む。
東京なども、独身者の多い街であろうが、何も無し、労いも無しでは、人間は精神が崩壊してゆく。何のために働いているのだろうか、何のために生きているのだろうかと、ネガティブ思考に陥ってゆく。
そんなコロナ禍で地域の生産者の温もりに触れ、新しい味を発見できるのであれば、願ってもない好機となる。
単身赴任のお父さんでも、
「あ、あの店のおつまみが並んでる!すっかりご無沙汰してるけど、良かった、まだ頑張ってくれていたんだ。嬉しいな…今度、嫁と子供が遊びに来れるようになったら、一緒に食べにゆくかなぁ」と、馴染みの店の灯に、心底から励まされる。
みんなして、地域を支える。乗切る。コロナに負けない、負けるな。余計な税金など拠出させずとも、我々には、生きてゆく術がある。人を救える心がある。
★家庭内対策にメス
いま、家庭内感染がこれだけ当り前となった状況では、「外で食事した方がよっぽど安全」と言われかねない。策は色々あるけれども、生活空間も様々であるから、一様にこうだという提案も、むずかしさを伴う。
そういう流れから、ひとまず基本に戻る形になるのではあるが、朝夕晩など、日々の家庭内検温を、もう一度徹底してほしい。外気温が低い冬季では、外出先で行う入口検温は、正確性に欠ける。自宅にいる時の事前検温の方が正しい値を求めやすく、学校での入口検温などでも、登校してしばらく経って、児童生徒の表面温度が室温に馴染んでから、もう一度検温するのが望ましい。
逐一体温を計っていれば、異常が出ればすぐに判る。家庭内で、誰かに異常が出たら、すぐに全員マスクを着用し、マスク会食や紙コップ会食を徹底する。フェーズが変われば、対応も変える。必要があれば、グループ抗原検査を行う。
★新たなる変異株の発現
やはりどんよりとしたニュースが流れてきた。「ステルス・オミクロン株」の発現。感染力はオミクロン株の2倍相当で、注目される重症化率は、まだ明らかになってはいない。
オミクロン株が比較的に症状が軽いと言われ、世界的に死者数も低調であるとされる中、それでもアメリカ合衆国などは、再び頂上を極める勢い。これまで陽性者数の1〜2%程度の人が亡くなると言われていたコロナ死亡率を、このオミクロン禍に限定した日本で換算すると、すでにこの冬、1%としても、1月26日までに、最低でも880名の方々が命を落としていた計算になる。日本で、この冬。
恐怖心を植付けたい訳ではないけれど、ステルス・オミクロン株が、もしデルタ級の致死率を秘める株であったのであれば、私たちは、確実にロックダウンを経験することになるだろう。
ステルス株の出処がどこであるのか、また、詳しい変異の全容なども今後注目されるが、何れにせよ、変異のチャンスをウイルスに与えることは、人類にとって限りなくリスキーであることを、今一度訴えたい。「英国隔離」というのは、多くの人がナンセンスなことだと考えているだろう。しかし今後の状況次第では、変異株を量産する可能性のある国とは交流をするなという声が、上がってくる可能性は否めない。
★世界の中の日本のコロナ禍
もちろん、いがみ合うよりも、世界各国が協力し合うことが終息への近道かと思われる。私は常々から、世界同時ロックダウンを行うならば6月にと主張してきたが、世界の指導者を交え、そういった話し合いだけでも必要ではないのだろうか。
そして指導者と言えば、ヒトラー問題。どうしてこういう事態をつくりだしてしまうのかと思うけれど、本当に、国会議員はたとえ話がなっていない。箝口令が敷かれるのも、理解できる。
彷彿とさせると言ってしまえば、橋下氏 = ヒトラー = ひどい人、という紐づけになってしまう。
「橋下氏のように、ヒトラーを超えるかの弁舌をもつ指導者がいれば、かのナチスも、まがい路を歩まずに済んだであろうに。至極に残念でならない」
と書いた方が良かったのでは。
国政は、もうちょっと真剣になってほしい。私たちの置かれているこの状況は、まさに「コロナ戦争」。新型コロナウイルスと日本国民の全面戦争が目の前でおきているのだ。
ウイルス軍の空襲で戦火が及べば、子供たちは学童疎開をせねばならないであろうし、危険な時に避難できる防空壕も掘らなければならない。食料も配給。そして被害が拡大しないよう、バケツリレーの訓練。
国会議員は、気づかないのか。まだまだ酒が飲める状況だから、もしや気づいていないのかもしれないけれど、私たちのやっていることは、まさに太平洋戦争の頃と同じなのである。私たちはもう、コロナ戦争の炎の真っただ中なのだ。もう何時でも、子供たちを疎開させるか否かを話し合う、そういうひっ迫した時期なのだ。
小池百合子都知事の率いる東京都は、相当にがんばっておられる。強力な武装をし、兵の訓練を行い、救護所をつくり、民の体を気遣って配給品を調達し、PCRサーチライト車両であぶり出し、敵のウイルス軍を迎え撃つ。
もちろん、大都会であるから集中砲火を浴び、とかくマイナス面も多いけれど、プラスの要素で倍返しし、総動員で、防衛ラインを死守しておられる。ぶっちゃけ話、後はもう、民の努力次第なのだ。ありとあらゆる策は、もう限界まで講じておられるのだ。何人も、東京都の措置にケチをつけることは出来ない。
問題は国政。任されたからには、きちんと結果を出さなければならない。努力をしていない、何もしていないとは私は評せずが、機を逃しては何もならない。敵が通過した後に落し穴の綱を引いても、ボールが通り過ぎてからバットを振っても、それはどんなに綺麗なスイングでも、空振り三振なのである。
文通費問題など、この期に持出す議題ではない。国会議員各自のモラルの問題であり、領収証の提出は任意。党は口をはさまない。各々に任せ、あとは国民が評価する。たとい次期に非提出者が落選しようが、身から出た錆。
政府が何某かを決めても、実行に移されるまで数日かかる。国民や関係機関に馴染むのも、更に数日。そこから新規陽性者数のグラフが折れるのに、更にまた2週間程度かかる。つまり、何を育てようかと土壇場に話し合ってから種を蒔いても、実が生り収穫が出来るのに3週間以上かかるということ。早くせねば、その間に餓死する面々が続出してしまう。
感染力が倍のウイルスが襲ってきたらこうしよう、毒性が1.5倍の場合はこうだと、ワクチンが足りなくなったらこうだと、病床が足りなければこうだと、なぜ予め決めきれないのであろうか。前もってどんどん決めて、先に国民に提示しておくといい。今の国政は、コロナ株変異の加速度に追従できていない。後だしジャンケンでもしようと思っているのか。
大事なのは、自らを信じる心。そもそもエビデンスとは、バットを振る強打者でも知り得ないこと。ホームランになるか凡打になるかの確証が無くとも、バットは、ここぞというタイミングで振らなければならないのである。
私とて、このコロナ対策論文を長々と書き続けてきたけれど、身入りはゼロ。しかもこれまで、行政からは「ありがとう」の、何らのひと言も返ってこない。どこからも。唯一、航空会社各位からは、ご丁寧にご返信をいただいた。
もちろん私は、当然ながらそういう見返りを求めている訳ではなく、どこかで今、生きているたいせつな命が、ひとりでも多く救われるのであればという気持ちで、ただそれだけの思いで、前を向き続けているだけ。自分を信じて。
なので、議論をすることでお金を得ている国会議員さまや、そしてコロナ対策関係者さまは、本当に真剣になってほしい。結果を出さなければ、負けは負け。「収束時期は判りません」、「そもそもゼロ・コロナなんて無いんですから」ではなく、「収束させます。それが叶わなかった暁には、きっぱりと身を引きます」と言うべきだ。気概だけを見れば、中国共産党に大敗北しているではないか。
戦争に負ければ、責任をとるのは当たり前。日に三桁の死者数を数え始めてから気づいても、到底遅い。そして言っておくけれども、この調子なら、この冬、三桁は現実的にあり得る。国策の犠牲者は、ひとりでも減らさなければならない。
★カンニング対策
国の名折れ。武家の時代であったら、打ち首に値する行為ではないだろうか。本人が反省しているとはいえ、決して許される行為ではない。
教育を受けられる、というのは、有難いこと。世界をめぐって、「勉強がしたい」と言いながら、ゴミの集積場で金目のものを裸足で拾い集める子供たちの姿を、眼に焼き付けてくるといい。二度とそういうことを考えなくなるであろう。
過去の栄光にすがりつくのは、みっともないこと。大事なのは、どこの大学に行ったかではない。いま自分がやらなければならないことに、ひた向きになれるか否かである。
何れにせよ、問題用紙の至るところに、薄字でも「〇〇年度 大学入学共通テスト」と刻印を入れておく必要はあるであろうし、現役の大学生などにも、犯罪へ協力すれば相応の処罰が下ることを周知すべきであるし、試験を受ける学生らにも、男女に限らず、長髪は後ろで結んで両耳を出す、時計やメガネは検査官が確認をする、両袖はまくって、洋服で手首が隠れないようにする、出来る限り白っぽい服装で臨む等の受験時の規則を明確にした方が良い。カンニング機器の進化に、文部科学省も順応しなければならない。
★オミクロン株の寿命
さて、ようやく書上げたので、記事をブログにupしようかと思った矢先、悪いニュースが飛び込んできた。まだ実験の暫定報告のようであるが、オミクロン株が、プラスチックなど、つるつるした表面の素材の上で、どのくらいの期間、感染力を保てるのか、その報告。なんと平均で、190時間にも及ぶそうだ。
つまり、新型コロナウイルスのオミクロン株に感染し、手指が同株で汚染されている人から、「お菓子どうぞ」と、プラスチック包装のお菓子を手渡されたら、平均すると8日間程度、その包装の表面で、オミクロン株は感染力を保ち続けることになる。
これはどの従来株よりも長い生命力だそうで、厄介に尽きる。家庭内感染で生じた隔離期間を何とか消化したとしても、家具や備品にへばりついたウイルスが、家族の体内に取り込まれれば、また感染が広がる懸念がある。ウイルスのパスまわし。
缶コーヒーの例は、突飛な記述ではない。もちろん缶ジュース類だけがターゲットではなく、私たちがスーパーマーケットへゆけば、ほとんどの商品は、つるつるとしたプラスチック包装で囲われているのであり、ドアノブや電車バスのつり革は気を遣うのに、商品棚には無頓着であっては、心配も拭えない。スーパーの商品は、買わない品を手に取るべきではない。
私は、父親が生前、缶飲料を飲む際に、口が当たる箇所を必ずティッシュで拭いていたという癖を見続けた影響もあり、コロナ前から、可能ならば缶を洗うことにしている。ペットボトルならばまだ良いが、缶はキャップに飲み口が隠れている訳ではないので、どうも気になるし、洗えなければ、洋服などで拭いてから飲むようにはしている。
「そこまでするの」とおっしゃるかもしれないが、私はそれを「意識」という言葉でまとめたい。
1日24時間の中で、10分でも気を許せば、コロナにかかってしまうことがある。私たちは常に警戒をし続ける必要があり、家の中にウイルスを持込まないためにも、買物した品々も、開封前の冷凍食品など、洗えるものは洗う。すぐに使う時は、取扱い時にマスクをする。開封作業などは、換気扇を前上で回しながら行う、そういった工夫が必要である。
このままでは、まずい。将来的に、全人類が、有症状レベルの罹患に至る。
2022年1月29日
Atelier Kaii
五郎丸 塊維
新型コロナウイルス感染拡大防止策 -第6編- その1
新型コロナウイルス感染拡大防止策 -第6編- その2
新型コロナウイルス感染拡大防止策 -第6編- その3
新型コロナウイルス感染拡大防止策 -第6編- その4
新型コロナウイルス感染拡大防止策 -第6編- その5
新型コロナウイルス感染拡大防止策 -第6編- その6【追記】
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